【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ14:ただいまニッポン!まずやりたいことは・・・
いよいよ今日は帰国、という1月24日。
朝5時。モーニングコールでお目覚め。
6時半、ホテル⇔空港のシャトルバスが出発。
空港でちょこっと「タイにも行ってきたんですよーーー」
とアピールするためのお土産を少し購入。
父親には、「タイガーバーム」という肩こりの塗り薬。
これ、父が25年前に香港へ社内旅行で行った時のお土産でした。
#懐かしんでもらいました。
定刻どおりに、8時半にフライト。
6時間の空の旅を無事に過ごし、
時差2時間を合わせて16時・・・終に成田空港へ到着。
成田空港で日本語を聞くと、私の外国語頭は瞬時に日本語に戻り、
「日本に帰って来たんだ~」という感慨を覚えます。
これは、北京から帰ってくるときも同じです。
だから英語も中国語もすぐに忘れるのか・・・
長かった・・・夢のようなアラビアンナイトは、ここで終わりました。
この1週間、非日常的な時間を過ごしたと同時に
旅先で一緒に過ごした人との、不思議な空間が余韻に残りました。
異国を訪れる時はいつも、心の中に違う自分が生まれます。
それは、いつにも増して「親兄弟がいないこの土地で死んでたまるか」
という、生への執着。北京でも常に意識していたことだけど、
今回は、そんな生死について深く考えさせられるインドへ行ったからこそ、
「生きている」ことを改めて認識し、
自分が生きていることへの感謝を禁じえませんでした。
やっぱり、「インドでわしも考えた」
・・・ということを想いながら、
インドで一番できなかった「あったかい湯船でゆっくり風呂に浸かる」
ことがしたくなって、冬物の荷物を置かせてもらった家の近くにあるスーパー銭湯へ。
ゆっくり風呂に浸かって、本当の本当に、日本に帰ってきたのでした。
嗚呼、風呂文化ニッポンに、万歳!
そんな活力を取り戻して、もう一言。
「我再一遍想去印度!(もう一回、またインドに行きたい!)」
あれ?これ、英語でなんて言うんだっけ???
(終わり)
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ13:もう慣れてるから・・・タクシートラブル
朝8時。
出発前に、最後のメインバザールを見物。
牛さんたちに別れを告げて、タクシーは一路空港へ。
流れる景色の中に、空港と街中を結ぶ線路が・・・
今度来るときには、もっと便利な街になっているんだろうな。
半年以内に来てもだめだろうけど(汗)
痛い思い出で始まったインド・マハトマガンジー空港。
出国審査のカウンターへ行くと、
「これこれ、この書類を書いて出してください」
と、出国カードを渡される。
チェックインの時、何も渡されなかったよ~。
後ろの方に、紙と記入する場所があったとは言うが、
そんなの気づかなかった。
「はぁい、じゃ、あっちで書いてきます」
と踵を返したところ、係員さん「ここで書いていいよ」
・・・確かに行列が全然できてない。
1時間かかった入国の時とまったく違う。
空港は、結構小さくて、登場口は全部で10くらい?
そして11時。
今度は無事定刻どおりに飛行機が離陸。
アラビア諸国を思わせる石の家々を眼下に流し、
インドの土地を後にしたのでした。
さらば、インド!
ラジェンダさん、ラージさん、皆さん、
また来るからね~~!!
ミャンマー上空あたりで見たから、これは「イラワジ河」かな?
私にはどれも「地球」という回答しかできないけど、
「地球は一つ」ですから、まあ、いいか。
続いて訪れたのは、これまた痛い思いをしたタイ・バンコク。
到着は、これまた無事に定刻どおりの17時半。
スワンナプーム空港は11月のテロなど忘れたかのように、平和。
ここから、今夜予約したホテルまでは
ワン・メーターで行けると聞いて、順番待ちをしていたタクシーに。
タクシーの天井を見ると、ブッダの写真やイラストが一杯!
「わ!あなたは仏教徒ですか?」
と尋ねると運転手さん、「Yes!」と元気に返事。
テンション高い運転手さん、そのまま走り続け・・・
目印だったはずの「セブンイレブン」を遠慮なく通過!!
「おいおいおい、今、過ぎたよ!」
「ノー・プロブレーム!」と、走り続ける。
いや過ぎたって!
こいつ、ぼったくりか!!
とっさに「Turn!」と何度も主張するが、延々と走る走る。
何度も何度も「Turn!」と言ってやっと引き返してもらうが、
「Go ahead!」
と言っているのに、無視。
だんだん、運転手の態度が変わってくる。
たまりかねて、携帯電話で宿泊する予定のホテルへ。
「Hello,This is todays guest.
Please tell taxi driver to go to your hotel the road,is OK?」
(本当はPlease tell to taxi driver how go to your hotel かも)
「OK」
ドライバーに電話に出てもらい、道を教えてもらう。
かれこれ、そんなことを2回繰り返し、やっとホテルに到着。
ワン・メーター(35バーツ)と言われたのに、メーターは123バーツ!
道を知らなかったとはいえ、「わざとか?」というほど延々走り続けた行為に
不可解を覚えたので、100バーツ以上は払わないと頑として誓う。
100バーツだけ払って、さっさとフロントへ。
すると、今度はドライバーが血相を変えて、
「メーターは123バーツだ!23バーツ足りない!」と抗議に駆けてきた!?
「なに言ってんだよ!You mistake!我不想交銭100バーツ以上!」
あれ?英語では何て言えばいいんだ・・・・?
ともあれ、中国に住んでいるとタクシーとのトラブルは腐るほど経験している。
#ドライバーにとび蹴りくらったこともあったし。
何しろ今は、こういうのにもっと慣れているホテルの従業員の前。
全然怖くはなかった。
果たしてフロントのおばちゃんがタイ語で、
「あんた、いい加減にしなさいよ!」みたいなことを言ってくれたので、
ドライバーは自分の車を力まかせに「バーンッ☆」と叩いただけで、
すんなり諦めて退散。
こいつ、本当に仏教徒か・・・ブッダが聞いたら呆れるぜ。
何はともあれ、無事にタイで腰を落ち着けられる。
チェックインも終わって、バンコク市内見物へ・・・と、
フロントのおばちゃんに街中までの行き方を尋ねると、
「ここからは、地下鉄の端っこでもタクシーで45分以上かかるよ。
街中のカオサン通りまでは・・・1時間以上かな」
時間がかかることより、渋滞状況とタクシーに抵抗を感じたワタクシ。
即座に「街へ行くのはやめよう、疲れるだけ」と判断。
ホテル周辺で夕飯を食べ、スーパーでお土産を買い、
ホテルでオイルマッサージを頼んで充実した夜を過ごしたのでした。
タイヤタイ・・・タイの屋台。
タイスキと、タイ風オムレツ?
インドで色々スリルを味わったから、
最後の夜くらい、落ち着いた方が正解だったかもしれませんよね、ね!
タイは、インド・デリーよりも常夏の国なのか、
宗教の違いか、お姉ちゃん達の服装もノースリーブ。
あまりの暑さに、ホテルの部屋では蚊がブンブン飛んでいて、
ちと寝不足だった、最初で最後のタイの夜を過ごしましたとさ。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ12:インド最後の”アラビアン・ナイト”
北京市郊外の世界遺産・フマユーン廟へ。
郊外とはいえ、アグラーのファティープル・スィクリートほど
遠い訳ではなく、車で40分くらい。
「中はとても広いから、1時間くらい見たほうがいい」とドライバー。
では、1時間くらい・・と、いうことで、入場。
いきなり、野良犬が登場!街中の犬と違ってどことなく活発で、
おっかなびっくり!建物の入口を門番のように見張っている
お犬様・・・お願いだから、穏便に、穏便に。
フマユーン廟は、ムガル帝国2代目皇帝のフマユーンが作った、
インドの首都においてムガル帝国を知る唯一というほどの建物です。
他のものは、大体アグラーなどの違う都市にあるから。
どこの建物の中も、棺がモニュメントとして置かれていました。
なんでだ・・・
そんなフマユーン廟に、修学旅行らしきインド人学生の団体が、
「わぁーーーーっ!!」とおおはしゃぎしながら登場。
子供というのはどこも元気だなぁ・・などと思っていると、
一人の子が「一緒に写真を撮ってもいいですか?」と来た。
「OK」と応えて、ならばこちらも・・・と、カメラを渡すと、
クラス中の子供達が大集合!こんな写真ができました。
・・・
見物を終えて、街中へ。
都心部をぐるりと廻ってから、デリー現地の人もお勧めの
最大土産屋「セントラル・コテージ・インダストリーズ・エンポリウム」へ。
7階までの建物が、すべてお土産屋という豪快さ!
大体がインドチックな、、、伝統的なものばかりで、
「これは、日本人は喜ぶかな・・・微妙」という印象もあったけど、
「ガネーシャ」という神様の置物や、アロマキャンドルなど、
小さくて、持ち運びしやすいものをたくさん購入。
買い物の仕組みは、初めて見たやりかたで「??」
レジでお金を支払うと、商品はそのままお預け。
レシートだけ渡され、最後に1階の「商品受け取り所」で
買ったものをすべて受け取るというシステム。
さくっと買って、さっさと帰りたい人には不便かも。
買い物を終えると、あっという間に夜に。
インド門のライトアップを見たかったけど、
ラールキラー同様に共和国記念日(Republic Day)のため、
26日までは近くへいけないとのこと(涙)
ドライバーさんが、走りながら見える所を2回ほど通ってくれました。
連続シャッターで、このくらいの写真が取れました。
※もちろん、この写真は門の部分だけを切り抜いています。
そ、し、て・・・
「ここまで観光できたんですけど、旅行中に一度、
地下鉄に乗ってみたかったので、帰りは地下鉄で帰ります。
コンノートプレイスで下ろしてください。」
ホテルのあるメインバザールと、
コンノートプレイスが、地下鉄1駅で行けることを
あらかじめ調べていたので、冒険したかったのである。
するとドライバーは、
「OK.乗ったらメインバザール駅で待ってるよ」
あ、いや・・・ホテルまで歩いて帰れますよ。
「いやいや、あの辺りはスリも多いし危険だから、
車でホテルまで帰った方が安全です。安全、第一ね」
とのこと。
そこまで護衛してくれる旅、初めてです・・・
何よりも安全第一ってガイドさんの方が言うとは、
ほんとうにサービスがすごい!
というか、インドってやっぱり危ない国なの???
ひとまず、危ないことは避けよう、と、
駅での迎え時間を7時半と決めて下車。
コンノートプレイス。円形のショッピングモールで、
パルテノン神殿のような柱には電飾がピカピカ。
これまで行ってきた、バラナシやアグラーが
懐かしくなるほどのギャップ。都会の様相をした人々。
同じインドとは思えない。
地下鉄は、日本の技術が導入されているそうです。
乗ってみると、清潔で安全柵などもついていました。
ガンジス河周辺の人たちが見たら
卒倒するんじゃないかな・・・(いやいや)
という訳で、あっさりとメインバザールの駅に到着。
入口でハラハラウロウロしながら運転手を待っていると、
颯爽とやってきて、「Hey!Ride on!」
・・・まるで、スーパーマンのようでした。
安全無事に、インド最後の夜を過ごす「Please Yes Cottage」へ。
オーナーのラジェンダさんが、「夕飯でもいかがですか」と
誘ってくださったので、ラジェンダさんとの会食を楽しみたい。
と、思った私も「同意!(じゃなくて Agree!)」
一緒に近くのレストラン、「グリーン・チリ」へ。
アフガ二・チキンに、本場インドカレー(ナン付)をご馳走になって、
お腹はすぐに一杯になってしまいました。
ラジェンダさんが経営する「シゲタトラベル」の由来ともなった
Sさんは(バレてるって・・・)、実は私の古い知り合いというご縁。
で、これまた何のご縁か今、彼女は中国の"北京でない都市"で
会社を興していて、出張でその街を訪れた時にもお会いしていた。
「Sさん、元気そうでしたよ」と伝えると・・・
遠い目をしていました。
日本人への心地よいサービスを提供してくれる旅行会社、
今や有名なガイドブックには必ず登場するほどになった。
設立当初、2人はどんな思いで会社を興し、
インドで千夜を過ごしながら、会社のことを考えたのだろうか・・・
王様とお姫様のロマン漂う国で見たインド。イスラム。ガンジス。
すべての思い出を走馬灯のように駆け巡らせながら、
最後のアラビアン・ナイトが更けていきました。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ11:突然のサイクルリキシャと中国学生
数日振りのデリー駅。
列車を下りた所(もちろんホーム)で待っていてくれたドライバーさんと、
シゲタトラベルのある「Cottage Yes Please」へ。
久しぶりに、オーナーのラジェンダさんと再会。
「楽しかったですか?」
いやあ、もう、スリルとスッタモンダの連続で、、、
バラナシもアグラーもドライバーさんが手厚く守ってくださって、
ここまで安心安全に帰ってくることができました。
そして、この日はインド滞在最終日。今日の目的は・・・
初日に、飛行機が降りられず観光できなかった、この街。
デリーを観光しなければならないのである!!
