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震災後の東北観光-松島島巡りと日本酒店訪問

松島湾に260余りの島々が浮かぶ美しい景観ー。
津波による死者・行方不明者の数は圧倒的に少なかったのは、
この地形が、東日本大震災の津波から町を守ってくれたからという。

そういう訳で…「松島は復興が早かった」
 
と言われるのだが、それは他の被災地と比較したことであり、
海辺、特に観光地周辺は、当然津波に襲われているし、
観光ルートにあったいくつかの島も崩壊している。
 
もちろん、気にならないはずはない。

平泉から気仙沼、石巻と被災地を廻ってきたこともあり、今回、
石巻からJR仙石線(仙台~石巻)に乗って、松島を訪れることにした。

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「石巻駅」石ノ森章太郎氏のイラストも応援しています。
しかし、仙石線は現在(9月19日時点)、矢本~松島海岸駅間が
被災のために運休。代行バスを走らせています。

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切符は、松島海岸行き480円を購入、お客さんは矢本駅で下りて
改札口をスルーし、そのまま代行バスに乗車。

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海辺の駅を通過するたびに、被災地が目に飛び込んできます。
野蒜駅の駅舎は壊滅、東名駅も復旧作業中でした。

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代行バスの終点が、「松島海岸」駅です。
ここから仙台までは、通常運行が始まっていました。

駅の観光案内所で、島巡り遊覧船の切符を購入できます。
塩釜行きと松島湾1周コースの2種類。
私が選んだ松島湾1周コースは、1時間に1本走っています。
震災前のスケジュールに戻っていました。

駅前から船乗り場へ行くまでのお店もほぼすべて復旧。
サザエや海産物を網焼きにして売る店がたくさん並んでいました。
そして、お客さんも比較的増えていて、賑わっていました。
3連休ということもありますが、ひとまず安心です。

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伊達政宗ゆかりの場所 瑞巌寺は改修中でしたが、
普通に入場料を取って中に入れるようにはなっていました。

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駅から5分くらい歩いて、「船乗り場」に到着。
ここから、松島湾1周クルーズのスタート!
ガラス窓に阻まれた座席に座っては勿体ないと、50分デッキに。

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それでは…スタート!!
と、同時に船の周りを飛ぶカモメさんたちが先導してくれます。

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塩釜行きの船も、このとおり。

そして、島から島へと渡ってゆくのね~
というほど数えきれないほどの独特な島々を廻りますが…

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必ずカメラに収まるこの子達って…

ともあれ、少し島をご紹介。

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「鐘島」4つの穴がポイントです。

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「仁王島」顔も目も口も鼻も体もあるそうですが、宇宙人みたい。

ちなみに、松島湾島巡りのルートはこんな感じ↓
http://www.matsushima.or.jp/shima/shima.html

カモメさんたちと一緒に巡った50分も終わり、
今度は上から松島湾を眺めました。船とカモメさんと島々が綺麗。

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・・・

さて、ひととおり観光が終わったところで、
会いに行く約束をしていたお店へ行ってきました。

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観光通りに並ぶ日本酒店・むとう屋
伊達政宗記念館の隣にありました。

7月に銀座の復興イベントでお会いしたことが縁で、
本店を拝見したいと思っていたのでした。

震災当時、1階部分が津波被害を受けて壊滅。
棚から商品は落ち、冷蔵庫は壊れ、その他備品も含めると
被害総額は1千万以上と言われました。

それが…

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改修工事が終わり、店内はこの通り鮮やかに甦りました。
お店は、6月10日(む・とう)に再オープンしたそうです!

日本酒・むとう屋 http://www.mutouya.jp/
※オンラインショップも行っていますが、
社長は「直接顔を合わせた奴に売りたい」と力を込めます。
会員は1000人以上、社長のファンも多いそうです。

震災で甚大な被害を受けた店舗ですが、社長は涙ながらに語りました。

「全国の会員さんから寄付を頂いて、
日本酒を作る蔵元さんがへドロ除去を手伝ってくれた…
本当に、皆さんのおかげでこの店が復活できたようなもんです」

聞くも涙。こうした時に助けてくれる人がたくさんいるのは
ひとえに社長の人柄、そして店長さんやスタッフの努力あってこそ。

商売人として、人間として尊敬できる方です。
今回、むとう屋さんにお会いして、私もパワーを頂きました。

7月から気になっていた「浦霞の原酒(金包みが豪華な1197円)」を購入。
大吟醸の「松島の吟風(かぜ)」も気になったけど、重くなるので断念。
・・・また、松島に来て、ここでお酒を購入したいと思います。

