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“積極的平和”を考える~「平和学の父」ヨハン・ガルトゥング博士来日

Garu

8月19日。平和学の第一人者で「平和学の父」と呼ばれる
ノルウェーのガルトゥング博士(84)が来日。
同じ80代の田原総一朗さんとの対談、面白かったです。

博士は平和を戦争のない状態と捉える「消極的平和」に加えて、
貧困・抑圧・差別など構造的暴力がない「積極的平和」
を提起。
今の政府が言う「積極的平和主義」とは全然違うと展開しました。

博士の、平和を構築するための提案は3つ。
1)東アジア共同体を作ること
2)攻撃ではなく「専守防衛」に徹すること
3)憲法9条を世界に広めること。

特に1)は興味深かったです。
内容は中国・台湾・北朝鮮・韓国・極東ロシアと日本で
「東アジア共同体」を設立するもの、中心都市は沖縄。
尖閣や竹島、北方領土は共同の領土とするとしたもの。
この話は先日、中国・南京でも発言して、
喝采・スタンティングオベーションを受けたといいます。

そこへ田原さんが反論。
「東アジア共同体は懐疑的、中国や北朝鮮などは体制が違う。
それを知った上で対話は大事だが、共同体までは難しい」。
(田原さんは対談を盛り上げるのが上手だな~としみじみ)。
博士は「市民レベルでは既に共同が成立している」
「“完全な悪”の国はない」と前向きに回答されていました。

博士は他にも、
「未来に前向きに、想像力をもって北朝鮮とも国交回復すれば、
 アメリカに気兼ねすることなく仲良くできる」
 →アメリカへの懸念は、何度も口にしていました。
「民主主義はどの国の中にもある、
 どれも同じ形をしている訳ではない」
 →時にアメリカのCEO方が民主主義じゃない、とも。

外交と対話で平和な世界を構築するよう、何度も訴えました。
その上で、日本の俗に言う「平和運動」について、
「『安保反対、戦争反対』と繰り返すばかりでは進展しない。
 クリエイティブな思考で平和を作る方法を考えるべき」
という指摘も…おっしゃるとおりです。

21日は横浜で学生たちとワークショップも行うイベントを。
その後、沖縄でも講演を行われるとか。
84歳の博士。
すごくお元気でしたが体をご自愛し日本を楽しんでください。

【主催・国際平和映画祭のサイト】
http://www.ufpff.com/archives/3215

【東京新聞では一面でした】
ガルトゥング博士が来日 60年代に「積極的平和」提唱

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夏・広島から~戦後70年の原爆ドームと世界遺産めぐりまとめ

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朝7時30分すぎ。大田市から都市間路線バスで3時間かけて、広島へ。
(写真は島根県邑南の道の駅休憩所)

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山間の町にある停留所で客を拾っていくことから、
山陽と山陰を縦断でつなぐ、重要な交通手段と実感。

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昼前に到着した広島で訪れた世界遺産はもちろん、
登録されて久しい「原爆ドーム」。

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8月6日の式典の香りが残る花や折り鶴を見ていると、いろいろと思いを馳せます。

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あの路面電車、70年前もこの街を走っていたんだな・・・とか。

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そして、久しぶりに訪れて気付いたのは外国人観光客の多さ!
広島の友人に聞くと、宮島など広島の観光スポットが最近、
ロンリープラネットやミシュラン観光ガイドに掲載され、
その独特性をもった観光地の形などが魅力を誘っているようです。

宮島も世界遺産ですものね…今回は行けませんでしたが。
※2003年に行ったことはあります。
いずれにしても、原爆を落としたアメリカ人の間でも、
徐々に広島・長崎のことを知る人が増えて来たという話です。
日本(しかも広島・長崎だけ)の話にとどめず、
世界の人々が、核兵器を使わない世の中を築いていく道を
考えていけると嬉しいです。

その夜、北京に在住経験のある広島の皆さんとお会いし、
懐かしい北京の話を堪能しながら、
広島に生まれ育った皆さんならではの貴重なお話も伺いました。

広島で生まれた人は被爆2世・3世であることが少なくありません。
だから、違う地方で生まれ育った私とかが実感できないほど、
「原爆」というものは身近にあったそうです。