この日行きたいところを、ドライバーさんに告げる。
・ラール・キラー
・ジャマー・マスジット
・フマユーン廟
・コンノート・プレイス
・インド最大のお土産屋
(セントラル・コテージ・インダストリーズ・エンポリウム)
・アップ・キ・パサンド
(インド一の高級紅茶店)
で、まずはお昼時だったので、先にメインバザールにあると
ガイドブックで紹介されていた日本語のできるインド人経営の
日本風カフェ「クラブ・インディア」へ。
シゲタトラベルから、にぎやかなメインバザールを通り、
牛を掻き分けながら10分ほど歩くと・・・ありましたありました!
珈琲ばかり飲んでいたので、ためしに紅茶を注文。
・・・お湯にティーバックを突っ込んだ状態で、15ルピー。
そりゃないよ!!!
とりあえず、おいしく料理はいただいたので、満足。
シゲタトラベルに戻り、車に乗って最後の観光スタート!
先に向かったのは、「ジャマー・マスジット」
駐車場があるそうだ。。。
が、先に「地球の歩き方」を読むと、
12時45分~13時45分までは休憩で入れない。
今はまさにその時間。
「ねえ、今は13時45分まで入れないって聞いているんですけど・・」
と言ってみるが、ドライバーさんはすまし顔で
「大丈夫。ノー・プロブレム」
あれ?大丈夫なの?
ならば大丈夫なのだろう。
現地の人の言葉を信用して、ひとまず現地へ・・・
行くと・・・
「今はお昼休みだから、入れないよ。ノー!」
やっぱり駄目じゃん!!
ドライバーさん、愛想笑いもせずに「駄目なの?」
だから駄目だって、私、今言いましたよ!!
ま、よくあることなので、ノー・プロブレムにしておきます。
というわけで、先にラール・キラーへ。
ドライバーさんは、ちょっと離れた公共駐車場へ移動。
そこで、なぜかドライバーさんは先に下りて、どこかへ消えた。
・・・ん?ん?ん?
で、下りてみると、そこには一人のサイクルリキシャが!
「ラール・キラーには駐車場がないから、
これに乗って行って下さい。では、1時間後にここで」
おーーーーー!そういう話ですか。
で、しっかり100ルピーという金額まで決まっているじゃありませんか。
またも狐につままれたような気分になって、
でも、遠いみたいなので「没方法」、とばかりにリキシャへ。
ラール・キラーは見学するのにどのくらい時間がかかるだろう。
などと考えていると、リキシャの運転手さんが話しかけてきた。
「○○○・・・今はクローズ」
ん?はい。マスジットは今はクローズですが。
「22日~26日まで、クローズ」
え?いや、午後になったら開くって言ってましたよ!
何を言っているんだよう。何がクローズなんだよ。
ちょっと不可解な説明に、頭の中がちょっと混乱。
そして、ラール・キラーへ到着。
運転手さんが、「じゃ、入口の写真を撮ったら戻っておいで」
いやいや、見学したいんですけど!
まったくもって、なんで写真しか撮らせないんだよう・・
と、訝しげに門の前まで歩いていくと・・・
ラール・キラーがクローズしていた・・・(汗)
どうやら、インドでは1月26日が共和国記念日(Republic Day)で、
この日に備えて、今日1月22日~26日までは
ここの広場で式典の練習か何かが行われるらしい。
中国の春節も今年は1月26日が元旦。同じ日なので
インドでも旧暦を採用しているのかと思ったら、違うんですね・・・
ドライバーさんたちも、今日知った話だったそうです。
こういうのもまた、インドですから。ノー・プロブレム!!
と、傍らにアジア風の女の子が困った顔をして、
「Today,we cannot see?」と尋ねてきた。
そうみたいね・・と、応えながら、
「Where are you from?」何気に聞いてみると、
「China」
おー!チャイナですか!!
この瞬間、私の外国語頭は中国語にスイッチ!
・・・できずに、英語交じりのシドロモドロ中国語。
「あー、I am sorry、じゃなくて対不起!
我一直在印度、所以・・・没出来漢語~(中国語が出てきませ~ん)」
とはいえ、少しずつ話していくと、目茶目茶なまでも
中国語が次から次と頭の中に復活してきたので、会話になった。
彼女は、春休みを利用して一人旅に来た女子大生。
夕べ着いたばかりで、これから1ヶ月の予定でインドを廻るそう。
で、そのスタートに選んだラールキラーが閉まっていて、
出鼻を挫かれた格好になったわけか。。。
出鼻を挫かれたのは、初日に飛行機が降りられなかった
私も同じこと。インドはこのくらいが、インドなのかも。
なんて話をして、別れた。
「一路平安!Have a nice trip!」
で、決して平安な旅になっていない私も、
再びリキシャに乗って走り始めた。
マスジットの開門まで、まだ時間がある。。。
と、思ったリキシャの運ちゃんが、不思議な所へ。
こ、この商店街はなんだーーーー!!?
どうやら、ジャマー・マスジットの仲見世通りにあたるらしいが、
(浅草寺の仲見世みたいなものか)なんでこんな所を通すんだ。
運ちゃんはこれを本人なりのサービスだと思っている・・・らしい。
人人人、看板看板看板、商店商店・・しかも渋滞。
リキシャの運ちゃんもぶつかりながら進んでいく。
ぶつかるのも、当然のことらしいが、怖い。
子供達の通学リキシャ。可愛かった。
そうこうしているうちに、マスジットが開門したので、見学へ。
入場料無料。ただし、カメラの持ち込み200ルピー。
・・・そのまんま入場料やんけ!
思う存分、撮影させていただきました。
リキシャの運ちゃん、一生懸命走ってくれたけど
非常に効率が悪かったし、要らぬ所まで廻ったな・・・
しかも駐車場で車に戻り、100ルピーを払うと、
「たくさん走ったんだから、もっとくれよ」と来た。
こっちは、効率悪いサービスに苛立ったのに筋違いもいいところ。
「Your work is too loose!」
一言反論してみたら、あっさりと引っ込んでくれた。
「もらえるかわからないけど、言ってみよう。」
という気持ちだったのかもしれない。
最初に決めた値段でも、交渉したものでも、
終わった後で高めに言うのが、インドのお決まりみたいだ。
で、それに対してどのように対応するかは、旅行者次第。
旅行者は考えて、お互い折り合いをつけるように交渉する。
商品を買う時と同じように、こうしたサービスでも、
人と、人のぶつかりあいの結果で値段が決まっていく。
これも、インドである。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ10:世界の車窓から~インド鉄道編
1月22日。朝6時。
太陽が目覚める前に着いた、アグラー駅。
ちょっと遅れたものの、時間どおりに電車は出発。
特急ならば2時間で到着するものの、
今回選んだものは、各駅停車。3時間半はかかります。
ま、気長に行きましょ、長い人生。
なんていいながらも、ここはインドですから、
そんなこと言わなくても、気長に・・・遅れていく訳です。
夜行列車じゃないので、今回はシート。
壊れていても、ノー・プロブレムです。
ひとまず、窓の風景をご案内。
テレッテッテッテテーレテ~♪
『世界の車窓から』 今日は、インド鉄道からお送りします。
窓が黄ばんでいたので、
どことなくノスタルジーに仕上がっております。
駅。
ホームも、生活の場所になっています。
線路と至近距離で、街が展開されています。
学校も、線路沿いにありました。
牛と、犬と、人が一緒に暮らしています。
今日は、いい天気になりそうですね。
・・・
そういえば、3年前の今頃は、こんな車窓を眺めていました。
中国は、黒龍江省のハルピンです。
http://emmybbc.main.jp/30haerbin1.html
気温差、50度はあるでしょうか・・・
・・・
そして、列車は30分以上遅れてデリー駅へ到着。
ま、これもインドですから・・・
ノー・プロブレム!
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ9:アグラーで演出写真&演説映像
車とリキシャを乗り継いで、やっとたどり着いた
『ファティープル・スィクリート』
その昔、ムガル帝国の5代目皇帝が、
14年間だけ住んだというお屋敷とムスクは、
あまり使われなかったためか綺麗に保存されていた。
そんな廃墟でやったことは・・・
演出写真(汗)
タージマハルに続いて、モデル仕事
・・・でなくて、お馬鹿キャラ全開です。
写真を撮ってくれる人に、自分で決めた構図を教えて、
「こんな風に、ここから構えてね、はい、1.2.3!」
カシャリ☆
かつては、こうやってお妃様が
この風景を眺めていたんだろうな。
と、思うと、ここに佇む自分が、
悠久の歴史へ旅立ったトラベラーになった気分である。
ムスクの前に行くと、勝手に帽子を被らせてくる兄ちゃんがいた。
「中に入る人は、この帽子を被ってください」
はいはい。ふむ、お妃の愛用していたベットか。
・・それだけか。さっと見終わって、退散すると。
「帽子代、10ルピー」
おーーーい。なんちゅう商売じゃ。
でも、まあ癪になるのもなんなので、
「では、一枚撮らせてください。笑って~」
カシャリ☆
お疲れ様でした。
・・・
再び車は、アグラーの街中へ。
タージマハルの時から、運転手の兄ちゃんはしきりに
「マルベル、マルベル」と繰り返す。
「アグラーのお土産はマルベル(大理石:正しくはマーブルだが
ヒンディー訛りでマルベルになるらしい)だよ」
と、何故かマルベル屋に連れて行く。
そして、お店からは暇を持て余していたかのように、
数人の男性がわっと出てきた。
彼らが早口で、マルベルの説明をしだす。
ちょ、ちょっと待って!ここは丁寧に・・
「To tell the truth,I don't need Marble. I want to buy Postcard,tea,,,,」
(実を言うと、私は大理石は欲しくない、ポストカードと紅茶が欲しい)
運転手に告げると、
「こう言っているからさ、先にそのお土産屋に行くよ」
とマルベル屋の兄ちゃんたちに告げて、車を別の店に走らせてくれた。
そして着いたのが、
「The BUDDHA The Teashop」というお店。
紅茶だけでなく、仏教の置物やポストカード、
マグネット、Tシャツなどが揃っている総合お土産センターだった。
オーナーのおじさんは日本語ペラペラで、しかも
「強引には買わせません。信用大事ですから」
インド人もびっくり!・・・いや、日本人がびっくり!
日本人の心を突いているこの人!
申し訳ないけど、お土産は最後のデリーで
買おうと思っていたので、ここではアグラーにまつわる
タージマハルの絵葉書と、マグネットを買って終了。
そして車に戻って、運転手さんに
「お土産はもういいです。大理石は要らない」
繰り返すと、運転手さんも「ノー・プロブレム」
と言って、
夕飯に希望していたピザハットへ連れて行ってくれた。
この運転手さんも、日本人のこと理解している!
後で聞いた話だけど、ガイドや車をセレクトしてくれた
シゲタトラベルのラジェンダさんは、
信頼関係のある人としか契約していないそうだ。
ラジェンダさんとの信頼関係が崩れると、
日本人相手の仕事がなくなる。
なるほどな・・・
ピザハットは、日本で食べる味と同じ。
パン生地の中にソーセージが入ったものをオーダー。
中国のピザハット以上だった。
でも、ビール(1本150ルピー)が一番高い気がした・・・
・・・
ホテルに帰ると、テレビではオバマ大統領の就任式の中継が。
あ、そうか・・今日、アメリカ時間では1月20日。
本当なら、就任式を見に行こうと思っていたんだけど、
気温差30度のインドに来てしまったんだなあ。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ8:ガイドはいらんかいね~?
わ!象さん発見!これ、象のタクシーだそうです。
値段はいくらかわかりませんでした・・・
午後。
車はアグラー郊外の
「ファティープル・スィクリート」を目指して走り出した。
目的地まで、およそ1時間。
初めて見る、インド郊外の風景を窓からじっくり見学。
崩れかかった家。
壁に文字一杯の商店。
野菜や果物の屋台に、
ニワトリ小屋。
・・・うん。
北京の郊外と、結構似たりよったり。
いくらオリンピックで建て直しが進んだとはいえ、
地下鉄の13号線に乗って一番北辺りの駅で下りれば、
このような風景にすぐ出会えるのです。
インドのデリー空港で下りて、メインバザールへ行くまでも、
こういう風景にさして驚きを覚えない自分に気づいたけど、
やばい・・・これでは旅の感動が足りない!
よし、盛り上がるぞーー!おーーー!