松島は、旅する歌人・松尾芭蕉も訪れた「奥の細道」ルート
400年の歴史が積み上げた景勝は、
たかが地震ごときでへこたれないことを証明してくれました。

最後におまけ:松島について(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B3%B6

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がんばっぺ東北!気仙沼&石巻(2011年9月18~19日)

5月に石巻を訪問してから4カ月半―
その後、あの被災地はどのようになっているのか。

という訳で、一ノ関~気仙沼の大船渡線に乗り込んだ。

宮城県気仙沼市―現在、電車の復旧はここまでである。

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気仙沼駅前は、通常通りに。
屋根の上に「サメ」のイラストが施された駅舎を見ると、
ここがいかに「サメ=フカヒレの町」であることを思わせる。

そんなフカヒレが、震災によって獲れなくなってしまった。
駅前のレンタルサイクル(1回500円)で自転車を借りて、
「南気仙沼」駅へ向かう…漁港とその前の商店街は崩れたまま。

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※「CR」というマークは、「Crash(取り壊し)」だろう。
中国の時にみた「拆」マークを思い出した…

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「リアスシャーク博物館」も、営業できないままである。

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「南気仙沼駅」周辺の住宅街、商店街は海の中に浮かんだ状態。
車からガソリンが流れ出ているはずの水に、鳥さん達が…

行政も途方にくれて手が出せないのだろう。

この場所が、震災前の状態に戻るのは難しいかもしれないが、
皆さんの暮らし、そして生きる希望だけでも、震災前と同じように
戻って行けるようにしていってもらえればと思う。

・・・

気仙沼から再び電車に乗って一ノ関駅へ戻る。
そこから東北本線で南下し、「小牛田(こごた)」駅で石巻線へ。

石巻線の終点は「女川(おながわ)」だが、
石巻~女川の路線はまだ復旧していない。

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今の終点は、石巻駅。到着し、即効で市内バスに乗る。
バスのダイヤが震災対応で減っており、いつが終バスなのか
わからなかったので、ご飯も食べずに慌てて乗った。

今日、宿泊を予約していたのは、石巻漁港から500メートル。

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民宿「小松荘」。

震災でこの地区も津波被害を受け、周辺はまだ更地だが、
道路状況が良かったことで、区画は改修しないと行政は判断。
御主人はこの話を聞き、建物を改修して再開を決意したのである。

7月に入り、改築した民宿は営業を再開。
主な宿泊客は、他地域から来た工事関係者。

行政は今、被災者の宿泊場所を確保するだけで精一杯で、
ボランティアや工事関係者の中には未だテントや車中泊という方、
あるいは仙台や松島などから通っている方も少なくないのである。

「観光」というよりは「業務用」の宿泊場所を求められていて、
その声にご主人は応えた形になるのだろう。

女川行きの「東伊津原」バス停で下車すると、
外灯も、開いている店舗もない、「暗闇」に包まれた。
そして、暗闇の中にポツンと「光」が…それが民宿の看板だった。

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改築したばかりだったので、部屋は綺麗だった。
夕飯を食べ損ねたので空腹なことを伝えると、
5月に避難所で食べたようなお弁当が「支給?」された。
手作りの夕飯も添えられていて2食分…ありがとうございます。

夕飯後、ご主人&ご家族と晩酌しながら改築までのエピソードを聞いた。
被災者の方々にとっては「緊急性」を及んで行っている改修工事だけど、
受注する工事関係者のビジネスシステムは、ここが被災地であろうと
通常の場所であろうと、同じように行われる…そんな印象が残った。

・・・

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部屋の窓からは、まだこういう光景が…

翌朝、漁港を見に行ってきた。

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道路を走ると、巨大缶詰が転がっている―
石巻の缶詰でおなじみ「木の屋石巻水産」の名物缶詰だった。
道路を新しく作り直す区域らしく、まだどこも改修ができない。

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漁港は、テントを張って臨時的に再開していた。
従来の場所は、海水に浸ってしまっている…復旧は時間がかかりそうだ。

