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富岡製糸場 世界遺産に登録の見通し(2014年4月26日)

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(3月15日に訪れた富岡製糸場の様子。これでも人が多いと感じたが今は…)

上毛カルタの「に」でおなじみの「日本で最初の富岡製糸」が、
近代産業分野(工場)として「日本で最初の世界遺産」になりそうです!
(上毛カルタも、これを機に「に」の札を役札にする案が…
「おかめきけ」を「おかめにきけ」にするとか、「め・き・け」も糸関係だし)

ともあれ、
世界文化遺産への登録を目指している群馬県の「富岡製糸場」について、
日本時間の2014年4月26日未明、ユネスコの諮問機関であるイコモスから
「世界遺産に登録することがふさわしい」とする勧告が下り、
順調なら、ことし6月にも世界遺産に登録される見通しとなりました!
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140426/k10014047271000.html

翌27日は、統計を始めた平成17年以降、過去最高の来場者数。
説明をするボランティアガイドさんもフル回転で対応されたとか。

とはいえ、6月のカタール・ドーハで開かれる世界遺産会議まで、
正式登録ではないので、本当の万歳は6月の楽しみにしておきましょう。

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とはいえ、やらずにはいられなかったようで…

明治5年(1872年)に、日本で最初の官営工場として操業した富岡製糸場。
フランス人技師のポール・ブリュナ氏が建設&創業に関与、
西欧の技術を取り入れた製糸機械や工場に日本の製糸技術を合わせ、
生産した糸は欧米などに輸出、昭和初期には世界最大の生産国になり、
かつこの技術をアジア諸国の生糸産業にも広めて製糸業の発展に貢献。

こうした世界との文化のつながりが、工場の保存状態や
日本の製糸技術に加えて、世界遺産として評価されたということです。

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この富岡製糸場へ、3月に行ってきました。
自動車が普及していない明治時代に出来た工場なので、
当然駐車場はありません。自動車社会の群馬県としては車で行く人が大半。
近所にはコインパーキングがいくつかありますが、混雑するときは大変そうです。

余裕のある人は、高崎駅から上信電鉄に乗り換えて「上州富岡駅」で下車し、
10分くらい散歩して富岡の古き良き街並みを散策しながら訪ねると、
その方が楽しいし、かえって車で渋滞に遭うよりも早いかもしれません。

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製糸場前の通りは、まだ整備が間に合っていないようですが・・・

そうして辿りついた製糸工場。

中は…赤レンガ造りの「東繭倉庫」(展示室&お土産屋)と、
昭和62年まで操業していた「操糸場」のみ中の見学が可能。

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東繭倉庫では、糸づくりの体験コーナーも。
オカイコさんから吐き出された糸は織りなせる太さにするため、
40本も併せてこよって、仕上げるそうです。そんなに細いんですか!?

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世界遺産登録の対象である赤レンガ工場の保存状態は良好。
しかし、2月の大雪で、建物の瓦が落ち、
裏にある木造の乾燥場に至っては倒壊…
140年無事だった建物をも押しつぶした今年の大雪。
世界遺産は保存状態も条件となるため、その対応に追われそうです。

また、観光客も増加への対応も課題となっておりますが、
3月に訪れた時点で、日本語・英語・フランス語の紙の資料が。
富岡製糸場はフランスの縁もあるので、アピールも積極的です。

これまでの日本の世界遺産と一味違う世界産業遺産。
今年のゴールデンウィークには混雑が予想されますが、
140年建っている建物なので、行ける時に一度行ってみては?