「わぁ!ヒンディー語だ!!ヒンディーの看板が並んでる!」
「地平線だ!地平線が広がっている!」
「犬だ!牛だ!ニワトリだ!」
テンションを上げながら、運転手さんと談笑。
この日の運転手さんは、英語があまり得意ではないと
言っていたけど、私より日常で使っていることはわかる。
私に、色々と話しかけてくれた。
「Married(結婚しているのかい)?」
「Oh Nohh!」
この手の質問は、常に聞かれる・・・
中国なんて、もっと盛んに聞いてくる(汗)
・・・
ファティープル・スィクリートが近づいてくると、
運転手さんがこう切り出した。
「この車は、駐車場までしかいけないから、
その先2キロほどの入場口まではリキシャを使ってください」
値段交渉はするまでもなく、一律往復で100ルピー。
「リキシャに乗る所、入場口、至る所にガイドがいて
しつこいから、必要なければ無視して行くように。
ガイドは『タダ』というけど、あとで結局請求されます。」
ふむ。きっと『地球の歩き方』でも熟読していれば、
片隅に載っていそうなアドバイスだが。。。
私は普段、ガイドブックを熟読しない。
そんな奴にとっては、直接現地の人に聞く話が、
語学の訓練にもなって結構ためになってくるのだ。
でも、読んでおいた方が、観光地では歴史的背景を
楽しみながら観光できるから、その分私は損している・・・
果たして、車は駐車場に到着。
たくさんのリキシャが集まってくるが、
運転手さんがセレクトしてくれたリキシャと100ルピーで交渉した。
そして、リキシャを選び抜く前から
わらわらとやってきたのが話の通り、ガイドと称する奴ら。
不要!・・・じゃなくて、No need!
ガイドのお申し込みを丁重にお断りし
(振り払って、とも言う)リキシャに乗り込む。
すると、なぜかリキシャ運転手の横にもう一人男性が。
そして、
「タダで案内するよ。ガイドして欲しくない?」
わあああああ!乗り込んでまで、交渉するかぁ!?
リキシャが走りながらも、延々と宣伝をするガイド。
しかし私はだんまりを決め込む。
不要・・・じゃなくて、No needだってば~。
中国でもわんさかいるガイドも、結構しつこい。
私は中国での百戦錬磨で身に着けた
ガイドを振り払う?とっておきの言葉を思い出した。
「你会説日語マ?」
えーとつまり、
「Can you speak Japanese?」
これでたいていのガイドは、
「我不会説日語・・・(日本語はできないな~)」
と言って、去っていく。結構効果あるみたい。
以前、日本からの友人を連れて故宮へ行った時、
この方法を使ったことがあった。
「你会説日語マ?
他是為旅遊来北京的、所以他不会説漢語」
(日本語はできますか?彼は旅行で北京へ来たので、
中国語ができないんです)
すると、ガイドさん、
「Oh!我不会説日語・・・
你給他翻訳」(あんたが翻訳してあげてよ)
あいよ~。私が中国語をしゃべりすぎた!
何はともあれ、ガイドは要らない。
という先入観が私の中に植え付けられたのも、中国。
インドでも、然り。英語でガイドされても疲れるし、
限られた時間は自分で有効に使いたい。
そのうちガイドさんも、要らないといい続ける私に
「No need?」
「No need」 と応えると、
道の途中であっさりとリキシャを降りていった。
あらら、山道の途中で降りるの?あなた・・・
まあ、そこで次のターゲットとなるリキシャを待つんだろうか。
・・・
乞食に地下鉄の中で手を引っ張られても「ぎょっ」っていう反応もしないこと。
売り込みも、ガイドも、ちょっと返事をしようものなら、
こっちはコミュニケーションを楽しんでいるつもりでも、
向こうにとっては、金の弦。「その気があると思われる」
街角や観光地で、北京生活の先輩から教えられた。
そして、経験を積んだ今、私の心にも張られた防護膜。
コミュニケーションは楽しみたいが、
相手と自分の温度差が違うことを嗅ぎ取ってしまう限り、
どうしても、防護膜を張ってしまわざるを得ない。
この辺、日本から来た人の方が、
こういう人たちと楽しくコミュニケーションをとるんだろうな。
リキシャのおっちゃんと。彼は優しかった。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ7:憧れのタージマハル!そこは巨大な「お墓」
30分遅れで出発した列車は、1時間遅れでアグラーに到着した。
列車での14時間は、にぎやかな上に席が決まっているのに
勝手に色んな人が人の席に座ったりベットを取ったり。
そのほかにも、なにかと大変なことが一杯だったが・・・
なにせここはインドですから。
何はともあれ、アグラー駅に到着すると、
お迎えを頼んでいたガイドさんが、車両から出た所で待っていてくれた。
チケットがなくてもホームに入れるのも、インドですから。
まず先に、宿へ案内してもらいチェックイン。
『タージ・ステイ・ホテル』
ガイドブックにもないホテルだが、
室内は綺麗で、中国の三ツ星ホテルくらいだ。
シャワーのお湯が、10分ほど待って温まり、
15分ほどで出尽くしてしまうのも、中国の古いホテルと一緒。
中国に住んでいる私はまだ驚かないが、
ずーっと日本に住んでいる人はどう思うだろう。
さて、さっそく荷物を置いて、
パンジャビー・ドレスに着替え、出発!
ここでなぜパンジャビー・ドレスに着替えたのかというと、
そう、あのタージマハルのためである!!
演出、です(汗)
タージマハルは、午後になると人が増えるので、
午前中に行った方がいい、とガイドさん。
という訳で、いの一番にタージマハルを目指すことにした。
入口で、この旅の入場料でダントツ一番の高額
750ルピー(1500円)を払い、中に入る・・・
が、まずノート・筆記具・食べ物・薬などは持ち込み禁止!
という話を聞いたので、車の中に残して、入場。
カメラはOK、というあたりが観光地っぽい。
そして、決めてみました!
タージマハルで座禅!!
え、宗教が違う?
いやいや、ここはインドですし、墓場の前ですから。
死者を弔ったのです(完全、宗教がわかっていない)
そう。ここへ来る前は知らなかったのだけど(無知・・)
タージマハルは、かつてインド亜大陸を支配した
ムガル帝国(1526 - 1858年)の第5代皇帝であるシャー・ジャハーンが、
愛妃ムムターズ・マハルの廟墓として、1653年頃完成したものである。
そして、河を挟んで対岸には自分用の黒いタージを
建設する予定だったのだが、途中で自分の息子に
政権を奪われ幽閉され、願い叶わず亡くなったのだとか。
というわけで、あるのは白いタージマハルだけ。
大理石でできた建物に、思わずうっとり・・・
と、ここでドライバーさんがしきりに話す言葉を思い出した。
「アグラーは、マルベル(大理石:マーブルのヒンディー訛り?)を
お土産にするといいよ」
そんなの・・重いし高いし、喜ばれないよ。
と、心の中でぼそり。
隣のアグラーフォート(古城)から、遠くにタージマハルが見える。
そうか。この河の反対側に黒いタージができる予定だったんだ。
夢は散ったけど、王様は奥さんのお墓の片隅に眠っている。
その眠りは、永遠になっているのだろうか・・・
そんな景色を眺めても、本当にここは・・・
タージマハルしか、売りがないのか。
いやいや、悠久の歴史に漂う美を感じるのであった。
しかし、そんな観光地に現れた子供達。
元気に「Give me money」と連呼する。
どうやって、250ルピーの入場料を払ったんだろう。
民工・・・工事しているおっちゃんたちの子供達だろうか。
タージマハルでも、観光に来ていた女の子達と撮影したけど、
彼女達はどうみても身分の高い服を着ていた。
同じ年頃の子供達にも、生まれながらにしてある身分と
それぞれの生活様式。それもまた永遠に続くのか・・・
インドでは、やっぱり考えさせられることが多い。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ6:根深いカースト?乞食の少女と家庭のカレー
ダメーク・ストゥーバ。
日本では見たことないが、仏教のシンボルだって。
仏教の聖地・サールナートも近いので観光したり、
ヒンドゥー教の教堂が大学の構内にあったり、と
宗教のメッカでもあるバラナシ。
このあたりもすべて制覇し、バラナシの旅は終了。
夕方からアグラー行きの列車に乗る。
その前に、ガンガー・フジ・ホテルが
1000ルピー(2000円)でサービスするアーユルヴェーダを経験。
アーユルヴェーダの講師も務めるホテルオーナーのラージさんが
自らブレンドした油を用いて、おばあさんが丹念にマッサージ。
でも、おへその中に油をたらしたり、軽い柔軟体操をさせたり、
で、最後にはおばあさん、「頭、首、背中、胃、脚、ノー・プロブレム」と診断。
ただのマッサージではないようでした。
2時にラージェスさんが迎えに来て、駅まで送ってくれるとのこと。
その前に、ラージさんから、
「お昼は我が家の家庭料理をご馳走しますよ」とお誘いをいただいた。
前の晩も、プージャーを見た後、宿のレストランで夕飯をいただき、
親身にしていただいたラージさんの最後のご好意をいただく。
日本の話に花を咲かせて盛り上がったので、またお喋りしたい。
というわけで、
1階のフロント?前のテーブルへ行くと、おお!これぞ、The India!!
ターリーと呼ばれるインド式カレーがてんこ盛り!
4種類のカレーに、チャパティと呼ばれるパン。
そしてライスをたっぷり乗せてくれて、満足満腹。
カレーの横に、コップに注いだ水を置いてくれたのだが、
これは飲み水だけではなく、手を洗うための水。
使い古したペットボトルから注いだので、手洗い用の比重が高そう。
インドの皆さん、上手に手をスプーンのようにして食事をしてました。
私も挑戦してみたかったけど、やはり断念・・・
鶏肉のカレーを前に、チキンな性格が出てしまいました。
食事をしていた場所が、フロント前だったので、
食べながらも欧米のバックパッカー達が
大きなリュックをかついでどんどん入ってくる。
みんな、手にガイドブックの定番「Lonely Planet」を持って、
ここの部屋はいくらですか?と尋ねている。
カレーをほおばりながら応対するラージさん。さすがインドだ・・・
バックパッカー達は、こうして安宿を廻り、
部屋の質と値段を確認して、その日泊まる場所を決める。
彼らに比べると、いくらこうした宿に泊まり、
電車で都市間移動をしているとはいえ、プチ贅沢な旅かもしれない。
バックパッカー以上、一般ツアー未満。である。
そんな贅沢の一つ、チャーターした車のドライバーである
ラージェスさんが、2時にホテルの前に来てくれた。
最後のお出迎え。車は牛を越え犬を越え、スイスイと駅に到着。
さらば、ガンジス!さらば、ガンガー・フジ!さらば、バラナシ!
また来たい。率直にそう思った。
今度来るときは、ガンジス河でバラフライ!だけでなく、
個人メドレーでもやってみたい。やめろって?
・・・
2時半には着いたのに、列車が来るのは4時過ぎ。
その間、お店もない駅で待つことになった。
荷物もあるので、手前のホームで立っていると、
5歳くらいの小さな少女がやってきた。
少女は、「あー、あー」と言いながら小さな脚を私に見せてきて、
「Give me money」
小さな脚のくるぶし辺りが、ちょっと擦り切れて血が出ている。
それを見せて「これ痛そうでしょ、ね、お金ちょうだい」と言っているのだ。
またか・・・インドに来てから、かなり遭遇しているのが乞食である。
北京に住んでいても、大使館前の通りなどを
マクドナルドのコップを持った乞食風の子供にしつこく金をせびられた。
そんな経験は腐るほどあるので、かわし方には慣れたつもりだ。
だがここで、中国とインドの乞食でちょっと違うのは、
中国の場合、地方出身など住んでいた地域や親の仕事などの
経済的格差に起因することが多いこと。
なので、本人の努力次第では一代で富を築くこともでき、
チャイナ・ドリームという夢を描くことも実力でできる。
しかし、インドの乞食はカースト制度に起因することなのだ。
すでに廃止されているはずの制度だが、生まれた時から
決まっている自身の位を、簡単に覆すことはできない。
いくら頑張っても職業や経済力を変えることはできないのだ。
それが、カーストの運命なのか・・・
そして、乞食はその枠外の「不可触民(アウトカースト)」。
インド人口の1億がこの身分にあるというが、
それだけの人が、乞食だったり身分の低い仕事に就いている。
※ちなみに、外国人女性もアウトカーストにあたるので、
外国人女性は、インド人にレイプされようと殺されようと
関係ないよ・・・と、旅の前に教えられ、引きつったものである。
カースト。。。
家庭でおいしいカレーをなんの苦労もなく食べられる子どももいれば、
自分で日銭を稼がないと食べていけない子どももいる。
理解しないとは言わないが、かといって、お金をあげたらきりがない。
切ないしかわいそうにも見えるのだが、無視を決め込むしかない。
少女は、いくら私が白を切っても、何度も何度も何度も脚を見せてくる。
5歳、いや、3歳くらいなのか・・・言葉が足りない。
持っていた飴をあげると、その飴をしゃぶって喜んでくれたけど、
しゃぶりながらも、「Money,money」。
私のそばから離れようとしない。
なんだか気になって、少女を黙って見ていることにした。
少女はちょっと微笑んで、でも、お金以外の言葉を発せず、
私のそばで階段の手すりに登ったり、しきりに脚を見せて痛そうにしたり。
それでも、黙って見ている私。
少女はたまりかねて、他の人の所へ行って、同じことを始めた。
あまり、人の多いところにいるもの疲れたので、
2階に登ってみると、すんなりとくつろげるスペースを発見した。
眺めもいいし、静かだ。
本を読みながら、列車が来るのを待つことに。
そして5時前。30分ほど遅れて列車がホームに入ってきた。
停車時間中に、自分が乗る車両を見つけて乗り込まなければならない。
「B1」と書かれた車両を探してみると・・・・ない。
行き先も、ヒンディー語のみでわからない。
ホームにいた係員にチケットを見せて、B1の車両を尋ねると、
「6両後ろだ」との回答。急いで6両分走ると・・・やはり、ない。
焦る私。再び戻って、違う係員に同じ質問をすると、
「6両前だ」
・・・おーい、いい加減なこと教えるなーーー!!
