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「奇跡の避難所」を訪問―宮城県石巻市の「明友館」

石巻市に100箇所ほどある避難所(5月4日現在)。
(参照:東日本大震災(地震、津波)、被害状況専門サイトhttp://ranasite.net/?p=1422

避難所には市が指定する、学校体育館などが多いけれど、
歩行が困難な高齢者などが遠い指定避難所まで行くのは困難。
そこで、辛うじて近所にある公共施設に集まり指定外の避難所が作られました。

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そのひとつに、石巻市不動町の「明友館」がありました。
勤労者余暇活用(生涯学習に近い)センターだった場所で、
ここにも津波は流れてきて、1階部分は浸水。避難してきた
足の不自由な高齢者を、若者たちで2階に上げたところから
ここの「避難所活動」は始まったといいます。

「明友館避難所」のホームページ:http://www.meiyukan.com/
ホームページがある避難所も珍しいです…
追記:そして、今も活動を続けていることを発見!(2015年1月)

2階建てで、1階はスタッフルームと荷物倉庫。2階部分に
60人強の人たちで分けて暮らしているが(4月30日現在)
多い時には130人ほどが身を寄せたとか。

・・・

震災1カ月半が過ぎた今、
明友館は知る人の間で「奇跡の避難所」と呼ばれているんです。
その理由は何か…数多ある他の避難所と比較することは難しいので、
リーダー・千葉恵弘さんから聞いた話をそのまま整理します。
それだけでも、奇跡の理由は伺える気がしました。

●リーダー・千葉さんのネットワークで全国から支援物資

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明友館のリーダー・千葉恵弘さん

震災当時、明友館は指定避難所でなかったために
物資が届かず、食料もない状態。震災で使った冷蔵庫から
バナナと水を皆で分けた。3日後にやっとおにぎりが到着するまで、
それだけの食糧で全員無事だったことが救いでした。

震災当初、リーダーの千葉さんも、着の身着のまま家を出たとか。
「張り紙のひとつでもしてくれば、仲間が探しに来たんだけど、
それを忘れちゃったんで発見されたのが遅かったんだよね」

そう笑う千葉さんは、全国にネットワークを持つ顔の広い方。
全国の仲間が震災の報を受けて、「石巻の千葉さんは無事か!?」と
連絡をしていたらしい。当然携帯は繋がらず、数日後、
やっと連絡を取れた千葉さんが無事を伝え、物資がないと伝えるや否や、
全国の「仲間」が行政や支援団体を越えて、
「明友館の千葉さん」宛てに、直接生活物資を届け始めたのでした。

●全国から集まる支援物資を、更なる支援へ

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という訳で、私が訪れた時、
入口には自転車が並び、中には野菜や果物の箱が積まれ、
1階は3部屋ほどが「倉庫」と化するほど、支援物資があふれていました。

いや、溢れるくらいあっても、まだ足りないのかもしれないが…

なぜなら、全国の仲間が届けてくれた物資を、
千葉さんは、近所の個人宅で避難している人にも配っているからなんです
「最初は、この風貌だからすごい怪しまれた」と冗談を言いながら、
今は「STAFF」のゼッケンを付けて周辺の訪問を続けているといいます。

石巻市はボランティアの数も被災した自治体で最も多く、
食糧なども供給過剰が感じられた(少なくとも明友館では)ので、
千葉さんに、「食糧の足りない自治体は、まだあるのですか?」と
尋ねた時、千葉さんは、
「自治体、というよりも、個人宅への配給が届いていない」と答えられ。

行政の決まり・・・と言ってはなんだが、どうしても避難所に情報と
物資の供給が優先されてしまうらしい。そんな個人宅のケアまでが
千葉さんの仕事になっていることに、考えさせられました。

いや、私のこのエントリーを見て、
「うちの行政だって、個人宅までどんどん支援物資を届けていますよ!」
と反論される所があれば、是非その声をあげてほしいと願うばかりです。

そして、上の写真は1階の倉庫部屋の一つだが、
この部屋分を埋めるのは、すべて衣類だそうです。
(このほか、廊下にも衣類の段ボールが積まれていました)

全国から避難所に届けられる支援物資の中で、
衣類に関しては、阪神淡路大震災の時でも課題になっていたが、
使われないまま、倉庫に眠ったままになってしまうといいます。

理由は、サイズが合わない、中古品だから、
「さすがに困っていても、着ることができない」ということになる。
残念ながら、日本人には「潔癖」と「先進国」という運命が、
たとえどんな環境下にあろうとも染み込んでいるのでしょう。
※実際、自分が同じ立場になったら、同じ思いを抱くと思います。

そこで明友館では、中古衣料をそのまま破棄するよりも
「海外には、もっと困っている人がいるから」と、
海外への援助物質として再発送する事にしたとか。

早速先日、千葉さんの知人を経由してワゴン車一台分が、
新潟港から海外へ向けて送り出されていきました。

せっかくの善意を国内で使えないのは残念だが、
今は自分たちのことで一杯なはずの避難所が、
更に支援活動を行うということに、ただただ脱帽の思いでした・・・。

・・・

そしてそして(以下、5月6日追記)

「スペースがあるから、泊まって行っていいよ」

という千葉さんのお言葉に甘えて、石巻の1晩をお世話になりました。
広いスペースに、毛布と寝袋を出していただき、感謝です。

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夜のお弁当と朝のお弁当。
震災当時は3日間飢えに耐えた皆さんですが、
今は毎日、3食+おやつまで届くようになりました。
ちなみにリンゴは千葉さんの仲間から届けられた青森の「金星」…1400個とか。

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電気が通るようになってから、皆さん重宝している充電スペース。
携帯電話の充電器が一番多いのが、阪神淡路時代との大きな違い。
ドコモが充電コードを無料提供してくださったそうです。

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スタッフルーム
酒・煙草・珈琲・・・なんでも揃っているので、夜は宴会になります。

「酒は、地元の酒屋。酒というのはラベルが少し汚れただけで
価値を大きく落としちゃうんで、破棄するくらいなら…と安く譲ってもらった」

ちなみに、被災地の喫煙者にとって、煙草のない生活が辛かったそうです。
余談ですが、3月に福島県の南相馬市へ行った同行のカメラマンさん(喫煙者)は、
煙草を多く持って被災地の農家へ取材に行ったら、煙草1本と引き換えに
野菜やら食べ物をたくさんいただいてしまったとか・・・

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東北の朝晩は、まだストーブが必要です(4月30日~5月1日)
「灯油は、届けられるようになった・・・今は300リットルあるかな」
これも千葉さんのネットワークなのだろうか・・・

明友館にいる方も、家族や友人を亡くしている方々は多いけど、
それを忘れるかのように笑顔で、にぎやかに談笑し夜を過ごす。
被災地の底力を、この避難所で教えていただいたような気分でした。

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