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以下、おさらいメモ:「チベットの歴史」

チベットの歴史について調べようとしたけど、
そのためには、一方的に日本の方ばかり見ても収まらない。

日本と中国の両側の視点から検証比較しないと始まらない。

そこで、両方の立場のサイトから「チベットの歴史」を抜き出し
比較してみることにした。

ちなみに、日本側は大手辞書サイト「Wikipedia」(以下、日)
中国側は国営ラジオ局の「中国国際放送」(以下、中)から抜粋。
言語は共に日本語。

Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88

中国国際放送
http://japanese.cri.cn/881/2009/03/03/1s136230.htm

昨年の今頃、英語・中国語で「ティー・アイ・ビー・・」とか「にしくら」とか
入力したら、いきなり画面が止まってしばらくネットが使えなくなったので、
あえて英語・中国語で検索するのはやめた。
(やっぱり日本語同士の方がラクだし読みやすいという手抜きもあり)

では、行ってみよう!

古代~吐蕃王朝時代(~9世紀)
→ここは、両方とも「吐蕃王朝」であり、当時の中国だった「唐」とは
 別の国であると表記されている。

→ただ、一部だけ違うのは、(中)が「チベットの先住民は、漢民族と
 連絡とっており、・・・王朝成立後、チベット族の民族英雄である
 ソンツェンガンボは、吐蕃に唐の技術と文化を取り入れ、友好的な
 関係を築いた」と言うのに対し、(日)は、「唐とはたびたび 和平と抗争を
 繰り返した」と、決して友好的に終始したわけではなかったことを書いてある。

元代(13世紀~14世紀)
→ここでも、両方ともモンゴル族のチンギス・ハーンによってチベットも含む
 中国大陸が「元」に統一されたことを表記している。ここでチベットは、
 今で言う「中国の一地域」に属することになった。

→ただ、(日)側には、元時代に存在していた「グゲ王国」や
 「サキャパ政権」のことが記載、チベットと元、2つの政権(王朝)が
 共存していたことを記している。

明・清代(14世紀~20世紀)
→ここでは両者ともコメントは薄い。

→(日)側のコメントは、元時代の雰囲気が続いたと記載、
 (中)は、清王朝がチベットを主権行使していたと記載している。
 (日)側に、1723年に行われた「雍正帝によるチベット分割」が記載。
 青海地方に出兵し、チベット族のグシ・ハン一族を征服、
 東北部のモンゴル王公、チベット人諸侯らを青海、甘粛省、四川省、
 雲南省などに分属した、とある。今、各省にチベット自治区があるいわれか。

清滅亡・辛亥革命の後(1913年~1949年)
→ここで一番大きな開きが出ている。

→(中)は「辛亥革命が起こり、中華民国が成立した後もチベットでの
 主権行使は続いた」で終わっているのに対し、
 (日)はここを細かく記載している。
 辛亥革命後、本格的に独立を図ったチベット、ダライラマ政権と中国国民党
 との軍事的な衝突、同じ地域にチベット側の実効支配領域を作り抵抗したこと、
 同じく独立を図ったモンゴルと、協力体制のあったイギリス・ロシアとのことを展開。
 独立運動が最初に活発化した時であると解いた。

現在(1949年~)
→ここでもやはり、言葉も展開もかなり大きな開きがある。
 (日)は、これまでに聞いてきた1959年の民主蜂起が厚く、
 (中)は設立後にチベットも国会に参加するようになったことから展開。
 かなり微妙な言葉を使いながらも、情報としては正しいと思う。
 翻訳文章のようだが、上手に書かれている。

→(中)は、1949年の中華人民共和国設立と同時に、チベット政府も
 政府と見解を一致。中央人民政府が事務的な政府機能を果たすこと、
 チベットもそれに同意しダライラマなども第1回全人代に参加したことを記載。
 1959年の動乱については「民主改革に反対して祖国の分裂を企てた」となる。
 (日)は、1949年後中国共産党が「チベットは中国の一部」として
 「軍事制圧」をし「チベットの主権を奪った」と記載。
 1959年の動乱については「「中華人民共和国政府による併合」に抗議する
 運動(ラサ決起)が起こった。」とある。
そして、(中)側の見解についても触れ、「この「民主改革」については、
 「封建農奴制」を覆し、「100万農奴」に「解放」をもたらしたとする主張も一部にある」
 と記載しているものの、「しかし58-60年に行われていたのは、農業改革に失敗し、
 中国全土で数千万人の餓死者を出したと言われる大躍進政策であった。」と解説した。

・・・

日中の見方は、こんな感じで開きがある。

そこで世界について、事実を一例挙げるならば、、、

動乱により、インドへ亡命したダライ・ラマ14世は、その後世界中を廻り
世界平和やチベット宗教・文化の普及に対して行った貢献が高く評価され、
1989年にノーベル平和賞を受賞した。

これに対し中国政府は無視を決め込んでおり、
ダライ・ラマ14世という言葉は中国の検索キーワードでも禁止されている。

世界と中国、にも大きな開きがあるようですが、いかがでしょうかね。

あくまで個人的なメモ書きでした。

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