果たして6両前に行くと、そこまで係員が来てくれて
しっかりここだよ、と指し示してくれた。
ギリギリセーフ!!
乗り込んだとほぼ同時に、列車は動き出した。。。。
ああ、寿命が縮んだ。インドで過ごす間に何年寿命が縮むだろう。
バラナシにいる間に寿命が来なくて良かった(汗)
それにしても、車両番号くらいはっきり示してほしいものだ。
「A1」「B1」「C2」がまったくもって順番になっていない。
これでは間違っても仕方ないだろう。
こんな間違い回答をしても、
インド人は「ノー・プロブレム」、で、中国人も「没問題」
乗り遅れたら、中国人は「没方法(方法がない)」で、
インド人は「ノー・プロブレム」
インド人の方が、いささか楽観的である。
列車に乗り込むと、またまた隣のベットは
あの2人組のお姉ちゃんだった。
「列車の入るホームがどこかわからなくて、大変でした」
The India!!
やっぱりここは、インドなんですね・・・
呑気に列車の写真など撮っている場合ではなかった。
ガンジス河【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ5:ガンジス河で、星達と眠り太陽と目覚め・・・
夜6時。
ガンジス河の「Kadar Ghat」から、小型のボートに乗り込んだ。
(Ghat:ガート、沐浴場)
ここから、死者を弔う儀式である「プージャー」を観覧するのだ。
と、船が出帆する直前に小さな男の子が乗り込んできた。
男の子は慣れた手つきで花が散りばめられた小さな器に火をつけ、
「これは、灯籠です。一つ10ルピーです」
などと言いながら、2つ置いていったではないか。
気がつくと、20ルピーを払っていた私も私だが・・・
船漕ぎのお兄さん・アジェは、男の子の出現が当たり前のことのように、
「適当な時に、河に流してください」と説明した。
狐につままれたようだが、
なんだか、さだまさしの「灯籠流し」が頭に流れてきた。
どこかほのぼのした気分で、一つ、また一つ、と流してみた。
きょーーねんのあーーなたのおーーもいでがーーー♪
この河には、たくさんの遺体が流れている。
それは同時に、たくさんの魂が流れていることなのだ。
炎とともに、天高く成仏して行ってください・・・
船漕ぎのお兄さんも、一種のツアーガイド。
1978年に大洪水が起き、ガートのてっぺんまで水かさが増え
把握できないたくさんの遺体がガンジス河を流れたことや、
1キロあるという川幅を教えてくれた。将来の目標は、というと・・・
マッチョになること。
・・・船、毎日漕いでいるから十分マッチョですよ、あなた。
1時間後に、船はプージャーの見える
ダシャー・シュワメード・ガートに到着。
外国の観光客を乗せた船がたくさん、ひしめきあっていた。
見える場所で船を寄せて、そのまま観覧席に。
川沿い側のお客さんも加えてにぎやかな中、始まった。
死者を弔う祈りの儀式。明るい炎と派手な音楽。
なんだか、幻想的な風景に包まれたようだった。
・・・
船が元のガートに戻ると、待っていたラージェスさんが
シルクのお土産屋へ案内。
ここで登場したのが、日本語の堪能なミントゥー君。
「なんで日本語がそんなに上手なんですか?」
「いやあ・・・日本語は趣味で勉強しました」
趣味でここまで上手に話せるんですか!?
というほど、流暢に話す彼は、昨年長澤まさみ主演のドラマ
「ガンジス河でバタフライ」がロケに来たとき、コーディネーターを務めたそうな。
ロケ現場の写真を見せてもらうと、水泳部出身としては
「私も、バタフライしなければ!」という思いに駆られたのだが、
冬&夜、加えてガンジスの水はコレラも赤痢も負けるほど
・・・と言われれば、中国に帰って発病した時に
なんの保障もできない、と思いためらったものである。
日本に帰ってから、映画を探したけど見つからなかったので、
原作本を買って中国で読むことにした。
・・・
そして、翌朝はこれまた6時。
ホテルの前に、ラージェスさんが迎えにきてくれていた。
暗闇の中、懐中電灯を照らしながら、ホテル前の通りを歩く。
通りのあちこちには、野良犬が眠っていて踏んづけようなら噛まれる。
※噛まれると、狂犬病の恐れもあって病院行きになり面倒なのだ。
このほかに、牛の○○○も散乱しているので、注意が必要なのである。
ま、踏んづけたら「ウン(運)がついた」ってことで、いいけど。
車は再び、昨夜と同じ「Kedar Ghart」へ。
そして、昨夜と同じアジェが船を漕ぎ出すと同時に、
昨夜と同じ男の子が、灯籠を売りにやってきた。
別れ行く月夜に、灯籠を・・・今度は一つ流した。
月が見えたってことは、朝日も見えるかな?
と、期待して船は再びプージャーを見たガートへ。
日が昇る前から、川沿いには沐浴をする人がいっぱい。
冬のバラナシは、ひとまず10度くらいまで下がると言うが、
寒くないのだろうか・・・ちなみに私はパーカーを羽織っている。
「Do you feel cold!?(寒くないんですか!?)」
思わず沐浴するお兄ちゃんに聞いてしまったが、
愚問のようだった・・・
お兄ちゃん、余裕で手を振っている。
なんてものを見ているうちに、朝7時。
待ちに待った朝日が、昇ってきた!!
下の方は霧が立ち込めていたのだろうか、
かなり高い所からのご対面だったが、見られただけで満足である。
星達と眠り、太陽と目覚める。
ゴダイゴの『ナマステ』という歌がまさに合う・・・
飛び込まなくても、ガンジス河と共存できた気分だった。
・・・
船で移動していると、何度となく現れた
「バザールでゴザール」のお土産船。
お兄さん、どこでその日本語を習ったんですか・・・
ガンジス河の水を汲んで帰れる小さな容器と絵葉書セット。
値切り交渉して150ルピーのところを100ルピーで購入しました。
今、ガンジスの水は北京の家に飾っています。はい。
ガンジス河の祈り【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ4:ガンジス河の祈り
ガンジス
それは、生と死が共存するところ・・・
太陽と目覚めて星たちと眠り、
優しい顔と、漆黒の運命が行きかう河(まち)
旅のメインイベントはここにあり!
と、決めていた私にとって待ちに待った場所である。
果たして、ガンジス河には幾人の魂が流れている
のだろうかと、胸をドキドキさせながら、
バラナシの旅先案内人・ラージェスさんが運転する車で
街中を走っていく。
・・・・と、途端に私の目に飛び込んできたのは
「シーナ・ワールド」ではないか!!
狭い道には、人人人人牛牛牛牛犬犬犬犬・・・
そこへバイクと車と三輪車が文字通り所狭しと蠢いている。
ガンジスには、死を求めた無数の人が、
死ぬことを待つために流れ着くと言うが、
それにしても多すぎる!
牛も犬も、自分の意思でやってきたかのような集まりようだし。
と、いうわけで、車は広めの道路で停め、
ホテルまでは歩いていくことになった。
細い路地をくねくねくねくね・・・
商店という商店をうねり歩いて、
一度では覚えられないような道を歩くと、
やっと辿り着いたのが、今夜お世話になるホテル。
『ガンガー・フジ・ホテル』
オーナーのラージさんは、日本でアーユルヴェーダの
教室を開いており、日本語堪能。
ガンガー+日本の富士山を足してこのホテル名になったんですな。
泊まった4階の部屋からの眺めは最高。
遠くに、ガンジス河が見えました。
・・・
せっかくガンジス河の街へきたのだから、
ちょっとインド人風に街を歩いてみたくなったワタクシ。
※と、いうか暑いと思ってパーカー以外は、すべて半そで
&ノースリーブしか持っていなかったところ、宗教上
「女性は腕を隠した方がいい」と指摘されたので気にした。
ラージさんに教えてもらい、従業員のお兄ちゃんに、
ホテル近くの布屋さんに案内してもらう。
そう、この布屋さんでは、インドの定番スタイルである
パンジャビー・ドレスをオーダーメイド並に作ってくれるのだ。
布屋に入ると、私の他に日本人のお姉ちゃんが2人先に来店。
あ・・・このお姉ちゃんたち、さっきホテルで一緒にチェックインした。
ちなみに、デリー→バラナシの夜行でベットが隣だった・・
こんにちはー。と、軽く挨拶をしてから、お店の親父さんに、
「パンジャビー・ドレスを見せてください」というつもりで、
「Please give me see neige(那個) Punjabi dress?」
・・・・、あ!!
またやってしまった・・中国語混じりの英語。
すると、お姉ちゃん達が「ほぉおおお」という顔をして、
「すごいですねー」
え((^^;;;; 那個、入ってますが・・・
「いやあ・・・実は普段、北京に住んでいるので、
私の英語には中国語が無意識に入っちゃうんですよ」
自慢にならないように、たじたじと応える。
いや、ひょっとすると北京に住んでいるということも自慢なのかな?
日本人らしい謙虚な表現を使うのって、難しい・・・(汗)
店主の親父さんは、「OK!ノー・プロブレム」
と、私にいろんなデザインのドレスを見せてくれた。
先にオーダーしていたお姉ちゃんに
(お姉ちゃんとはいえ、大学生の卒業旅行というくらいの若さ)
1.まずは、店内にある商品を見せてもらい、
2.気に入った商品を、自分の体に合わせて調節してくれる。
という流れを聞いて、私もそれに従い
日本でも中国でも着られそうなデザインのものをセレクト。
ちょっと大きめだったので、全体的に細く縫い直してもらう。
10分くらいで、完成。
その間、値段交渉に。
・パンジャビー・ドレス 300ルピー
・チュニック(ズボン) 200ルピー
・スカーフ 350ルピー
・親父さんの笑顔 0ルピー
一共・・・じゃなくて全部で850ルピーのところを、笑顔で
800ルピーにまけてもらいました。1600円です。
仕上がりは、満足です。
店の前で
・・・
さっそくパンジャビー・ドレスを着て
歩いて10分ほどの所にあるというガンジス河へ。
目の前に飛び込んできたのは、原色の人人人人・・・
おっと、中国にもいるぞ、こんな子ども。
そして、河沿い全体が「家」であるかのように、
沐浴する人洗濯する人散髪する人洗髪する人、
本当に、人生のすべてをここに置いている人たちで
あふれかえっていたのである。
階段には、犬と牛とヤギもいて、
それが当たり前の風景のようにそこにあって、
すべてが
永遠につながっているような気がした。
近所にいた、インドの子供達と。
・・・
やっぱり、インドでわしも考えた(シーナさん風に)
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ3:インド鉄道に揺られて
ニューデリーからバラナシへ向かう列車「2560」は、A1クラスの寝台車。
イメージでは、もっと贅沢な列車で鍵つきの個室を利用して・・・
が、ラジェンダ氏によると、そういうチケットは「取れない」という。
まあ、海外ではよくあることです。
チケットを貰うまで「ない」というお断りがないのも、
ノー・プロブレムです。
駅に改札口がなく、誰でもホームまでは行くことができるのも、
ノー・プロブレム。
ホームに、寝泊りしていそうな人や乞食がいても、
ノー・プロブレム。
列車が遅れても、飛行機が次の日についても、
ノー・プロブレム。
インド人の口癖か?というほど、
旅の道中、一番多く聞いた言葉である。
ともあれ、乗った寝台の作りは中国の火車程度の作り。
3段の「硬臥」が2段になった感じか。
ベットの下に、チェーンを括り付ける部分があるので、
荷物とベットをつなげる。
こうしないと、寝ている間に盗まれる可能性もあるとか。
ホームには、果物屋台、カレー屋台、チェーンと鍵を売り歩く人、
などなどが所狭しと市場のように並んでいる。
カレー&チャパティ(1セット10ルピー)と
果物(重さ次第だが、20ルピー)を買い込んで、乗車。
その傍らには、座り込んだ多数の人々。
座席を予約したのか、それとも立乗りか・・・
そんな人たちでごったがえしていた。
席は予約制で、コンピューターによって予約した席順と
予約した人たちの名前がプリントされ、入口に張られる。
で、それ以外の人たちは・・
入口からはみ出るほどの人に押し込まれて、立って行く。
みたい・・・
しかも、予約している人でもちょっと遅れて駅に入ろうものなら、
他の人が勝手に座っていて、いざこざに発展しているそうだ。
ひょっとすると、予約したにも関わらず立っている人も・・・
ホームで見ていて、ちょっと怖くなった。
そんなの、私も中国では大連行きの硬座でおっちゃんに
怒鳴ったことがあるけど、通路からはみ出すほどの乗り込み方は、怖い。
さすがの13億大国・中国でも見たことないぞ!
