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中国と日本“歴史”の差―“正しい歴史”の基準は?

前回の続き…

映画『1911』でちょっと気になったこと。

孫さんを応援しようと、海外の実業家がたくさんの支援を
送ったことが描かれた中、それがすべて欧米で、
日本からの援助については一切触れられていなかった話。

今でも日本が中国に対して行った「良いこと」は
中国メディアでなかなか伝えられないように(一部ありますが)
たとえ過去の歴史に触れた映画であっても、
「日本の支援もあって、国の土台ができた」
とは、絶対に描けないのでしょう。

こうした形で中国人に歴史が伝わることで、現在の日中関係に
少なからず変な軋轢が生じ、認識のすれ違いが起きるのは辛いです。
中国人が気づかず日本に悪いイメージしか抱かないこと、
日本人が気づかず「こんなに助けたのに、なんで中国は
日本が何もやっていないって言うんだよ!」と憤慨すること、
双方で溝が出来たままの平行線ができてしまうんですよね…。

最近、またも歴史認識について考えさせられることがあったので、
少しだけ追記です。

・・・

今、ここに生きている誰もが知らないような、
生まれる前のはるか昔に起きたことが"歴史"の大半です。
そんな、はるか昔のことについて、私たちは
「正しい」「正しくない」をどうやって判断できるのでしょうか?

先日、日本に住んで長い中国人の人と、あまり触れない
「歴史教育」について、ちょっと触れてしまいました。

「昔、日本語を勉強する学生に「日本人は“正しい歴史”を
学ばないですよね」と言われたけど、本当にそう思う?」

と質問したのです。

すると、日本に住んで長い彼女からも「そう思う」と回答。
しかしその理由を問うと、ちょっとずれていきました。

「中国人の学生は、分厚い歴史教科書で膨大な量の歴史を
覚えさせられます。それを一字一句全部覚えなければ、
大学受験に受からない。中国5000年の歴史を覚えるためには、
そんな分厚い歴史教科書が6冊もあって、大変なんですよ。」

つまり、その学習量に比べれば日本人はそれだけの“量”を
学んでいないでしょ、だから正しい歴史を知らないでしょ、と?

…私が聞きたかったのは“量”ではなく、
それが“正しい歴史か”か、ということだったのですが…。

その労力をあの場所で否定するのはお門違いだし、
それを問題にする訳ではなかったので、なんとなく流して、
突っ込みはしなかったのですが、やはり何か釈然としません。

つまり例えば、その膨大な量の教科書で事実と違うことを
学生たちに叩き込んでいたとしたら、あるいは隠していたら、
そして、その記録の中から重要な要素が抜けていたとしたら、
そして、その抜けた部分が実は“正しい”事実だったとしたら…
その分厚い教科書で学んだ中国●億人の学生は、
「自分はすごい量の歴史を知っている、だから正しいんだ」
という勘違い
をしながら“正しい歴史”と学ぶのでしょう。

上記の時点で、日中の認識がずれていることを実感したのですが、
では、私だったら“正しい歴史”とはどういうものかというと…

今の資料は、どの国のどんな資料も“100%正しいものはない”
というのが正直なところです。

そんな中、記憶に残る言葉がありました。違う映画ですが、
「ステキな金縛り」という映画の中で、歴史学者が
「その歴史の資料が間違っていたら、書き直さなければならない
と主張する場面があります。

歴史は常に研究し続け、もし今まで伝えられてきたものが
間違っていたとしたら、“正しい”と判明した方に修正することが、
歴史資料の正しい記録の仕方だと思います。
だから、歴史学者という学者や考古学などの学部があるのです。
そうやって、徐々に“正しい方向”に近づけて行くことが、
最大限出来得る“歴史”の正しい捉え方かな、と思うのです。

正直な話、私は学生時代、あまり歴史を勉強してなかったので
(公立大学の受験では、社会科で「地理」を選ぶと「歴史」は
必要なかったこともあり…地理はバッ“チリ”?ですが^^;)

その分、歴史教科書の年号や登場人物などに修正があれば、
すぐに脳味噌箱の歴史知識を新しく入れ替える余地があるから
こういうことを考えるのかもしれません。

地理なんて、気候変動や災害で簡単に記録は変わるし、
分裂や合併などで国名も自治体名も数も変わるし、
都市の人口みたいな数字モノなんて、常に修正されてますから。

歴史だって、変わって当然です。むしろ、動かない歴史資料を
全部頭に叩き込ませるよりも、一定の所まで教えたら、
後は子どもたちの興味や好奇心にまかせて、自分で調べ続けて
いくスタイルを取った方が、柔軟に歴史に親しんでもらい、
正しい歴史を追及していく姿勢を持てるような気もしますがね。

