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【書評】『排出権商人』は世界を席巻するか、それとも・・・

根本の地球温暖化問題自身が「世紀のペテン」になるか!?

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って、先に最後のページを言う奴がどこにいるか・・(汗)

昨日のエントリーで紹介した『排出権商人』。
この事業に関わる人たちの、バイブル的存在になりそうです。

空気が大金に化ける。
これが「排出権ビジネス」の実態だ!

と本の帯に書かれていた言葉どおり、
巷ではあまり表に出てこないが「排出権ビジネス」は、
今や世界中を席巻する新しいビジネスとして成っている。

1997年に京都で開催されたCOP3で採択されたのは、
地球温暖化問題の要因とされてきた二酸化炭素などの
温室効果ガスの削減義務設定。いわゆる京都議定書

日本は、2008年~12年までの間に、1990年比で-6%の
削減が義務付けられているが、正直な話、日本は90年の
時点で既に先進的に対策は採っていて、減少傾向にあった。
すなわち、国内だけではこんなに減らすことはできない。

その分を、海外の温室効果ガス削減プロジェクトに投資など
関与することによって、そこで得られる削減量を目標数値に
組み込むことができるのだ。(うむ、なんだか騙されたようだ・・・)

その、取引を仲介する役割を担うのが、排出権商人
はじめとする、CDMプロジェクトから得る排出権の売買を
取り持ったり、海外のこうしたプロジェクトを作る人たちと
一緒に、企画・運営に関わる人たち。

私が住む中国は、売り手市場で世界最大規模に君臨?する。
削減義務を負っていない上に、削減させるプロジェクトは
炭鉱、水力、風力、そしてメタンガス開発と豊富にあって、
世界の削減義務を負う国の注目の的である。

そんな訳で、この本の舞台も半分以上が中国。
小説に出てくる登場人物の何人かのモデルは、
北京でおなじみの暇している駐在員さんだったり、
お茶屋さんを経営しているZ姉さんだったり、かつ、
街中の風景は日頃目にしている風景だったりと、
個人的に読んでいて親近感も湧いてくる一冊。

400頁を超える難しい言葉が散りばめられた小説だけど、
中国とのビジネスに奔走するヒロインの姿に共感もって
后海の茶館に篭って根気よく読破しました。

でも・・・

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目の前に広がる后海の景色は、全面凍結した氷の海。
この風景を見ていると、地球は本当に温暖化しているのか
疑いたくなってくるのも、事実。

寒い北欧のコペンハーゲンでCOP15を開催しても、
参加者達は、温暖化を実感できたのだろうか・・・

ゆえに、根本の地球温暖化問題自身が「世紀のペテン」になるか!?
と思わされるのでした。

世界規模で温暖化を捉えるためにも、みんなで
南極や、ツバルなどの国へ行ってみたいものです。

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すいません・・・。

今日のエントリー、書評になっていませんね

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陝西省楊凌探訪記:「農業」と「エコ」と「排出権」。

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陝西省の省都・西安から西へ82キロの所にある楊凌

西安は、秦の都として歴史が長く、シルクロードの起点として、
また世界遺産の兵馬俑がある町として有名ですが、
この楊凌もまた、中国にとって欠かせない歴史を持つ町です。

それが、農業

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(楊凌ICの入口にある后稷さんの像)

歴史が長く、古くから文化が成り立ったこの場所、
楊凌は中国の農耕文明発祥の地と言われています。
4000年前、農業の始祖である后稷(HouJi)がこの地で
「強民稼穡、樹芸五谷」との教えで農業を始めたのだとか。

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歴史の長さを表すのが、1800年前に建立されたという
仏教寺「法門寺」。改修を繰り返しながらも健在。
日本や韓国の仏教徒たちと交流を行なっています。

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(その隣には、ウルトラハイテク「法門寺」が昨年オープン)

さてそんな楊凌。農業発祥の土地として、また先端地として、
1997年から、中国政府が推進する農村の貧困解消策を
目的とした『農業高新技術産業示範区』プロジェクトを発足。
大胆にも、町全体を農業ハイテク産業都市に改造することに!!

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(楊凌の町全体が、ハイテク農業都市に変身!?)

総面積135平方キロメートルの楊凌の町全体をそのまま
改造するのだから、中国のやることは本当に大きいです。

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高速道路で楊凌インターチェンジを降りて入口の門をくぐると、
楊凌政府の作ったデモンストレーションセンターが。

楊凌と農業の関わりを紹介するパネルと、
農業高新技術(ハイテク)産業示範区の計画を示したパネル、
成果物の「緑色産品」や品質改良作物が展示されていました。

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街中はまだまだ昔ながらの風景・・これが大変貌を遂げるのか。

車を出して頂き、このプロジェクトで既に実施が始まっている、
農村の家庭や養豚場などの排泄物からガス燃料を取得する
『メタンガス回収による家庭用ガス装置』
を見学しました。

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(ちょっと裕福な印象の崔東溝村の住宅地)

この装置を先駆けて設置し始めたのは、
楊凌でも最北にある崔東溝村。2006年から設置が始まり、
今ではこの集落260戸のうち160戸で取り付けられているとか。

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自宅のトイレや牛小屋・豚小屋などで出てくる排泄物を、

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自宅裏にある肥溜めタンクに回収します。

このタンクを密閉することにより、メタンガスを発生させます。

発生したメタンガスは、このまま大気中に放流したら
温室効果ガス
になりますが、これを逃がさないように
パイプを通じて送り込み、装置にて家庭用ガスに変換

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台所のガスコンロや、ガス灯、ガス暖房などに使われます。

つまり、この装置を農家につけることで、
1.温室効果ガスを削減できる。
2.農家の人たちのインフラが向上し、
  かつ排泄物を綺麗に回収することで衛生的になる。

という利点が生まれてくるのです。

中国政府としては、この試みを優良な環境対策として
「中国全土の農村のうち2500万世帯には設置する」ことが目標。
この2500万世帯で回収できうるメタンガスを算出すると、
CO2で年間1億トンの温室効果ガスを削減できるそうです。
専門家も驚きのレベルです。

ただし、この装置を取り付けるためには、費用がかかります。
中国政府と、プロジェクトを推進する部門で三分の一ずつ負担し
残りを家庭で負担するそうですが、この費用でさえ捻出できない
家庭はまだまだたくさんあります。

この村全体が、真っ先にこの装置を採用した村だけあって、
平均年収は農村でも裕福なレベルの5600元/年程度。
※養豚場や養牛場、果樹園などで成り立っているようです。

見学させていただいた崔東溝村の村長・崔致遠氏の自宅は、
確かに広くて清潔で、本当に農村なの!?というほどですが、
それでも、3年経った今も260戸のうち100戸がまだ未設置。

まだまだ高いこの装置。残り三分の一を農家の代わりに、
負担してくれる人がいればいいのだが・・・

という訳で、ここで登場するのが『CDMプロジェクト』です。

CDMとは、温室効果ガス削減義務を負っている国が関与して、
削減義務を負っていない国で排出削減プロジェクトを実施すると、
CER(認証排出削減量)を発行してもらえる仕組み。

日本は、1990年比で-6%の温室効果ガス削減義務
負っていますが、国内だけでは、この目標を達成できない。
とすると、中国など海外でこうした温室効果ガス削減の
試みに投資をして、目標を達成できるそうです

例えば日本企業等が、この「メタンガス回収装置プロジェクト」に
投資するなどの関与を行えば、プロジェクトによって得られる
CERを発行してもらえることになり、結果として日本国の
削減目標達成につながるということなのです。

これがいわゆる排出削減量⇒排出権の売買
排出権の売り手(プロジェクトを作り実施する当事国)は中国、
買い手(それに関与する削減義務を負っている国)は日本。

「排出権」は今や貿易などの売買取引と同じような感覚で、
立派なビジネスとして成り立っています。

いろんな立場の人が存在しますが、私が同行させていただいた
エコ・アセット社は、その中でもユニークな立場にいます。

エコ・アセットは、中国政府などプロジェクトを立ち上げる機関
プロジェクトを組み立て、効果的な方法をコンサルし、得られる排出権を、
買い手の日本企業等に紹介する業務を行なっています。

こうしたことができるのは、専門的な知識や経験、
そして中国においては人と人との信頼関係が鍵となるのです。

エコ・アセットの社長・青木氏を見ると、終始、流暢でかつ
ボキャブラリー豊富な英語でトークを展開、サービス精神。
中国の優秀なパートナーの皆さんと交流していました。

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そして・・・

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白酒にワインで乾杯合戦。
おもてなしで出したお酒を一気に「クイッ」と飲み干すと、
接待してくださる中国側は満面の笑顔で喜ばれます。

これぞ中国ビジネスの登龍門!!
・・ということを体感した次第でした。

wine bottle beer wine bottle beer

今回の楊凌の旅。
「農業」=「エコ」=「排出権」と、いろんな視点から
勉強になりましたが、内容が複雑な上、英語と中国語で
交わされたので
、私の頭の中は既にオーバーフローです。

誰か、私の頭の中に入りきらなくなった情報を整理するべく、
頭の中にフローしている「モヤモヤ」を買ってくれないかな・・・
知識のエキスが一杯つまった「モヤモヤ」ですよ(笑)

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皆様、取材協力ありがとうございました。

楊凌旅遊網 http://www.yanglingtour.com/
エコ・アセット http://www.ecoasset.jp/

ちなみに、排出権取引については、この本が詳しいです。

(2009年に出版した、タイムリーな『排出権商人』)

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『萬菜(VINZAI)』でほっこり料理in北京凍る冬の夜にぬくもりを

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やっと行ってきました。
バブル会のMさんが、「しっぽりと語りましょう」と開かれた
「プチ・バブル会」。今回は、某大手食品会社の駐在員さん、
某大手研究所の駐在員さんと、4人で隠れ家小料理店へ。

その名も『ほっこり料理 萬菜(バンザイ)』

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店内に入ると、とってもジャパニーズテイスト!
そして、カウンターとテーブル2つしかないお店は、
テーブル席利用時には予約しないと確保できないよう。

予約を入れると、こんな可愛いメッセージが・・・

「ほっこり料理」は、店長・オノさんの手作り料理。
昨年3月頃、別のお店でお会いして名刺をいただいていたのに、
今頃の来店になってしまいました。ということでご挨拶を・・・

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メニューはお手ごろ価格でおいしそうな和風料理がずらり。
先に頼んだ「イシモチ」は、お店の入口で干したものだとか。
北海道の人間として、こういう焼き魚は嬉しいですね。

このほか、肉じゃがにモツ煮、懐かしい家庭の味がずらり。
「このモツ煮、おいしいから・・・おかわり!!」となる始末。

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そして、メインディッシュのお鍋。
トマトベースの洋風鍋を頼み、ワインも一緒にいただきました
ワインは、お店のこだわりで「楽しく気軽に飲める値段に」と、
ほとんどすべてが1本200元以下。注文はオーストラリア産175元

お鍋は、店員のハセガワさんが最初から最後まで作って、
一人一人に上手によそってくれました。この間、皆さんで
かわいらしく働くハセガワさんに突っ込む突っ込む・・・。

で、盛り上がった我々、もうすぐ北京に来て6年となるという
彼女のために「よおし、特別バブル会を開こう!!」という運びになり、

実現することになりました(笑)

北京の輪って、こうして広がっていくのですね。

何はともあれ、この狭い空間で、料理と店員さんとゲストが
一体になって盛り上がれる所が、このお店の魅力ですね。

ご馳走様でした。

余談ですが、今日1月27日は「本番・バブルの会」
一体何人で大騒ぎするのでしょうか・・・

・・・

お店紹介

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※にっこりMさんが向こうにいる扉が「萬菜」です。

ほっこり料理 萬菜(VIN ZAI:バンザイ)
住所: 朝陽区新源南路8号
電話: 130-3111-8170(長谷川さん・小野さん) 

行き方:京城大廈から新東路方向(SOSのあるほう)へ。
左手に「MORO」と書かれた閉店したような看板の店を見たら、
その3~4軒西側、「美容室」と「成人なんとか」の間です。
看板がなくて、黄色のカーテンが奥にかかった扉が萬菜。

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完全凍結の『后海』で氷上散歩♪in北京開き直って冬堪能

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1月下旬になっても、1月3日に降った雪が解けない北京

それもそのはず、今月最高気温がプラスになった日はわずか数日。
最高気温でさえ氷点下では、そりゃ雪も氷も解けませんって。

ああ・・海南島が雲南省がベトナムが恋しい・・・

とはいえ私が住んでいるのは北京。これは変えられない事実。
仕方ないので、今回は思い切り開き直って、
凍りついた「后海(HouHai)」を堪能しに行ってきました。

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バスに乗って「北海北門」で下車。ここが后海の南側の入口。

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凍ってます凍ってます・・・で、いきなり氷上に無数の人間!!