始発駅だったので、ほぼ定刻どおりに列車は動き始めた。
18時45分。出発!!
と同時に、車内販売のチャイ(1杯5ルピー)を購入。
お弁当に、チャイ。
「チャーイチャイチャイチャイ・・・」と、チャイ売りの兄ちゃん。
車内に食堂車はないが、販売人は次から次とやってくる。
この辺も、どことなく中国の火車に似ている。
毛布などはついていないのかと思っていたが、
しばらくすると服務員が布団とシーツ、枕を配布にやってきた。
出発と同時に外は真っ暗。
窓の景色も見えず、することもないのでおしゃべりと、
バラナシの予習を兼ねた読書で、早寝を決め込んだ。
・・・
おお、今朝も霧が深いぞぉ!!
目が覚めると、バラナシだった。
ちょっと遅れたが、いい感じの時刻に到着。
駅で、バラナシ観光を2日間お世話になる
ラージェスさんと合流して、この日泊まるホテルへと向かった。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ2:シゲタトラベルで国内旅行を按配・・・
デリー。
14時間遅れだけど、なんとか降り立つことができた。
旅立ち前に、以前1ヶ月放浪したことのある人から、
「インドは疲れて終わるだけだ」
と、言われていたが、入る前から疲れた・・・
なんて言ってはいられない!
お楽しみはこれからなのです!
長い行列にじれったい入国審査を終えていよいよ外へ。
事前にバンコクで遅延を伝えていたので、
空港に迎えに来ていたドライバーさんとは、
落ち合う場所を確認ずみ。出口ですんなり見つけることができた。
でもって、その彼・・・
20度の気温にセーターを着ているんですけど・・・
「暑くないんですか?」
「いいや、暑くないよ」
夏の間は50度近く上がるインドで、
冬の20度は寒い域らしい。
最高気温氷点下7度の北京から来た私には、
想像もできない世界である。世界は広いな・・・
とはいえ、街中の風景は、
中国のちょっとした田舎町と同じ、ちょっと汚れた道路、
崩れかかった建物や馬車、屋台の並びが延々と続いていた。
失礼な話、お正月に訪れた四川省のような、
崩れた建物がそのまま放置されたような家にも
人が住んでいた。いや、中国もそうだ。
地震が起きなくても、北京市郊外の家は結構崩れていた。
そのためか、どことなく見慣れた感があった。
1時間も走り続けただろうか。
車はメイン・バザールに入り、「Cottage Yes Please」に到着。
入口と面しているロビーに行くと、シゲタトラベルのオーナー、
ラジェンダ・バトラ氏が迎えてくれた。
インドへ旅立つ前に、インターネットのメールでやりとりし、
デリー→バラナシ→アグラーの国内列車の切符手配と、
三都市分のホテル予約、それと市内観光の車をお願いしていた。
まずはバラナシ行きの列車が出る前に打ち合わせを・・・
飛行機がバンコクへ戻ってしまったことにまずは驚きを見せ、
用意してくれた鉄道のチケットと、諸々の細かい説明。
そして、両替。特別サービスか、1ルピーを2円で両替してくれた。
1万円で、5000ルピー。これで足りるかな・・・
ラジェンダさんが名づけた「シゲタトラベル」は、
私とも縁のある方のお名前を取ったものなのだが、
この話は、無事にバラナシ・アグラーから帰ってきてからにして、
まず、バラナシ行きの夜行列車は、6時。
時間は3時間ほどあった。
せっかくなので、バザールの様子を見たく、
先に、ホテル周辺のメイン・バザールを見学することに。
ニューデリー駅からまっすぐ伸びる有名な市場、メイン・バザール。
人に野良犬野良牛車バイク自転車が、同じ道路を行き交う。
人の働いている横で、牛さんがごみを食べている。
そして、映画館にDVDショップにラッシー屋台が並ぶ。
ここばかりは、中国のどの町にも当てはまらない、まさにThe・インド!!
就是印度!
っと、英語を話しているのに、どうしてもまだ中国語が出てくる。
ためしに、ラッシー屋台で一杯のラッシーを作ってもらった。
プレーン・ラッシー、10ルピー。
手作り感あふれるおいしいラッシーだった。
ホテルからニューデリーは、歩いても行けるが
荷物があるので、オートリキシャがいいとのこと。
手ほどきにラジェンダさんが交渉してくれ、
ニューデリー駅まで20ルピーでまとまった。
記念すべき初・リキシャ。
一緒に写真を撮ってくれるか、と頼むと、
にこりともせず、首を傾げながら「Yes」
このジェスチャー、会話ブックに載っていた!
インド人、笑わないで首を傾げることが
「Yes」とは、わかりづらい・・・
でも、なんだかんだとニューデリー駅はごちゃごちゃ。
暇をもてあましているのか、何かと口を出してくる人がいっぱい。
「改札はあっちだよ」
「ほら、カバンのファスナーが開いてるよ」
「どこに行くんだい」
ああ、うるさーーい!!
こういった奴らを振り払って
夜行列車のホームへと向かうことから、
インドの旅は始まったのであった。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ1:リベンジデリー・・・旧正月にインドへ行く人への備忘録
「この飛行機、コルカタ行きになります」
眼下にデリーの町が広がっているのを見届け、
目をつぶって降りる時を待っていた私の腕を、
隣の人が肘で突付いた。
「・・・へ?」
目を開いて、機内のモニターを見ると、
確かに飛行機の向きは今走ってきた方角を向き、
「コルカタ」を最終地に示していた。
デリーはじめ、インドは12月下旬から1月下旬にかけて、
霧の濃い日が多く、飛行機が遅延したり上陸できないこともある。
・・・と、
『地球の歩き方』に書かれているのをその時発見した。
まあ、ひとまずコルカタには下りるのですね。ならば、
「コルカタで降りて、デリーへ戻るんだろうな」
「インドで、行ける都市がもう一つ増えた」
くらいに悠長に構えて、後でまた考えればいいのかな。
と、思った私が甘かった・・・
2時間かけて戻ったコルカタでは、機内で1時間待機。
アナウンスも、なし。
でもインド人はゆっくり構えて呑気におしゃべり。
「ま、動けないものは仕方ない・・でも、できれば
コルカタ観光もしたいなぁ」などと考えるワタクシ一人。
そんな時間が流れに流れ、午前2時半。
やっと流れたアナウンスは、
乗客全員がショックと動揺を隠せなかった。
「飛行機は、バンコクへ戻ります」
途端に、
機内のインド人、日本人、タイ人、欧米人?が一斉総立ち!!
ではなく、キャビンアテンダントに問い合わせの嵐。
キャビンさんも、「I donot know」
緊急事態すぎて、ひとまず「戻る」こと以外は、
まだわからないというのだ。
翻せば、わかっていることは、
「振り出しに戻る」ということだけということ。
ひぃぃん・・・無情にも飛行機は東へ向かって飛び出した。
朝焼けを見届けながら、
バンコクに再上陸。このとき翌朝5時。
なんだか見たくない、受け入れたくない景色の、
バンコク・スワンナプーム空港で、
朝食をもらって待機すること2時間。
バンコク時間の10時に、再びフライト。
結局、デリーに着いたのは、インド時間で13時だった。。。
。。。
幸い、予約していたバラナシ行きの夜行列車には間に合ったが、
前の晩に予約した宿を逃したことで、落ち着いてベットで寝たい
という欲望に駆られた、痛いスタートだったわけである。
というわけで、おそらくこんな備忘録は、
日本に住んでいる人より中国など旧正月圏内に住んでいる人に
限られるような話で、しかもインドへ行く人にしか役に立たないが、
今度デリーへ行くときは、こんなことで霧を回避したいものである。
【無事に、デリーへ"一発で"上陸するための備忘録】
1.昼間に到着する便を選ぶこと(旅先で会った人の成功例)
2.デリー行きよりも、
霧の少ないバラナシ行きにすること(バラナシの人の話)
3.行く時期をずらすこと(地球の歩き方より)
こんなことを念頭に置きながらフライトを選ぶことにします。
。。。
しかし、2度目の上陸も、昼にかかわらず霧が濃かった。
眼下に見えるものは・・・雲。
パイロット達は、何度となく、霧を乗り越え、
旋回を繰り返しながらゆっくりゆっくりと着陸した。
すると、着陸した途端。
機内中で拍手が起こった!!
まあ、真っ先に手を叩いたのは私だが(汗)
これには、感動した!!
インドの皆さん、お熱いですね。
窓から見えたデリーの景色にも、ひとしおの感動をおぼえた。
だから、ま、、、この遅れはチャラでもいいかな?
旅の最初に厄落としをしたと思えば(-_-)
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ0.5:英語のウォーミングアップ
1月17日 AM10:55
飛行機は、遅延もなく無事に成田空港を飛び立った。
タイ・バンコク空港に着くのは、7時間後のPM3:00(時差-2時間)
バンコク空港で4時間待機し、続いてデリーへ向けてフライト。
順調に行けば、PM10:55にはデリーの地を踏んでいることになる。
今回のインド旅行で、私が目的としていたもののひとつに、
「できるだけ、英語を話してくる」ことがあった。
中国に3年以上住んでいると、
私の「外国語脳みそ」は中国語がメインになってしまい、
日本語でない言葉を話そうとすると、中国語が出てきてしまう。
それと同時に、英語脳みその退化を痛感。
これでは、まずい。
何がまずいかっていうと、
中国に住んでいるかぎり何もまずいことはないのだけど・・・
例えば将来、中国以外の国に住む場合(あるかはわからないけど)
やっぱり、第一言語として活躍するのは英語だろう。
英語でビジネスをする機会もあるかもしれない。
(実際、北京に住んでいると、ごくたまーにだけど、ある)
その時に備え、突然英語が必要になるときに
ポッと英語が話せた方がいいと思ったまでなのである。
・・・
で、そんな私だったのだが、バンコク行きの機内を、
ありがたい方と過ごすことになった。
富士山が眼下に見え始めると、隣に座った
窓際の女性が大喜びで写真を撮り始めた。
「Very Beautiful!」
「Oh! do you came to Japan at the first time?」
(日本へ来たのは初めてですか?)
これで合っているのかはわからなかったが、
英語で話しかけてみた。
すると、彼女はすんなりと聞き取ってくれて、
「Yes」
それが嬉しくなって、つい色々と話を続けてしまった。
彼女はインド人で大学卒業後にロンドンに留学、
現在は科学雑誌では世界的に有名な「Nature」の記者。
今はニューデリー支局で働いており、
日本にはその国際会議にインド代表で来たとのこと。
そのおかげか、英語が綺麗で、ゆっくり話してくれて、
私の(恐らくめちゃめちゃな)英語をじっくり聞いて応えてくれた。
いつの間にか、ガイドブックを取り出して、
行く予定のデリー・バラナシ・アグラーのお勧め観光地と、
購入予定のインド民族衣装であるパンジャビー・ドレスの値段、
お勧め料理のメニューなどを全部丹念に聞いてしまったり、
彼女が今回の日本の出張で箱根や東京都内を観光して
感動したことに加えて、こんな話まで・・
「今度来るときは、広島と長崎に行きたい」
「どうしてですか?」
「生物を専攻していたので、原爆で汚染された広島の
植物が今、どんな状況なのかを知りたいの」
「Oh!私の専攻は国際関係論、特に戦争なんです。
だから私も広島には興味があって2回行ったことがあります。
今は綺麗な街ですよ」
盛り上がってしまったのである。
そのお陰かはわからないけど、この先のインド国内では
英語を話すことに慣れるのが早くなり、
インド人の話す流暢な英語がほとんど聞き取れた、
という喜ばしい成果につながった。旅行会話程度、だけど・・・
デリーへ向かう前に、いいウォーミングアップになった。
・・・
でも、このウォーミングアップがあったのは、
やはり「中国」、いわゆる「日本でない国」に住んでいることだったろう。
まず根本的に、「日本語でない言葉を話すこと」
がそれほど苦痛でなくなっていたこと。
そして、中国語の語順と、英語の語順が似ていること。
さらに、中国国内でも、ごおくたまーに、だけど欧米人や韓国人と
北京で英語のコミュニケーションを取らざるを得ない時もあったから。
(以前、北京の英語スクールを取材したら、中国人の受付に英語で応対されたし)
この3つが大きかった。
中国に住んでいたことに、少なからず感謝はしたのである。
・・・
いよいよ気合を入れてデリー入り!