歴史をロクに学ばなかった私は、実際に中国に住んでから、
中国のあちこちを旅して、そこに展示されている歴史資料を観て、
「あ、中国ではこういう風に伝えているんだー」と覚えて、
それから日本で歴史資料を買うようになったものです。
まだまだ浅いけど、興味こそ物を吸収するきっかけなんですね。

個人的な見解ですが、興味を持って常に学び続けて行くこと、
それが結果として“正しい歴史教育”にはなるのかなと思います

長い時間、どんっと与えられた教科書で歴史を
覚えさせられてきた中国人の子供たちが、これまで一所懸命
叩き込まれた知識を「はい、今日から変わります」と言われ、
頑張って覚えてきた知識を覆すのは難しいでしょう。
ま、これも愛国教育・反日教育(敢えて)のテクニックでしょうか?

・・・結論・・・

いずれにしても、修正を繰り返す作業を行ううちに、
日中お互いが共通していた認識も資料に取り入れられることも
出てくるだろうし、近づいていくことも(遠ざかることも)あります。

常に「この歴史資料、どうなんよ?」とお互いに検討し続けていけば、
そのうち認識のずれも、軋轢も、少なくなっていくのでは
ないかと思うのですが、いかがでしょうか?

・・・

それにしても…

『1911』で、日本の寄付行為が一切伝えられなかったこと。

こういうのを見ると、果たして日本も、歴史歴史において、
本当に自国の歴史を曲げないで国民に伝えているのか?

…と、考えさせられます。


≪前回のエントリー≫
映画『1911』観賞―辛亥革命?建国?100年後の「孫文」さんを考える
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2011/11/1911100-1d00.html

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映画『1911』観賞―辛亥革命?建国?100年後の「孫文」さんを考える

Original

今更ながら…先々週、辛亥革命をテーマにした『1911』を観賞。
さすがジャッキー・チェン。中国建国60周年の時観た『建国大業』よりも、
はるかにエンタテインメントとして楽しめました。

袁世凱に政権を譲らなければ、今の中国は違う形をしていたかも…

そんでせっかく作った“国家”が初っ端から混乱してしまって、
だから共産党なんかが出てきて、なんだかわからないうちに
今の、結局王朝時代と変わらないような独裁体制の国家になって、
でもその近くに複数の党にできる可能性を残した島があって、
という、微妙に複雑な中国になってしまったのかと思うと、
孫さん、ちょっと残念!という気分。

... という後味が残った、「無私無欲」な孫文さんの熱い闘いを描いた作品。
今年の10月10日を、大陸いわゆる中華人民共和国では「辛亥革命100年」 、
台湾いわゆる中華民国では「建国100周年」とそれぞれ違う言い方で、
共に「国父・孫文」を讃えたことが記憶に新しい中、色々考えさせられました。

<ストーリー>
2000年以上続いた帝国の時代を終わらせた中国の民主主義革命。
当時、西欧列強の侵略を許していた清王朝を打倒し、近代国家へ
脱皮を図ろうとする孫分、黄興ら革命派の活動は度重なる失敗を
繰り返していたが、1911年10月10日、武昌で革命派の蜂起が成功
したことを契機に、革命が波及。
ラストエンペラー溥儀の退位により清朝は滅び、中華民国が生まれ、
民主共和政治の基礎がつくられた。第一革命ともよばれる。

と、ストーリーを書いてみましたが、100年後の今、
孫さんの理想に近い(?)民主主義を実現できているのは、事実上
台湾いわゆる中華民国のほうで、大陸いわゆる中華人民共和国は
共産党の一党独裁により、民主の主義などなかなか通じないのが現実。
民主主義とは、ほど遠い政治状況が続いている訳ですからね。

孫さんが今の中国を天国から見ていたら、どう思うだろうな・・・
と、考えてしまいます。

余談ですが、孫さんを応援しようと、海外の実業家がたくさんの支援を
送ったことが描かれた中、それがすべて欧米で、日本からの援助に
ついては一切触れられていなかった…
「これが今の日中関係、更には世界の力関係を示す現実なのかな…」
という無念さも少々残りました。

とはいえ、やっぱりオススメです。

映画『1911』公式サイト http://1911-movie.jp/

…続く

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奥多摩湖の紅葉と、ダムに沈んだ小河内村

11月13日、日曜日。晴天sun

紅葉mapleが見ごろ、という情報をネットで入手したワタクシ、
さっそく電車に乗って観に行ってきました。
東京の中でも郊外も郊外の東京都青梅市…の先の奥多摩町

Img_86201

中央快速でお茶ノ水駅から青梅駅まで直行、
青梅駅で乗り換えて終点にあるのが、奥多摩駅。

皆さん、同じような情報をつかんでいらっしゃったのでしょうか。
電車の中も、駅前も、多くの人で賑わっていました。

駅前から、「奥多摩湖行き」のバスに乗って、見ごろと言われる
奥多摩湖を目指します・・・が、バスが1時間に1本あるかどうか、
というほどの少なさ。バスの出発時間まで30分ほどあったので、
まずは、歩いて3分ほどで行ける「氷川橋」へ。