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スケートを楽しむ人たちですが、椅子スケートと靴スケートが
ごっちゃになっていて
、なんだか危ない・・私は見てるだけに。

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1月ですが、当分クリスマスツリーも似合う冬の北京です。

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結婚式写真を撮るカップル・・・氷点下の中のウエディングドレス
「お幸せに♪」というよりも「・・お疲れ様」ですね。

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そして、見えてきましたよ♪ 今日も元気に泳いでいます。

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寒中水泳の皆様。
近くに張ってあった紙によると、今日は気温零下7度、水温1度だそうで、
どっちかというと、水の中にいた方がまだましみたいです。

12月の段階では、ただの冷水だったはずだけど、
今回は完璧に「氷の海」。野次馬も同じ湖上に立って見ています。

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みんな、フェンスを乗り越えて湖上へ「ピョンッ!!」と飛び降りていたけど、
万が一氷が割れたら怖いので・・・ひとまず、凍結した船着き場から、
そろ~り、と降りてみると・・・なんてことはない。大丈夫だ。

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寒中水泳の皆さんを、至近距離で見ました。
おばちゃんも、泳いでいます。すごい!!

と、その時、どこからともなく、「ズガーン!!」という低く鈍い音が・・!!
「割れたか!?」周囲にいた人たちも一目散にその場を離れますが、
大丈夫みたい。ところどころヒビが確かに入っているのですが、
割れて氷水が噴出して・・というところまでもいかないようです。

それにしても、寒いですね・・・。
今回も、読書したい目的もあったので「湖を渡って」対岸へ。

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湖を上がって、行きつけの茶館「茶家傳」でまったり読書しました。

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来週からの仕事の予習も兼ねて、排出権商人を読みます。
氷の北京で読んでいると、最後の1ページが的を射ているような
気がするのですが・・・(汗) 面白かったです。

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再び、「湖を渡って」北の対岸へ行き、積水潭駅から地下鉄で帰りました。

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氷の上で見る夕日も、北京風情ですね。

それにしても、寒かった~。
夜はお湯を張った湯船に入って体を温めました。

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雲南省・昆明の『滇池』で『少数民族博物館』にたそがれ。そして・・・北京へ

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12月25日から延々と歩いた中国南方+ベトナムの放浪旅も
いよいよこの日、夜の飛行機で北京へ帰って終了。

最後の最後まで、気温20度・昆明のぬくもりを味わいに。

昨日訪れた「サルバドール・カフェ」で、オカノさんから
「滇池にある『少数民族博物館』が面白いって評判だよ。
隣の『民族園』はとにかく、この博物館は見る価値あるかも」

との話を受けて、「雲南省に来たならば少数民族に触れない
のは勿体無い」
と単細胞的に足を運んでみることにしたのです。

市内からバスを乗り継いで、昆明市南にある「滇池(DianChi)」
方向行きのバスに弥勒寺から乗り込んで30分。

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「民族園」のバス停で下車。民族園へ向かうお客さんを尻目に、
一人道路を渡って反対側にある『雲南省少数民族博物館』へ。

民族園に客を持っていかれているのか、こっちはガラガラ。
入場料10元で入ると、中はかんなり広い!!

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雲南省は中国56民族のうち、43もの民族が住む最大の民族省。
その博物館とあって、少数民族の衣装や刺繍はもちろんのこと、
少数民族の分布図や歴史、農業や漁業を行なう時の道具、
お祭りなどの儀式で使う道具や楽器、民族の文字など、
「よくぞここまで集めたな~」と息を呑むほどの展示物。

あまりの多さに感動。

一番広いスペースを使って、お決まりのプロパガンダ
中国政府の少数民族文化保護発展紹介コーナー
ありましたが、確かにすごい見ごたえあったし、勉強になった。
民族園で見世物をみるよりはこっちの方がためになりそうです。

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園内では、既に梅が咲いていました。
椰子の木をバックに梅の花。南国ですね・・・。

バス停の始発停留所が、滇池のほとりにあるので、
ついでに滇池も眺めようと公園へ。これだけで8元ですか・・・?
10元で安いと思った博物館の入場料も、公園に8元は高い。

とはいえ、

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ここの湖の広さは、53万㎡。日本では琵琶湖より大きい!!

この湖を見たり、レジャーを楽しむならば、やっぱり有料なんですね。

ウミネコが飛んでいたので、餌を買って投げている人も。
大空と大海に舞うウミネコ・・・豪快で綺麗でした。

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ああ、この空を飛べたなら~♪(By.中島みゆき風)

海南島で、広西チワン自治区で、そしてベトナムで、
国について、人について、そして戦争について色々感じてきた旅。
鳩じゃないけど、空を舞うウミネコを見ていると、
この世界がいつまでも平和であって欲しいと願ってやみませんでした。

・・・

「滇池」を堪能して、再びバスに乗り、「サルバドール・カフェ」へ。
オカノさんに民族博物館のお土産話をしながら3時間おしゃべり。
昆明に住む日本人はわずか100人ほどとのこと。
そのうち何割がここを知っているんだ・・と思うほどの日本人客の
多さに楽しみながら、帰る時間を惜しみました。

とはいえ、時間は間違いなく過ぎて行きます。

いよいよもって、荷物をまとめて52路バスに乗って空港へ。

信じられないほど街中にある昆明空港は、まるで火車の駅みたい。
ここから、雲南省各都市や国内便、はては国際便も飛びます。

21時。北京が小雪と聞いて心配しましたが、
ただの調整で15分くらい遅れたくらいのフライト。

機内アナウンスの、「ただいまの北京空港の気温は、零下14度」

に、一瞬で凍りついたのは今年最初のエントリーで話したとおりです。

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しかも空港は雪が残っていました・・・
帰ってきたことを、ちょっと後悔したのは言うまでもありません。

明日からは、また北京という街の「旅」について語ります。

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雲南省・昆明の『Q'sCAFE』と『サルバドール・カフェ』でゆったりコーヒータイム♪

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雲南省・昆明は、1月でも気温20度まで上がる常春の国。
その代わり、標高1900メートルという高さにあるおかげで、
朝晩はかなり冷えて、最低気温は5度くらいだそう。

そんなもん!
今や最高気温でさえ氷点下の北京に比べれば天国だい!!

そんな雲南省。温暖な気候で農業に恵まれていますが、
プーアル茶等のお茶に並んで、コーヒー豆の産地でも有名です。
昆明へ来るとコーヒー・カフェが多く、コーヒー好きにはお勧め。

という訳で今回、昆明にある2店のカフェを訪れました。

・・・

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その前に、

「南寧-昆明」の火車で同じ部屋になったチワン族の方と
再び会い、雲南省といえば!のタイ族レストランで昼食。
ベトナムの話に盛り上がる。南寧に住んでいる中国人は、
ベトナムビザは一日で下りて、簡単に直行列車で行けるそう。
この方かなりベトナムリピーターだ・・・やっぱり裕福なんですな。

2人で5品食べて「69元」のタイ族料理も、「便宜」と言われていた。

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チワン族の男性と別れ、昆明の中心にある「翠湖」へ。
入場無料とあって、いろんな人でごったがえして、
"中国風に"優雅な休日を堪能していました。

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民族楽器で演奏を楽しむ人の集団が、あちこちで見られました。
皆さん、好き好きに弾いて唄って、楽しそうです。

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と、その傍らに、公園内の雑踏とは違う雰囲気の豪華なホテル・・・。

その名も『翠湖賓館』。
ここに、北京では三全公寓という日本人の多く住むマンションに
併設された『Q'sCAFE』昆明店があるので、12月にお会いした
店員さん・孫さんにご挨拶がてら、コーヒーをいただきました。

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一番安いメニューで40元というお値段。
北京の『Q's CAFE』はパンと一緒にいただくイメージですが、
こちらはしっかりセレブ御用達です。

『Q'sCAFE 昆明翠湖賓館店』
昆明市翠湖南路6号 翠湖賓館1階 0871-5163086

邱公館サイト http://www.q-cafe.com.cn/japanese.html
翠湖賓館サイト http://www.greenlakehotel.com.cn

・・・

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そして、この翠湖を挟んで湖の西北側へ。
雲南大学の近くにある「文林街」と「文林巷」は、
北京の三里屯と南鑼鼓巷を足して2で割ったような街。

欧米人向けのカフェやバー、ブティックが並んでおしゃれ。

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その、文林巷の入口付近にある『サルバドール・カフェ』へ。
入口から、ビール片手に談笑する欧米のお客さんが。

この『サルバドール・カフェ』は、アメリカ人3人と日本人1人の
4人のオーナーで作ったカフェ。オープンして5年、店内は賑やか。

店内は、和風なインテリアに欧米の方が座りやすいテーブル席。
ネットもできて、長時間パソコン作業をしたい人にも向いている。
この席でまずは、コーヒーをいただきました。1杯10元とお得感。

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以前、昆明に住んでいたライター・コンドウさんの紹介で、
唯一の日本人オーナー・オカノさんにお会いしてお喋り。

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訪れた時間が夜だったので、ここで夕飯もいただきました。
トマトソースのパスタに、チーズを乗せて40元。
欧米人向けの嗜好のためか、麺は緩めだけど量が多くて満足。
『ラオスビール』と一緒に楽しませていただきました。

オカノさんは、カフェのオーナーというだけでなく、
鍼灸師の資格もお持ちで、今はこちらでも大忙しだとか。
多才なだけでなく、お話が上手でお客さんへのサービス、
従業員が向上する職場作りにも色々貢献されています。

なので、ここで働く従業員の子達は笑顔で親切。
繁盛の決め手はこういうオーナーの気配りにあるのでしょう。
昆明へ来る日本人には、お勧めしたいくつろぎのカフェです。

『サルバドール・カフェ(薩爾瓦多珈琲館)』
昆明市文林街文化巷76号 0871-5363525

Salvador's CAFE http://www.salvadors.cn/

こうして、コーヒー好きにはたまらない、
昆明のコーヒータイムは賑やかに過ぎていくのでした。

上記2店は、翠湖を挟んで対角線にあります。


大きな地図で見る


余談:

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昆明で泊まった宿は、質素な暖房いらずのユースホステル。
一番安い8人部屋のベットで1泊30元。ベットは綺麗で
インターネットの使えるカフェも併設されていてなかなか。

日本人・欧米人のお客さんで溢れかえって賑やかでした。

昆明大脚氏国際青年旅舎 http://www.cloudlandhostel.com
篆塘公園南側の「篆塘路(ZhuanTangLu)」を入ると左に見えます。

「篆塘路」という名前のバス停が西昌路にあって空港直行の
52路バスもあるのですが、同じ名前のバス停があちこちに
点在していて、一苦労。これは昆明市に物申したい!!

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国境"歩いて"ベトナムへ3(中国・河口-ベトナム・ラオカイ)

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いかにもベトナム、という感じの朝食風景。ライスペーパーも手作り。)

ベトナムと中国の時差は1時間。
わずか300メートル足らずの河を越えただけで、
太陽は正当な時間(朝7時ごろ)?に昇ります。

夕べ、中国・河口から歩いて国境を越えてやってきたベトナム。
この至近距離でも、既に看板はすべてベトナム語。
人の話す言葉もベトナム語。通貨はドン。時差は1時間遅し。

不思議な感覚ですが、何はともあれ異国情緒を味わっています。

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朝食も、やっぱりフォーをいただきました。

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ここのフォーも20ドン。でも、中国元で6元。換算は店それぞれ。

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そして、昨日と同じカフェで、ベトナムコーヒー
冬なのに、オープンカフェでくつろぐ人たちがいて、夏みたい。

ロハス~♪

中国時間で13時発のバスまで時間があるので、
昨夜は行けなかった繁華街まで、足を伸ばしてみました。

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この橋を渡ると、ラオカイの繁華街です。

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橋からは、中国・河口が見えます・・なんだか遠い国みたい。

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泊まったホテル周辺よりも、はるかに賑やかな街中へ。

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市場もあって、ベトナムの食材が溢れていました。
珍しい野菜や豊富な種類のお米が売られています。

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「恥ずかしいから撮らないで~」
照れ笑いのお姉ちゃんが裁いていたのはでした・・・

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「おい、これも撮ってくれよ~」
お兄さん、赤ちゃんを乗せたリヤカーを持ってきました。

なんだか、中国の人たちより明るいのは、南国ならでは?

