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私が「神様」だったころ

おいおい、と言われそうな話ではありますが・・

私が本当に神様だった訳ではなく、単なるチーム名なんです。

日本では明日・明後日と
日本テレビの「24時間テレビ」だそうですね。

アンガールズがマラソンに挑戦したり、
広末涼子さんが北オセチアを訪問したりと、
日本にいれば絶対見ていそうなピンナップ。

日本にいる方にとっては「ああ、またか」の
感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが・・・

ま、ちょっと思い出話を一つ。

私が高校生の頃はこの季節になると、読売新聞に大きく
「24時間テレビボランティア募集」なるお知らせが掲載されてました。
(今もあるかなー?)

高校1年の時、当時大好きだったCHA-CHAのファン仲間から
そのことを聴いた私は、翌年・高校2年の夏、広告を見つけて
ボランティアに応募(16歳以上です)。

その後3年間に渡り、この日には武道館を訪れることと
なりました(一度参加した人には翌年もお知らせがきます)

1年目に担当した仕事は、ステージ脇の電話オペレーター
主に募金募集の受付なのですが・・
この年から間寛平さんによる24時間マラソンが始まって
応援メッセージが届いたり、
加山雄三さん&谷村新司さんの「サライ」が作られ
歌詞のアイディアが届いたり、
司会のダウンタウンが夜中の大喜利で電気のこぎりだして
おばさんから苦情が届いたり、
それは楽しいボランティアではありました。

※間寛平さんのマラソン特番が後日放送された時に、
私が電話応対しているシーンがズームアップで映ったし・・


でも、電話オペレーターの仕事は参加者の声こそ聴けるけど
顔が見えない。ちょっと物足りなさを感じたので、
2年目と3年目は、武道館へ特別招待される
障害者の方々のご接待という仕事を志願しました。

それが「神様部隊」とボランティアの間で言われる役職だったのです・・

芸能人が募金を持って入ってくる北口玄関と同じ場所で、
障害者の方々が入ってくるのを迎え、観覧席へ案内、
夜中に放送が一旦休止すると、おしゃべり相手になるなど、
簡単そうで心理的には子供の自分が手伝えることが少なく
未熟さを痛感した夜ではありましたが・・

その分、障害者の方に学ぶことが多くて充実していました。

ただ・・毎年ここを訪問する方から聴いたのですが、
年々、武道館という会場の中で、障害者の方の
観覧する場所が条件の悪い処になってきたそうでした。

私がボランティアをした年も、健常者の観覧席の後ろで、
アイドルなぞステージに来るものならば、観客総立ち。
車椅子の障害者の方々は立てないので苛立っていました。

このとき知り合った車椅子の方とは、まだ連絡を
取っているのですが、その方は、私が知り合った時は
連続で行っていた武道館に、最近は行かなくなったと聴きます。

皮肉にも、私が参加した年から、24時間テレビは
イベント色をたっぷりつけて視聴率アップ大作戦に
繰り出しました。それはそれで、活動を続けるためだから
反対はしませんが・・・

障害者の方が楽しめなくなった会場に、
24時間テレビの本質はどこまで残っているのか・・

そんなことも考えてしまうのでした。

時々、夜中にただただアフリカの貧しい子供たちを
映していただけの、地味だった24時間テレビが懐しいです。

・・・欽ちゃんも出なくなったしなあ・・・

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