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お土産で売っていた、赤レンガの剣山。500円(+税)。
工場の入り口にもあった「明治五年」にロゴ入りです。
ちょっとおしゃれ♪

富岡製糸場ホームページ
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html

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映画『ファルージャ』を観賞、10年後のイラクと、"人質"は…

今月で、ちょうど10年―。1月に、ある映画を見てきました。

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2004年に起こったイラク日本人人質事件の当事者たちのいま、
高遠菜穂子さんと共に訪れたイラクの現状を伝えたドキュメンタリー。
その名も、彼らが拘束された地名を題名にした『ファルージャ』

04年のイラク戦争のさなか、
目的を持ってイラクを訪れた日本人3人が、武装勢力に拘束された。
その後無事解放されるものの、3人は、軽率な行動が国に迷惑を
かけたとして「自己責任」を問われ、激しいバッシングにさらされる。

映画は、当時自己責任という言葉に違和感を持ったことから、
本人、メディア関係者、政治家、現地の人々と、幅広く取材。
事件に深く斬り込んでいく、監督の熱意に脱帽の1作です。

私は当時、仕事でメディアと関わっていたこともあり、
3人が危険な中でもイラクへ行こうと思った気持ちは理解できた。
逆に国民が、そんな彼らを執拗に(と、感じた)バッシングし、
「自己責任」を繰り返す声の方が信じられなかったことを思い出す。
監督のいう「違和感」に似た感情を持っていました。

当時、政府やメディアの命令でイラクへ行った人もいて、
その中には犠牲者もいた。自らの意思でイラクへ行った人は叩くけど、
そんな政府やメディアは、人に「イラクへ行け」と言うんだなと。

そして、そんな違和感を持った所に、大学の同級生が投げた言葉は、
私を二度びっくりさせた。メディアのネガティブ報道・バッシングのまま
意見を言うのである。「テレビ見ただろう、おかしいよ。あいつら」。

ああ…大学を出た人でさえ、こんなにテレビを真に受けるものなのか。
私が反論するも、その人の返事は、変わりませんでした。

「自己責任」という言葉が躍り出したきっかけの「自衛隊の撤退要求」は、
当時の私にとってはあまり大きな関心ポイントではありませんでした。
しかし、映画で見てから改めて過去のニュース記事を見てみると、
これが大きなターニングポイントだったことにも気づかされます。

イラクの武装勢力が、人質の解放の条件として掲げた
「自衛隊の撤退要求」を、当時の小泉政権は断固拒否、
新聞は一面に大きく「自衛隊は撤退しない」的な文字が掲載された。

いかにも「われわれ日本は悪には屈しない」という強気の記事に、
国民は「そうだ、そうだ!」と声を上げ、これを支持した。

それと対照的に、この発表により、ますます危機に面する人質。
家族は当然、その政府の決定に困惑し、マスコミに発言してしまう。
「そうだ、そうだ!」と政府に同調している国民は、おのずと
彼らと彼らの家族に向けて、イラクの武装勢力と同じ「悪」に
祭り上げてしまった…。

「自衛隊、撤収か否か」。郵政民営化の時も、
先日の東京都知事選でも使われた、単純明快な是非。
現在の政権も、放っておけば普段の生活を送れる日本で、
じわじわと何かわからない状況に持っていくかもしれない。

今、考えるにも十分価値のある、10年前の出来事なのですね。

あの頃、もし武装勢力の解放の条件として挙げていた「自衛隊の撤退」が
事件の争点にならなかったら、家族が要求しなかったら、
政府やメディアの対応は、少なからず変わっていたのかもしれない、と。

この辺においても、政府には責任はなかったのか…。
監督は、そんな自らの自衛隊派遣への批判をかわし、
「自己責任」論を展開した政治家への取材を試みるも悉く断られますが、
しっかりそのシーンを使うあたり、
「あなたの発言に"自己責任"はないのか」、という皮肉も。

でも、この映画を見ていると、そんな日本を
賑わしていた報道にはなかった、いろいろな驚きがありました。

今もイラクでは悲惨な状況が10年前のまま横たわっていることでした

アメリカ軍は撤退した。日本の自衛隊も今はいない。
けど、そこに住む市民は今も危険な戦闘にさらされ、撮影中にも、
現政府と、対立する宗派の抗争が発生。

そして、先天性の障害を持った赤ちゃんが次々と産まれています。
この事実を、当時の日本人も、今の日本人もほとんど知りません。
報道量が圧倒的に少ないし、報じた所で見る人が少ないからか…。