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渡ってきた橋を戻ると、隣でなにやら工事が・・
それにしても、人道的な工事ですね。怖い・・・
写真を撮っていると、工員の一人が「こっちにおいでよ~」
と招いて来たのですが、「おつかれさまーー!」と退散。

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あの工事で作っているのは、道路か、はたまた鉄道か?
河口とラオカイには、かつては鉄道がありましたが今は廃線。
日本にある我が実家も線路沿いだけど、ここまで近くはない。

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のんびりしたベトナム散策を終えて、ホテルそばの売店で
コーヒーとお菓子類など、お土産を買ってチェックアウト。
預けていたパスポートも、無事に帰ってきて一安心。

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ホテルのあるとおりからメインどおりへ出ると、そこが国境。
ベトナムの出国審査もわずか1分で終了。さらば、ベトナム!!

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昨日と同じ橋を反対方向に歩いて、中国・河口のゲートをくぐる。
そして、入国審査・・・で、再び物入りが入ってあーだこーだ説明して、
20分くらいかけてやっとこ入国スタンプを押してもらいました。

出国も入国も、普段住んでいる中国の方が手間かかるってナゼ!?

ともあれ、無事に入国できたので、これまた一安心。

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出国審査を待つリヤカー行列の横には、
ベトナムでは食べられなかったベトナム春巻き
(中国語で越南春巻)
を売るおばちゃんたち。

ここでリベンジ、とばかりに1本購入(1元)してみましたが、
結構油っこいですね。ベトナムとはちと違うかもしれません。

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河口側のベトナム風マーケットがターミナルの北側にあったので、
名残惜しそうにここも散策。珍しい果物を眺めて最後の異国情緒。

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すると、おお!民族衣装を着たおばちゃんたち!!
異国情緒が、あっという間に中国へ戻されました。
河口は「ヤオ族」の街なんですが、あの衣装は「ミャオ族」ですね。

13時。昆明行きのバスに乗車。

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なぜか蒙自の高速を降りたところで、バスを乗り換える羽目になり、
かつ山道では大型のトラックで渋滞。着いた時には夜も夜の22時

行きより時間がかかったけど僻地の東部ターミナルは
既に路線バスが終わっているということで、宿泊予定だった
街中の宿まで、大型バスに乗ったまま送ってくれました。

"ゲートをくぐって1分でベトナム!"な、不思議な海外旅行。

中国はこの他にも、ミャンマー、北朝鮮、ロシア、パキスタン、ネパールなど
いろんな国と陸続きで国境を挟んでいるので、また試してみたいと
心ひそかに、次の旅をもくろんでいたりするのでした。

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(バスで見た夕暮れ。夜7時ごろ)

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国境"歩いて"ベトナムへ2(中国・河口-ベトナム・ラオカイ)

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雲南省の昆明からバスで7時間南下してたどり着いた河口。
そこから、ソンコイ河を渡って国境を越え、ベトナム・ラオカイへ。

無事に??中国側の出国審査を終え、いよいよベトナムへ!

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ソンコイ河(紅河)に架かるモイ・キエウ橋(中越公路大橋)
中国側で商品を仕入れたリヤカーの人や手荷物一杯の人が歩く。
私のような、ぶらり旅行者風な人間はかなり少ないと見た。

そういえば、出国審査に並んでいた人たちも、手にパスポートでなく
「通行許可証」を持っている人ばかり。国境の町に住んでいる人が
もらえるものなのだろうか。あれはすんなり審査を通ってた。

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モイ・キエウ橋は全長295メートル。普通に歩けばわずか1分。
ゲートをくぐって歩いて1分の外国・・・って不思議。
日中間の飛行機はおよそ3~4時間。こんな至近距離に
違う国があるなんて、本当に世界は広くて狭くて、イメージできない。

もちろん、写真をとりまくって普通に歩かなかったけど・・
警備員のお兄さん達に、突っ込まれながら仲良く渡航?

写真寄り道で時間をかけたものの、いよいよ橋も終了。
ベトナムのゲートをくぐって入国審査へ!

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今度もまた、どこかで引っかかったらどうしよう・・ドキドキ。
入国カードに、必要事項を記入。ベトナム語と英語しかない。
名前・パスポート情報・諸々・・・と、今夜の宿泊先を記入。

「宿泊先は、どこでもいいから書いておかないと入国できない」
と、事前にネットで調べていたので、ピックアップしていたホテル名と
住所を記入。でも、せっかくならば本当に今夜ここに泊まろうかな?

ちなみに、日本人はビザなしで15日間滞在できる。
「出国時の飛行機チケットを持っていること」などが条件にあったが、
どうやら国境のこうしたところでは関係ないようだ。

記入を終えて、審査の所へ。

「(書類を見て・・)後ろにも自分のサインして。」
「あ、後ろがあったんですね(その場でサラサラ)」
「OK」
「え?あれ?」

思った以上に、あっさりと入国審査通過。中国出るより簡単。

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べ・・・ベトナムだぁ!! 人生、11カ国目・地域となる海外です。
(行った順に、マレーシア・シンガポール・インドネシア・台湾
中国・アメリカ・香港・マカオ・インド・タイ・・・ベトナム。アジアばかり)

国境を越え、入国ゲートをくぐると、やはり感動を覚えます。
さあて、どんなベトナム世界が待っているのだろうか。

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と、入国ゲートの外側では、無数のバイクタクシーの客引きが
「お姉ちゃん、どこ行くの?乗ってきな」と、中国語で話しかけられ

「あ・・・ベトナムとはいえ、ここは国境の町だった」

しきりに「不要(要りません)」と言って逃げるように退散。
それでもしつこくくっついてくるので、近所にあったホテルへ非難して、
宿の交渉をするふりをして振り払いました。これも、中国の小都市を
旅しているときに味わったのと同じ感覚なんですが・・・。

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逃げるように飛び込んだのもホテル。
歩けど出てくるのは全部、ホテル。国境の町だけに宿、多し。
なんとなく大きくて清潔そうなホテルを見つけ、ここの宿を聞くことに。
フロントのおばちゃん、たぶん中国語は無理かな・・・と、英語で質問。

「Do you have any vacant room?(空いている部屋はありますか?)」
「・・あ・・え・・」
と、ジェスチャーで向かいでたむろっているおじちゃん達の所へ誘導。

向かいは中華料理店だった。おじちゃんに、今度は交渉。
「有没有空的房間マ?(空いている部屋はありますか?)」
「有!50元!(あるよ、50元ね)」
おじちゃん、ホテルのことわかるんだ・・・すんなりチェックイン。
フロントで、パスポートを預けさせられるのがちょっと不安だった。

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ベトナム風の雰囲気漂うお部屋でした。
50元(700円位)にしては、インフラ関係はちょっと不便だったけど、
今回の旅は大体50元前後だったし、雰囲気で良しとしよう。

というか、ここで気づいた。「両替するのを忘れてた・・・」

このホテルは中国元でも大丈夫だったけど、この先夕飯食べたり
お土産買うときは、ベトナム通貨の「ドン」がないといかんでないかい?
でも、すでに夜が始まっていて、今更両替などしようものなら、
それこそ夜だけに「闇両替」しかいなくなるだろうし、怖いから・・・。
中国元で利用できる店を探して、使うことにした。

近所にカフェ発見。中国語で「珈琲」と書いてあるから、元使えるかな。

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出てきたのは期待どおりのベトナムコーヒー。中国元で7元でした。
初めて飲む本場ベトナムコーヒーに感動。
ゆっくりと、雫となって練乳の上に落ちてくるコーヒーを見つめ、
ベトナム気分を一人でかみ締めます。

続いて、ベトナムフォーを食べられる店へ。。。と、思ったけど
メイン通りを歩けど、食堂少なし。やっと着いた店もフォー、なし。
という以前に、日本で普段使っている「フォー」の発音は違うらしく
何度「フォー」と言って、「PHO」と書いても通じない。

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小さな屋台の中にあるような店で、やっと「あるよ」といわれ、
1杯20ドンのフォーを「中国元で7元」でありつくことができました。

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家族経営なのでしょう。子供も同じ場所で遊んでいて可愛い。
お母さんらしき、フォーを作ってくれた人もニコニコしてくれました。
中国の店員さんよりも、愛想はいいかもしれません。

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やっといただけました、本場のフォー。
柚子をかけて食べるこの味が、やさしく心にしみました。

おいしくいただいて、10元を支払う。すると店員さん、
「中国元の細かいのがないから」と、10ドンを返してくれました

おお、これがドンですか!!
・・・単純計算で、10ドン=3元(30ドン=10元)という感覚なのかな?
昔は、インフレーションで中国元-ベトナムドンの数字は桁違いで
違っていたと聞くけど、途中でデノミレーションがあったようだ。
お金のことはよくわからないけど。

ともあれ、お金のこと以外では、英語も中国語も通じないベトナム。
これまでも、中国人のいる国&英語が通じる国しか廻ったことが
なく、同じ感覚を味わったのは、昨年寄り道したタイだけだけど、
こうして言葉の通じない場所へ来たという感覚、ちょっとスリルです。

この国境の町は、ビールの飲めるバーがたくさんあって、
ピンク色をした派手なネオンはキラキラしていたけど、
それ以外のマーケットなどは夜早くひっそりと閉まっていたので、
私も一人近所の売店でビールだけ買ってホテルへ。

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いかにもベトナムな、「ハノイ(HANOI)」ビール(4元)
テレビは全部しっかりベトナム語。
女性キャスターは全員、ベトナム民族衣装のアオザイです。

中国語のテレビは全然見られなかったけど、面白いことに
携帯電話の電波は、しっかりとアンテナ全部表示!!
「!!携帯使える!?」 思わず、友人にかけて驚かせました。
「今、ベトナムにいるんだよ~ん」 「嘘だぁ~」 これも記念です。

こうして、初めて訪れたベトナムの夜は更けていくのでした。

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夜の国境ゲート。夜8時まで徒歩の人も通れるらしく、
ライトアップされていました・・・。

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国境"歩いて"ベトナムへ1(中国・河口-ベトナム・ラオカイ)

1月5日

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午前8時の昆明の空。

昆明駅で火車を降り、近くの南窟ターミナルまで真っ暗の中歩き、
7時の開門を待って、やっと切符売り場のところまで行ったところで、
「そこへ行くバスは東部バスターミナルに変わった」と一言。
またも怖い真っ暗の駅前を歩き、やっと東部バスターミナル行き
60路のバスを見つけて乗り込んだ時に迎えた朝焼けです。
現場まで来ないと何もかもわからないのが、中国です。

中国は横に広長い大陸なのに、時刻は北京時間1つしかない。
西部地域など、日の出と日の入りの感覚が生活サイクルと
ややずれている気もするのだが、統一の好きな国故仕方ない。

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真新しい東部バスターミナルは、僻地も僻地にあった。
雲南省の東南方面へ行くバスがこっちに集められたようだ。

ここで切符を購入。行き先は・・・「河口(He Kou)」

河口は、雲南省の南端にあって、巴馬県同様「ヤオ族」の街。
バス代は136元(+保険料2元)と高め。さすが430キロの距離。

ここからバスに乗り込んで河口へ。
そして、今回挑戦する行き先は・・・国境越えてベトナム

この南端の街・河口はベトナム・ラオカイと国境を挟んでいて、
間にかかった橋を自分の足で歩いて越境できると聞いていた。
果たして私でもできるのかと、ドキドキを胸に秘めての出発。

海南島、巴馬、初めてでかつドキドキした場所をとことん
踏みしめて来た今回の旅だけど、これはドキドキのクライマックス。
これが終われば、この旅は無事に終わったも同然である。

ただ退屈な時間を流す他の現地の乗客の中に、
気合入りまくりの日本人娘1人を乗せたバスは1時間後、
まずは世界遺産である「石林(ShiLin)」のカルスト地形の間に。

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おお!これが石林の世界遺産・カルスト地形か!!
このカルスト隆起が特に激しいあたりは観光地と化し、
入場料を200元も取ると聞いていたので行こうか迷っていたけど、
この景色をここで見られるならば、行く必要はなしと結論づけた。

途中休憩と昼食を二回挟んで、山道を4時間くねくね走り、
蒙自あたりから高速道路へ乗ってさらに3時間。

青いビニール袋をかぶったバナナの木が山の斜面という
斜面の間にずらーーーっと並ぶ中を突っ切って、
※どうやってここまで人は来られるんだろう・・と感心。

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バスは無事高速・「河口」料金所を通過。

そこで、いきなり検問が・・・「防辺」ってなんぞ!?
公安のお兄さんが入ってきて、乗客1人1人の身分証を確認する。
日本人パスポートを渡すとお兄さん、私のパスポートだけ持って

「等一下(ちょっと待て)」と行って、バスを降りていった。

(え、ええーーー!? なんで、私のパスポートだけ、ぼ、没収!?)
一瞬、頭の中が混乱。
私はこのまま「おまえ、ここで帰れ」とか言われて、
念願のベトナム行きがまたいつぞやの夢をなるのだろうか・・。

でも、警察に捕まって拘留されるよりは、
ここで素直に帰された方がまだましだしな。。などと考えていると、
やっとお兄さんが帰ってきた。が、パスポートを返す風もなく、

「你需要去ロ那里(どこへ行くんだ)?」と質問。

「はぁ?・・・河口だけど」
「河口、ね」

で、間に挟んであった「在外選挙人証(日本で選挙がある時に、
海外にいる人が大使館などで選挙をするときの証明書)」
を、
丹念に見始めている。んなの、ここじゃ関係ない書類です。

「これは、なんだ?」
「え、日本には選挙があって、選挙のある時私は北京の
日本大使館にこれを持って行って選挙をします。」
「ほぉ・・選挙、ね」

続いて、その間に挟んであった「証明写真」
更に挟んであった「中国の友達が撮った私のポラロイド写真」
更に挟んであった「家賃を大家に振り込んだ時の銀行の控え」
を、ジロジロと丹念に見ていく。

(もう・・そんなの丹念に見たってしょうがないよ!!)
※挟んでおく私も私だが。

というくらいにジロジロと見た挙句、「はい」と、
パスポートを返してくれた。 なんだったんだ?
単に、日本のものが珍しかっただけなのだろうか・・・

ほどなくしてバスは再び出発。15分も走ると、街中へ。
ターミナルに到着する寸前・・・「中国河口」と書かれた国境ゲートが

こんなに、近いんだ!! 一瞬の出来事に驚き感動する日本人。

昆明を出てから7時間半。
17時15分。やっと着いた!ベトナムへの扉・河口!!

