ハワイ・パールハーバーで「真珠湾攻撃」をたどる(2012年6月)

初めてハワイへ行ってきました。

本来の目的は結婚式だったのですが、
「1日に70~80組の日本人カップルが結婚式を挙げている」
というので、他の79組がいくらでも書いてくれているでしょう。

・・・

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ホテルからの眺めは最高でした。

そんなハワイ。
仕事で訪れる機会はほとんどないと思われるので、
昔から、ハワイへ行くならここ!というこの場所だけは
旅行日程に「最重要項目」として入れていました。

それが、パールハーバー
1941年12月8日(ハワイ時間12月7日)。
太平洋戦争の幕開けとなった、真珠湾攻撃が起きた場所でした。

70年以上経った現在も、
そこには真珠湾(パールハーバー)という港があり軍艦もあるのですが、
当時沈められたアリゾナ号もそのまま海中に残され、
その上に記念館が建てられ、後世に語り継がれているとか。

中国に住んでいる時、各都市にあった「抗日戦争」時代の
記念館を見て回ったり、広島の原爆ドームも長崎も訪れたり、
そんなことから戦争報道への関心を抱き今の仕事に就くことになった
私としては、パールハーバーは欠かせなかったのです。

ちなみに、ハワイは日本人観光客が多いのでパールハーバーの
日本語観光ツアーもあるみたいですが、
最初から、個人でバスで行くことを考えていました。

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6月2日。空は澄み渡る青空。ダイヤモンドヘッドへ登ったあと、
朝9時半に、宿泊先のワイキキホテル群近くにあるバス停から
地元バス「The Bus」の「20」「42」番バスで向かいました。
※アラモアナセンターから出発する場合は「62」でも行けます。

私が乗ったのは「20」番バス。これはホノルル空港回りなので、
1時間弱かかって「アリゾナ・ミュージアム」のバス停へ。

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バス停から、ちょこっと歩くと到着。
公園内は入場無料ですが、荷物は預けなければならず、
この荷物預け代がバック1つで3ドル。これで十分入場料です…。

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園内の地図。
アリゾナ記念館は海の中にあるために船で、
戦艦ミズーリ号は対岸のフォード島にあるため、
シャトルバスで向かいます。どちらも無料です。

アリゾナ記念館へは一度に行ける人数が限られているので、
整理券を貰いに行きます。入口入って突き当たりの案内所で
「○:00」と書かれた整理券が配られますが、私は10時半に入ったのに、
一番直近の時間で午後1時でした。人、多いんですね…。

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2時間半も時間があるので、まずは近くの潜水艦を見物。
戦時中にしてみたら相当な設備を備えた潜水艦に驚き。
ま、戦後もリニューアルをしながら活躍し続けたのでしょう。

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その隣には、日本軍が使用したという人間魚雷の「カイテン」。
この中に人間が入って、船に向かって突撃していった、つまり
「海中特攻隊」でしょうか…立派な潜水艦の横の展示物とあって
お国の勝利を信じて命を投げた日本人の魂…を感じました。

海に沈んだ戦艦アリゾナのあった場所まで向かう
船着き場の向かい側に、パネル展示があったので、こちらも見学。
日本語の表記がないので、頑張って読みつつ、
横で英語のできる人に解説してもらいながら見ていくと、

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日本をただただ責めたような悪者扱いの書き方ではなく、
当時の日本は資源が止められ、追い込まれての開戦だったこと、
欧州の植民地だった東南アジアからの資源入手を望んで、
これらの国々を欧州支配から解放させたこと、
真珠湾攻撃を指揮した山本五十六が実は早期終戦を望んでいたこと、

もちろん、今となって事実はわかりませんがこんな感じの記述で、
日本人が習った歴史認識で、違和感を覚えることなく読めました。
この辺りは、中国の抗日記念館と違うかも…。

戦後、日本を占領下に置いたからか、または
「あ、日本人の観光客が多いから、少し譲歩してるのかな?」
という思いがあってかわかりませんが、それなりにバランスをもって
説明してくれているんだなという印象でした。

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とはいえパンフレットの日本語版だけは、真珠湾攻撃の見出しが
中国語・英語と違って「不名誉の日」になっていましたが…。

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さて、整理券に記載されていた1時になったので、船着き場へ。
そこで先に真珠湾攻撃を説明する映画を30分ほど見てから、乗船。
海を渡ってまっすぐ海上にあるアリゾナ記念館へ向かいます。

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沈んだ船の上に、横たわるように作られた、長方形の白い建造物。
それは記念塔のようであり、博物館のようであり、船体のような
デザインで、見どころはそれしかありませんでした。

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…が、船から周囲の船が沈んだ場所を示す建造物と沈んだ船の名前、
水面に輝く、いまだ沈んだ船から浮かんでくるというオイル、
犠牲となった1177名の名前が彫られた壁一面の慰霊壁?
あまりに奇麗すぎたことに「作り物」感、そして
記念撮影に夢中の多国籍客の様子に「観光地」感は残したものの、
そこにある生々しい記録の数々は、やはり後世の人間が作ったもの
以上の重い空気を放っていました。

この「1時」の集団には、我々の他に日本人が見られませんでした。
そこに日本人観光ツアーが早朝に行われている理由も伺えましたが、
逆にいえば、外国人と一緒にこれを見ることも価値あるような気がしました。

ひととおり見物を終えて、再び公園へ戻り、
今度は園内のシャトルバスに乗って、
フォード島に渡り「戦艦ミズーリ」へ。
※ミズーリ号と潜水艦のセットで30ドル。

このフォード島には多くの退役軍人が別荘のような家に住んでいて、
余生を過ごしています。中には、真珠湾攻撃の被害を受けた人もいて
まだ遺恨が残されていないとは言えないようです。

昨年、山本五十六の出身地・新潟県長岡市がホノルル市と、
12月8日に慰霊の長岡花火を打ち上げる企画を進めたけれど、
やはり住民感情に配慮して中止になったと言われています。

※これは、2012年3月4日のホノルル・フェスティバルで実現。
http://blog.livedoor.jp/nagaokamatsuri/archives/2012-03.html

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この巨大な戦艦の甲板で1945年9月2日、
連合国側の各要人と日本側からは外交官・重光葵が
無条件降伏の署名をし、すべての戦争が終結したのでした。