思えば10年前、人質事件でイラクが注目されても、バッシングが突出し、
イラクの現状や、戦況などはほとんど目にしなかった記憶があります。

これは、他の国家をまたぐ問題が起きた時も同じ。
報道が進むほど、どんどん目立った個人へのバッシングや
些細な話に動きだし、本質から遠ざかっていく…。

・・・

映画では、被害に遭った3人のうち2人の声や今の様子と共に、
いまも続くイラクの現状も、きちんと丁寧に取り上げています。

10年前を再び思い出し、改めてイラクに思いを馳せるきっかけにもなります。
そして、少しでも関心のある人や、「あの"自己責任"事件ね」という
記憶しかない人達にも、是非見てもらいたい映画です。

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私が映画を観に行った1月26日。劇場には、
監督の伊藤めぐみさんと、当事者の高遠菜穂子さんが登場
10年前の、恐怖にさらされておびえていた彼女のイメージとは全然違う、
今もイラクに通って人道支援に務めている元気な様子を見せてくださいました。

【予告映像】

【映画公式サイト】
ファルージャ http://fallujah-movie.com/

新宿、渋谷などの都内をはじめ、
大阪、神戸、札幌など順次地方でも上映していく予定です。

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映画『KANO』観賞―甲子園で準優勝した台湾代表の物語(2014年3月の話)

4年ぶりに訪れた台湾。

偶然上映中だった、話題の映画『KANO』を鑑賞。
公開から1ヵ月経っていたけど、まだまだ上映中でした。
台北は移動が便利なので、これなら
どこの映画館でもちょっと空いた隙に見に行けそうです。

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(台湾の新聞は、日本のテレビ欄の場所?に映画情報)

『KANO』は台湾中部・嘉義市にあった「嘉義農林学校」の略称。
日本統治下の1931年、台湾代表として夏の甲子園に出場し、
準優勝したという実話をもとに描かれました。2月末に公開、2週間で
興行収入1億5000万台湾ドル(約5億円)超えの快進撃を続けています。

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選んだ台北101の近くのシネマコンプレックス(信義威秀電影院)では、
1時間ごとに上映されていて、気軽に観にいけそう。
でも、実際に油断して上映20分前に到着してみると、
チケット売り場に長い行列が出来ていて焦りました(汗)。
結果行列さばきが速くて間に合いました…素晴らしい!
値段は320台湾ドル(1100円)ジュース付きで375ドルでした。

公開から1ヵ月以上経っているのに、場内は満員。
映画は3時間05分という長編にも関わらず、
ところどころに笑いを入れ、
また甲子園への快進撃を続ける辺りからラストは
そのプレイに引き込まれ、飽きさせない作品になっていました。

そのうち、日本語が70%ほどと圧倒的に日本映画っぽく、
「台湾の子達に受け入れられるかな…」と心配でしたが、それも杞憂。
笑いのシーンでは爆笑が起こり(日本にはない賑やかさ!)、
逆に日本語+中国語字幕なので、台湾の子たちの方が、
字幕を見て先に笑い出し、セリフを素直に聞いていた
日本人が後について笑う…という流れ?になっていました。

台湾の人達も満足して映画を楽しんでいたし、
日本人の私も感動と楽しさを覚える映画でした。
この作品にチャレンジした馬監督と魏プロデューサー、
スタッフやキャストの皆さんに脱帽です。

以下、個人的な感想と疑問です。

映画の中には、戦争と野球が交互に出てきます。
途中、台湾の出兵シーンで、昨年魏徳聖氏が監督を務めた
『セデック・バレ』のセデック族が日本軍として並んでいる。
これには、魏氏のこだわりが滲みでていると感じました。

冒頭の入場行進では、当時の甲子園の出場校に
台湾代表・嘉義農林のほか、満洲代表・大連商業 、
朝鮮代表・京城商業
といった名前も見られますが、
これらのチームには、現地の人たちはいなかったのか。

群馬代表が桐生中学(現・桐生高校)で、
未だにこの高校は群馬県最多甲子園出場回数を誇るのに、
ここ"数十年"御無沙汰になっているので、
実際に甲子園を歩く桐生中学に「ほろっ」と来るものがありました。