・・・

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バスからも見えたように、国境のゲートは、
ターミナルのすぐ裏にあった。まずは歩いて、ゲートそばへ。

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コテコテ中国デザインのゲートと違って、奥に見える
ベトナムのそれは、かつての植民地時代を思わせる
欧州風デザインの横文字ゲート(ベトナム語だけど)。

遠くからも、そこが異国であることを実感する。

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ソンコイ河(紅河)に架かるモイ・キエウ橋(中越公路大橋)は、
2001年にベトナム・中国の友好の証として出来たそう。
全長295メートル。このわずか300メートルにも満たない所に
違う国があるなんて、島国・日本人にはイメージできない。

でも、目の前にあるのが国境で、その向こうにあるのが異国
というのは、変えることのできない事実なのである・・・のだ。

本当ならば、今夜はここに泊まって、翌日の朝早く起きて
ベトナム入りしようと思ったのだけど、時刻はまだ5時半。
西の国だけに、夕日さえ見えてこない。

「今、行っちゃうか」

明るいうちに、向こうの宿を見つけておけば、
ひとまず安全の面では困らないだろう。

自然と、私の足は出国手続きを行なう建物の中へと進んでいった。

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出国ゲートで、パスポートを渡しスタンプを押してもらう。

が、ここでまた物入りが。

「前のパスポートはありますか?」
「は?いや、これ1冊だけですが。何か問題でも?」
「パスポートは問題ない。でも、この発行地に問題がある。」

パスポートの発行地・・・北京の日本大使館
ビザの発行地・・・日本。 この場所の違いに問題があるという。

確かに私は、昨年6月に北京の日本大使館でパスポート更新した。
その後、日本に7月に帰国してビザを更新した。
発行地が違うことを辻褄合わせるため、控え室へ連行された。

お兄さんは、「大丈夫だよ、めいにゅ~(美女)」と
笑顔で言ってくれたけど、またも私の心はドギマギしていた。

ああ、私はやっぱこのまま「おまえ、ここで帰れ」とか言われて、
念願のベトナム行きがまたいつぞやの夢をなるのだろうか・・。
それ以前に、日本大使館に連絡が入って強制送還させろ、
とか通告されて、強制的に北京にいられなくなるのか・・

でも、警察に捕まって拘留されるよりは、
ここで素直に帰された方がまだましだしな・・
などと考えていると、やっとお兄さんが帰ってきた。

言葉のとおり、「OK」と、パスポートを返してくれて、
そこにはちゃんと「出国」のスタンプが押されていたのだ。

やった!! これであの橋を渡れる!!

ベトナムでスリルを味わうつもりが、その前に、
この住み慣れた中国に、またもドキドキさせられたのである。

国境を越える時の心得:
1.パスポートを更新したら、1年くらいは前のパスポートも持参する。
2.それ以前に、パスポートはやはり日本で更新する。
3.パスポートには、ごちゃごちゃと変なものを挟んでおかない。

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南寧-昆明火車移動!中国交通手段は、レベルで出会う人も違う

1月4日 

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南寧駅発昆明行きの2637次は、
16時20分発で到着が翌朝6時。14時間の長丁場です。

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今回購入したチケットは、ホテルよりも奮発して軟臥。302元。
ホームへ降りると、圧倒的に私の車両と反対側へ向かう人たち。

座席の人と無座(席無し)の人が入る車両の収容人数と、
ベット席の人が入る車両の違いですが、この人数差はすごい。。。

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北京から海南島へ行った時のベットは硬臥で6人部屋だったけど、
今度は4人部屋。ベットも綺麗で可愛いタオルも付いていて嬉しい。

しかも、軟臥は人気がない。4人埋まるのは団体客の部屋くらいで、
私の部屋にやってきたのは、紳士風の男性のみ。

・・・男性と2人きり、というのは、ちょっと気になるけど、
ちょっと色黒なだけで清潔な雰囲気だし、
やっぱり軟臥に来るだけお金を持っている人だと思う。

出発するや否や、男性から話しかけてきました。

私も、そこそこ中国語が話せるようになってきたのは幸い、
いろいろとお互いの話をしました。

男性は、南寧に住むチワン族の方。でもずっと南寧で育ったので、
チワン語は話せず普通語(ちょっと南方訛り)しか話せないとか。

都市建築の仕事を引き受けていて、大学受験を前にした
お子さんが一人という、一般的な富裕層のイメージ。

で・・・出発するや否や、
イチゴと竜眼の果物を車内販売で買ってご馳走してくれ、

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夕飯の時間になると、食べないことを覚悟して乗った私を
食堂車に誘って、これまたご馳走してくれました。

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昨年、貴州省の貴陽から広州へ向かった同じような夜行で、
同じように軟臥で一緒になった同じような富裕層の男性に誘われて、
同じような食堂車で食べたご飯が・・・おいしくなかったので、
今回は、米系菓子で終わらせるつもりだったのですが・・・。

何だか、おいしくなっていました。
技術も日々改善されているのでしょう。個人的には満足です。

でも、
「比以前吃的飯更好吃了(前に食べたご飯より美味しかった)」
と、誘ってくれたチワン族の男性に言うと、
「好吃一点(ちょっと美味しかった)だね。まだおいしくない」と男性。

その後、戦争の話や中国・日本経済の話など複雑な話も含めて
色々話し、早寝していた後の夜中1時・・・

「ガラガラーーっ!!」

と、一人入ってきて、空いていた上の段のベットに上っていきました。

「な、なんでこんな時間に、どこから!?」

真っ暗で、どこの駅か分からなかったので、寝ましたが。

翌朝、6時前。駅員の「もうすぐ到着ですよ!」の声に起きると、
やはり3人いた。増えたのは、インテリ風の若いお兄ちゃん。
「どこから乗ってきたのですか?」「ウィンサー」英語みたいな地名

「ん!?」自分の地図で確認すると、そこは貴州省の「威舎(WeiShe)」
この路線で、わずか30分くらいしか掠めない、貴州省の南端の町。

大学を出て、ここで働いているのだけどあまり何もない町なので、
しょっちゅう昆明へ友人を訪ねに来ているのだとか。

列車は、6時5分の到着予定を大幅に短縮し、5時50分には到着。
こういう時は遅れてもいいんだよな・・・辺りは真っ暗、駅前は怖い。

昆明の日の出時刻は・・8時と遅い。
私はこの先、長距離バスターミナルに行きたいけど、
場所もわからないし、不安。

すると、チワン族の男性とインテリ風のお兄ちゃんが、
駅前にある長距離バスターミナルまで護衛に着いてきてくれました。

その後、私の目的地行きのバスは違うターミナルに変わっていて、
真っ暗な街中で結局一人ウロウロしちゃったのですが、
寝台列車でいい人たちに出会えて嬉しい旅でした。

・・・

中国の交通機関は、日本以上にレベル格差が顕著です。

海南島行きの硬臥で出会った人は、若手と一般家庭風の親子。
海口-北海の船の4人部屋で出会った人は、家持ちの夫婦。
そして今回の軟臥は、自営業の建築家。

これが飛行機の乗客になると、夜行で座席に座る様な人はまずいない。

バスの場合は、行き先の距離に応じてバスの大きさや新しさも
綺麗さも変わるから、結構雑多に色んな人が乗ることもあるけど、

得てして、有象無象、あらゆるカテゴリーの人がごっちゃになる
ことはない中国の格差というものを感じます。

なので、レベルが高い方と出会いたい場合は、
多少無理をしてでも、レベルの高い席や手段を選んでいます。

日本人の私は、以前北京から大連へ行くときに
出張だったにも関わらず、切符を買う担当の子が前日に行き、
「硬座しか残っていなかった」と、座席で行った苦い経験があり、

その時の、臭いおっちゃんと席取り合戦をし、無座の輩に
席を狙われ席を立てずトイレにも立てなかった地獄を味わったので、
それ以来、夜行列車で移動するときはベットと決め込んでますが。

こんな個人的な快適さ以前の動機というものもあるものですね。

日本のビジネスの世界でも、いかなる時も新幹線もグリーン席、
飛行機はファーストクラスに乗る人がいますが、こういう視点が、
ビジネスをやる以上必要かもしれませんね。

・・・なんてことを、広い大陸で飛行機にも乗らずに考えたりするのでした

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【中国楽活】広西チワン族自治区・巴馬瑶族自治県-「長寿」と「水」の村訪問2

1月3日。

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長寿と水をテーマにしたロハスな観光地、
広西チワン族自治区・巴馬瑶族自治県の神秘なる自然を堪能することに。

朝7時のバスターミナルは真っ暗。始発は「まもなく」→ここは中国です。
まもなく、と言われてから20分後、ゆっくりとバスは出発。

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前の日に、バスターミナルから、郊外の風景地を循環するバスが
走っていることを見ていた。金額は「5回の回数券を買ったら5元」と。

でも、5回も乗っている時間はないかな・・と、まずは
ターミナルから、一番遠そうな場所にある「長寿村」と書かれた
場所までの切符だけを買う。「5元」・・・それだけで5回分かい!!

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30分ほど山を登って、長寿村へ。
既に道沿いに見えてくる河の水が透き通っています。綺麗!!

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「松吉」という地名を過ぎた頃に出てきた「長寿村」で下車。

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水も綺麗で山とのコントラストが生きた風景。本当にすごい!!
でも、この長寿村の集落であろう場所へ来ても、人気がなくて、
あまり物足りないと思い、風景だけ眺めて引き返しました。

ガイドつきのツアーか何かを頼むと、この辺りに住んでいる
100歳以上のお年寄りを訪問できるようですが、それは次回に。

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続いて、自然の神秘を堪能しようと、
同じバス停からバスに乗り、終点の「百魔洞」で下車。
今度は入口もはっきりしている観光地でした。入場料も30元と高し。

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カルスト地形で造られているここ巴馬県。
こうした鍾乳洞も、村のあちこちにあるみたいです。

他にも、「盤陽河」「松吉世外桃源郷」など水と山間の
桂林系風景区も点在しているようですが、この辺もバスだけでは
かなりの距離を歩くことになりそうなので、今回はパス。

だけど・・・パンフレットにもサイトにもトップに出てくる『命河』。
これだけは、絶対に見たい!! と思ってこれは行き方を取材。

百魔洞の切符もぎりのお兄ちゃんが、
「このバスで、『甲篆(JiaZhuan)』という集落まで戻って、
そこから別の集落『那杜郷』行きの「面包車」に乗ってください。
それから、バイクに乗り換えてください」
とのこと・・・

「面包(パン)bread車」ってなんだ?どこで拾うんだ?
「バイク」はどこにいるんだ?海南島のように2ケツで行くのか?