その時の署名のコピーが展示されていました。
戦争に負けた日本軍の虚無感はあれど、
これが悲しい歴史を止めることにもなったのですね…。

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ミズーリの大砲の先には、先ほど見たアリゾナ記念館。
「アリゾナを撃沈してやる」と言っているように見えて、
「お前の仇をとったぞ!」と言っているのでしょうか。

この戦艦は、太平洋戦争後も朝鮮戦争などで活躍し、
1992年(平成4年)に引退。記念館として展示されるようになりました。
かなり広いので、見物には1時間以上かかります。

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船から見える景色をあちこち撮影していたら、尚更…。
※周囲の軍港をつなげてパノラマにしてみました。

帰りのバスも、20、42、62番のどれか。
最初に来たのが62番、アラモアナセンターですぐにやってきた
8番バスに乗りかえ、行きより早くホテルに着きました。

行ってみたかったパールハーバーを訪れてみて、
現地では、日本人として気まずい雰囲気が漂うなど、
そこまで重苦しいものは感じませんでした。

ここはまだ、日本語ガイドブックでは存在感の薄いスポットですが、
戦争の悲惨さや歴史の現実を忘れないために―

広島・長崎を小さい頃から学んでいる分だけ、
戦争被害という生々しい歴史が現実にあったことを知る我々。
米国側の戦争を記録する施設を訪れることで、
「戦争は、被害者も加害者も傷つく。二度と起こしてはならない」
という気持ちを改めて確認し直す上では、
ハワイへ行く日本人は訪れることをお勧めしたいと思います。

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羽田空港国際ターミナルを利用。池袋から北京まで6時間!?

昨年10月から開通した羽田-北京便を初めて利用。
羽田空港の国際線ターミナルも、初めての訪問です。

朝、7時30分に池袋を出発。
山手線に乗るところでカメラをホテルに忘れたことを
思い出し、取りに戻って20分のロス(涙)

気を取り直して、7時50分に出発し、
品川から京急線に乗って羽田空港。
国内線ターミナルから連絡バスに乗って国際線へ。

到着時間9時15分。フライトは10時30分。
安全検査を通って、出国審査を済ませると・・・

あ~ら不思議。9時30分には搭乗口にいましたとさ

・・・

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で、この羽田空港国際線ターミナル。

既に利用した人たちは、
「小さい」だの「何もない」だの言っていたけど、
私から見れば、思った以上に充実していますよ。

薬屋、お土産屋、本屋、免税店。
インターネットスペースまで揃っていました。

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そして、搭乗口は3つほどしかないので、

羽田空港国際線ターミナルに着いて
安全検査と出国審査を含めても、
搭乗口まで15分もかからない・・・。

チェックインカウンターに到着した時は、
出発1時間15分前くらいだったけど、
1時間前くらいまでは大丈夫じゃないかな?

でも、まだまだダイヤが朝や夜しかないので、
早起きや夜遅くの移動を強いられて不便。

あと、国際線がかなり小さいので、
京急線など列車を利用して行ったら
駅が国内線のターミナルにしかないので、
そこから、無料往復バスに乗らないといけないのも面倒。

今年中には新しいターミナルが完成する
みたいだから、そうなるともっと便利かな・・・

いや、そうなると、15分で搭乗口まで行けなくなるか


mailお知らせ

北京でこのココログがアクセスできない状況が続いているので、
4月1日から「アメブロ」でもブログを始めることにいたしました。

Emmyの中国北京道中記-EmmyBroad"Band"Cast
http://ameblo.jp/emmybbc/

徐々に中身も変えていきますので、宜しくお願いします。

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国境"歩いて"ベトナムへ3(中国・河口-ベトナム・ラオカイ)

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いかにもベトナム、という感じの朝食風景。ライスペーパーも手作り。)

ベトナムと中国の時差は1時間。
わずか300メートル足らずの河を越えただけで、
太陽は正当な時間(朝7時ごろ)?に昇ります。

夕べ、中国・河口から歩いて国境を越えてやってきたベトナム。
この至近距離でも、既に看板はすべてベトナム語。
人の話す言葉もベトナム語。通貨はドン。時差は1時間遅し。

不思議な感覚ですが、何はともあれ異国情緒を味わっています。

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朝食も、やっぱりフォーをいただきました。

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ここのフォーも20ドン。でも、中国元で6元。換算は店それぞれ。

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そして、昨日と同じカフェで、ベトナムコーヒー
冬なのに、オープンカフェでくつろぐ人たちがいて、夏みたい。

ロハス~♪

中国時間で13時発のバスまで時間があるので、
昨夜は行けなかった繁華街まで、足を伸ばしてみました。

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この橋を渡ると、ラオカイの繁華街です。

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橋からは、中国・河口が見えます・・なんだか遠い国みたい。

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泊まったホテル周辺よりも、はるかに賑やかな街中へ。

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市場もあって、ベトナムの食材が溢れていました。
珍しい野菜や豊富な種類のお米が売られています。

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「恥ずかしいから撮らないで~」
照れ笑いのお姉ちゃんが裁いていたのはでした・・・

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「おい、これも撮ってくれよ~」
お兄さん、赤ちゃんを乗せたリヤカーを持ってきました。

なんだか、中国の人たちより明るいのは、南国ならでは?

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渡ってきた橋を戻ると、隣でなにやら工事が・・
それにしても、人道的な工事ですね。怖い・・・
写真を撮っていると、工員の一人が「こっちにおいでよ~」
と招いて来たのですが、「おつかれさまーー!」と退散。

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あの工事で作っているのは、道路か、はたまた鉄道か?
河口とラオカイには、かつては鉄道がありましたが今は廃線。
日本にある我が実家も線路沿いだけど、ここまで近くはない。

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のんびりしたベトナム散策を終えて、ホテルそばの売店で
コーヒーとお菓子類など、お土産を買ってチェックアウト。
預けていたパスポートも、無事に帰ってきて一安心。

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ホテルのあるとおりからメインどおりへ出ると、そこが国境。
ベトナムの出国審査もわずか1分で終了。さらば、ベトナム!!

