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3年後の被災地:宮城県南三陸を訪問(2014年5月)

5月5日~6日、1年2カ月ぶりに被災地を訪ねました。
今回は「一度被災地をこの目で見たい」と、
震災直後から言い続けていた両親を連れて。

しかし、実際には両親が「見たい」という以上に、
私自身が「見てもらいたい」と思っていたことや、
被災地の方々から「見てもらってほしい」という声に応えたい

という気持ちの方が勝っていたのかもしれません。

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両親を案内する場として選んだ被災地は、宮城県南三陸町
選定理由としては、
津波の被害を受け多くの人が犠牲になった「防災庁舎」が、
当時のままの姿で残っている他、周辺の風景が、
今もなお震災直後からあまり変わっていないということ。

「さんさん商店街」など、被災地を見に来る人が、
気軽に訪れて、そこを応援できる手段があること。

そして、宿泊先に選んだ「ホテル観洋」の存在でした。
宣伝ではありませんが、観洋は色々な工夫をしています。

●仙台駅から無料の送迎バスが出ているので移動に便利。
●そのバスを利用して、被災地を廻る「語り部バス」が毎朝走り、
 初めて被災地を訪ねる人が状況を掴みやすい。
●観洋自身も被災しているので、被災記録などが掲載されたり
 パンフレットになっていて宿泊客と共有している。
●やっぱり旅として来ている以上、温泉と料理と休息は必須。

60代の両親が初めて被災地を訪れる旅…。
出来る限り負担を軽くして、短時間で多く吸収してもらいたいと思うと、
「南三陸」で「ホテル観洋」がベストポジションだったのです。

ちょっと値段は高いけど、元気なシニア世代や家族づれなどで、
ちょっとでも被災地に関心を抱いているのだけれども、
「でも体力が…」という方には、お勧めのコースかもしれません。

5月5日。
仙台駅前から直行バスに乗って、およそ2時間で現地へ到着。

チェックイン後、ちょっと一服し、タクシーを呼んでまず向かったのは、

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町を一望できる見晴らしのいいところ。
津波で流された地域を俯瞰すると、今も更地のままでした。
復旧がなかなか進まない様子を見せられた感じです。

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そして、その下にある「さんさん商店街」へ。
※5月6日まで、モアイ博覧会が開かれていました…。

雨にも関わらず、それなりにお客さんが訪れていました。
ボランティアで訪れる人も、観光で訪れる人も、
南三陸へ来た記念に、とここへ立ち寄り、
応援グッズや各店舗の商品を買っていくようになっています。
(もちろん、地元の人向けのお店も揃う商店街ですが)

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宿泊した夜はちょうど祝日だったからか、偶然
仙台在住のジャズバンドがボランティアで演奏に来ていたので
楽しく聞かせていただきました。
リーダーのサックス奏者・安田智彦さんは、震災後、
被災各地を廻って演奏をして皆の心をいやしている他、
外へも出かけて、被災地の状況を語っているそうです。

両親も、生のジャズ演奏を楽しみ、中にはテキーラに合わせて
華麗なダンスを繰り広げるお客さんもいて、会場は盛り上がり。
きっとジャズというジャンルは私より上の世代の方々に
受け入れられた音楽なんだろうな…ということを実感です。

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翌日。
8時45分から1時間ほど、「語り部バス」に乗車しました。
「1名からでも行います」という語り部バスですが、
この日は大型バスが3台も出動!

ガイドをしてくれたのは、震災当日もホテルに勤務していて
ホテルの窓から、津波の様を見ていたという従業員さんです。

「震災で、私の家も土台を除いて流されました。
そんな津波が家々を流す様、そして引き潮で海の底が見え、
その光景は、忘れることができません」
今も延々続く風景に目を奪われながらしんみり聞き入りました。

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1年2か月ぶりの防災庁舎。

まずは、バスを降りて祈りを捧げました。
1年前よりも、折り鶴や仏さんの数が増えていて、
周辺には入れないようなロープが張られていましたが、
建物そのものはやや老朽が進んだかな…と思う程度で、
1年前と同じ姿をとどめていました。

しかし、この防災庁舎は、今、宮城県の方で保存について
議論が交わされているとのことでした。
津波の恐ろしさを語る手段として残していくべきという意見、
一方ここで犠牲になった方の遺族や費用の問題から、
取り壊すべきだとする意見が対峙しているとのこと。

私としては、現地の方々の判断次第なのですが…

一日前に、さんさん商店街からホテルへ戻る時に乗った
タクシーの運転手さんが、私たちの
「もう一人の語り部」としてこう話していました。

「南三陸は、ずっと昔にチリ地震でも津波被害を受けてます。
その頃から、どこまで波が到達したのかをしめす看板が、
ずっと建てられているんですが、それを見ながら暮らしていた
お年寄り達が真っ先に亡くなったんです

何十年も住んでいるけど、津波なんて大丈夫だよって」

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つまり、看板なんてものは見ても風景になってしまい、
怖さなんて実感できない。それよりも、あの防災庁舎を
見る事で、常にあの津波の恐ろしさを実感できる。

だから残すべきだ、と運転手さんは主張したのです。

その意見が、
ひょっとすると被災地の人の実感する本音かもしれません…

語り部バスのガイドさんも、サックス奏者の安田さんも、
タクシーの運転手さんも揃って言ったのは、
「ここで見たことを、帰ったらぜひ皆さんに話してください。
被災地は、まだこんな状況だったんだよって」

初めて被災地を目の当たりにした60代の両親は、
この2日間のことを、明日からどんな風に友人たちに話すかな…
父は「ウミネコに癒されたよ~」とのことでしたが(ま、いいか)

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そんな思いで、南三陸を後にしました。

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「伝える」と言えば、南三陸へ行く前の4月29日、
渋谷で、東日本大震災から被災地の姿を撮り続けてきた
カメラマン・渋谷淳志さん、佐藤慧さん、安田菜津紀さんの写真展
へ行ってきました。

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会場で、安田さん・佐藤さんにお会いし情報を伺ったのですが、
月に一度のペースで岩手県陸前高田市など被災地を訪れている
お二人からも、興味深いお話を聞きました。

「東北にずっといる人は、外の感覚がわからない。
 外にずっといる人は東北の感覚がわからない。
 頻繁に被災地を訪れる被災地外の自分たちだからこそ、
 掴みとれる客観的な感覚があるのかもしれない」

その意見、正に的を射ていると感じました。

東北へ行くと、関東など被災地外との感覚の格差を感じます。
東北のテレビ番組は毎日のように震災に関するニュースを流し
河北新報などの地方紙も、今でも一面に震災関連を載せる日が
少なくありません。

でも東北から外に出ると、本当に震災報道は少なくなりました。
3周年の3月には少し増えたけど、今はNHKくらいが定期的に
特集を組んでいることと、福島の原発に関する話題くらいかと。

東北にいる人は、常に震災が今もそばにあるのですが、
東北以外の人には既に過去の話と化しつつあるのです。

そのギャップを埋め、上手にバランスの取れた情報を
掴み続けるためには、結局「人の足」しかないんですね。

両親のように初めてでもいいし1回でもいいかもしれません。
「百聞は一見に如かず」と言います。
一度でもいいので、機会を得られる人は、今のうちに
被災地を訪ねて、伝える側に回るか、自分たちの生活に
落とし込むなどのアクションを取られることをお勧めします。

私も出来るのであれば年に1回と言わず、もう少し東北へ行く
頻度を増やしたいという思いを禁じ得ないゴールデンウィークでした。

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