何がなにやらわかりませんが、行ってみました。

『甲篆』でバスを降り、『那杜郷』行きの「面包車」を待つこと30分以上。

「面包=パン」→日本で言うことの「バン」が来ました。
これに乗って、ガタガタ揺れる山道を20分以上走り、

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終点の『那杜郷』に降りると、その場に荷台付きや普通のバイクが待機
荷物を持って移動していたので、荷台付きのバイクのおっちゃんに
「命河へ行きたい」と告げると、往復10元で乗せてくれました。

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タタタターっというエンジン音の振動に合わせて、
山道をどんどん登って行くこと10分。見晴台のような場所発見。

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そして、遂に・・・ 

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『命』の文字の形に蛇行した河、『命河』に到着

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本当に「命」の形をしている!!(写真では、わかりますか?)

ここへ来ただけでも、もう満足です。
巴馬県の、水がもたらす神秘に感慨を覚え、
那杜郷から直行のパン車でバスターミナルへ戻りました。

・・・いくら本数が少ないからって、
8人乗りのパンに12人は乗せすぎでない?

って突っ込みは、置いといて。

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ターミナルの、そして泊まったホテルの隣に「寿郷人米粉」。

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ここで軽く寿米粉(3元)を食べて長寿にあやかりました。

14時前にターミナルで、14時30分発のチケットを買おうとしたら、
「満席」とのことで15時30分発のチケットが・・・

「!!嘘!!」

そんなに観光客・・・もとい、行きかう人がいるのかい!?
と言っていたところ、辛うじて寸前で1席空いている席が出来たので、
1人旅の私は乗せてくれることになり、14時30分に巴馬を去りました。

今度は、事故渋滞もなくスムーズに南寧へ到着。

南寧の喧騒に下りると、あの山奥の村が記憶の彼方に、
御伽噺の村みたいにしまいこまれていくような感じでした

あの風景は綺麗です。また、行きたいですね。

・・・

後日談book 

旅から帰った後で訪問した『楽活ソトコト』編集部で、
編集長の社長と打ち合わせがてらこの話をしたところ、
既に接待で二回あの地を訪れている社長曰く、

「あの村は、今発展が進んでいて建築が無秩序だから、
全般的にプロジェクトを行って自然と共存した街づくりをする。
山道しかない所にも高速道路を敷いて、行きやすくなると思う。
・・そうなって発展したら、政府もついてきてもっと大きくなる。」

開発が進むと、あの水が汚くなりそうな不安もありつつ、
そこを配慮したロハスプロジェクトであれば、
10年後の巴馬をまた見に行ってみたくなりますね。

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【中国楽活】広西チワン族自治区・巴馬瑶族自治県-「長寿」と「水」の村訪問1

【中国楽活(ロハス)】というカテゴリーのブログをたまに書いていますが、
そのほとんどは今まで「北京のロハス」でした。

今回、やっとカテゴリー名どおりに「中国のロハス」を紹介します。

12月に北京で開催した「ロハスフォーラム」のメインスポンサーを
引き受けてくださったシンセン華昱機構がプロジェクトを手がけている
という「ロハスの村」を、南寧からの路線長距離バスで訪れました。

それが、広西チワン族自治区巴馬(バーマー)瑶族自治県
巴馬県サイト http://gx.people.com.cn/gx/bamaxian/index.htm

Bamamap
巴馬瑶族自治県の位置はこんな感じ)

1月2日 午前10時。
南寧駅から路線バスで3駅ほど北東の所にある北大バスターミナル

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切符売り場のガラス窓に、行き先と出発時刻が書いてあるので
参考に「巴馬」の文字を探すと、、、「7時30分」のみの表示

「!!嘘!!」

いや、ネットではもっとたくさん出ていたぞ。
でも中国のバス時刻表は突然何の予告もなしに変わるから、
ダメならダメで、明日出かけよう・・半信半疑のまま切符を購入。

『89元』。手にした切符に書かれていた出発時刻は、11時50分

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あるじゃん!

ほっと一安心して、ターミナルで出発を待つことにしました。

時刻どおりに、バスは出発。乗客は半分くらい埋まっている。
お昼時の出発だったので、普段は水だけのサービスに、
パンが1つ付いていた。昼食代込みで89元ってことで、いいね。

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南寧から、百色(Bai Se)という街までは、高速道路を飛ばします。
広西チワン族自治区は、桂林の地形を代表するように、
平たい大地にも、隆起した小高い丘がニョキニョキ。面白い。

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百色からは山道をくねくね登って行きます。

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延々続く山道に、景色はよけれど具合は悪くなりました。
しかも、車1台すれ違うのがやっとの山道なのに、途中で事故発生!?

立ち往生させられたけど、引き返すことも出来ません。
待って待って20分。やっと車が動き出します。20分でよかったです。

そんなこんなで、到着すると午後4時半。

近未来風の真新しいバスターミナルにバスが滑り込みました。
具合が悪くなっていた私はほっと一安心、です。

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バスを降りてターミナルの外に出ると、
並びにあるのは、旅館旅館食堂旅館旅館土産旅館旅館・・
完璧、観光の村として気合を入れていることが伺えます。

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それと一緒に並ぶのが「長寿」「寿」「壽」の文字。

結論として、自然と長寿を売りにした観光地、です。

聞いたところ、この土地は雲南省・貴州省の近隣地域と並んで
カルスト地形で生成されている地域。
このカルストから汲み上げられる水がここ巴馬には滾々と流れ、
この水が健康に良いそうです。長寿の秘訣もこの水だとか。

明日、同じバスターミナルから南寧に戻るので、
近くにある旅館に宿を取ることにしました。
招待所程度だと30元程度の相場なんだろうな・・・と思って、

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この旅で一番まともそうな宿に泊まりました。それでも78元です。
中には、華昱機構が買収した華昱大酒店など五つ星ホテルも
300元代で泊まれるようですが、そこまで贅沢しなくてもいいくらい。

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荷物を置いて、今夜はひとまず街中を散策。
どこまでも続く、バスターミナル前の道路と建物は真新しく、
山道を4時間も登ってきた町にしては都会的なイメージです。

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『楽活(ロハス)』の文字も看板に躍っています。

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繁華街の歩行者天国。古いもの、新しいものが混在するものの、
細長い建物が、隙間なく綺麗に敷き詰められています。
雨の多い南国風に、2階以上の部分は庇代わりになっています。

街の真ん中にあった公園。ど真ん中のモニュメントは・・・

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やっぱり「寿」の文字をモチーフにしていました。
ライトアップが始まると、綺麗です。

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ライトアップといえば、こんな所もライトアップされます。

バスターミナル前から見える山。
この山奥の村で、ここまで派手にする所は他にありませんって!

Img_7613

食堂で夕飯。メニューは中国料理っぽく大皿ものばかりだったので、
「1人なんですけど、1人で食べられるものはありますか?」
と尋ねたところ、「おかずとスープがついて10元のセットがあります」

それを運んできてもらいました。
おかずは豚肉と萵筍、スープは普通語で「平菇」という鳳尾菇

この地域の特産で作った料理ばかりです。
一口食べると・・・おいしい! ご飯もみずみずしく全部食べました。
味付けも、濃くなくていい感じ。広西チワン自治区の料理は
基本的に「清淡(あっさり)」味
だそうです。長寿の秘訣がここにも!?

でもご飯は量多すぎ。パン1個だった昼間の分を取り戻しました。

夕飯を終えて、旅館旅館旅館を挟んだ所にあったお土産屋で
どんなお土産があるのかを調べたら・・・穀物がやはり多かったです。
そして「長寿茶」。100歳以上のご老人が元気にポーズを取っている
写真が掲載されています。これを飲んだら長生きできそう、と購入。

30元。た、高かったかな・・・?

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宿の部屋には「巴馬麗琅」というこの村で作られている水が。
でも、1本6元ということで、飲むのは止めました。
その代わり、近所の売店で買った「ご当地ビール」を飲みました。
ラベルの脇には「北京ビール」とありましたが・・・ま、いいか。

長くなったので、翌朝からの話は翌朝のエントリーに。
おやすみなさい。

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広西チワン族(壮族)自治区・南寧市、ぶらり歩いて驚いた

広西チワン族(壮族)自治区・南寧市の中心にある「南寧駅」

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(だ、誰だこの青い奴は!!?)

今年は、どこの地方都市にも出没しそうなこいつを尻目に、
街中をぶらり見物することに。

中国の中でも、あまり知名度が高いとは言えないこの自治区。
しかし、そこには「桂林」があって、これなら中国に関わる
ほとんどの人が、美しい風景を思い浮かべると思う。

Guilin
桂林の風景。ちょっと拝借させていただきました)

なので、他の省では昔の地名から漢字一文字の略称をあてるが、
この自治区の略称は、桂林の「桂」なのである。豆知識。

歴史的を遡ると古代南寧は百越国の領地であった。
秦の始皇帝の時代は桂林郡が管轄し、西漢の漢武帝は玉林郡に管轄。
東晋大興元年(318年)に今の南寧市に大興郡・郡府も置かれた。
ここから南寧市の歴史が始まったと言える。

歴史的に見ても、ここ広西は桂林から政治が始まったようなので、
他の地域同様、昔のこの地を代表する名称が「桂」だったと想定する。

さてこの広西チワン自治区、名前のとおり中国のメジャー民族である
漢族ではない少数民族が多い。絶対数では漢民族が多いものの、
中国最大の少数民族・チワン族(壮族:人口1600万)の90%がいて、
さらにその他ヤオ族やミャオ族など28の民族が分布。

普段、漢族が大半という北京生活を脱してみると、
海南島では黎族、ここではチワン族と、違う顔をした中国が見える。

そして、最初に長距離バスのターミナルを降りた時から、
私はこの街に好印象。

北海から到着したバスターミナルで地図を買って「ここはどこですか?」
と聞くと、地図を売ってくれたお姉さんは、笑顔+普通語で回答。
しかも、僻地のターミナルだったのに、ケンタッキーが綺麗。
ここから南寧駅に向かう路線バスが充実。と、好印象揃いだったのです。

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宿泊は、ここ。
予め調べていたサイトで評判が良かったユースホステル

Lotusland Hostel
南寧・済南路を入り上海路で曲がって50メートルほど行った左側。
木に覆われていて、最初はどこにあるのかわからなかった。

値段が少し高めで、1ベット1泊60元。
とはいえ、やはり桂林が有名なこの自治区、
南寧自身がバックパッカーから素通りされる場所なので、
宿泊客も少ない様子。静かに快適なベットで過ごしました。

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道路の沿道は、バスから見たら飾りっぽい気もした椰子の木。
ですが、間近で見るとまるでジャングル!!

Img_7924

駅から前に続く通りが中心の商業街という利便さ、
その途中にある宿に泊まった立地条件の良さもあって、
街中では、タクシーを使うことがありませんでした。

結構綺麗なバス(ほとんど1元)で、街のどこへも簡単に行けます。
降りるバス停の前で、ちゃんと電光掲示板とアナウンスが
教えてくれるので、初めての人も使いやすい。地方都市で一番!

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南寧市は、広西チワン族自治区の首府なので、政府もあります。

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その向かい側には、とってもわかりやすい合成写真の特大看板。
毛沢東さん、鄧小平さん、江沢民さん。中華人民共和国を作った
というより、南方の街には特に真ん中の方が欠かせないようです。

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南寧の真ん中を流れる邕江(YongJiang:災の上に邑+江)。
つつじが綺麗でした。

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大橋から、川を眺めたところ。
川辺には屋形船が並んでいて、夜はにぎわうのだろう。
今はゆったりとした流れの中、魚を釣る人やくつろいでいる人の姿。

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街中から、バス1本で行ける郊外の「青秀山公園」。
ひたすら広いです・・・民族ごとに作られた像や緑地を越えて30分。

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こ・・・ここにも、あったんですね。
小高い丘の上にあったのは「広西学生軍抗日烈士記念碑」。

Img_7989 Img_7985

どんなに違う顔をした中国の街でも、34省すべての都心部には
抗日を記念するオブジェクトが建てられているのかもしれません。

まだ行っていない、チベットとウイグルはどうなんだろう・・・。

戦争を二度と繰り返さないよう、若くして命を落とした皆さんに合掌。

再びバス一本で街中に戻って、宿から歩いて15分くらいの
ところにある「朝陽広場」周辺の繁華街を散策・・・

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・・・しようとしたけど、この人、人、人の嵐はなんだ!!?
街中のデパートなどは北京と似たようなものだし、
ちょっと治安が不安だったので、すぐに退散しましたとさ。

でも、南寧の街は本当に綺麗だし、便利。
穴場の観光地として、くつろぎの街としてお勧めです。

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中国海南島から中国大陸へ!?海口―北海"ロハス"な船の旅

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(海口・秀英港のターミナルにて)

中国大陸と海南島を繋ぐ交通手段は、実に色々あって、
「飛行機」「火車」「バス」なんでもあるのですが、
海を越えるだけに当然ながら「船」というものもあるのです。

海が好きな私は、今回迷うことなく「船」を選択。
行き先もいろいろあるのですが、次の目的地が広西チワン自治区。
ということで、「海口-北海」のチケットを入手しました。
海口-北海間の船は、毎日出港しています。

港は、市街地から路線バスでも行ける所にあります。

が、臨高から来た私は時間ギリギリの感。
海口から80キロ東にあった「臨高」から高速バスで1時間半。
既に出航1時間前だったので、雨降る海口のバスターミナルで
慌ててタクシーを拾うと、運転手のおっちゃんは「20元!」

ボッタクリだ!こいつ!! 