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昨日と同じ橋を反対方向に歩いて、中国・河口のゲートをくぐる。
そして、入国審査・・・で、再び物入りが入ってあーだこーだ説明して、
20分くらいかけてやっとこ入国スタンプを押してもらいました。

出国も入国も、普段住んでいる中国の方が手間かかるってナゼ!?

ともあれ、無事に入国できたので、これまた一安心。

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出国審査を待つリヤカー行列の横には、
ベトナムでは食べられなかったベトナム春巻き
(中国語で越南春巻)
を売るおばちゃんたち。

ここでリベンジ、とばかりに1本購入(1元)してみましたが、
結構油っこいですね。ベトナムとはちと違うかもしれません。

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河口側のベトナム風マーケットがターミナルの北側にあったので、
名残惜しそうにここも散策。珍しい果物を眺めて最後の異国情緒。

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すると、おお!民族衣装を着たおばちゃんたち!!
異国情緒が、あっという間に中国へ戻されました。
河口は「ヤオ族」の街なんですが、あの衣装は「ミャオ族」ですね。

13時。昆明行きのバスに乗車。

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なぜか蒙自の高速を降りたところで、バスを乗り換える羽目になり、
かつ山道では大型のトラックで渋滞。着いた時には夜も夜の22時

行きより時間がかかったけど僻地の東部ターミナルは
既に路線バスが終わっているということで、宿泊予定だった
街中の宿まで、大型バスに乗ったまま送ってくれました。

"ゲートをくぐって1分でベトナム!"な、不思議な海外旅行。

中国はこの他にも、ミャンマー、北朝鮮、ロシア、パキスタン、ネパールなど
いろんな国と陸続きで国境を挟んでいるので、また試してみたいと
心ひそかに、次の旅をもくろんでいたりするのでした。

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(バスで見た夕暮れ。夜7時ごろ)

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国境"歩いて"ベトナムへ2(中国・河口-ベトナム・ラオカイ)

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雲南省の昆明からバスで7時間南下してたどり着いた河口。
そこから、ソンコイ河を渡って国境を越え、ベトナム・ラオカイへ。

無事に??中国側の出国審査を終え、いよいよベトナムへ!

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ソンコイ河(紅河)に架かるモイ・キエウ橋(中越公路大橋)
中国側で商品を仕入れたリヤカーの人や手荷物一杯の人が歩く。
私のような、ぶらり旅行者風な人間はかなり少ないと見た。

そういえば、出国審査に並んでいた人たちも、手にパスポートでなく
「通行許可証」を持っている人ばかり。国境の町に住んでいる人が
もらえるものなのだろうか。あれはすんなり審査を通ってた。

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モイ・キエウ橋は全長295メートル。普通に歩けばわずか1分。
ゲートをくぐって歩いて1分の外国・・・って不思議。
日中間の飛行機はおよそ3~4時間。こんな至近距離に
違う国があるなんて、本当に世界は広くて狭くて、イメージできない。

もちろん、写真をとりまくって普通に歩かなかったけど・・
警備員のお兄さん達に、突っ込まれながら仲良く渡航?

写真寄り道で時間をかけたものの、いよいよ橋も終了。
ベトナムのゲートをくぐって入国審査へ!

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今度もまた、どこかで引っかかったらどうしよう・・ドキドキ。
入国カードに、必要事項を記入。ベトナム語と英語しかない。
名前・パスポート情報・諸々・・・と、今夜の宿泊先を記入。

「宿泊先は、どこでもいいから書いておかないと入国できない」
と、事前にネットで調べていたので、ピックアップしていたホテル名と
住所を記入。でも、せっかくならば本当に今夜ここに泊まろうかな?

ちなみに、日本人はビザなしで15日間滞在できる。
「出国時の飛行機チケットを持っていること」などが条件にあったが、
どうやら国境のこうしたところでは関係ないようだ。

記入を終えて、審査の所へ。

「(書類を見て・・)後ろにも自分のサインして。」
「あ、後ろがあったんですね(その場でサラサラ)」
「OK」
「え?あれ?」

思った以上に、あっさりと入国審査通過。中国出るより簡単。

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べ・・・ベトナムだぁ!! 人生、11カ国目・地域となる海外です。
(行った順に、マレーシア・シンガポール・インドネシア・台湾
中国・アメリカ・香港・マカオ・インド・タイ・・・ベトナム。アジアばかり)

国境を越え、入国ゲートをくぐると、やはり感動を覚えます。
さあて、どんなベトナム世界が待っているのだろうか。

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と、入国ゲートの外側では、無数のバイクタクシーの客引きが
「お姉ちゃん、どこ行くの?乗ってきな」と、中国語で話しかけられ

「あ・・・ベトナムとはいえ、ここは国境の町だった」

しきりに「不要(要りません)」と言って逃げるように退散。
それでもしつこくくっついてくるので、近所にあったホテルへ非難して、
宿の交渉をするふりをして振り払いました。これも、中国の小都市を
旅しているときに味わったのと同じ感覚なんですが・・・。

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逃げるように飛び込んだのもホテル。
歩けど出てくるのは全部、ホテル。国境の町だけに宿、多し。
なんとなく大きくて清潔そうなホテルを見つけ、ここの宿を聞くことに。
フロントのおばちゃん、たぶん中国語は無理かな・・・と、英語で質問。

「Do you have any vacant room?(空いている部屋はありますか?)」
「・・あ・・え・・」
と、ジェスチャーで向かいでたむろっているおじちゃん達の所へ誘導。

向かいは中華料理店だった。おじちゃんに、今度は交渉。
「有没有空的房間マ?(空いている部屋はありますか?)」
「有!50元!(あるよ、50元ね)」
おじちゃん、ホテルのことわかるんだ・・・すんなりチェックイン。
フロントで、パスポートを預けさせられるのがちょっと不安だった。

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ベトナム風の雰囲気漂うお部屋でした。
50元(700円位)にしては、インフラ関係はちょっと不便だったけど、
今回の旅は大体50元前後だったし、雰囲気で良しとしよう。

というか、ここで気づいた。「両替するのを忘れてた・・・」

このホテルは中国元でも大丈夫だったけど、この先夕飯食べたり
お土産買うときは、ベトナム通貨の「ドン」がないといかんでないかい?
でも、すでに夜が始まっていて、今更両替などしようものなら、
それこそ夜だけに「闇両替」しかいなくなるだろうし、怖いから・・・。
中国元で利用できる店を探して、使うことにした。