甲子園のシーンでは、決勝の中京商業よりも、
2回戦であたった北海道代表の札幌商業との対戦と
そのエース・錠者博美のシーンが多く描かれています。
「最北と最南のチームが甲子園で…」という実況に、
「僻地から中央へ」というメッセージが鮮明になると同時に、
「中央を倒せ!どっちも頑張れ!」という気持ちになります。

でも、試合結果やエース・錠者博美の存在は実話と聞くけど、
その錠者氏が数年後出兵し、偶然台湾の地に足を運び、
嘉義農林の練習グラウンドを訪れた話は本当なのか、
と、映画と実際の話が上手に混在する演出に引き込まれました。

そういう訳で、気になるところも含め余韻を残す映画でした。

統治時代の話なので、素直に「日台交流」という言葉では
言いあらわせられないと躊躇しましたが、
一方で、80年以上を経た今、かつて本当の近藤監督に
教わった選手の方
がご存命で、日本語を使いながら、
近藤監督の故郷・松山の関係者と繋がっているという話も聞き、
そこには「交流」が生まれているという表現がいいのかもしれません。
http://www.youtube.com/watch?v=5G3_ii6nB8k

日本では、なんと来年2015年まで公開されないとのこと
うーん、待ち遠しすぎる!!
(だから、台湾で時間を割いてまで観に行ったのですが)

エンディングで流れた「風になって」も、
1曲の中に日本語と中国語が混じった素晴らしい出来。
「海角7号」にも出演し、日中交流イベントにも登場される
中孝介(あたり・こうすけ)さんが歌っています。
帰り道に見つけたCDショップで、思わず買ってしまいました。
429台湾ドル(1475円)…映画代より高かった。

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【ストーリー】
日本人、台湾人、原住民による嘉義農林野球部が、
新任監督の近藤兵太郎を迎え、スパルタ式訓練で
「甲子園進出」を目指すことになった。
のんびりしたチームだった嘉農野球部は、近藤の
鬼のような特訓を1年間受け、甲子園出場の夢を抱く。
そしてついに1931年、台湾予選大会で連勝を続け、
日本人のみの常勝チーム・台北商業を打ち負かして、
南部の学校で初めて台湾代表大会に優勝。
台湾の代表チームとして、日本への遠征へと赴く。

甲子園では、嘉義農林チームの1球たりとも諦めない
感動的なプレイが5万5千人の大観衆の心を掴む。
そして迎えた決勝戦の舞台では、嘉義農林チームに、
熱い声援「戦場の英雄…天下の嘉農…」が送られる。

【スタッフ】
プロデューサー・脚本/魏徳聖(ウェイ・ダーシェン)
1968年8月16日生まれ。2008年に監督デビューした
『海角七号〜君想う国境の南』は台湾映画史上記録的な
興行収入を上げ、社会現象も巻き起こす。
2011年に、日本統治時代の台湾で起きた霧社事件が題材の
『賽德克・巴萊(セデック・バレ)』で、金馬獎作品賞に輝く。
日本でも2013年に公開。

監督/馬志翔(マー・ジーシャン)
1978年生まれ。2000年にテレビドラマで俳優デビュー、
2001年『鹹豆漿』でスクリーンデビュー、
『賽德克・巴萊(セデック・バレ)』(11)にも出演。
『KANO』は劇場用映画の初監督作品。

【キャスト】
永瀬正敏:近藤兵太郎 役
嘉義農林高校野球部監督、弱小チームをスパルタ特訓。
悲願の甲子園出場を果たし、準優勝へ導く。

大沢たかお:八田與一 役
巨大ダム(烏山頭ダム)の建設で台湾一の穀倉地帯に変え、
農業水利事業に大きな貢献を果たした。

【予告映像】

http://www.youtube.com/watch?v=PvBvkp-r4C4

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台湾『退回服貿』運動と「自由」と「平和」と…

26日から30日まで、出張で台湾へ行っていました。

ちょうど台湾では2014年3月18日、
馬英九総統が中華人民共和国と締結した
「サービス貿易協定(中国語:海峡両岸服務貿易協議、略して服貿)」
強行採決 しようとしたことに抗議する学生達が、
台湾の国会(立法院)を占拠し続けるという事件が起きていました。