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石巻市民が楽しんでいたはずの海水浴場。
砂浜にも丸太が転がっていて、この夏は開放できなかった。
犬の散歩に来ていた女性が、遠くを見て佇んでいた。

海は、人間にとって憩いの場・楽しい場所でもあるのだけど、
時として牙をむいて襲ってくる…目の当たりにして改めて実感した。

・・・

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5月の思い出がたくさん残る「日和山公園」から、今の被災地を見た。

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夏が過ぎたせいか、緑が増えていて、ぱっと見ると復旧したかのよう。
でも、結局それは「更地のまま、放置されてきた」ことの証。

早く、この町に元のように住宅が並び、
皆の笑顔が戻ってくることを願って、石巻をあとにした。

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この石巻の皆さんの言葉に、
「こちらこそ、何も出来なくてごめんなさい」と、
5月にお会いしたボランティアさんは応えていた。

お互いを、思いやる気持ちが、
人々に生きる希望を与えて復興を進めてきたのだろうな…

5月1日「日和山お花見プロジェクト」のエントリー
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2011/05/post-78be.html

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震災後の東北観光-世界遺産登録:岩手・平泉(2)

2011年6月26日、ユネスコより世界遺産登録された岩手県・平泉

世界遺産・平泉のサイト http://www.pref.iwate.jp/~hp0907/

名  称  :「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」
種  別  :文化遺産(記念工作物・遺跡)
所在地  :岩手県平泉町
構成資産:中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山 

上記「構成資産」という部分が、世界遺産に登録されたそうです。
平泉駅を出てまっすぐ10分ほど歩いた所にある毛越寺から、
北へ30分山登りする中尊寺まで、広ーい「平泉の町」に点在する
いくつかの建物が世界遺産になったということで…

要は、「平泉町そのものが世界遺産」と言っても過言ではないでしょう。

全部は廻りきれません。今回は、その中でも有名な「中尊寺」と
その周辺にある寺の山に絞ることにしました。
駅から、中尊寺通りをトコトコ歩いて、目的地を目指します。

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東北本線が横切る踏切の信号も、どこかレトロなデザイン。
この踏切を渡って少し歩くと、入口らしい門が見えてきたのですが、
天邪鬼な性格が邪魔して、右の脇に入って「横道」から山道へ。

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このお稲荷様だって、世界遺産の一味。
一応拝んでから、山登りを始めました。

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山道の参道を歩くと、お坊さんにも出会います。
ここは、お寺が密集している山だから、当たり前ですね。

数々の、世界遺産の卵?みたいなお寺を廻って
写真に収め、ぶらぶら歩くこと10分…

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「中尊寺」に到着。朝8時だというのに、既に人で一杯でした。

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その隣にあるのが、「金色堂」
朝8時半の開門前に撮影したので、こちらはひっそりとした
たたずまいをカメラに収めることができました。

しかし、その隣にある切符売り場は・・・

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この行列!やっぱり、観光客は増えていました。
世界遺産としてひっそりしていて欲しいと思う反面、
観光客増で岩手の復興&経済を救えるならば、
嬉しい悲鳴と思っていいかも。

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中尊寺と金色堂のあたりが、山の一番高い部分なので、
ここから町の風景を一望できます。

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「弁慶堂」
そうなんです。平泉文化遺産は、奥州藤原氏が栄華を極め、
その象徴として建てられたお寺や建物が多いのですが、
この藤原3代目・藤原秀衡氏の時、幼少を過ごしたという源義経&弁慶が、
鎌倉の兄・頼朝から逃れてここへ来て匿ってもらいながら、藤原の4代目
藤原泰衡によって殺害、生涯を終えたという悲しい歴史もあるのです。

そんな弁慶さんを祀った祠がここにあり、
この山を下りた所には弁慶さんのお墓が建てられています。

そしてもう少し駅寄りには義経さんを祀った場所があります。

その話は、山を下りてからゆっくりと・・・

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はい、下りました。
ここが、「正式な入口」だったようです。
お稲荷様から上る観光客は、まずいないでしょう。

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そしてこれが、「弁慶のお墓」
石の上に、お弁当と「サラダせん」が備えられていました。
弁慶は「サラダせん」が好きだったんですね・・・

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平泉駅と中尊寺を結ぶ街道「中尊寺通り」という所を歩き、
ちょっとした所を左に曲がると、今度は弁慶が死ぬまで
人生を共にした「源義経」にまつわる「高舘義経堂」があります。

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「高舘義経堂」も、観光客でいっぱいでした…

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階段を上り、左手に行くと、義経さんを祀った祠と慰霊碑が建立。

そして、反対側の右端へ行くと、今度はそんな義経さん達の歴史を
歌にしてくれた「旅する歌人・松尾芭蕉」さんの記念碑が!