近所にカフェ発見。中国語で「珈琲」と書いてあるから、元使えるかな。

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出てきたのは期待どおりのベトナムコーヒー。中国元で7元でした。
初めて飲む本場ベトナムコーヒーに感動。
ゆっくりと、雫となって練乳の上に落ちてくるコーヒーを見つめ、
ベトナム気分を一人でかみ締めます。

続いて、ベトナムフォーを食べられる店へ。。。と、思ったけど
メイン通りを歩けど、食堂少なし。やっと着いた店もフォー、なし。
という以前に、日本で普段使っている「フォー」の発音は違うらしく
何度「フォー」と言って、「PHO」と書いても通じない。

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小さな屋台の中にあるような店で、やっと「あるよ」といわれ、
1杯20ドンのフォーを「中国元で7元」でありつくことができました。

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家族経営なのでしょう。子供も同じ場所で遊んでいて可愛い。
お母さんらしき、フォーを作ってくれた人もニコニコしてくれました。
中国の店員さんよりも、愛想はいいかもしれません。

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やっといただけました、本場のフォー。
柚子をかけて食べるこの味が、やさしく心にしみました。

おいしくいただいて、10元を支払う。すると店員さん、
「中国元の細かいのがないから」と、10ドンを返してくれました

おお、これがドンですか!!
・・・単純計算で、10ドン=3元(30ドン=10元)という感覚なのかな?
昔は、インフレーションで中国元-ベトナムドンの数字は桁違いで
違っていたと聞くけど、途中でデノミレーションがあったようだ。
お金のことはよくわからないけど。

ともあれ、お金のこと以外では、英語も中国語も通じないベトナム。
これまでも、中国人のいる国&英語が通じる国しか廻ったことが
なく、同じ感覚を味わったのは、昨年寄り道したタイだけだけど、
こうして言葉の通じない場所へ来たという感覚、ちょっとスリルです。

この国境の町は、ビールの飲めるバーがたくさんあって、
ピンク色をした派手なネオンはキラキラしていたけど、
それ以外のマーケットなどは夜早くひっそりと閉まっていたので、
私も一人近所の売店でビールだけ買ってホテルへ。

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いかにもベトナムな、「ハノイ(HANOI)」ビール(4元)
テレビは全部しっかりベトナム語。
女性キャスターは全員、ベトナム民族衣装のアオザイです。

中国語のテレビは全然見られなかったけど、面白いことに
携帯電話の電波は、しっかりとアンテナ全部表示!!
「!!携帯使える!?」 思わず、友人にかけて驚かせました。
「今、ベトナムにいるんだよ~ん」 「嘘だぁ~」 これも記念です。

こうして、初めて訪れたベトナムの夜は更けていくのでした。

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夜の国境ゲート。夜8時まで徒歩の人も通れるらしく、
ライトアップされていました・・・。

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国境"歩いて"ベトナムへ1(中国・河口-ベトナム・ラオカイ)

1月5日

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午前8時の昆明の空。

昆明駅で火車を降り、近くの南窟ターミナルまで真っ暗の中歩き、
7時の開門を待って、やっと切符売り場のところまで行ったところで、
「そこへ行くバスは東部バスターミナルに変わった」と一言。
またも怖い真っ暗の駅前を歩き、やっと東部バスターミナル行き
60路のバスを見つけて乗り込んだ時に迎えた朝焼けです。
現場まで来ないと何もかもわからないのが、中国です。

中国は横に広長い大陸なのに、時刻は北京時間1つしかない。
西部地域など、日の出と日の入りの感覚が生活サイクルと
ややずれている気もするのだが、統一の好きな国故仕方ない。

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真新しい東部バスターミナルは、僻地も僻地にあった。
雲南省の東南方面へ行くバスがこっちに集められたようだ。

ここで切符を購入。行き先は・・・「河口(He Kou)」

河口は、雲南省の南端にあって、巴馬県同様「ヤオ族」の街。
バス代は136元(+保険料2元)と高め。さすが430キロの距離。

ここからバスに乗り込んで河口へ。
そして、今回挑戦する行き先は・・・国境越えてベトナム

この南端の街・河口はベトナム・ラオカイと国境を挟んでいて、
間にかかった橋を自分の足で歩いて越境できると聞いていた。
果たして私でもできるのかと、ドキドキを胸に秘めての出発。

海南島、巴馬、初めてでかつドキドキした場所をとことん
踏みしめて来た今回の旅だけど、これはドキドキのクライマックス。
これが終われば、この旅は無事に終わったも同然である。

ただ退屈な時間を流す他の現地の乗客の中に、
気合入りまくりの日本人娘1人を乗せたバスは1時間後、
まずは世界遺産である「石林(ShiLin)」のカルスト地形の間に。

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おお!これが石林の世界遺産・カルスト地形か!!
このカルスト隆起が特に激しいあたりは観光地と化し、
入場料を200元も取ると聞いていたので行こうか迷っていたけど、
この景色をここで見られるならば、行く必要はなしと結論づけた。

途中休憩と昼食を二回挟んで、山道を4時間くねくね走り、
蒙自あたりから高速道路へ乗ってさらに3時間。

青いビニール袋をかぶったバナナの木が山の斜面という
斜面の間にずらーーーっと並ぶ中を突っ切って、
※どうやってここまで人は来られるんだろう・・と感心。

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バスは無事高速・「河口」料金所を通過。

そこで、いきなり検問が・・・「防辺」ってなんぞ!?
公安のお兄さんが入ってきて、乗客1人1人の身分証を確認する。
日本人パスポートを渡すとお兄さん、私のパスポートだけ持って

「等一下(ちょっと待て)」と行って、バスを降りていった。

(え、ええーーー!? なんで、私のパスポートだけ、ぼ、没収!?)
一瞬、頭の中が混乱。
私はこのまま「おまえ、ここで帰れ」とか言われて、
念願のベトナム行きがまたいつぞやの夢をなるのだろうか・・。

でも、警察に捕まって拘留されるよりは、
ここで素直に帰された方がまだましだしな。。などと考えていると、
やっとお兄さんが帰ってきた。が、パスポートを返す風もなく、