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(台湾の新聞は連日一面でこのニュースでした。
馬政権寄りの「聯合報」と、台湾派?「自由時報」で伝え方が正反対)。

「大陸化」してゆく台湾に危機を感じ、大陸人に
若者の雇用や権利などを奪われることを阻止するための行動。
(中国語で「退回服貿」「反服貿」などと呼ぶ運動になった)。

このタイミングなので、昨日の空いた時間を利用して、
「退回服貿」運動をする学生らが占拠している立法院へ。

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その、占拠の様に「これが国会か…」と驚きを禁じ得ませんでした。
写真を撮ったら警察に憚られるかな…と、
大陸暮らしの時に染みついた「ビクビク」を思い出しながら
カメラを構えると、拍子抜けするほどオープン。
見ると、周辺には学生に交じって「野次馬」も沢山いて、
みな、観光でもするかのように写真を撮っていました。

総統府も占拠されると聞いたのでそちらも見に行ってみると、
こちらは周囲数百メートルから鉄格子を張っていて入れず。
隣接する「二二八和平公園」も記念オブジェまで鉄の中…。

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この日(3月29日)は、翌日の一斉デモ(3月30日)に
備えて準備をしていたから、尚更だったのかもしれないけど、
それにしてもすごい…「平和」まで閉じ込めてしまうあたり、
何かのメッセージを込めていたのかな?という思いに。

そのまま、歩みを隣駅の「中正紀念堂」駅まで進める(足で)。
「自由広場」では、野生パンダの保護を訴えた
「1600匹の紙パンダ展示」が30日まで開催していました。

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愛くるしいパンダや絶滅の危機にさらされている動物たちの
オブジェを観に来る人で、広い会場は賑わっていましたが、
そこにもカーネーションの花を手にした、
「退回服貿」の学生達に"対抗する"デモ隊の姿がありました。

そして3月30日。
学生ら50万超(主催者発表、警察は11万という)がデモを実施。

台湾の「平和」や「自由」を象徴する場所をいったん閉じ込めてまで、
再び「戦いの場」として、大陸からの脅威と闘い、
真の自由と平和を勝ちとろうとする学生の姿。
そこには民主主義って何なのだろう…と胸が熱くなるものでした。

一方で、これも民主主義国家の様を語るかのようですが、
立法院周辺(参加している人達)以外の場所は日常風景のまま。

周囲の人は、運動に対して冷めた見方をしている印象で、
タクシーに乗るたび運転手に今の活動をどう思うか聞いても、
「支持しない」「馬鹿だ」との反応。口にしたのは、
「俺たち民衆は生活できればそれでいい、混乱を起こすな」でした。

対岸の火事とする人、迷惑に思っている人もいて、
それを自由に言えるのも、台湾であり、民主主義でしょう…。

しかし中には、デモに参加しなくても馬政権には不満で、
「馬政権になって大陸寄りになっているけど、
恩恵を受けているのは大陸と関係のある人だけで、
ほとんどの人の暮らしは一向によくならない」
と言う人も。

今の学生たちが起こしている行動が、
馬政権の行く末に少なからず影響を与えたことだけは確かでしょう。

いずれにしても、自らの暮らしのために政治に声を上げ、
行動を起こしていることに対して、学生達が、
「選挙で選んだ人たちがちゃんと仕事をしないから、
私たちが自ら行動を起こすしかなかった」
と話すのを
某ニュース番組で聞いた時には、考えさせられました。

最近の日本は(最近ではないかも?)政治に不満があっても、
「しょうがない、そんな政治家を選んだのは自分たちにも責任がある」
という言葉で掲げた拳をすぐ引っ込めがち。日本の人たちも、
台湾の若者たちくらい強気になってもいいのではないかな。

そんな思いで、4年ぶりの台湾を後にしました。

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