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「夏草や 兵どもが 夢の跡」
芭蕉がここで、この歌を詠んだ気持ちがわかるような気がしました。

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遠くには「束稲山(たばしねやま)」を望む北上川の風景が…
心地よい風が、山登りでかいた汗を乾かしてくれました。

駅から中尊寺までは、歩いて30分弱。
そこから、義経堂までが15分程度。
その後、駅へ戻って、一ノ関へ戻るのですが…

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駅舎の中にある電車マップを見ると、
被災して、現在復旧していない駅名は白い紙が貼られていました。

早く、この紙が全部はがされるといいですね。

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駅のホームも、少しレトロ。
平泉文化を残しているようですが、改修後はどんな姿になるのでしょうか。

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震災後の東北観光-世界遺産登録:岩手・平泉(1)

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秋、東北から-

東日本大震災以来、特段被害を受けた訳でもないのに
大きなダメージを受けている分野が、「観光」。
特に東北は観光業で経済を成り立たせている観光地も多く、
今回の震災による観光客激減は大きな痛手となった。

特に、同じ県内に、実際の被害を受けた被災地もある
岩手・宮城・福島の東北3県の観光地は、復興に必要な
経済力としても頼りにせざるを得ないかもしれないのに…である。

なんとか、観光地にお客さんを戻したい―

そんな6月26日、岩手県平泉がユネスコから「世界文化遺産」としての
登録が認められ、日本で16か所目、文化遺産では12か所目という
世界文化遺産となったという、なんともめでたいニュースが飛び込んだ。

まずは嬉しい!そして
「これで、岩手にも観光客がたくさん来て、経済も盛り上がるかな」
という期待が寄せられるだろう…が、私はこれにあまり期待していなかった。
控えめな日本人、すぐに観光という気分になれないだろう。
観光地も、そんじゃそこらじゃ回復しないという見方をした。

ましてや、日本国内での「世界遺産」への位置づけは、
観光客の増加と、すぐさま直結するような考え方をしてこなった気がする。

ここ近年でボコボコ「世界遺産」を量産してきた中国は、
登録された途端、観光整備を行い、人口の多さからも
大量の人間が押し寄せる「完っ璧なる観光地」と化してしまうのだが、
日本は世界遺産になったからといっても、捉え方が違う…という印象。

特に、交通手段の不便な場所なども、すぐに観光客を増やすでもなく、
自然遺産なら「自然保護」文化遺産なら「文化保護」を目的とし、
逆に観光客を制限する場所もあったりする。
日本は、「貴重な遺産を大切に伝承していく」というユネスコの思想に
非常に忠実かつ、それこそ日本の美徳のように唄う気がするのだ。

だから、世界遺産登録されたからといっても、すぐに経済が盛り上がったり
町全体で「世界遺産でーす!」と大げさな看板など立てていることはないだろう。

平泉も、その優美な建築物や歴史を大切にすることも目的にありそうなので、
現地に行っても、そんな大々的に宣伝している訳ではないのではないか…
まずは、そんな中でもめでたい話。現地へ行ってみよう。

私はその場所に臨んだ…

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思い切り、「世界遺産でーす!」と言っていた…

どうやら、駅舎を改修しているらしく、10月末にはこの看板は外すそうです。

(続く)

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中秋節快楽!~日本の満月と北京で買った"ウサギさん"月餅

2011年の中秋節(日本でいう十五夜?)は9月12日でした。
(当日朝、そのことを知りました^^;)

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3階の自宅ベランダから見る満月がとても綺麗で、
久しぶりに一眼レフでシャッターを切りました。

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シャッタースピードは1/1600、絞りはF6.3程度で、
この模様がばっちり撮れました♪

中国で「中秋節」というと、「ゲッペイ(月餅:YueBing)」です。
7月ごろから徐々に中秋節商戦が始まる北京では、
8月に北京へ行った時既に、スターバックスでも販売していました。