バスターミナルから港が近いことを地図で確認していた私は、
まず車を運転させ、「20元はありえない!」と抗議し続けるも、
運ちゃんは早口の海南語であーだこーだと20元を主張。
メーターも倒さないので「倒せ!」と言ってもシラを切る。

すると、ものの5分もしないうちに港に着いたではないですか。

「はい、こんなに早く着いて20元はありえないでしょ」

涼しい顔で、10元だけ渡して扉を開けて退散しようとすると、
運ちゃんはしつこくしつこく、扉を出て行く私に向かって
もう10元払えと抗議を続けます。運ちゃんは怒鳴るだけで
車を降りないのでそのまま行っても良かったのだろうけど、
あまりのしつこさがむしろ哀れに見えて、「仕方ないな~」
と、ぐちゃっと丸めた10元札を放り込んで去りました。

最後に、嫌な思い出を残しました。

今度は、いい思いで海口を去るように、リベンジに来ます!
これでひとつ、リベンジする動機が出来ました。

という経緯を経て、出航1時間前に、海口秀英港へ到着。
10元損したので、今後の切り詰めのためにも、
1等(280元)は止めて、個室ベットでもある2等(190元)を購入。

18時出発予定なのに、船内へ案内する門が開いたのは10分前。

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「これじゃ遅れるだろうな~」と当然のごとく考えていたら、
当然のごとく、出航は18時20分でした。

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さよなら、海南島。 リベンジに来るね

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2等の寝室。4人部屋。
デッキに面している所にあるので結構揺れる上、
扉の立て付けが悪くなっている。南方だからまだしも、
きっと北京・天津あたりだったら寒すぎるかも。

でもベットは清潔。ついでに2等なので同室の人たちも
それなりにお金を持っていて、礼儀正しく親切。
下の段にいた北海在住のご夫婦には、お世話になったり。

時間をもてあましたので、船内を散策。3等のベットが
廊下に並んでいるのを見て、2等で良かったと安堵。

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売店と、レストラン。
レストランと行っても、メニューは「套餐(セット)20元」のみ。
見た目、あまりおいしくなさそうだったけど、これ以外に
食べられるものと行ったら売店のカップラーメンくらい。
やはり昼ごはんを多めに食べてきて正解でした。

Img_7304

船内にも水道、シャワーがあった。ここで顔を洗えるけど、
私が泊まっていた船室からは遠い。私の部屋に近い水道と
トイレは、甲板に面した所にあって、雨の場合利用しにくい。
※このとき、雨でした・・・

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夜の海の風景を見ようと表に出ると・・・真っ暗。
吸い込まれそうに怖かったので、ちょっと写真を撮って退散。

出航して数時間は揺れに揺れ、せっかく読書を楽しもうと
したのに船酔いをしかけたので、断念。
※船は好きだけど、船酔いしやすい損な体質です。

寝てもしばらくは気持ち悪かったけど、ある程度大海に出たら
静かになったので、10時くらいには4人とも寝てしまいました。

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「ポロロ~ン、ポロロ~ン♪」
かわいらしいのだけど、ボリュームがでかいアナウンスに
起こされ、目を覚ますと船が停まっている様子。

同じ部屋にいたご夫婦が「到了(着いたよ)」というので
時計を見ると、午前4時半。予定より30分も早く着いていた。

遅れても早くても、予定通りに行かないのが中国です。

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「北海」という文字に、妙な感動を覚える私。
ついに、初上陸です!広西チワン族自治区
記念すべき、中国34省中30省目踏破!!(区、ですが)。

同じ部屋にいたご夫婦から、
「これからどこへ行くの?」と尋ねられたので、
「バスか火車で南寧に行きます」と応えると、

「バスは5時ごろから、火車は9時半しかない。
こんなに朝早い所をよく知らない女の子が歩いてたら
危ないから、バスの始発まで私の家で待機して、
それからバスターミナルまで送ってあげますよ

「えええ!!? いいんですか!!?」

確かに、北海港の入口は白タクシーのおっちゃんで一杯。
ご夫婦に従うままに、正規のタクシーに乗って自宅へ行き、
お茶を一杯ご馳走になった後で、自家用車で送って頂きました。

ご夫婦の中国語は広西チワン族自治区なのに訛りがない。
聞くと、数年前までずっと西安に住んでいて、仕事の都合で
北海へ引越しされたとか。

「北海は、最近経済開発が始められたから新しい街ですよ。
今度来るときは、ビーチの白い砂浜もお勧めです」

すでに、北海生活をご満喫の様子でした。

日の出前の夜中に走っても、確かに経済開発区周辺の
このあたりは、道路も広く綺麗で、新しい街という印象。

今度はもっと、ここで何泊かして見物したいですな。

Img_7340

バスターミナルでご夫婦に御礼を行ってお別れ。
6時10分発、南寧行きのバスは50元。

北海は曇りだったのに、日の出と共に再び雨。
北海は暖かかったのに、再び寒くなり簡易毛布を巻いて一眠り。

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肌寒さを残したまま、南寧のターミナルに着くと午前9時。
沿道の椰子の木がまだ南国を思わせるものの、
海南島の、生活と共存していたそれとは違って、
単なる飾りのように見えました。

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中国海南島にて-戦時日本の被害者"アポ"と、今の日本の"若者達"4

戦時日本軍の被害を受けた"アポ"を訪れる海南島道中も最終日。
※詳細は『ハイナンNET』 http://hainannet.org/

rain rain rain

1月1日。海口は雨、初日の出は拝めず。

朝8時、ニッポン放送の新春番組に電話出演。
「寅年だけに、今年『トライ』したいことを教えてください」
「そうですね・・・残す未踏の省を3つ踏破することです!」

とはいえ、残す未踏の地と言ったらチベットとウイグルなのだから
・・・いつになることやら。

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海口のバスターミナルにて、
海南島名産・珈琲で有名な「福山」行きのバスチケットを購入。
途中で降りて、サイドカー付きバイクタクシーに3人で乗り込み、
一路アポの住む村の入口まで。

今回のアポは、三亜周辺に住む黎族や苗族のアポと違い、
漢民族のアポ。少数民族だから、漢民族だから、という
区切りなく、日本軍は山奥の奥まで侵略の道を進みました。

今の自分達でさえ、訪れるのが大変な場所に、
よくやってきたものだな、と変な意味で感心します。

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迷いながらアポの家に到着。
養女、という2人の娘さんとその子供達に囲まれるアポ。
お正月ムードはないけれど、ひとまず1月1日が祝日、
1日が金曜日なので、2日・3日は土日であることから3連休。

子供達は、訪ねて来た日本のお客さんが嬉しくて、
思い切り一緒に遊んでくれました。

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ふと、アポが立ち上がり、台所へ行って・・・昼食作りを開始。

おいしい昼食を作ってくれました。

私はこの日、夜までに海口から船に乗る必要があったので、
2時ごろ先に失礼をし、福山より大きな「臨高バスターミナル」から
高速を飛ばして海口へ戻りました。

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都会へ戻るにつれて、アポ達の住む村が遠くなり、
なんだかおとぎの国のような気さえしてきました。

・・・

お会いした7人のアポ達は、みんな現地の言葉を話し、
私たちと普通に会話をする時は家族の人が通訳をしてくれたり、
ボディランゲージで会話をするのが精一杯という人ばかり。

でも、私たちが訪ねると、笑顔で、泣いて、無言で
様々な表情や態度で共通して「歓迎」してくれました。

中国人は今の子供達にも、日本の侵略時代のことを叩き込み
日本人を恨むことを教えます。それだけに、実際被害を受けた
アポ達にとっては、そんな日本軍の、子孫かもしれない若者達を
迎え受け入れることは、相当葛藤したかもしれません・・・

でも、今の姿を見ていると、本当にフレンドリーです。

きっと、交通も不便な農村まで、一生懸命行き方を探して、
何度も来てくれる、そういう日本の彼女達の姿勢が通じたからか、

日本には、かつての日本軍など『敵』もいるけれど、
アポ達を保護して、助けてくれる『味方』もいることを解ってくれたからか。

そして、

今回、海南島を訪れた彼女達は、年に1~2回はここへ来ているという。
ここまでの彼女達のモチベーションが、あってこそなのだろう。

「日本は昔、アポ達を傷つけることで軍として、政府として利益を得た。
その日本に生まれてきた以上、私たちはその日本政府によって今の
生活を保護されているのだから、当時のことも無関係ではないと思う」

「アポ達が他人によって傷つけられたことは、別の視点から言えば
私たちの日本社会にもある"いじめ"や"暴力"も根本は同じ。
アポのことを、他人事とは思えないし何かしてあげたいと思う」

動機付けは、参加する子達それぞれだけど、
20代の若者達が、戦争のことを自分達で勉強し、
自分の考えをしっかりもって行動している。

私はこうした人たちが日本にいることを伝えたいと思った。

戦争を知る人は、時と共に減っていくのが自然の掟。
どれだけ、体験した人たちの話や歴史を聞き学び、
後世に伝えられていくのかが、これからの鍵になると思う。

日本人が、戦争について学ぶ目的は、
「ただ、戦争のない平和な世界を希求するため」
中国人が、戦争について学ぶ目的は、
「中国が被害を受けた教訓を生かし、
今後敵国に攻められないような先進国に発展するため」
※中国の人から聞く、率直な回答をまとめた。

戦争を学ぶ目的はおそらく違う。
だけど、明らかに中国人の方がモチベーションも高く、
戦争について詳細に学んでいることは事実。

日本人も、加害国として、被害国として、敗戦国として、
戦争のことを考え続けていくことが、日本以上に戦争について
学んでいる中国の若者達とも、アポ達とも、対等に話し合える
ことに繋がっていくのではないかと思う。

まずは、
今回海南島を訪れた日本の20代達のこうした歩み寄りが、
アポ達の心の傷を癒し、進展するステップになっていくと信じたい。

この取材で参考資料とさせていただいた
『ハイナンNET』 http://hainannet.org/
女たちの戦争と平和資料館『WAM』http://www.wam-peace.org/jp/index.php

の皆さん、ありがとうございました。

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中国海南島にて-戦時日本の被害者"アポ"と、今の日本の"若者達"3

あけましておめでとうございます

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ではなく、これは12月31日の日の出です。

戦時日本軍の被害を受けた"アポ"を訪れる海南島道中
※詳細は『ハイナンNET』 http://hainannet.org/

4日目の朝。うち2泊、アポの家でお世話になりました。

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朝早くから起きていたアポは、庭中を飛び回っていた鶏を眺め・・・

うち1羽を鷲づかみ、籠の中に閉じ込めて窒息死させるという
驚きのシーンを何のためらいもなく私に見せてくれました。

見せてくれる、というよりは・・・ 当たり前の行動のように。

その後、朝食のテーブルに鶏肉料理がたくさん並んだのは
言うまでもありません。朝から茶碗にビールを注いでもらい、
犠牲になった鶏さんに合掌しながら、おいしくいただきました。

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朝食が済むと、次のアポの家を目指して出発です。
ここでも、家族の人がバイクを出してくれたのですが、
運転するお孫さんは、なんとまだ10代の女の子。

ガタガタの山道を、2人ずつ乗せながら、上手に走ってくれました。
彼女は、椰子の木に登って実をもいだりしてくれたり、
この土地にふさわしい運動神経を持ち合わせています。

バスの走る大通りまで送ってもらい、都市間バスを待つこと15分。
お孫さんに別れを告げて、ひたすら次のアポの住む村へ。
同じ陵水県にあるとはいえ、これもまた2時間はかかったかな。

再度、バスの入れない山道の手前で降りて、
次のアポのご家族に連絡。お孫さんとその友人が、
2台のバイクで迎えに来てくれました。

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到着した時は、既に午後1時。

「吃飯了マ?(ご飯食べた?)」と尋ねるアポの息子さんに、
普通に「没有」と応える私。すると息子さんは張り切って、
「じゃあ、食べていきな!」と言ってくれて・・・

庭先から、バイクが「ブルルン」と走っていく音が!