という私だが、デリーは簡単にその門を開いてくれなかった。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ0:中国在住日本人のインドビザ取得に関する備忘録
※ここで記す私のインド紀行は、ちょっとマイナー。
海外に住んでいる日本人が、インドへ行く場合という、
日本に住んでいる一般の方々にはいらぬ業を伝授します。
・・・
「北京に住んでいる」ということが、
「インドへ行く」、ただそれだけで、
こんなにスッタモンダするとは思わなかった。。。
それは、旅立ち前から始まった。
「インドのビザですが、ビザ申請センターによると、
申請したその日に受け取ることはできないそうです。つまり、
17日出発の場合、15日に申請して、16日にビザを取得しないとだめです。」
「ということで、北京のインド大使館でとって頂けないでしょうか。」
と、購入を決めた格安航空券会社に言われたのだ。。。
インドへ行くためには、どんな目的であれビザが必要なのだが、
以前は、その日の朝に申請したら、夕方には取得できていたのだ。
しかも、最初にインド行きを決めた12月末に問い合わせた
大手航空券会社の○I○で、そのように説明があったばかり。
なのに、、、
2007年11月に、その原則は覆されていた。
というではないか!こらぁ!○○S!日本人だったら適当な回答するな!
といいたいが、中国生活ではこのくらい不確実な情報はウヨウヨしているし、
裏を取る前に(というか、裏を取る術がわからないのでそれに従うことになる)
その情報を真に受けてしまうことだって多々ある。
今回のことも、大きく構え、
「おや、びっくり。ではなんとかしましょう」
と開き直って、まずは北京でビザを取得できるか検討してみることに。
・・・
なぜ、北京でビザを取得できるかをまず検討したのかというと、
予め、中国から日本へ帰る航空券を15日で予約していたからだった。
そして、インドへはさっさと旅立ちたかったので、17日の航空券をゲット。
これが前調べの結果、16日中に申請・取得ができれば、
15日に帰ってもギリギリセーフだと思っていたのだ・・・
と、いうことで、この話を聞いたのは1月3日。
ネットによると、北京のインド大使館で申請すれば1週間で取得できる。
まだ、間に合うだろう、と、
北京のインド大使館・・というかそこまでの
語学力がないので、北京で日本語の通じる旅行代理店に相談。
1.日本から旅立つインド旅行でも、中国でビザを取得することは可能か。
2.その時に必要な書類は何か。
の2点について質問すると、まず、
「日本発のインド旅行でも、中国でビザを取得することは可能です。」
とのこと。
お!できるんですね!
「はい。ただ、その場合、就業証明と就職許可証とあれとこれと・・・
の書類を集めてください。申請期間は、1週間くらいかかります」
ぐぐ・・・
就職証明は会社で勝手に作ってもらえる(と、踏んだ)が、
就業許可証って、Zビザ(就業ビザ)を取得した場合に張られるあれですね。
つまり、私の今のFビザでは改めて取らなければならないんですよね。
脳裏に浮かぶは、かつてZビザを取った時の、
あの長くて面倒だった数ヶ月間の日々。。
・・・集めている時間、没有!!
私は即座に判断した。
帰国日を一日早める。
っていうか、これしかない!
ああ、せっかくならこの面倒を色々克服して、
北京でインドビザを取得してその武勇伝でもブログに書ければ、
これから、中国→インドで旅しようとする人への参考になったのに
(って、いるかはわからないけど)
日本行きのチケットを予約している会社に電話して、14日のフライトに変更。
キャンセル・変更料500元。
その代わり、12月に予約した時と比べて、
燃料サーチャージ料が300元安かった。200元の被害?で助かった。
・・・
さて、14日。日本へ帰国。
台湾料理屋で、いつもお世話になっている先輩へ
別れの挨拶・・・じゃなくて、決起宴会を開いてもらう。
15日の朝。早速、インドビザ申請センターへ。
丸の内線・茗荷谷駅から降りて、池袋方面へ歩くこと5分。
ありました。わかりやすいです。
隣のカレー屋も、行ってみたいですね・・・
10時過ぎに行くと、結構人が集まっていました。
用意したものは、パスポート・写真(パスポートサイズ)と、
その場にあった申請書への記入、+申請代1910円。
申請書には、普通に名前やパスポートNO.
住所、連絡先、目的、と職業を記載する項目が・・・
「職業」・・・中国で働いています。
と言わないように、何故か気を遣う。
いかにも日本に住んでいる人、を装った方が申請が楽そうだから。
というわけで記入したのは・・「フリーランス」、住所は実家。
入口で引っ張っておいた番号札の順番がきたので受付へ。
ドキドキ・・・受付窓口は、ニコリともしないインド人のお姉さん。
緊張しながら書類を渡すものの、その後で、
「必要とするビザの種類」が空欄だったこと、
「申請日の日付」を書く欄も書き忘れたことに気づく。
「わ!書類に不備があった!ビザが下りない!!」
と、慌てて受付へ戻り、「あの、日付を書き忘れて・・・」
すると、お姉さんは一言。「書いた」
「あ、すみません・・・」
書類は、既に他の人の書類と一緒に積まれていた。。。
・・・
申請を終え、念のためにお別れの挨拶・・・
じゃなくて中国から引き上げた荷物を置きに、一泊だけ実家へ戻る。
両親からは開口一番、
「あんた、8年前にシンガポールへ行った時は
ぼったくりにあったんでしょ。気をつけなさいよ」
という苦い思い出を即効口に出され、
「インドはテロがあるから、気をつけなさいよ」
と私が中国へ渡った2005年の反日デモで
日本のマスコミが騒いでいたときと同じことを繰り返されながらも、
明日東京へ戻る新幹線代を餞別に貰いました。謝謝!!
翌日再び東京へ。
「17時30分~18時の間に取りにきてください」
とのことだったので、定刻どおりに行くと、
既に受け渡しが始まっていた(適当やな・・)
フリーランスでも、無事に受け取れるかな。ドキドキ・・・
と、思っていたら、なんのことはない。
すんなりもらえました!!
パスポートの1ページに、大きくインドビザ!!!
しかも、空欄にしていたビザの種類は、半年間のマルチ。
これで半年以内にはまたインドへ行ける!
行くかはわからないけど。
もし、中国で申請していたら、今頃はまだ
書類集めに東奔西走だったんだろうな。。。
というわけで、
教訓:
インドビザの取得は、日本で取得するのが一番楽!!
・・・
17日。早朝。
成田空港から、いざデリーへ!
と、まずはタイのバンコクを経由するところだが、
まさかこの道のりから、幸先の悪いスタートを切ろうとは・・
ハリウッドからの手紙
前略―
ご無沙汰しておりました。
私はまだロサンゼルスのハリウッドにいます。
本来ならば21日に帰国するつもりだったのですが、
予定を少し延ばし、アカデミー賞の授賞式に参加しました。
日本、中国ならびに米国の皆様のお陰で
今回このような素晴らしい賞を頂くことができ、
感極まりない思いに言葉もありません。
そんな私が頂いた賞は・・・
『ベスト・ライアー賞』
・・・
すみません、私ライアー(嘘つき)です。
ここから先は本当の話なので、安心して読んでください。
16日から21日まで、大学時代の友人を頼って
本当に米国のロサンゼルスを訪問してきました。
日本を遠くに臨む太平洋に沈む夕日、
連日20度を超す温暖な空気、
行き交う違う色の肌を持つ人々の話す英語やスペイン語、
私が五感のすべてで受け取ってきたすべての刺激が
今でもまだこの体に残っています・・・
すべてを一気に綴ると夜が明けてしまうので、
後日徐々に綴って行きます。
嘘挨拶のように、今日は1週間前に訪問したハリウッドで
アカデミー賞の授賞式が行われたのでその話をひとつ・・・
私がハリウッドを訪れた時はオスカー賞博物館の中も
ノミネート作品が壁一面にパネル展示されていました。
その後日本へ帰国して各局のニュースを見ると、
これまた芸能ニュースはアカデミー色たっぷり。
でも妙に『バベル』の菊池凛子氏ばかり。なぜだ?
私は『硫黄島からの手紙』が気になっていたのに…
という訳で、日本滞在中に、池袋でこの映画を鑑賞。
イーストウッド監督がコメントした
「逃げ場のなかった、わが国の戦争相手の姿。勝ち負けではなく、
どんな犠牲を彼らが払ったかということを描きたかった」
の通りに、セピアに加工された映像からは
孤島での背水の陣という窮地に立たされた日本兵達の姿が悲しく映されていた。
自分の中では名作だと、思う。
そして今日…
『硫黄島からの手紙』はアカデミー賞の音響編集賞を受賞した。
菊池凛子氏は受賞に至らなかった。
それでも、数々の日本のニュースを見ると、
受賞に至らなかった菊池氏の記事は多いけど、
『硫黄島からの手紙』は受賞後もほとんど取り上げらなかった。なぜだ?
助演女優賞に相当期待したのかもしれないけど、
ナショナリズムってすごいですね…
自国作品がノミネートされなかった中国では同じニュースでも
会場設営やメインとなる作品賞・監督賞の話題を淡々報道。
中国こそ、普段は自国の話題となると相当な盛り上がりを見せるから
同じなのでしょうが・・・
でも、『バベル』も「言葉」をテーマにした
異国の人とのふれあいを描いた、今の私を惹きつける作品。
日本上映はGWとのことなので、この頃日本へ帰ったら観にいこう。
・・・
最後に、オスカー賞博物館内の話題をひとつ…
オスカー賞を実際に手にとって写真が撮れるブースもあったので、
みんな一人ずつ手にとってパチリ☆が写真の正体。
つまり、オスカー賞を手にすることだけなら、
ハリウッドへ行きさえすれば誰でもできる訳です。はい。
追伸:マナーについて・・・米国人と中国人
ロサンゼルスの街中を歩くと、
北京生活とは全然違う心地よさを感じた。
まず、空が青くて綺麗♪
そして、道路が広いけど人が少ない♪
そしてそして、横断歩道を渡るとき、
車がちゃんと止まってくれる♪♪♪
さらに、道に落ちているゴミの数が
北京よりも圧倒的に少ない。痰もない。
ああ・・・さすがオリンピックを20年も前に
開催できて、また2016年にも会場にと立候補を
考えている都市だけのことあるな・・・などと、
こんなところでも北京と比較しまう自分がいた。
北京だと歩道だろうが車道だろうが、
人も車も自転車も馬車も、ごちゃごちゃ。
人と人が押し合いへし合い歩く道には
ゴミも痰も謎のステッカーも散乱して汚い><
こんなんでオリンピックは大丈夫だろうか?
と、あちこちで心配の声が上がっているが、
このような行為をするみなさんは気づいていないようで・・
でも、ロサンゼルスの町が綺麗で規律正しい
その背景には、厳しい取締りがあることを、
町の片隅の看板、友人の話から感じる場面もちらほら。
ロサンゼルスでは、交通違反に対する罰金が
めちゃめちゃ高くて、シートベルトを
締めないだけで300ドル(3万以上!)だとか。
さらには、街中にゴミを捨てると250ドル。
その法律も絵に描いた餅ではなく、
本当に取り締まるらしい。怖い!!
こういう法律を背景に、ロサンゼルスの街、
はたまた米国の規律は正しくしているのだろうか・・・
と、思わざるを得ない。実はそれを裏付ける場面に
帰りの飛行機で出くわしたので、そんな気がするのかもしれない。
・・・
帰りは12時間の帰路。アラスカ・ベーリング海峡経由で日本へ
帰る飛行機の前の座席に座っていたのは体の大きな米国人。
こいつが、後ろのことなど気にかけず
自分の座席を思い切り倒してきただけでなく、
しょっちゅうストレッチや貧乏ゆすりをする始末で、
どことなく不快感を感じていた私・・
「でも、狭い座席で体を動かしたくなる気持ちはわかるな」
と、一応しばらく我慢することに。
そして2度目の食事が終わって、コーヒーをもらったとき・・
思い切り「ガンッ!」と前のシートが倒れ、
コーヒーがバシャッ☆とこぼれそうに・・・
これにはさすがに堪忍袋の緒が切れて思わず!
「突然、倒すなっ!」
と、独り言のように思わず声を上げてしまった。
すると、その米国人が・・
「何?今、何テ言ッタ?口ノ聞キ方ニ気ヲツケロ、バカヤロー」
下手、というより汚い日本語で逆切れ。はあ?なんて日本語?
これに私の「カチン」度もますます高まり・・・
「バカヤローはそっちでしょ!マナーに気をつけなさい!」
と、下手な英語で言い返すと(日本語と英語が逆転?)