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綺麗な箱の中に1つごろんと入っていたのは、「兎子月餅」(1個30元)。
お月さんらしく、ウサギさんの形をした月餅でした。

本番の「中秋節」に食べようと残していたのですが、
それがいきなり「今日」と聞いて、ついに実食しました!
賞味期限は9月7日でしたが…
そんなに早く中秋節を迎えることはないですね。

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中はチョコチップクッキーが入ったチョコレート餡で、
一般的な「豆沙+アヒルの卵黄」という月餅とは違いました。
胃にもたれることもなく、おいしくいただきました。

ちなみに、中国の暦で言う「中秋節」は旧暦の8月15日。
この日は、古代中国の帝王が秋の季節にお月様を祭る礼から
由来するそうです。中秋節には家族が集まり月餅を食べたり、
明月を楽しみ、周りの年配者や、親戚、親友、お世話になっている
方々に月餅などをプレゼントして親睦を祈念する願いの日とか。
[参照] 中国総合情報サイト- チャイナセブン -

中国では、会社の偉い人などは方々から立派な月餅が送られ、
これを運ぶために、北京など大都市は無駄に渋滞するという…

昔ながらの風習が根強い中国文化ですから、その辺はご愛敬で。

なにはともあれ、皆さんにご多幸ありますように…

追伸:

在日本中国料理の老舗「新橋亭」では、
この月餅に「がんばれ東北」を刻印した「月餅」が販売。
1個550円のうち、50円が寄付金になるそうです。

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老舗らしい、すごいアイディアですね!


・・・

今日、妙にこのページのアクセス数が多かったので、リンク。
スターバックスの回し者ではありませんが…素晴らしいです。
世界の人に、中国の良いイメージを伝えてくれています。

2009年10月3日 中秋節快楽♪ スターバックスの月餅はいかが?


・・・

さらに、おまけ♪

翌朝-静岡へ行くために朝4時半に起きた私は…見た!

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※写真を加工した訳ではありません。

明け方の満月は、模様が逆になっていることを!!
月って、常に同じ方向を地球に向けているけど、
くるーーーーーーんっと、回ってはいるんですね。

一日で、東の空に昇る満月と西の空に沈む満月を
見たのは初めてだったので、ちょっと記録として。

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永田町の市民メディア『KAN-FULL TV』の舞台裏―下村健一さんが報告会

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市民メディアサークル「東京視点」のアドバイザー兼
元TBSキャスターで内閣審議官の下村健一さんが
1年間にわたる菅直人前首相広報官としてのお勤めから帰還(?)
菅政権を伝え続けた1年間の経験を携えて報告会を開かれました。

下村さんがこの1年間、主に行ってきたことは菅政権の広報的役割。
『菅直人内閣総理大臣―首相官邸ブログ(KAN-FULL BLOG)』

Logo
「KAN-FULL BLOG」ロゴ

その中でも28本に及ぶ「KAN-FULL TV」は、
下村さんの専門としてきた映像メディアを通じて、菅政権の取り組み、
国際会議や震災対応等、1年間をわかりやすく伝え続けてきました。

『KAN-FULL TV』
http://kanfullblog.kantei.go.jp/kanfull_tv/
 

この番組制作を通じて下村さんは、大手メディアが
「権力の監視役」としての立場で批判報道に集中する中、
逆の立場として「菅さんの広報」に徹底してきたと言います。

両方の立場があってしかるべき民主主義社会なのですが…

「これを知っている人はおそらく国民の1%程度
というほど、存在があまり知られていなかったことは残念でした。
「このサイトも、所詮大手メディアが伝えないと見ないよね」…汗)

・・・

というわけで、報告会ではこの「KAN-FULL TV」を通じて、
1年あまりの菅政権がどんなことをしてきたのか、何故
大手メディアはそれを伝えなかったのか、という点に絞られました。
※「外部者から見た政界はどんな所だったのか」という話も
盛り上がりましたが、収まりきらないので省略します。

