夏・広島から~戦後70年の原爆ドームと世界遺産めぐりまとめ
朝7時30分すぎ。大田市から都市間路線バスで3時間かけて、広島へ。
(写真は島根県邑南の道の駅休憩所)
山間の町にある停留所で客を拾っていくことから、
山陽と山陰を縦断でつなぐ、重要な交通手段と実感。
昼前に到着した広島で訪れた世界遺産はもちろん、
登録されて久しい「原爆ドーム」。
8月6日の式典の香りが残る花や折り鶴を見ていると、いろいろと思いを馳せます。
あの路面電車、70年前もこの街を走っていたんだな・・・とか。
そして、久しぶりに訪れて気付いたのは外国人観光客の多さ!
広島の友人に聞くと、宮島など広島の観光スポットが最近、
ロンリープラネットやミシュラン観光ガイドに掲載され、
その独特性をもった観光地の形などが魅力を誘っているようです。
宮島も世界遺産ですものね…今回は行けませんでしたが。
※2003年に行ったことはあります。
いずれにしても、原爆を落としたアメリカ人の間でも、
徐々に広島・長崎のことを知る人が増えて来たという話です。
日本(しかも広島・長崎だけ)の話にとどめず、
世界の人々が、核兵器を使わない世の中を築いていく道を
考えていけると嬉しいです。
その夜、北京に在住経験のある広島の皆さんとお会いし、
懐かしい北京の話を堪能しながら、
広島に生まれ育った皆さんならではの貴重なお話も伺いました。
広島で生まれた人は被爆2世・3世であることが少なくありません。
だから、違う地方で生まれ育った私とかが実感できないほど、
「原爆」というものは身近にあったそうです。
しかし、実際に被爆した1世であるお婆さんお爺さん世代は、
どんどんこの世から去って行かれています。
生前も、あまりの辛さに体験を口にすることもなかったそうです。
長崎も同様ですが、今後、この2つの地を「最後の被爆地」とするために、
まずは戦争を体験していない私たちが考えることは多そうです。
2011年の東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故と、
最近、物議をかもしている安全保障法案が、結果として、
若い人たちの「核」に対する意識を高めていることは評価すれば良いでしょうか。
今回、8月9日から回った3か所の世界遺産。
1)萩城下町と松下村塾
2)石見銀山
3)原爆ドーム
いずれも日本の歴史を支えたり世界に門戸を開いたことで、
登録された意味のある場所だったことを実感しました。
一方で、山陰地方や群馬など交通の不便な内陸部は、
その価値を多くの人に伝えるためのインフラ整備を、
過疎化という流れの中でどの程度築いていけるのか、
という課題もあることを感じた旅でもありました。
また、旅行者にとってはお財布泣かせの一面も…
バスと鈍行を使ったり安宿を選んだつもりだったけど、
宿の場所が不便でタクシー利用になったり、
ダイヤが合わずに特急利用になったりと余分な出費もあり、
かつお盆時期で宿代が割高だったことも手伝って、
最後に旅費を合計したら相当な額(泣)
当面は節約しなければということも痛感しているところです。
でも、こういうことがあると、
「今度はもっと安くて効率良い旅にしてやる!」
というリベンジ魂が燃え始めているので、楽しみに残しておきますか。