「ウルセーヨ、バカ」
とくるではありませんか。
まあ、これが紳士な米国人の本当のお姿なのでしょうか、
と言い返したくなったものの、それ以降は無視。
でもまあ、相手も椅子を倒してこなくなったので、
それはそれで良かったのかもしれないけど・・・
そんなこんなで12時間を経て、成田空港に着いたとき見た
機内のゴミと英字新聞の散乱状態を見るにつけ、
「米国人のマナー、所詮罰金を盾に正されているに過ぎない」
という感を否めなかったのでした。
この機内の一件だけで、米国人のすべてを判断できないが、
そりゃ、中国人だって判断できないけど、
所詮、同じなのではないかな?という結論にも。
北京オリンピックや上海万博を控えて、
これらの都市でもマナーアップキャンペーンを展開中。
ロサンゼルス風に行けば、
北京オリンピックも成功するのではないか、
とは、一応思ったりしたわけである。
まあ、マナーアップキャンペーンを
ちゃんと成功させられれば、ですが・・・(爆)
☆写真は、メトロのホームで見たマナーに関する看板
ロサンゼルスに影響されて・・
フリスビーが投げたくなった。
大学時代に所属していた「フライングディスク同好会」に、3年の途中から参加しなくなって以来、10年ほどプレイしていないけど、大学時代はめちゃめちゃ燃えまくった。
あれほど夢中になったスポーツはなかったではないか?ってほど。
そのときの情熱がまたむくむくと膨らんできた・・
ああ!中国で投げられるところがあればまた投げたい!
そんな気持ちに駆られたのも、ロサンゼルスの海辺でフリスビーを見つけてしまったからだ・・
それ以前からも、「今度日本へ帰ったら、あの店へ行こう!」
と心に決めていたのだが・・
それが24日、確実な形となって実行に移ってしまった。
東京都・葛飾区にある「クラブJr.」
ここは、フライングディスクのスポーツをやる人ならほとんど全員知っていると言っても過言ではない、日本で唯一のフリスビー専門店である。
さっそく店内に入ると・・ずらーーーーっと並んだフリスビー!
定番のアルティメット用、ドッチボールに似た競技のガッツ用、ディスクゴルフ用から、最近では子供達のドッチボールに変わるスポーツとしても使えるやわらかい素材の「ドッチビー」まで本当にいろいろ揃って楽しくなってしまう。
早速店員さんを相手に、投げ具合を確かめる。
やはりアルティメットになじんでいただけに、一番投げやすい。
やわらかい素材のドッチビーも狭い室内にはもってこいなので1枚欲しいけど、どことなく帯に短したすきに長し。大きいものは投げづらいし、小さいものも投げづらい。
こういう場合、大きいものを選びましょう(魂胆なし)。
結果として、2枚のフリスビーを購入。
北京でこれを投げる場所と相手が必要だな・・
だれか、いませんか?フリスビー経験者@北京。
ロサンゼルス気候(紀行?)10
2月20日(+1が日本時間) 今日もちょっぴり肌寒い。
初日の夏日モードはどこへ行った!?
とはいえ、20度はあるだろう・・暑いものは暑い。
朝8時にLAX行きの空港バスに乗り(ホテル送迎)、ものの15分で空港へ。
空港カウンターで搭乗手続きを済ませ、荷物検査を通って登場ゲートが一杯並んだロビーへ。
はじめて、自分で洋食を外食。「ルート66」の看板が並ぶアメリカ南部風の店でブリトーを購入。これまたでかい!
ここでやっと、テーブルの上にチップつきの御代を置いて店を出るという「きわめてアメリカン」式な会計をする。10.8ドルの食事に12ドル置いていったけど妥当だっただろうか・・
まだ、飛行機に乗るまで時間があったので、小銭を全部使おうと数えると、1.95ドルある。
近くのスターバックスは一番安いコーヒーが1.89ドル。間に合う!と思って購入すると・・
「2.03ドル」げげ、税金だ!
持っていた小銭を全部出して、「ごめんなさい、これしかありません」という仕草を取ると、店員さんは笑顔で
「OKOK!」
や、さ、し、い・・・アメリカの店員さん、そういえばどこでもスマイルを見せてくれたな。この辺中国とは大違いだ。
おかげで、小銭はすべて使い切った。あとは出国審査をして飛行機に乗るだけ・・
・・・出国審査をして・・
・・・あれ?
もう目の前に登場ゲートがある。
これって、もう飛行機に乗るだけ、って意味だよね・・
そう、ここでパスポートを開いて気がついた。
最初に空港について、搭乗手続きを行った時点で、出国審査は終わっていたのだった。
入国時に付けられていた滞在証明が切り取られていたのだ。
何はともあれ、飛行機に乗り込むこと無事に終了。
定刻どおりに飛行機はフライト。
さらば、ロサンゼルス、さらば、アメリカ。
帰り道、太平洋を横断するのかと思いきや、気流の関係か何かで飛行機はぐんぐん北上。
ヨセミテ→カナダ→アラスカ→ベーリング海峡を越えてロシアを南下→成田
(どこだよこの雪山・・・)
というルートで実に1日半ものフライト・・いや、実際の飛行時間は12時間。
日本時間にすると、1日追加して21日。
なんだか私の人生、2007年2月20日という日がないみたいでなんだか寂しい・・
そして帰ってきた日本。いや、ニッポンはまだましかもしれない。
ひとまず、日ごろ殺風景でかつ寒い風景がごちゃごちゃしている北京と違って、開放的な青い空のロサンゼルスは、気分転換になった。
そして・・・私の心に、いくつかの「何か」が芽生えたのであった。
この続きは、いつかまた。
行きの時1つだけだった荷物は、いつの間にか2つになっていました。
ロサンゼルス気候(紀行?)9
2月19日(大統領の日)
と、言って朝9時過ぎにのんびり起きると、旦那さんとそのお兄さんはリビングでぐーぐー・・
友人と3人で、夜中遅くまでDVDを見ていたそうな。
私は、旅先こそ健康的に早寝早起きをするタイプなので、無理せず早寝したのだけど、その日見たDVD映画がアンディ・ラウ主演の「黄金甲」
おっと、私見てないぞ、それ!(でもDVDは買ってある)
というか・・中国で見られるから、いいや。
そんなわけで、一家の運転手(旦那さん)がまだ寝ているということで、友人の運転で近所のスーパーへ。
簡単に言うとお土産の物色(食材が一番安くて使われる)
しかし、ロサンゼルスのスーパーはどこでも広い!
そして、必ず「オーガニック」の名前がついたコーナーがある。
せっかくなので、「オーガニック・コーヒー」を購入して、コーヒーメーカーを持っている北京在住仲間へのお土産(簡単に言えば、友人宅で自分が飲みたいだけ)
これは実は、職場のコーヒーメーカーでも淹れてみました。
風味あっておいしかったです。
その他にも、パスタははるかに北京よりも安い!(4袋で1ドルって・・)
インスタントでできるマッシュポテトやパスタの具も豊富。
娘さんの遊び場にもなってしまうほどの、まるでテーマパーク♪
たっぷりテーマパーク・・いや、スーパーを堪能した後で家に戻ると、2人はまだ寝ている・・
友人が、「おにぎりの作り方を教えて」というので、一緒におにぎりを作ってお弁当作り。具は、梅干とおかかと・・って、食材だけは北京以上に日本ナイズだぞ!
「さっきの所と違う、韓国系のスーパーで売ってるの」
韓国系・・・。ま、米国にいれば、日本も韓国も中国も一緒なのだろうかσ(^◇^;)。。。
ともあれ、おいしくお弁当が完成。。。したと思ったら、結局でかける前に自宅の昼食になってしまいました。
弁当・・じゃなくて昼食後、おでかけ。
太平洋を見に、海辺までドライブ。
初日のサンタモニカに比べるとやや肌寒い・・これは天気の問題なんだけど、それでも水着で泳いでいる人の姿が・・・見ているこっちも寒くなる。
またも「あー、向こうには日本が・・」などと考えながら太平洋の景色を堪能してから、お土産屋でふと見つけたフリスビーを購入。
やっぱりアメリカにはフリスビー。北京に行ったらぜひ投げよう!と誓うのであった・・が、北京で投げるところを探すのは容易ではなかった。
いよいよ、明日のフライトで日本へ帰らなければならない。
最後に宿泊する予定の空港近くのホテル「HOWARD HOTEL」まで友人が見送ってくれた。
あな、ここでまたしばらくのお別れ・・・彼女とは、2004年に台湾、2005年に日本、そして2007年の今年はロスで会った。今度会うときはどこなのだろう・・・
友人が最後に英語でチェックインを手伝ってくれて、お別れ。
今度の部屋は・・うん、綺麗!これで料金はカワダホテルと同じ8000円(日本でネット予約)なのだから、やはりリッチ条件なのかな?
近くにセブンイレブンがあったので簡単な夕飯を購入。
やっと入って気がついたのだけど、1杯1.2ドルで購入できる「コーヒーバイキング」が見せの真ん中にどどーんん!これはすごい!数種類のコーヒー・紅茶、お茶など自由に注いでレジで1.2ドル払えばいいなんて、本当に便利店だ!
スナックも、ちょっぴりマスタードがきいたプリッツェルの砕いたお菓子を購入。昔いた会社の同僚がNY土産に購入してきた時のおいしさを思い出したのだ。
これは今でも、北京市の「ジェニールー」という食材やで売っているのでよく購入するようになった。
こうして最後に便利なコンビニを堪能して、ロスとのお別れの夜をすごしたのであった・・・
ロサンゼルス気候(紀行?)8
(オスカーの話は後ほどの楽しみに取っておいて・・)
さて、ハリウッドも堪能したし、
日も沈んできたので、帰るとするか・・・
と、ひとまずお土産には映画のカチンコとTシャツ(定番だ・・)
今日の夕飯は・・・
中華料理。
昨日の、旦那さんのお兄さんによるリクエストを今夜は採用したのでした。
友人宅近くの中華料理屋へ。
メニューの文字を見ると繁体字なので台湾系らしい。
さっそく5人で大テーブルを囲んで座ると、最初に出てきたのは、急須に入ったお茶。ジャスミン茶?というあたりやっぱり中国らしい。
注文は主に旦那さんがリードして注文していたけど、ここで使う言語もすべて中国語。
「服務員、点菜!(店員さん、注文お願いします)」
でも、応対は在中国中国人よりはいい感じ。
「シェンマシェンマ、シェンマシェンマ・・」
と、オーダーしていくと皆で、
「Emmyも注文しなよ」
とくる。私は辛いものを食べたいから・・・と、よく見ると北京でも好んで食べている青唐辛子のチンジャオロースを発見(日本ではピーマンを使う、あれです)
そこで早速注文したのだけど・・・
旦那さん&お兄さんは辛いものが駄目な台湾人だったことを忘れていた!
店員さんが運んできた料理はやっぱり大皿料理で数人前。
でも、辛いものは私がほとんど責任もって片付けることに・・
このあたり、中華料理は難しいです。はい。
それにしても、この空間だけ本当に中華社会だったので・・
「私、本当にアメリカ合衆国にいるのだろうか(Part2)」
的な気分になった。
しかし清算がクレジットカード&チップ付き、というあたり(お客さんのほとんどすべて)は中国とは違うようで。
ロサンゼルス気候(紀行?)7
2月18日
中国では春節の元旦。
でも米国にとってはただの日曜日・・・な、はずなんだけど、どうやら翌日19日が『大統領の日』らしくて連休なのだとか。
でもってアメリカ、特にロスでは車以外の交通手段を使うのは黒人かメキシコ人だとか(空港からバスと地下鉄に乗りまくっていた私は一体・・・)
そうなれば、車でどこかへでかけても混んでいるのは仕方ない。
まず、友人がお勧めした「ゲッティセンター」も入場口付近で大渋滞。彼女の自宅から現場までは1時間弱で着いたのに、入場口をくぐるのにさらに1時間かかった気分(実際30分くらいかな?)
でも、さすがお勧めの場所だけに、ロサンゼルスの街を一望できる眺めは爽快。
娘のMimiちゃんもおおはしゃぎ。
景色を十分堪能して、お次は待望の『ハリウッド』へ。
ハリウッドといえば、あの看板が見たい!
そう、あの、山の中腹に「HOLLYWOOD」と白い文字が並んでいるあの看板!
そして・・着いた!
あ、あらら?σ(^◇^;)。。。
イメージよりも遠すぎるぞ!プロのカメラマンが撮ると違うんだな・・ということを実感。
そして、いよいよ来週にアカデミーを控えた「オスカー賞」記念館へ・・!