しかし、実際に被爆した1世であるお婆さんお爺さん世代は、
どんどんこの世から去って行かれています。
生前も、あまりの辛さに体験を口にすることもなかったそうです。

長崎も同様ですが、今後、この2つの地を「最後の被爆地」とするために、
まずは戦争を体験していない私たちが考えることは多そうです。

2011年の東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故と、
最近、物議をかもしている安全保障法案が、結果として、
若い人たちの「核」に対する意識を高めていることは評価すれば良いでしょうか。

bell train bell train bell train bell train bell train bell train

今回、8月9日から回った3か所の世界遺産。
1)萩城下町と松下村塾
2)石見銀山
3)原爆ドーム

いずれも日本の歴史を支えたり世界に門戸を開いたことで、
登録された意味のある場所だったことを実感しました。

一方で、山陰地方や群馬など交通の不便な内陸部は、
その価値を多くの人に伝えるためのインフラ整備を、
過疎化という流れの中でどの程度築いていけるのか、
という課題もあることを感じた旅でもありました。

また、旅行者にとってはお財布泣かせの一面も…
バスと鈍行を使ったり安宿を選んだつもりだったけど、
宿の場所が不便でタクシー利用になったり、
ダイヤが合わずに特急利用になったりと余分な出費もあり、
かつお盆時期で宿代が割高だったことも手伝って、
最後に旅費を合計したら相当な額(泣)

当面は節約しなければということも痛感しているところです。
でも、こういうことがあると、
「今度はもっと安くて効率良い旅にしてやる!」
というリベンジ魂が燃え始めているので、楽しみに残しておきますか。

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夏・島根から~世界遺産登録8年の貫禄!?石見(いわみ)銀山

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2007年に世界遺産登録された島根県の石見(いわみ)銀山。

山口県の萩から1両ワンマン列車の山陰本線に乗り、
益田で快速ライナーに乗り継いで島根県の大田市へ。
東萩6:23-7:34益田7:44-9:28で大田市駅に到着。
すぐあとの9:38発の石見銀山行きバスに乗車とアクセスは便利。

バス停にいる時からガイドさんが地図を配ってくれて、希望観光地を告げると、
「間歩(銀鉱)を見るなら、疲れないないうちに行った方がいいから、
大森というバス停で下りて先に行って、その後色々回った方がいいですよ」
と、アドバイスをくれました。助かりました。

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大森のバス停には10時過ぎに到着。
これまたタイミング良く「10時30分に出発するガイドがあります」との声。
何も聞かないでスタスタ突き抜けてしまうよりも、見聞を深めながら
みんなで歩くのも楽しいかな、と申し込む。ワンコイン500円。

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参加者9人中、かなりの時間ガイドさんにくっついて、
話を聞きながら歩いていました(すみません)
※もちろんガイドさんは、要所要所では集めたり
声を張り上げて、全員に聞こえるように説明しておりました。

石見銀山遺跡が世界遺産に登録された理由は、
1.銀生産を取り巻く往時の生産・流通・防衛の遺構が良好に残され、
2.周囲の自然と一体となった優れた文化的景観を形成していること、
3.生産された銀は海外にも輸出され、16・17世紀東アジアの
 政治・経済・文化の交流に大きな影響を与えたという3点にあります。

島根県のHPより http://www.pref.shimane.lg.jp/sekaiisan/

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ガイドさんから話を聞きながらのんびり歩き、写真を撮ること2時間。
その間にある石垣は、当時すべて住居だったと言います。
当時の人口は20万人もいたとか!?驚きですね。

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そしてついに、目標の「龍源寺間歩」へ到着。
洞窟の中は、当時のノミで打った痕がいっぱい!
中は年間通じて15度前後、夏は涼しく冬は暖かいそうです。

ここでガイドさんのツアーは解散となり、各自自由に下りていきます。
私は、途中で省略された「清水精錬所跡地」をじっくり探索。

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下から。

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横から。

ここまで登ってみると、後ろに「選鉱所跡0.4キロ」と言う文字。
400メートルなら行けるかな…と思い行って見ることに。

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が、もう到達していいはず…と言うところであと200メートル。
行けども行けども到達せず。

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400メートル「登る」だったのかもしれません…ここは意地を張って到達。
疲れました~。でも、上からの眺めは良かったです。

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あ、これは最初の「清水精錬所跡」の上からの眺めです。

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その後、大森代官所までバスに乗って歴史的な街並みを見て、
大田市駅に引き返して行きました。

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石見銀山といえば「銀細工」なのか、銀を売っている店もちらほら。
でも、現在の石見銀山では銀を採掘しないので、どこの銀なのか?