Img_86561 Img_86401

川沿いに遊歩道が伸びていました。ゆっくり散策しても10分ほどで
駅のバス乗り場まで戻ってくることができました。

バスに乗って、奥多摩湖の入口…をまずは過ぎてみます。
奥の方に、紅葉の綺麗な場所があるというので、
まずはそちらを見てから奥多摩湖の入口に戻ろうと目論見。
広い奥多摩湖、奥の方まで10分走り、「峰谷橋」で下車。
このバス停から川を渡りトンネルを越えると・・・

Img_86901

な、なんと「ドラム缶橋」!! いや、ドラム・プラスチックですが…
この、ドラム缶で出来た「浮橋」を渡った向こうにある
「ふるさと村」の紅葉が綺麗というのです、いやはや命がけ。
やっぱり紅葉は山で行う「狩り」なんですね~。

冗談はさておき、歩いてみるとちょっと揺れる程度で普通に渡れます。
この橋以外に横断する場所がないので、多くの人が渡っていますが、
全然壊れる気配はありません。

渡り終えると、山道に入っていきます。何故か人影はなくなりました。
・・・本当に、この先に「ふるさと村」はあるの?

そんな山道を歩くこと・・・40分!? 看板には
「ふるさと村 2000メートル」の文字・・・皆さん、引き返す訳です。

Img_87231

でも、この景色を見ないで引き返すのは勿体ないですね~。

めげずに?歩くこと本当に40分。
ようやく、小川の向こうに「ふるさと村」が見えてきました。

Img_87401

到着すると、車や家族連れが一杯…
皆さん、反対側から車で来ていたのですね。

そして、話のとおりここは紅葉で一杯でした~happy01
※写真は圧縮しているため、画質が落ちています。ご了承を。

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Img_8753

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たっぷり紅葉を堪能して、またも同じ道を40分かけて引き返しました。

再び「峰谷橋」からバスに乗って「奥多摩湖」で下車。

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湖の端っこに「ダム」があるのですが、歩いて渡ることができます。
この小河内(おごうち)ダム、南端まで徒歩5分。超近!!(前と比較して)

小河内ダムは、昭和13年11月12日に起工式を挙行しました。
途中で戦争により工事は中断したものの、戦後に再開、
19年近い歳月と150億円の総工費をかけて昭和32年に竣工し、
東京都交通局の「多摩川第一発電所」によって発電が始まりました。

東電ではなく「東京都交通局」なので、電車を走らせるための電気を
特別に作っているのかな~と思ったところ、電気はすべて、
東電に「売電」しているとのことでした・・・あら、やっぱりね。

Img_88771

ダムの先端には「慰霊碑」が建てられています。
工事中の事故で犠牲になった87名の尊い命を弔うためだそうです。

ちなみに、このダムの名称「小河内ダム」は、この水底に沈んだ村の
名前を取ったそう。ダムの建設には昔も今も、近隣住民や自然景観の
犠牲が伴うことは変わりありません。原発も、そうですが、
人々の暮らしを助ける「電気」に支払う代償は大きい、と。

こうして、945世帯の小河内村の人々の暮らしと伝統文化、
工員87人の犠牲を引き換えに、ダムが完成したのですね。

バス停前にあった「水と緑のふれあい館」を見学。
ここに、ダムに沈んだ村・小河内(おごうち)村の人々の生活や
農業・漁業、伝統文化やお祭り・踊りまで紹介されていました。

ダムを見たあとでここを見ると、悲しくなります・・・
このダムの底には、楽しく賑わっていた時間がそのまま
沈められてしまったんだ…ということが展示物から伝わってきます。

Img_88401

この水底まで、紅葉が届けばいいな・・・

詳細は、東京都水道局のサイトにて。
http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/water/pp/tenbou/

・・・

最後にしんみりしたところで、1時間に1本あるかどうか、のバスに飛び乗り、
休日限定、究極の快速、「ホリデー快速おくたま号」に間に合いました。

この快速、奥多摩駅から新宿駅まで一直線!早いっ!
やはり、紅葉を楽しむ人が多いことの表れ?それとも通年のダイヤ?
サービスが整っているのはさすがニッポン!いいことです。

【おまけ】
この記事を書いてから3年後の2014年11月9日、
まさにいま、同じ憂き目に遭おうとしている
群馬県の川原湯温泉の村へ行ってきました。
10年後には、八ッ場ダムに沈む予定で工事が進んでいます…

吾妻峡は沈むのか?!~八ッ場ダムで“最後の”紅葉を堪能
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2014/11/post-44c8.html

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