下村さんがこのサイトを通じて挑戦してきたのは、
かねて制約が大きい大手メディアでも試してきた
「同じ事件でも、違う角度から伝える」ということの実証。

TBS時代の下村さんの経験で有名なのは
たとえば、北京五輪を前にした長野での聖火リレー事件
他局が「中国人とチベット独立支援者の対立」を仕立てる中、
TBSのみ「聖火リレーを応援する街頭の人達」という映像を集めて
放送した内容は、視聴者から様々な意見が届いたそうです。

「KAN-FULL TV」の震災対応についても数本放送していましたが、
大手のテレビを見た視聴者の記憶に残っているのは、繰り返し流れた
「避難所を訪れた菅さんに怒鳴る住民」のシーンでしょう。
実はこの話には続きがあって、下村さんはその部分、
「怒鳴られた後で、住民に歩み寄り話をされる菅さん」を伝えたのです。

第18話【訪問】原発事故から41日目の福島 避難所
http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/04/20110430.html

そこには、避難所でたくさんの住民に会って説明を繰り返し、
住民の話を聞く菅さんが伝えられていました。批判するスタンスの
大手テレビが「そこは要らない」とカットした部分でした。

「大手メディアが伝えない視点を伝えられること」こそ、
「市民メディアがなせること」と下村さん。そこに、
「KAN-FULL TV」を「永田町の市民メディア」と示した背景が伺えます。

逆に言うと、下村さんのこの試みを通じて、私たちも
「大手メディアが何を伝えていないのか」それにより
「何がこの国の前進を阻み、雰囲気を悪くしているのか」
が、見えてきた気がします。
 
それは同時に、大手メディアで働く私自身にも
重くのしかかる現実と課題として、心に残りました。

・・・

そして、「市民メディアだからこそできること」の一つ、
「多様な情報を伝える」ことも、下村さんは実証しました。

菅政権が取り組んだ政策に「特命チーム」があります。
これは、ずーーーっと問題とされてきた「縦割り行政」を改善、
ある問題に関わりを持つ省庁をすべてチームメンバーにし、一丸で
解決しようという試みです(これも大手メディアはロクに伝えなかった)

その初めての試みが「硫黄島での遺骨帰還特命チーム」

第9話【戦後】 菅総理、硫黄島へ
        ―8分ドキュメント「遺骨帰還特命チーム」
http://kanfullblog.kantei.go.jp/2010/12/20101224.html

戦争関連のテーマは私のライフワークなので、
この回の放送はすごく印象に残っていました。

が、この放送を見た報告会の参加メンバーから、

「でも"これが特命チームの試みです"って伝えてしまうと、
そんな過去に亡くなった人のことやるより、今いる子供たちの
子供手当てとか奨学金問題とかを取り上げてよ!って言われて、
逆にイメージが悪くなりませんか?」
という声が上がりました(ありゃ)

その質問に対し、下村さんは「これはあくまで判断材料」と断言。
「菅政権の下で取り組まれていた試みを、ここでは幅広く取り上げる。
特命チームには遺骨帰還も待機児童解消(第5話もあるが、
それを見ていただいて、その政策がよいかどうかを、
見た国民に判断していただきたい」と話していました。

これぞ、大手メディアでは伝えない多様性ある情報

私自身、先日、本業で震災に絡むネタとして、
「震災で義援金が被災地に集まる中、一方で寄付金を事業に充てる
海外支援系NPOに募金が集まりにくくなって貧困国が困っている」
という視点を提案したのに対し、上司からあっさりと、
「今、そっちは伝えない方がいい」と却下された苦い経験をしたばかり。

できることなら、日本で「あれ」も「これ」も問題があるのならば、
まず「あれ」も「これ」も伝えることで、見る人に判断してもらう
大手メディアだって、もっと増えてもらっても良いと思いました。

それが、国民の情報に対する判断力を鍛錬することにもなり、
「メディアリテラシー」の養成にも繋がるのではないでしょうか。

・・・

いろんな思いを絡めて、2時間ほどの報告会は終了。

市民メディアとして、大手メディアとして、
また視聴者として、そして政府を支える一国民として

非常に考えさせられることの多い報告会でした。

下村さん、1年間本当にお疲れさまでした。

・・・

【ご参考】

■下村さんの著書
「マスコミは何を伝えないか――メディア社会の賢い生き方」

伝え手としても、受け手としても、為になる一冊です。

■下村健一さんの個人サイト http://www.ken1.tv/

■市民メディア「東京視点」 http://www.china.ne.jp/?Main/jindex.html

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