「え!?どこへ行ったの!?」
「買東西(買出しに行ったよ)」

ええええ!!!

午後1時だから、きっと作りおわってて、
皆食べてて、その残り物を出してくるかと思ったのに、

今から材料買ってきて、作るんですか・・・?

食卓に昼食が並んだのは、2時間後の午後3時でした。

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アポ、家族の皆さん、温かいおもてなしをありがとう。

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家の中には写真がたくさん。
お孫さんの趣味の芸能人の写真などもあったけど、
片隅には、アポが裁判で日本を訪れた時の写真や、
前回、ハイナンNETの彼女達が訪れた時の写真も。

思い出の写真を大事にしてくれるアポ。
年老いた体で寒い日本を訪れ、未だに戦い続けるアポの
願いが日本政府に届くのは、一体いつになるのだろうか。

昼食を食べ終わり、「泊まっていきな」と言ってくれる家族に
「今日中に海口へ行かなければならない」と伝え、

バイクで、陵水のバスターミナルまで送ってもらいました。
ここから三亜に戻れば、6時発くらいのバスで夜10時着。
年が明ける前には着けるかな・・・

と、思っていた所へ、

『海口』とフロントに書かれたバスが登場!!

「これ、これに乗っていこう!!」

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いそいそと送ってくれた息子さんに御礼を行って乗り込み、
バスは一直線に海口へ。予定より早めの夜8時に到着。

現場まで行かないと、何が起こるかわからないのが中国です。

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年越しは、海口のホテルにて。
屋台で買った炒面と海鮮、ビールで乾杯し、
湖南テレビで放送していた年越し番組をさりげなく鑑賞。

繁華街の屋台を歩いても、
街中に出ても、「元旦」「新年」というムードを感じない海口。

中国のお正月は、2010年では2月14日になる「春節」が
本番だから、あまり1月1日は盛り上がりません。

きっと、アポの家もこの瞬間は普通に過ごしていたことでしょう。
私たちに、普通に「泊まっていきな」と言ってくれたように・・・。

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中国海南島にて-戦時日本の被害者"アポ"と、今の日本の"若者達"2

中国海南島にて、戦時日本軍に性的暴力を受けた"アポ"
訪ねる"今の日本の若者達"に同行した道中記。
※詳細は『ハイナンNET』 http://hainannet.org/

2日目がスタート。
本番は、これからかもしれません。

12月28日 三亜に泊まっていた宿をチェックアウトし、
バスターミナルから再び「保亭黎族苗族自治県」へ。

保亭の街中から、バイクタクシーに乗って、更に山奥へ。
「ここからは歩きます」という辺りで降りると、村の入口が賑やか。

どうやら結婚式のようです。集会所らしき所に村人の皆さんが
一同に会し、盛り上がっているところを歩く日本人。
当然ながら、村の若い男性陣が「ヒューヒュー!!」と騒ぎます。

奥まったところに、この日会うアポの家がありました。
「アポー!!」久しぶりの再会に喜び合う彼女達とアポ。

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結婚式の流れでしょうか。着いた時にも、家族の人たちが
式場から持ってきた料理をどんどんテーブルに置いてくれます。
「結婚式のお祝いを分けてもらうって意味でね」 いいのかな・・・?

昨日お会いした2人のアポよりも、元気なご様子。
一緒に食事を取りながら、黎族の言葉を教えてくれました。

「おいしい!」 は 「マンタイ!」 →タイ、にアクセント。
「ありがとう!」 は 「リャーティヤー!」 →平板。

気が付くと、家族だか家族じゃないのかわからない人達も
どんどん家に入ってきて、結婚式のお祝いと私達が来たお祝い、
一緒にやってくれちゃった感じ。いや、純粋に結婚式を祝ってください。

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家族がなかなか離してくれず、若い衆も絡んでくるのですが、
そろそろ次のアポの家を訪問しないと、日が沈むんでないかい?

後ろ髪を引かれるような気持ちでお暇すると、若い衆の皆さんが
知人のワゴンをチャーターして、次のアポの家を告げてくれました。

皆さんのおもてなしに、感謝。

私たちと荷物を乗せたワゴン車は、軽快に村をスタートしました。

ところが、次のアポの家は、想定以上にわかりにくい。
あっち行って、引き返し、こっち行って、引き返し、
歩いている人に道を尋ねて、わからないと言われ・・・

迷った

何度も来ている彼女達が持参した住所のメモも、
「保亭県○○鎮○○村」でおしまい

ワゴンの運転手さんが何度も、依頼した
若い衆の方に電話をかけて引き返しを繰り返し探す羽目に。

2時間後。

やっと記憶のある風景にたどり着き、
「これ以上は車では無理」という辺りでワゴンの運転手さんに
御礼を行って、下車することに。

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ね、無理でしょ。

この山道を歩く20代日本女子。
一人はデニムにスニーカーという山道スタイルだけど、
もう一人は、東京の渋谷を歩いていそうなワンピースにヒール。

「ワンピースはまだしも、そのヒールはきつくない?」
「うーん、でも、これしか持ってこなかったんだよね」
とはいえ彼女は、既に5回も6回もここに来ていて慣れたもの。

ある意味、このくらいの大物?でないと、
中国という大陸は渡り歩けないかもしれない(海南島ですが)。

崖を越え、川を越え、奥まったところまで行くと、
途中で追い抜いたバイクの人が、アポの家族に伝えていたらしく
家族の人が手前で待ってくれていました(村のコミュニティって狭い)

すっかり日が暮れてたどり着いたので、そのまま夕飯。
家に着くや否や、夕飯を食べる部屋に通されて、
娘さん夫婦と乾杯!そういえば、さっきも今回も茶碗にビールが・・・

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娘さん夫婦が普通語を話せるので、いろいろとお喋り。
こうして色んな人が集まって盛り上がっているところに、
突然、2人の若い兄ちゃんが部屋に入ってきました。

「え!!!!???」

なんと、昼に訪ねたアポの家にいた兄ちゃんじゃないですか!!

「いやあ、結構迷っていたみたいだから、心配して来たんだよ」

心配だからって、この夜道を、あの劣悪な道路を、
バイクで2人乗りして2時間かけて来てくれたのですか・・・?

「30分だったよ」

あ・・・道に迷わなければそのくらいだったのですね。

「こうして皆さんに迷惑をかけながら、アポの家を廻っています」
片や中国人としては、こうした親切が当たり前の所もあるけど、
日本人にはない親切に、感謝を覚えずにはいられません。

普通に入ってきて、普通に円卓に座り、家族の人も
普通にビールを注いで乾杯。この大らかさも面白いですね。

結局兄ちゃんたちは9時ごろにお暇。
私たちは、1部屋借りて3人で1つのベットで就寝。
電気も少ない、トイレもレンガを積んだだけ、風呂は当然、ない。

そんな所でも、動物は歩き回り、人は普通に生きている。
不思議な夜を過ごしました。

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朝食をご馳走になってから、9時にさよなら。
家族の人がバイクを出してくれて、崖を登り、川を越え、
一歩踏み外したら・・・という所を抜け、街角まで送ってくれました。

12月30日

この日は順調に行けば、昼前に次のアポの家について、
また別のアポの家に泊まって、
31日は三亜バスターミナルに戻って海南島北端の海口へ―。

という予定を立てての行動。

だったのだけど、保亭の街に着く頃Lちゃんにハプニング!
「貴重品の入ったバッグを、さっきのアポの家に忘れた」

既に何度もこのアポの家に行っているZちゃんが、
再びバイクを拾って取りに戻ることになったのだけど、
日本の東京とは事情が違う。同じ村なのに往復で2時間。

でも、忘れた場所がアポの家だったのは幸い。
忘れたことも知られずに、ベッドに残っていたようです。

気を取り直して、保亭のバスターミナルから長距離バスに乗り、
この日訪れる予定は、お隣の「陵水黎族自治県」。

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海南島で一番高い山、5本指の形をした「五指山」の南を走り、
市場で降りて、再び車の入れない場所から山道へ。

椰子の木の群生を越えて、次のアポの家に辿り着いたら、
時は既に午後2時。

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イヌの鳴き声に気づいた娘さんが顔を出してくれるや否や、
歓迎の挨拶と同時に即効で私たちの荷物を・・・寝室に

「い、いや、今日は次のアポの家に泊まるんだけど・・」

という言葉を言う前に、娘さんはそこから昼食作りを開始。
既に昼食なのか夕飯なのか、わからなくなっていましたが。

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家の周りには、椰子の木がいっぱい生えています
アポも、どこからか落っこっていた椰子の実を拾って戻り、

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アポ自ら、斧で椰子の実を割り始めました。その力のすごいこと!!

「あ、アポ!! 危ないから私やるよ!」

私達が交替に斧で割り始めますが・・・アポの方が上手でした。
結果として、アポがそこら辺にいた近所の男衆を呼んで、
割ってもらいました。こういうことを頼めるのも、村のコミュニティか。

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椰子の実を食べ終えてから、昼食が出来上がったのでご馳走に。

食べ終わると、時既に4時。するとアポ、
「買出しに行くよ!付いておいで!」
という仕草を見せ、私たちを連れて近所の商店へ。
この時点で、今晩の宿泊はここに決定です。

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予定は得てして狂うのが中国。SちゃんとAちゃんで、
次のアポの家族に、訪問が明日になる旨連絡を入れ、
海口へ行くタイミングなどを打ち合わせです。

「5日間もあれば、7人のアポを訪ねることなんて余裕でしょ」

とは、行かないのが中国の農村です。

移動手段の不便さや時間もさることながら、
こうして訪れる度に、アポや家族から手厚く歓迎してくれるのです。

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出来立てのおいしい手料理をいただきました。
なぜかやっぱり、茶碗にはビールが注がれています。

夕飯になると、さっきまでは娘さんしかいなかったはずの家に、
色んな人がやってきて、大賑わいで食事が始まりました。
「アポの娘さんの旦那さんのお姉さん」とか、色んな人がお喋り。

結婚式を村一同で挙げる話からもわかるかもしれませんが・・
海南島の村はアポの家族はじめ、親戚から何から、
生まれた時から結婚した後も同じ村の近所に住んでいるのです

それが逆に、日本軍の性的暴力を受けたアポたちには
辛い思いを与えている一面もあるのだそうです。
戦争が終わって日本軍から開放されたあとも、
アポは村の人達から「日本軍に協力した女たち」と囁かれ、
戦後も文化大革命でも批判された。でも、引っ越す場所もなかった、と。

でも、中国は基本的に長老・お年寄りは大事にします。
今こうしてみると、家族や親戚はアポを大事にするし、
アポを訪ねに来た私たちをもてなしてくれます。そして、
アポを柱に、家族や村のコミュニティがまとまっている感じ。

食事が終わると、食べに来た親戚や村の人は退散。
再び、アポの家は静寂に包まれたのでした。

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中国海南島にて-戦時日本の被害者"アポ"と、今の日本の"若者達"1

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12月28日
三亜の中心部とも言われるバスターミナル。
火車の駅の方が郊外で、バスが中心部にあるあたりでも、
この島の交通手段はバスが主流であることを感じます。

「保亭黎族苗族自治県」行きのバスチケットを購入。
海に背を向けて、山をどんどん登って行きます。

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向かうところは、海南島で生まれ育った「アポ」の家。
「アポ」とは、海南島の現地の言葉で「お婆ちゃん」を指します。
ここで訪れる「アポ」は、70年前の戦争時代に海南島へ
上陸してきた日本軍によって受けた性暴力被害について、
日本政府を相手どって裁判を起こしています。

その時、日本でアポの滞在を支援した10代~30代が、
実際にアポの家を定期的に訪れて、交流しているのです。

詳細は、彼女達の作るサイトに詳しく書いてあります。
『ハイナンNET』 http://hainannet.org/

今回は、そのうちの3人が海南島入り。私はくっついて、
彼女達自身が住所も満足にないアポの家をどのように
訪ねるか、取材させていただきました。

これから1月1日までの5日間、海南島を駆け巡ります。
何度もここに来ている彼女達でさえ、予測困難の移動。
どんな道中になるのでしょうか・・・

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三亜を出たバスは、無事に保亭の中心地へ到着。
南国らしく、サイドカー付きのバイクタクシーばかりです。
北京がこれだったら、全員凍えています。逆に、
北京のような箱型だったら、ここでは暑くて耐えられません。

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これに2人ずつ分乗してたどり着いたのは・・・病院。
前日、先にアポの家族に携帯で行く旨を伝えたところ、
なんとアポが入院しているとの返事が来たのでお見舞いです。

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質素で、日本だったら厚生省から指摘を受けそうな病室。
最初にお会いしたアポは、4人部屋の奥に寝ていました。

アポが横になっているベットに駆けつける3人。

「アポ・・・」ふいに、そのうちのZちゃんが涙。

アポの娘さんをはじめ、病室にいた人たちが明るく談笑し、
「明日退院するんだよ」と言ってくれたのでほっとしたけど、
毎年アポに会いにくるZちゃんには、感じるものがあったようです。

病院だったので、滞在時間もそこそこに失礼させていただき、
バスでちょっと戻り、山中で一度下車。

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そこへ時たまフラ~っと来る幌車の荷台に乗せてもらって、
更に山奥へ。幌車も入れない辺りで止めてもらい、あとは徒歩。

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周辺に人工的なものが何もない、
ありのままの自然が一面に広がっています。

この小さな村の家に、次のアポが住んでいました。

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薬やシップなどのお土産を渡す3人に、ふと涙を流し始めるアポ。
そういえば、最初のアポには娘さんがついていたけど、
今回のアポは家族が顔を出すでもなく、どこか寂しそうです。

しかも、農作業の途中で腕や体を痛めたらしいのですが、
このお年で、重労働の農作業を一人で・・・?