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世界遺産登録されてから8年。こうしたガイドは70人ほど。
登録当初は観光客もどっと押し寄せ対応に忙しく、
街中には大型バスなども連日来て住民の反感もあったという。

その中で、どうすれば共存できるのか住民と話し合った結果、
「歩いて楽しむ観光地」としてのスタンスを掲げ、
そのための歩道の整備を行い、移動は徒歩か自転車のみに。

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電信柱の地中化も進め、それが完成した登録4年頃から、
かなり落ち着いた形で観光地として安定するようになったという。

もちろん、自然と登録ブームは去り、観光客は減ったけれど、
歩道の途中にあった大森小学校の子どもは増えているという。
町が企業を誘致し、企業もそこに「子育て世代」の方を配属。
結果、廃校・合併が漂った小学校は現在安泰という。

生活する人と観光地との共存。参考になりました。

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同じ産業遺産として去年登録されたのが、群馬県の「富岡製糸場」。
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2014/04/post-f2ef.html

こちらも製糸場前の道路は狭く、駐車場の数も足りない。
もちろん、石見銀山に比べれば狭い範囲の遺産だし、
登録前に訪れた時よりは、町の整備も進んでいるだろうけど、
いまごろ、どうなっているだろうか…
8年先輩の石見銀山は参考になることが多かったと思います。

ただ、最寄りの都市であるはずの大田市には申し訳ないけど、
今度訪れる時は、石見銀山の中にある宿か、出雲にします。

1、2軒あるホテルには申し訳ないけど、店がなければ、お金を落とす術がない…。
空腹を満たす術もなかったので、電車に乗って出雲に出向き、
出雲そばと温泉を堪能して引き返す、効率の悪さを痛感しました。

でも・・・

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電車は可愛かったし

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出雲そばはおいしかったです

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夏・山口から~祝!世界遺産登録の「松下村塾」「萩城下町」

8月9日の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」を訪問後、
鈍行と特急とバスを乗り継いで、「世界遺産めぐり」をしてきました。

まずは山口県の萩。

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今年、世界遺産登録された「明治日本の産業革命遺産」23施設のうち、
ここ山口県萩市にある施設が、なんと5か所も登録されたというのです。
・萩反射炉 ・恵美須ヶ鼻造船所跡 ・大板山たたら製鉄遺跡
・萩城下町 ・松下村塾

今回は、その中の「萩城下町」と「松下村塾」へ。

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新山口駅から萩行きの直行バスが出ていて便利でした。
1時間ゆられて到着したのは「明倫館」。

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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のドラマ館が期間限定で開館。
ドラマと世界遺産の効果が重なって、多くの人が訪れていました。

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萩の城下町は色々見どころがあったので相当歩いたか。
重い荷物を担いでいたので、荷物が当たった腰の骨が痛くなりました。

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高杉晋作の生家や銅像。木戸孝允の生家。

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久坂玄瑞に、山県有朋の銅像。などなど…

多すぎです。

レンタサイクルが一杯あったけど、
萩城下町~松下村塾が歩いて各2、3キロ。
明倫館前に市内バスがあったけど30分に1本しかなく、
ちょうど出て行ってしまったところだったので、歩きました。

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松下村塾には、ここで学んだ人たちの写真。
その周囲には吉田松陰が育ち、幽閉された家がありました。
やはり人一杯で、シャッターチャンスを捉えるのに時間がかかりました。

松下村塾からホテルまでも2キロ、
ホテルから萩城も2、3キロという微妙な距離。
結局、全部歩いて回りました。

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歩き疲れたけど、萩城の近くに見えた海は綺麗でした。
夕日もいい感じで…遠くに見えました。
昔、ここで世の中を変えようと思った維新の者たちも、
この海を見て夢を描いたのでしょうか…

更に、市内には5つの場所が世界遺産登録されたのですが、
他の3か所については遠く離れていて、車がなければ行きにくい。
断念しましたが、東萩駅から北へ向かう電車に乗ると、
線路沿いに「萩反射炉」を見ることができました。

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写真には収まりませんでしたが…(涙)
左端にちょっとだけ見えます(見えませんって?)