「你需要去ロ那里(どこへ行くんだ)?」と質問。

「はぁ?・・・河口だけど」
「河口、ね」

で、間に挟んであった「在外選挙人証(日本で選挙がある時に、
海外にいる人が大使館などで選挙をするときの証明書)」
を、
丹念に見始めている。んなの、ここじゃ関係ない書類です。

「これは、なんだ?」
「え、日本には選挙があって、選挙のある時私は北京の
日本大使館にこれを持って行って選挙をします。」
「ほぉ・・選挙、ね」

続いて、その間に挟んであった「証明写真」
更に挟んであった「中国の友達が撮った私のポラロイド写真」
更に挟んであった「家賃を大家に振り込んだ時の銀行の控え」
を、ジロジロと丹念に見ていく。

(もう・・そんなの丹念に見たってしょうがないよ!!)
※挟んでおく私も私だが。

というくらいにジロジロと見た挙句、「はい」と、
パスポートを返してくれた。 なんだったんだ?
単に、日本のものが珍しかっただけなのだろうか・・・

ほどなくしてバスは再び出発。15分も走ると、街中へ。
ターミナルに到着する寸前・・・「中国河口」と書かれた国境ゲートが

こんなに、近いんだ!! 一瞬の出来事に驚き感動する日本人。

昆明を出てから7時間半。
17時15分。やっと着いた!ベトナムへの扉・河口!!

・・・

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バスからも見えたように、国境のゲートは、
ターミナルのすぐ裏にあった。まずは歩いて、ゲートそばへ。

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コテコテ中国デザインのゲートと違って、奥に見える
ベトナムのそれは、かつての植民地時代を思わせる
欧州風デザインの横文字ゲート(ベトナム語だけど)。

遠くからも、そこが異国であることを実感する。

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ソンコイ河(紅河)に架かるモイ・キエウ橋(中越公路大橋)は、
2001年にベトナム・中国の友好の証として出来たそう。
全長295メートル。このわずか300メートルにも満たない所に
違う国があるなんて、島国・日本人にはイメージできない。

でも、目の前にあるのが国境で、その向こうにあるのが異国
というのは、変えることのできない事実なのである・・・のだ。

本当ならば、今夜はここに泊まって、翌日の朝早く起きて
ベトナム入りしようと思ったのだけど、時刻はまだ5時半。
西の国だけに、夕日さえ見えてこない。

「今、行っちゃうか」

明るいうちに、向こうの宿を見つけておけば、
ひとまず安全の面では困らないだろう。

自然と、私の足は出国手続きを行なう建物の中へと進んでいった。

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出国ゲートで、パスポートを渡しスタンプを押してもらう。

が、ここでまた物入りが。

「前のパスポートはありますか?」
「は?いや、これ1冊だけですが。何か問題でも?」
「パスポートは問題ない。でも、この発行地に問題がある。」

パスポートの発行地・・・北京の日本大使館
ビザの発行地・・・日本。 この場所の違いに問題があるという。

確かに私は、昨年6月に北京の日本大使館でパスポート更新した。
その後、日本に7月に帰国してビザを更新した。
発行地が違うことを辻褄合わせるため、控え室へ連行された。

お兄さんは、「大丈夫だよ、めいにゅ~(美女)」と
笑顔で言ってくれたけど、またも私の心はドギマギしていた。

ああ、私はやっぱこのまま「おまえ、ここで帰れ」とか言われて、
念願のベトナム行きがまたいつぞやの夢をなるのだろうか・・。
それ以前に、日本大使館に連絡が入って強制送還させろ、
とか通告されて、強制的に北京にいられなくなるのか・・

でも、警察に捕まって拘留されるよりは、
ここで素直に帰された方がまだましだしな・・
などと考えていると、やっとお兄さんが帰ってきた。

言葉のとおり、「OK」と、パスポートを返してくれて、
そこにはちゃんと「出国」のスタンプが押されていたのだ。

やった!! これであの橋を渡れる!!

ベトナムでスリルを味わうつもりが、その前に、
この住み慣れた中国に、またもドキドキさせられたのである。

国境を越える時の心得:
1.パスポートを更新したら、1年くらいは前のパスポートも持参する。
2.それ以前に、パスポートはやはり日本で更新する。
3.パスポートには、ごちゃごちゃと変なものを挟んでおかない。

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インドでわしも考えた

ガンジス河の朝日

ガンジス河に昇る朝日と
暗闇で死者を弔うプージャーの祈り

"タージマハル"という巨大なお墓で組んだ座禅

栄枯盛衰を語る遺跡の数々

インドの至る所にある様々な宗教の寺院で祈る無数の人々

原色のバザールで生活を共にする人と、
牛と、犬の洪水

宿命のカースト

夜行列車のホームで寝食し席を争って待つ人々の
その行きつく処への想い

生と死を、そして人生をわかりやすく見せてくれる国

インド、そのものが生きている

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【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ14:ただいまニッポン!まずやりたいことは・・・

いよいよ今日は帰国、という1月24日。
朝5時。モーニングコールでお目覚め。

6時半、ホテル⇔空港のシャトルバスが出発。
空港でちょこっと「タイにも行ってきたんですよーーー」
とアピールするためのお土産を少し購入。

父親には、「タイガーバーム」という肩こりの塗り薬。
これ、父が25年前に香港へ社内旅行で行った時のお土産でした。
#懐かしんでもらいました。

定刻どおりに、8時半にフライト。

Img_6845

6時間の空の旅を無事に過ごし、
時差2時間を合わせて16時・・・終に成田空港へ到着。

成田空港で日本語を聞くと、私の外国語頭は瞬時に日本語に戻り、
「日本に帰って来たんだ~」という感慨を覚えます。

これは、北京から帰ってくるときも同じです。
だから英語も中国語もすぐに忘れるのか・・・

長かった・・・夢のようなアラビアンナイトは、ここで終わりました。
この1週間、非日常的な時間を過ごしたと同時に
旅先で一緒に過ごした人との、不思議な空間が余韻に残りました。

異国を訪れる時はいつも、心の中に違う自分が生まれます。
それは、いつにも増して「親兄弟がいないこの土地で死んでたまるか」
という、生への執着。北京でも常に意識していたことだけど、
今回は、そんな生死について深く考えさせられるインドへ行ったからこそ、
「生きている」ことを改めて認識し、
自分が生きていることへの感謝を禁じえませんでした。

やっぱり、「インドでわしも考えた」

・・・ということを想いながら、
インドで一番できなかった「あったかい湯船でゆっくり風呂に浸かる」
ことがしたくなって、冬物の荷物を置かせてもらった家の近くにあるスーパー銭湯へ。

ゆっくり風呂に浸かって、本当の本当に、日本に帰ってきたのでした。

嗚呼、風呂文化ニッポンに、万歳!