今、ここにいるアポの姿からは、やはり昔、
日本軍の侵略と性的暴力で負った傷を考えずにいられません。

アポたちは70年前、まだ未成年だった10代の頃、
平穏に農作業をしていたところを日本軍から「慰安婦」として
突然徴収され
、牢屋のような収容所に入れられて、
一日何人もの日本軍に強姦される地獄の毎日を送りました。

未発達の体の中についた深い傷は、その後アポたちから
「順調に子供を産む」という権利を奪いました。
訪問したアポたちは確かに、昔の人にしてはお子さんが
1人、2人くらいしかいないという方ばかりです。

今回のアポも、このためにお子さんに恵まれず、
養子を取ったものの縁薄く、普段はお一人なのだとか・・・

こんな老後に誰がした!?

戦後、日本軍以外でアポが日本人に接したのは、
裁判を通じて知り合った彼女達が初めて。
なので最初は、戦後に生まれた彼女達に対しても、
「あなたはいい人だけど、日本人。会うのが辛い」
と、会うことを拒絶されたそうです。

それでも、野を越え山を越え、何度もアポを訪れる
彼女達の姿に、次第に信頼を寄せるようになり、
今では感謝の涙を流すアポ。

「また来るね」と言って家を後にしたときも、
私たちの姿が見えなくなるまで、
ずーーーーっと玄関先で手を振り続けてくれました。

街中のバスターミナルに戻ると、その先には海が見えます。

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恐らく、もうビーチを見ることはできないだろうと言うことで、
この日は海辺の海鮮料理店で夕飯。ちょっと高かった。

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どんな場所でも、ライトアップされていても、
椰子の木は海南島の至る所で生えているようでした。

同じ海南島なのに、アポたちの暮らす場所とは全然違う。
このコテコテ中国セレブが集まるリゾートに、ちょっと複雑。

海は大好きな私ですが、ここでリゾート気分を味わうのは
難しいような気がしたのは、言うまでもありません。

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海南島へ…北京-三亜、2泊3日びっくり火車の旅

これから数回にわたるエントリーは、年末年始の回顧録です。

12月25日 旅立ちの日。
この日、北京の最高気温は零下4度。

1月に戻ってくるときは、少しでも春が来ていることを期待して、
しばらく北京の寒さとはおさらば。既に頭は海南島に飛んでいた。

でも、その前に、

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日本から、久しぶりにMOTOさんが来ていたので、
寧夏回族自治区の弁公事務所にてイスラム料理で会食。
北京並に寒い地域の寧夏。ここの羊肉は体を温めます。

そんな壮行会?のあと、いよいよ旅立ち。地下鉄2号線で長春街、
そこからバスに乗り換えて、たどり着いたのは出発地・北京西駅。

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切符は、発売当日開始時間(乗車日10日前の午後7時開始)、
私は街角の火車票屋で12月15日の午後7時に購入したのだけど、
その時点で、なぜか「軟臥はありません」と言われました。

なんで・・・でも仕方ないので購入。下の段で774元+手数料5元。
下の段は、テーブルを利用できるので狙っていました。

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ホームに着くと、たくさんの人。
『北京-三亜』の文字にワクワクしてきます。
ここから、(予定で)36時間の旅路が始まります。

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いつも旅に出る時に持参するアイテムが、地図。
高校の参考書みたいな奴だけど、中国語で位置を確認でき、
火車の旅ではいつもこれを見ながらどの辺を走っているのかを
確認できるから便利です。今回はこれに、年末にいただいた
莫邦富氏の『「中国全省を読む」事典』(本人サイン付き)もお供に。
まだ見ぬ大地がどんな風に成り立っている所なのかを予習します。

そして、就寝sleepy やっぱり早寝です。

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翌朝は、湖南省・長沙駅に着いた頃に目覚め。
北京から、湖南省(大陸最南端・広東省のすぐ北)までは
一晩で着いて、広東省の横断に一日かかる寸法か・・広いな。

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窓の外を眺めながら、1日を過ごす2日目は退屈。
ちなみに、硬臥のコンパートメントは6人。
5人がいたのだけど、私の反対側のベットにいた男性が、
ふと携帯電話に出ていた。彼の言葉、まったくわからず(汗)

「どこの人ですか?」
「あ、江西省です。言葉、わからなかったですか?」

それから、最上段にいた女の子も含めて、3人でお喋り開始。
聞くと、男性は、昨年広東省の大学で医学部を卒業して
北京の病院で研修をするお医者さんのタマゴで、
女の子もまた大学出たて、アフレコ学科を出て(??)
同級生は各地のテレビ局でキャスターをやっているのだとか。

軟臥に比べると、ちょっと格下の硬臥席だけど、
ひとまずそれなりの地位にいる人たちが利用できるようです。
更に下の人は、身動きできない椅子席で2泊3日を耐えるのです。

とはいえ、多少お金を持っているベット席とは言え、
お金を持っている=行儀が良い、とは限らないのが中国人。
5人の部屋には他に、お爺ちゃんと孫と思われる2人がいたのですが、
子供がいきなり上の段で、コーラのペットボトルを噴出した!!

コーラ、噴出!!

それに対して、身動き1つしない子供。

お爺ちゃんが慌てて飛んできて、床を拭くけど、
子供はボーっと見てるだけ。

「あれ、ちょっと残念ですね」と私がお医者さんの彼に言うと、
「80年後の産まれの子達は、自分でできない子が多いね」
そのちょっと前に、彼が「日本人は礼儀が良いよねー」なんて
話をしていただけに、話題がタイムリーでした。

でも、私は真上の段に寝ていた、このお爺ちゃんが
夜通し咳をすることに悩まされていたのですが。
とはいえ、寝ないと体によくありません。

しかも、とあるお楽しみを見るために・・・
2日目は夜8時に早々と就寝です。

その後、

闇の中から、

「ガッタン!」

という音と振動があって目が覚めると、夜11時半。
体感的に、車両がなんとなく前後に往復している。

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そして月夜しか明かりがない暗闇の中に、ぼんやりともう1つの列車が。
(どこ行きの列車が並んでいるのだろう・・)と、近づいてきた時に
凝視すると、そこに書かれていたのは・・・「北京西-三亜」

ド!! ドッペルゲンガー!!?

では、ない。

小刻みに前後するのは、車両を2両ごとに切り離していたからで、
私の車両は、まさに最後尾。最後にポジショニングしたのです。
2両ごとに、列車を並べる作業を繰り返すこと、2時間くらい。
予定も大幅に遅れたところで・・・並べられた列車が一斉にスタート!!

Img_6353 Img_6360

列車が一気に船に向かって走って行き、あっという間に船の中へ。

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車両に乗ったまま、船内へ入ったところ。

そうなんです。

大陸-海南島の間には、まだ橋がないため、
火車はこうしてフェリーに乗せられて海峡を渡るのです。
このことを事前から聞いていた私は、これが見たくて
今回あえて火車で三亜に来たのですが・・・

できれば、列車の窓から海を眺めたかった・・
船内に積まれたら、隣の車両しか見ることができません。

うう、残念。でも、良いものが見られました。

お爺ちゃんの咳にも耐えながら、ここで寝ました。

予定より2時間遅れて、列車は3時40分に海口へ到着。
あの調子なら、毎日遅れてるんだろうな・・・
最初からこの時間に着くって言ってくれても良さそうだ。

そして再び就寝。予定では5時の到着だけど、
恐らく到着は7時過ぎ。ゆっくり寝ることにしよう。

朝日も車内から見られそうだし。

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はい、見ました。

目が覚めると、景色は既に海南島。
椰子の木に差し込む朝日は、それはもう・・・感動です。

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そして、長い長い旅を終えて3日目の朝7時半、
ついに火車は三亜駅のホームに滑り込んできました。

皆さん、37時間の旅、お疲れ様でした。

私は、上の段のお爺ちゃんの咳に影響されたのか、
この日の午前中はずっと具合が悪くなってしまいました。
取材活動に響かないよう、速攻で旅館へ行って寝てました。

教訓:やっぱり長旅は、無理をしてでも軟臥にするべし。

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【写真で新年】中国海南島から「2010年、新年快楽♪」

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(海南島陵水県にて-"2009年最後"の朝日)

1月8日 
中国南方の訪問を終え、雪の残る北京へ戻って参りました。
遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

思えば、今回は長い長い旅でした。

12月25日~27日
火車に揺られること2泊3日。
海峡をわたってたどり着いたのは、初上陸となる海南島

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(初・海南島の朝。列車の窓から見える風景に感動)

ここで5日間、一度も昼のビーチを見ることもなく、
山奥という山奥を廻り続けて訪れたのは、
黎族(リー族)や苗族(ミャオ族)のおばあちゃん―アポの家。

彼女達は70年前の戦争時代、
中国へ上陸した日本軍たちによる性的暴力を受けました。
アポ達が日本で裁判を行うようになった頃から支援する、
日本の20代の子たちが、定期的に訪れているのです。

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今回、7人のアポたちとご家族にお会いしましたが、
温かい料理のおもてなしをいただき、片言だけど話をしました。
アポ達が、過去に日本から一生の傷を受けたことは、
今となっては消せない事実ですが、アポとここで訪問した
日本の若い子達の間は、理解しあう心を感じました。

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その後、海峡を再び船で戻り、
広西壮族(チュワン族)自治区へこれも初上陸。

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まずは昨年12月、「ロハスフォーラム」で紹介された
中国有数の長寿村と言われる巴馬瑶族(ヤオ族)自治県を訪問。

水と隆起した山々が幻想的な風景をかもし出していました。

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(命の文字型に蛇行している『命河』)

それ以前に、この街に驚いたのは、
南寧から山奥を4時間もかけてやってくるほど大変な場所なのに、
ひとたび入ると、綺麗な建物が並び、交通網が整備されていること。
豊富な自然を観光業に生かし、ビジネスとしても成功したのでしょう。
まさに生命を感じられる活気ある街でした。

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自治区の区都・南寧から再び火車に乗って1泊。
1月5日朝、これもまた初めて訪れた雲南省・昆明

昆明に着くや否や、今度は長距離バスbusに乗って7時間。

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(世界遺産にも登録されている石林のカルスト地形付近)

雲南省最南端・河口に着いてそのまま歩いて橋を越え、

なんと、ベトナム・ラオカイ(中国語名:老街)へ。

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(2001年完成、中国-ベトナムをつなぐモイ・キエウ橋)

わずか数百メートルの橋を渡っただけで、看板はすべてベトナム語。
人々の言葉もベトナム語だから、国境って本当に不思議です。

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(国境を越えた途端に、風景もベトナムらしく)

1泊して、再び中国へ戻り、昆明で知人を訪ねながら、
年末からフル稼働した脳体を休め、8日の飛行機airplaneで北京へ戻りました。

これまで気温20度~30度の街を歩いて来ただけに、
機内アナウンスの、「北京空港の気温は、零下14度です」

には、一瞬にして凍りつきましたsnow

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が、今の自分にとって本拠地は、
この冷たくて練炭の匂いを含んだ空気の漂う北京。

まずはこの15日間で吸収したものを整理しながら、
今日から再び、北京での活動開始です。

皆様、今年もよろしくお願いいたします。

Img_8731
(昆明市の『滇池』(テン池:面積83ヘクタール)にて)

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