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ちなみにこれが正面からの反射炉(すみません拝借です…)

山陰地方かつ世界遺産登録1年目にしては訪問しやすく、
見どころも多いので、お盆時期でなければオススメです。

一方で、街中の交通手段と宿泊には不便した一面も。
東萩駅近くのホテルに泊まったのですが、
周辺に食べる所が少なく、夜9時には閉店…ガストに救われました。
(そのためか、ガストは9時を廻ってもお客でいっぱいでした)。

人口の問題もあるので町の考え次第ですが、
観光客を受け入れるインフラ体制は今後の課題かと。

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「維新のふるさと」、「一両ワンマン列車」

その東萩から翌日始発で島根県の益田、乗り換えて大田市へ。
世界遺産巡りの山陰旅は続きます。

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途中で見える海の景色はまた絶景。
同時に、海べりに並ぶ家を見て一抹の不安も…

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夏・長崎から~戦後70年の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」

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8月9日。夏、長崎から。
原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の会場にいます。

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長崎の宿は一杯だったため、前晩は佐賀県に一泊し、
8時に長崎の浦上駅着、先に爆心地を訪れました。

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当然ですが席の大半は遺族席で、
後ろの方にわずかに設けられた一般席は、
私が到着した8時30分過ぎには満席。
10時30に近づき、入場制限もかかったようです。

その頃には埋まった遺族席はもちろん、
一般席も高齢の方が多くを占めていますが、どちらの席にも
入り混じるように若い人が少なくなかった印象です。

10時35分、被爆者の合唱「もう二度と」で式典開始。
11時02分、黙とう。

その後、長崎市長の「平和宣言」。
途中で大きな拍手が2回起こりました。

続いて、被爆者代表の「平和への誓い」
今年挨拶をされた谷口稜曄さん(86)は、
70年前の8月9日、16歳で、郵便配達中に被爆。
背中に大やけどを負い、1年9カ月うつ伏せの生活を余儀なくされ、
いまも時折痛みを覚えるといいます。
その時に出来た胸の床ずれで、今でも肺活量は人の半分以下とか。

リンクの記事に写真があります。画像のインパクトは大きいです。
http://www.asahi.com/special/npr/OSK201005080038.html

そうした中、体験談を伝え続けてくださったことに、
私たちは感謝の念を抱くことを禁じ得ません。
こちらも、途中で大きな拍手が2回起こりました。

ただ、2人に拍手が起こったのは、
今の政府が進めている法案をけん制し批判した時で、
正直、私の心中は複雑でした。

私が子どもの頃は、広島・長崎の平和祈念式典は、
ただただ戦争のない平和を願い誓う場所だったはず、、、
ですが、ここ数年の平和宣言には、
政府へのお願いも込めたけん制・批判が入るようになりました。

長崎市長・被爆者が政府に訴え、遺族席から拍手が起こる…。
市長も被爆者の方も、政府と対立するための式典ではないことは
重々承知の上でしょう。それでも言わざるを得ない、
言わなければ、また原爆を落とされる戦争が再来するかもしれない。

そんな危機感を覚える戦後70年。
必死な姿勢が伺えて、なんで苦しい目に遭ってきた人たちが
先のことも案じ続けなければならないのかと、考えてしまいました。

黙とうの時には鐘の音で消されていたためか、
静かに市長の平和宣言を聞いていた頃から
公園外の「安保反対!」と叫ぶ声が目立ったのも微妙な気持ちでした。
その声、このタイミングで、この人に叫ぶものじゃない、と。

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in August Nine 1945

この街が燃え尽きた70年前のあの日のことを
「忘れてはいけない」と改めて想うと共に、
「なぜ、こんなことが起こってしまったか」
という戦争のメカニズムを紐解き、今後どうするかを考えていくこと。

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これも、戦争を知らない世代が増えていくこれから、
必要になっていくのではと、感じさせられました。

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伝え続けるマスコミの皆さんも、お疲れ様です。

平成27年長崎平和宣言(11カ国の言語に翻訳されています)
http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p027408.html

被爆者代表・谷口稜曄さんの「平和への誓い」
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/09/atomic-bomb-peace_n_7963110.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

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