そんな活力を取り戻して、もう一言。

「我再一遍想去印度!(もう一回、またインドに行きたい!)」

あれ?これ、英語でなんて言うんだっけ???

(終わり)

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【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ13:もう慣れてるから・・・タクシートラブル

朝8時。
出発前に、最後のメインバザールを見物。

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牛さんたちに別れを告げて、タクシーは一路空港へ。

流れる景色の中に、空港と街中を結ぶ線路が・・・

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今度来るときには、もっと便利な街になっているんだろうな。
半年以内に来てもだめだろうけど(汗)

痛い思い出で始まったインド・マハトマガンジー空港。

出国審査のカウンターへ行くと、
「これこれ、この書類を書いて出してください」
と、出国カードを渡される。

チェックインの時、何も渡されなかったよ~。
後ろの方に、紙と記入する場所があったとは言うが、
そんなの気づかなかった。

「はぁい、じゃ、あっちで書いてきます」

と踵を返したところ、係員さん「ここで書いていいよ」
・・・確かに行列が全然できてない。

1時間かかった入国の時とまったく違う。

空港は、結構小さくて、登場口は全部で10くらい?

そして11時。
今度は無事定刻どおりに飛行機が離陸。

Img_6786

アラビア諸国を思わせる石の家々を眼下に流し、
インドの土地を後にしたのでした。

さらば、インド!

ラジェンダさん、ラージさん、皆さん、

また来るからね~~!!

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ミャンマー上空あたりで見たから、これは「イラワジ河」かな?
私にはどれも「地球」という回答しかできないけど、
「地球は一つ」ですから、まあ、いいか。

続いて訪れたのは、これまた痛い思いをしたタイ・バンコク。
到着は、これまた無事に定刻どおりの17時半。

スワンナプーム空港は11月のテロなど忘れたかのように、平和。

ここから、今夜予約したホテルまでは
ワン・メーターで行けると聞いて、順番待ちをしていたタクシーに。

タクシーの天井を見ると、ブッダの写真やイラストが一杯!
「わ!あなたは仏教徒ですか?」
と尋ねると運転手さん、「Yes!」と元気に返事。

テンション高い運転手さん、そのまま走り続け・・・
目印だったはずの「セブンイレブン」を遠慮なく通過!!

「おいおいおい、今、過ぎたよ!」

「ノー・プロブレーム!」と、走り続ける。

いや過ぎたって!

こいつ、ぼったくりか!!

とっさに「Turn!」と何度も主張するが、延々と走る走る。
何度も何度も「Turn!」と言ってやっと引き返してもらうが、

「Go ahead!」

と言っているのに、無視。
だんだん、運転手の態度が変わってくる。

たまりかねて、携帯電話で宿泊する予定のホテルへ。
「Hello,This is todays guest.
Please tell taxi driver to go to your hotel the road,is OK?」
(本当はPlease tell to taxi driver how go to your hotel かも)

「OK」

ドライバーに電話に出てもらい、道を教えてもらう。
かれこれ、そんなことを2回繰り返し、やっとホテルに到着。

ワン・メーター(35バーツ)と言われたのに、メーターは123バーツ!
道を知らなかったとはいえ、「わざとか?」というほど延々走り続けた行為に
不可解を覚えたので、100バーツ以上は払わないと頑として誓う。

100バーツだけ払って、さっさとフロントへ。

すると、今度はドライバーが血相を変えて、
「メーターは123バーツだ!23バーツ足りない!」と抗議に駆けてきた!?

「なに言ってんだよ!You mistake!我不想交銭100バーツ以上!」

あれ?英語では何て言えばいいんだ・・・・?

ともあれ、中国に住んでいるとタクシーとのトラブルは腐るほど経験している。
#ドライバーにとび蹴りくらったこともあったし。
何しろ今は、こういうのにもっと慣れているホテルの従業員の前。
全然怖くはなかった。

果たしてフロントのおばちゃんがタイ語で、
「あんた、いい加減にしなさいよ!」みたいなことを言ってくれたので、
ドライバーは自分の車を力まかせに「バーンッ☆」と叩いただけで
すんなり諦めて退散。 

こいつ、本当に仏教徒か・・・ブッダが聞いたら呆れるぜ。

何はともあれ、無事にタイで腰を落ち着けられる。

チェックインも終わって、バンコク市内見物へ・・・と、
フロントのおばちゃんに街中までの行き方を尋ねると、
「ここからは、地下鉄の端っこでもタクシーで45分以上かかるよ。
街中のカオサン通りまでは・・・1時間以上かな」

時間がかかることより、渋滞状況とタクシーに抵抗を感じたワタクシ。
即座に「街へ行くのはやめよう、疲れるだけ」と判断。

ホテル周辺で夕飯を食べ、スーパーでお土産を買い、
ホテルでオイルマッサージを頼んで充実した夜を過ごしたのでした。

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タイヤタイ・・・タイの屋台。

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タイスキと、タイ風オムレツ?

インドで色々スリルを味わったから、
最後の夜くらい、落ち着いた方が正解だったかもしれませんよね、ね!

タイは、インド・デリーよりも常夏の国なのか、
宗教の違いか、お姉ちゃん達の服装もノースリーブ。

あまりの暑さに、ホテルの部屋では蚊がブンブン飛んでいて、
ちと寝不足だった、最初で最後のタイの夜を過ごしましたとさ。

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【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ12:インド最後の”アラビアン・ナイト”

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北京市郊外の世界遺産・フマユーン廟へ。

郊外とはいえ、アグラーのファティープル・スィクリートほど
遠い訳ではなく、車で40分くらい。

「中はとても広いから、1時間くらい見たほうがいい」とドライバー。
では、1時間くらい・・と、いうことで、入場。

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いきなり、野良犬が登場!街中の犬と違ってどことなく活発で、
おっかなびっくり!建物の入口を門番のように見張っている
お犬様・・・お願いだから、穏便に、穏便に。

Img_6615 Img_6644

フマユーン廟は、ムガル帝国2代目皇帝のフマユーンが作った、
インドの首都においてムガル帝国を知る唯一というほどの建物です。

他のものは、大体アグラーなどの違う都市にあるから。

どこの建物の中も、棺がモニュメントとして置かれていました。

なんでだ・・・

そんなフマユーン廟に、修学旅行らしきインド人学生の団体が、
「わぁーーーーっ!!」とおおはしゃぎしながら登場。
子供というのはどこも元気だなぁ・・などと思っていると、
一人の子が「一緒に写真を撮ってもいいですか?」と来た。

「OK」と応えて、ならばこちらも・・・と、カメラを渡すと、

クラス中の子供達が大集合!こんな写真ができました。

Img_6653

・・・
見物を終えて、街中へ。
都心部をぐるりと廻ってから、デリー現地の人もお勧めの
最大土産屋「セントラル・コテージ・インダストリーズ・エンポリウム」へ。

Img_6661

7階までの建物が、すべてお土産屋という豪快さ!
大体がインドチックな、、、伝統的なものばかりで、
「これは、日本人は喜ぶかな・・・微妙」という印象もあったけど、
「ガネーシャ」という神様の置物や、アロマキャンドルなど、
小さくて、持ち運びしやすいものをたくさん購入。

買い物の仕組みは、初めて見たやりかたで「??」
レジでお金を支払うと、商品はそのままお預け。
レシートだけ渡され、最後に1階の「商品受け取り所」で
買ったものをすべて受け取るというシステム。

さくっと買って、さっさと帰りたい人には不便かも。

買い物を終えると、あっという間に夜に。

インド門のライトアップを見たかったけど、
ラールキラー同様に共和国記念日(Republic Day)のため、
26日までは近くへいけないとのこと(涙)
ドライバーさんが、走りながら見える所を2回ほど通ってくれました。

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連続シャッターで、このくらいの写真が取れました。
※もちろん、この写真は門の部分だけを切り抜いています。

そ、し、て・・・

「ここまで観光できたんですけど、旅行中に一度、
地下鉄に乗ってみたかったので、帰りは地下鉄で帰ります。
コンノートプレイスで下ろしてください。」

ホテルのあるメインバザールと、
コンノートプレイスが、地下鉄1駅
で行けることを
あらかじめ調べていたので、冒険したかったのである。

するとドライバーは、
「OK.乗ったらメインバザール駅で待ってるよ

あ、いや・・・ホテルまで歩いて帰れますよ。

「いやいや、あの辺りはスリも多いし危険だから、
車でホテルまで帰った方が安全です。安全、第一ね」

とのこと。

そこまで護衛してくれる旅、初めてです・・・

何よりも安全第一ってガイドさんの方が言うとは、
ほんとうにサービスがすごい!
というか、インドってやっぱり危ない国なの???

ひとまず、危ないことは避けよう、と、
駅での迎え時間を7時半と決めて下車。

Img_6700

コンノートプレイス。円形のショッピングモールで、
パルテノン神殿のような柱には電飾がピカピカ。

これまで行ってきた、バラナシやアグラーが
懐かしくなるほどのギャップ。都会の様相をした人々
同じインドとは思えない。

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地下鉄は、日本の技術が導入されているそうです。
乗ってみると、清潔で安全柵などもついていました。

ガンジス河周辺の人たちが見たら
卒倒するんじゃないかな・・・(いやいや)

という訳で、あっさりとメインバザールの駅に到着。
ものすごい人ごみと、本当のごみと、犬がうじゃうじゃ。

入口でハラハラウロウロしながら運転手を待っていると、
目の前に、それは颯爽とやってきた!! 
「Hey!Ride on!」 
・・・まるで、スーパーマンのようでした。

安全無事に、インド最後の夜を過ごす「Please Yes Cottage」へ。
オーナーのラジェンダさんが、「夕飯でもいかがですか」と
誘ってくださったので、ラジェンダさんとの会食を楽しみたい。
と、思った私も「同意!(じゃなくて Agree!)」

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一緒に近くのレストラン、「グリーン・チリ」へ。
アフガ二・チキンに、本場インドカレー(ナン付)をご馳走になって、
お腹はすぐに一杯になってしまいました。

ラジェンダさんが経営する「シゲタトラベル」の由来ともなった
Sさんは(バレてるって・・・)、実は私の古い知り合いというご縁。

その日本人と興した会社は、インドにありながら、
日本人への心地よいサービスを提供してくれる旅行会社、
今や有名なガイドブックには必ず登場するほどになった。

設立当初、2人はどんな思いで会社を興し、
インドで千夜を過ごしながら、会社のことを考えたのだろうか・・・

王様とお姫様のロマン漂う国で見たインド。イスラム。ガンジス。
すべての思い出を走馬灯のように駆け巡らせながら、
最後のアラビアン・ナイトが更けていきました。

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【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ11:突然のサイクルリキシャと中国学生

数日振りのデリー駅。

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列車を下りた所(もちろんホーム)で待っていてくれたドライバーさんと、
シゲタトラベルのある「Cottage Yes Please」へ。

久しぶりに、オーナーのラジェンダさんと再会。
「楽しかったですか?」

いやあ、もう、スリルとスッタモンダの連続で、、、
バラナシもアグラーもドライバーさんが手厚く守ってくださって、
ここまで安心安全に帰ってくることができました。

そして、この日はインド滞在最終日。今日の目的は・・・
初日に、飛行機が降りられず観光できなかった、この街。

デリーを観光しなければならないのである!!

この日行きたいところを、ドライバーさんに告げる。
・ラール・キラー
・ジャマー・マスジット
・フマユーン廟
・コンノート・プレイス
・インド最大のお土産屋
 (セントラル・コテージ・インダストリーズ・エンポリウム)
・アップ・キ・パサンド
 (インド一の高級紅茶店)

で、まずはお昼時だったので、先にメインバザールにあると
ガイドブックで紹介されていた日本語のできるインド人経営の
日本風カフェ「クラブ・インディア」へ。

シゲタトラベルから、にぎやかなメインバザールを通り、
牛を掻き分けながら10分ほど歩くと・・・ありましたありました!

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珈琲ばかり飲んでいたので、ためしに紅茶を注文。

Img_6430

・・・お湯にティーバックを突っ込んだ状態で、15ルピー。
そりゃないよ!!!

とりあえず、おいしく料理はいただいたので、満足。
シゲタトラベルに戻り、車に乗って最後の観光スタート!

先に向かったのは、「ジャマー・マスジット」
駐車場があるそうだ。。。

が、先に「地球の歩き方」を読むと、
12時45分~13時45分までは休憩で入れない。
今はまさにその時間。

「ねえ、今は13時45分まで入れないって聞いているんですけど・・」
と言ってみるが、ドライバーさんはすまし顔で
「大丈夫。ノー・プロブレム」

あれ?大丈夫なの?

ならば大丈夫なのだろう。
現地の人の言葉を信用して、ひとまず現地へ・・・

行くと・・・

「今はお昼休みだから、入れないよ。ノー!」

やっぱり駄目じゃん!!

ドライバーさん、愛想笑いもせずに「駄目なの?」
だから駄目だって、私、今言いましたよ!!

ま、よくあることなので、ノー・プロブレムにしておきます。

というわけで、先にラール・キラーへ。

ドライバーさんは、ちょっと離れた公共駐車場へ移動。
そこで、なぜかドライバーさんは先に下りて、どこかへ消えた。

・・・ん?ん?ん?

で、下りてみると、そこには一人のサイクルリキシャが!

「ラール・キラーには駐車場がないから、
これに乗って行って下さい。では、1時間後にここで」

おーーーーー!そういう話ですか。

で、しっかり100ルピーという金額まで決まっているじゃありませんか。

またも狐につままれたような気分になって、
でも、遠いみたいなので「没方法」、とばかりにリキシャへ。

ラール・キラーは見学するのにどのくらい時間がかかるだろう。
などと考えていると、リキシャの運転手さんが話しかけてきた。
「○○○・・・今はクローズ

ん?はい。マスジットは今はクローズですが。

「22日~26日まで、クローズ」

え?いや、午後になったら開くって言ってましたよ!

何を言っているんだよう。何がクローズなんだよ。
ちょっと不可解な説明に、頭の中がちょっと混乱。

そして、ラール・キラーへ到着。
運転手さんが、「じゃ、入口の写真を撮ったら戻っておいで」

いやいや、見学したいんですけど!

まったくもって、なんで写真しか撮らせないんだよう・・
と、訝しげに門の前まで歩いていくと・・・

Img_6458

ラール・キラーがクローズしていた・・・(汗)

どうやら、インドでは1月26日が共和国記念日(Republic Day)で、
この日に備えて、今日1月22日~26日までは
ここの広場で式典の練習か何かが行われるらしい。

Img_6452

中国の春節も今年は1月26日が元旦。同じ日なので
インドでも旧暦を採用しているのかと思ったら、違うんですね・・・

ドライバーさんたちも、今日知った話だったそうです。

こういうのもまた、インドですから。ノー・プロブレム!!

と、傍らにアジア風の女の子が困った顔をして、
「Today,we cannot see?」と尋ねてきた。

そうみたいね・・と、応えながら、

「Where are you from?」何気に聞いてみると、
「China」

おー!チャイナですか!!

この瞬間、私の外国語頭は中国語にスイッチ!

・・・できずに、英語交じりのシドロモドロ中国語
「あー、I am sorry、じゃなくて対不起
我一直在印度、所以・・・没出来漢語~(中国語が出てきませ~ん)」

とはいえ、少しずつ話していくと、目茶目茶なまでも
中国語が次から次と頭の中に復活してきた
ので、会話になった。

彼女は、春休みを利用して一人旅に来た女子大生。
夕べ着いたばかりで、これから1ヶ月の予定でインドを廻るそう。

で、そのスタートに選んだラールキラーが閉まっていて、
出鼻を挫かれた格好になったわけか。。。

出鼻を挫かれたのは、初日に飛行機が降りられなかった
私も同じこと。インドはこのくらいが、インドなのかも。

なんて話をして、別れた。
「一路平安!Have a nice trip!」

で、決して平安な旅になっていない私も、
再びリキシャに乗って走り始めた。

マスジットの開門まで、まだ時間がある。。。
と、思ったリキシャの運ちゃんが、不思議な所へ。

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こ、この商店街はなんだーーーー!!?

Img_6471

どうやら、ジャマー・マスジットの仲見世通りにあたるらしいが、
(浅草寺の仲見世みたいなものか)なんでこんな所を通すんだ。
運ちゃんはこれを本人なりのサービスだと思っている・・・らしい。

人人人、看板看板看板、商店商店・・しかも渋滞。
リキシャの運ちゃんもぶつかりながら進んでいく。
ぶつかるのも、当然のことらしいが、怖い。

Img_6493

子供達の通学リキシャ。可愛かった。

そうこうしているうちに、マスジットが開門したので、見学へ。
入場料無料。ただし、カメラの持ち込み200ルピー
・・・そのまんま入場料やんけ!

Img_6516

思う存分、撮影させていただきました。

リキシャの運ちゃん、一生懸命走ってくれたけど
非常に効率が悪かったし、要らぬ所まで廻ったな・・・

しかも駐車場で車に戻り、100ルピーを払うと、
「たくさん走ったんだから、もっとくれよ」と来た。

こっちは、効率悪いサービスに苛立ったのに筋違いもいいところ。

「Your work is too loose!」

一言反論してみたら、あっさりと引っ込んでくれた。

「もらえるかわからないけど、言ってみよう。」
という気持ちだったのかもしれない。

最初に決めた値段でも、交渉したものでも、
終わった後で高めに言うのが、インドのお決まりみたいだ。

で、それに対してどのように対応するかは、旅行者次第。
旅行者は考えて、お互い折り合いをつけるように交渉する。

商品を買う時と同じように、こうしたサービスでも、
人と、人のぶつかりあいの結果で値段が決まっていく。

これも、インドである。

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