ロサンゼルス気候(紀行?)6
さて、友人宅に来た。
夕飯まで時間があるので、アパートを散歩がてら娘さんと・・隣に住むシングルマザーの娘さんと遊ぶことに。
「ちょっと化粧する間預かってくれる?」
と友人に頼んできたシングルマザーさん、軽く1時間は迎えにきませんでした・・σ(^◇^;)。。。
それにしても、広い!広すぎる!これで一般的な住居だというのだから驚き。
広い庭に、プール、バーベキューをする場所までついている。さすがロス!
なんて遊んでいるうちに、夕飯を食べに行くことに。
友人が「Emmyちゃん、何が食べたい?」
と尋ねるので、もちろん!
「アメリカ料理が食べたい」
とリクエスト。すると・・・
「ハンバーガーくらいしかおいしくないよ」ときっぱり。どうやらステーキはソースが甘いし(確かに甘いのは駄目だな・・)、他の料理はアメリカに見えてメキシコ料理だとのこと(さすがメキシコが近いロスだな・・・)
でも、本場もののハンバーガー、食べたいから、じゃあ、それ!とリクエスト。
すると旦那さんのお兄さんが中国語で、
「僕はハンバーガーは好きじゃない。中華料理が食べたい」
σ(^◇^;)。。。台湾からせっかくロスに来て、中華料理ですか・・?
でも、40代後半の先輩には逆らえません。
「我都可以(私は何でもいいです)」
と伝えると、友人が、
「いや、お兄さんは2週間もロスにいるし、Emmyちゃんが来る前は『Emmyちゃんが食べたいものに合わせるよ』って言っていたんだから、ハンバーガーでいいよ」
とお兄さんを説得してくれた。あいやー、すみませんね。
という訳でこの夜は近所で評判のハンバーガー屋『IN and OUT』へ。
確かにハンバーガーもポテトも量が半端じゃない!1個でおなかいっぱい。
夜だというのに、お客さんも一杯。アメリカ人の主食になっているのだろうか・・
ロサンゼルス気候(紀行?)5
ロサンゼルス2日目。
カワダホテルをチェックアウトして、まず行ってみたのは・・・
チャイナタウン。
なにも中国から来て、チャイナタウンへ行くこともないだろうに・・・とはいえ、異国の中国人がどのように生きているか見たかったのです。地下鉄ですぐだし。
でも・・横浜中華街よりもしょぼかった。
しかも、荒涼とした大地の中とあっては、なんだかポツーン・・とした雰囲気があって、寂しい印象。
しかもしかも、この日は中国で言うことの大晦日、なのになんの行事も行われていないかのような平日の印象。
ちょっと屋台を見て退散。
続いて訪れたのは・・
リトルトーキョー。
なにも東京から来て、リトルトーキョーへ行くこともないだろうに・・とはいえ、異国の日本人がどのように生きているか見たかったのです。地下鉄ですぐだし。(繰り返すな!)
でもこちらはすごかった。面積こそ狭いけど(日本らしい・・)その中は本当に日本のような街並。
日本語のフリーペーパーが店の中には一杯つんであり、この辺北京に住む日本人と同じような需要があるのだな、と改めて異国に住む日本人のつながりを実感。
じゃ、お昼はこの店のどこかにしよう!
と思って入ったのは・・・回転寿司屋。
でも、入るなり驚いた。本当の日本人寿司職人が2人もいて、ちゃんと握った寿司を出してくれている!北京の元○寿司とは大違いだ!
なんでこの人たち、ロサンゼルスまで来て寿司屋やっているんだろう?
値段は少し高かったかも・・6皿食べて、14ドル也(約1500円)日本で食べていたら回転寿司に1000円も払いません、ワタクシ・・
その前には、「日系アメリカ人博物館」が。思わず入ってみると、今日は何らかの記念日で無料とのこと。8ドル浮いた!
日系アメリカ人・・要約するとアメリカへ渡った日本人に関する博物館で(そのまんま?)、1800年代に最初にハワイへ渡った時の日本移民の開墾苦労話。やがて戦争が始まり、移民の子孫は日本兵として戦争に出て、自分の住む米国と戦うことを余儀なくされた話などが展示。
しかし、館内の半分以上が、「アリゾナ州・ナンザール収容所」の話で埋め尽くされていた。これは太平洋戦争時代に、米国に住む日本人が皆逮捕され、財産を取り上げられて収容所に閉じ込められたという悲劇の歴史。やがて戦争が終わって解放されても、もといた家は「JAP!」という差別用語や誹謗中傷めいた落書きで書きなぐられるなどの仕打ちを受けたという内容がずらずらーー。
うーん・・・確かに米国が行ったことは過酷なことだったかもしれない。
けど、北京から来た身としては、「抗日記念館」と同じような被害者妄想たっぷりの展示を見せられた気分で、あまりいい印象は覚えなかった。
過去は過去。今を生きる私達はこの事実を忘れてはならないことだろうけど、それ以上の思想を扇動するようなところまで宣伝する必要はないと思う。
そんなことを覚えながら、再びカワダホテルへ。
荷物を預けていたことと・・この日の夜から世話になる友人一家との待ち合わせ場所にしていたので、引き換えしたのだ。
そして午後4時。
友人一家が車で迎えに来てくれた!
2年ぶりの再会である。
大学の同級生だけど中国出身なので、娘さんと旦那さんは中国語を話す。この日は旦那さんのお兄さんも台湾から遊びに来ていたので、家を訪問するとそこはすっかり中国社会だった・・・
私も、たどたどしい中国語で会話。英語よりは話しやすくなっているけど、本当に私はアメリカ合衆国という国にいるのだろうか?
ロサンゼルス気候(紀行?)4
「夜に公共交通機関に乗っちゃだめ!」
旅に出る前、USAに住んでいたことのある友人が念を押していた。
治安が悪く、地下鉄やバスに女が一人で乗ると、襲われるかもしれないから気をつけろ、というのだが・・・
夕日を見たのだから、日が沈んでしまうのは当たり前。
かと言ってタクシーでも強盗にあった人はいるみたいだから、同じ危険な目に遭うなら安いバスを使ったほうがまだまし(謎)
で・・しっかりバスの中で睡魔に襲われました。
そりゃ、日本でいう夜中の12時に着いたロスが朝7時なのだから、はっきり言って徹夜2日目の夜ってところですよ・・・椅子に座ったら眠くなるのは当然。
居眠りしたけど、結局体は安全でした。
ダウンタウンにたむろするホームレスの数だって、北京の何百分の1なのやら。しかも寄り付いてしつこく「謝々、謝々(金くれてありがとう:催促の言葉)」と付きまとわないだけ、はっきり言って北京より良い。
で、やっとチェックインできるであろうカワダホテルへ行く前に近所のスーパーへ寄り道。
旅に来る前は「スーパーでは、ビールはばら売りしていない。6本からかわなければいけない」と聞いていたけど、ちゃんと1本で売られていた。
とはいえサイズがでかい!(600Mlくらいかな?)
ついでに、あまりおなかは空いていなかったので軽くつまみでも・・と、いろんな実が入っているおつまみを購入。
カワダホテルの部屋へ。
すると、信じられないことに・・・風呂釜が、ない!
しかも、シャンプー・リンスがついていない!
ホテルにありそうなアメニティグッズが、ほとんどない!(石鹸のみ)
ノースウェスト航空、機内にこういう液体を(透明ビニールに入れないと)持ってこれないから、全部持ってきていないのに!これは参った。
今、アメリカへ来る飛行機の警備が厳重だということを読んでくれていれば、この程度のアメニティは用意してくれるんでないかに?
しかも1泊8000円もした!
もう、このホテルは使わない!と誓う私であった・・(今度はいつ来ることやら?)
追伸:買ったおつまみは甘すぎて半分も食べられませんでした。
ロサンゼルス気候(紀行?)3
来て~、来て~、来て~、サンタモニカ~♪
と、帰国後によく母がサンタモニカへ行った私に向かって歌っていたが、
すみません・・・昭和50年代生まれにはわかりません(爆)
・・・
と、いうサンタモニカに行ってきた。
目的は、
1.綺麗な夕日を見たい
2.オーガニック食品のスーパーが見たい
3.ひとまず観光したい
に、尽きる。
まずは散策がてら、オーガニック食品の店『Wild Oats Market』を探す。
すると・・・割と簡単にたどり着いた。
※バスでサンタモニカのバス停へ着くかなり手前にはもう1つのオーガニック食品スーパーである『Wholes Market』もあったのだが、本当にかなり手前だったので、後で時間があったらいくことにして素通りしてきた。
さっそく中へ入る・・・すると、
おおおおおお!
アメリカのスーパーって、陳列棚も高くてでかい!
そして賞品がずらあああああああっと並んでいる!
この規模、素晴らしい!
その中に、有機野菜や有機食品を使って作られたクッキーやコーヒー、生活用品にアロマオイルなどが、
「これでもか!」
ってくらい並んでいる。
そしてレジの前には雑誌類がびっしり、テーマは「ヨガ」「グリーン」「ヘルス」など健康や環境に関する雑誌ばかり。
私はひとまず、お香とアロマキャンドルなどを購入。
飛行機に乗せられるもので、食べ物ではないものを選びました。
北京に帰ってから、使えるかな・・
北京にこういうのが好きな友達がいたな・・・
などなど考えながら、ロハスが満ちた空気をたっぷり吸って購入。
ロハスのにおいって・・・ほとんどアロマのにおいだね。
でも、ちょっと私には強烈だったな。元々香水は好きじゃないからつけないし。
そしてこのロサンゼルスの旅、全工程を通じてアロマのにおいが立ち込めていた気がしました。
至るスーパーにはアロマキャンドルが売られていたし、
食べ物はどこか柑橘のにおいが含まれていたし、
東南アジアとはまた違う、日本にない匂いをロスの空気からかいでいたのでした。
・・・
そんな買い物を楽しんだあとは、今度はメインストリートでお買い物。
洋服のバーゲンセールで2枚ほど半袖やタンクトップを購入。暑かったから・・
そのあと、サンタモニカ「ピア」(桟橋)へ行って見ると・・
既に海水浴やら日光浴やらを楽しんでいる人でいっぱい!
常夏の国か、ここは・・・
なんていろいろ見ていると、1日をここで費やすのは勿体ないくらい時間が余った。
では、
と・・『Whole Markets』の方にも足を運んでみる。
ちょうどいいバス停がなかったので、歩きで30分かかった・・・
内装は、『Oats・・』と同じ。でも、こっちの方が大きかったかな。
品揃えはほとんど同じだったので、購入するものはなく退散。
気がつくと、5時。
やばい!一番の念願だった「サンタモニカの夕日」に間に合わない!
慌てて近くを走っていたバスに飛び乗って海辺まで一直線・・
そして・・・
見ました・・・
念願の「サンタモニカの夕日です」
でも、もっといい写真を一杯とりたかったな。
毎日通わないと色んなパターンの夕日は撮れないだろうな。
ロサンゼルス気候(紀行?)2
さて、ロサンゼルス空港に着いた私は、北京ではなかなか見ることのできない青く澄んだ空を見上げ、気合を入れてたった一つだけの荷物を背負った。
空港は6つほどのターミナルに分かれていて、その中をリムジンバスが運行している。
そして、中には街中へ出て行くものも・・・
この日はダウンタウンに宿を予約していたので、まずこの荷物を置かせてもらえるかどうか・・と、いうより早めにチェックインしてシャワーの1つでも浴びることができるかどうか、を試しに行ってみる事にした。
市内・・空港に最も近い地下鉄の駅行きのバスに乗り込むと、なんと無料!フリー!
これは空港も太っ腹だ!
早速バスで最寄の地下鉄駅まで行く・・・
すると、地下鉄ではなく地上2階を走るメトロだったりする。
で、駅員は見当たらない。券売機は1階についているのだが、勝手にエスカレーターにのってホームへ行くこともできる。
無賃乗車する奴、いそうだな・・・
とはいえ、地下鉄は1日乗り放題でたったの?3ドル、安い!
これならキセルする必要もないだろうから・・・買いました(普通買います)
地下鉄の作りは、日本とほぼ同じ。ロスの市街地より南側にあるからか、黒人さんの方が白人さんより多い印象(南北戦争時代じゃないんだから)だなと思いながら、地下鉄を乗り換えてダウンタウンへ。
この日泊まったホテルは、日本名を名乗る「カワダホテル」
名前に釣られてか、サイトに「日本語対応可」と書いてあったからか、日本人のお客さんで一杯だった・・・
でも、フロントの人は日本語できない様子だった・・・私が英語だけ使ったから判定できなかっただけかな?
はい、ところどころに中国語こそ混じってしまったものの、英語で頑張りました。
すると・・・
「チェックインは2時です」
あっさりと「Wait」のお返事・・
わざわざ寄ったというのに、残念_| ̄|○
仕方ないので、荷物も全部持ったまま、厚い上着も着たまま(26度でした)、バスに乗ってこの日の目的であったサンタモニカを目指すことに・・
ダウンタウンの中心ちょっと南側から720番のメトロバスを見つけて乗車。
これで、1時間ほど走れば1本でサンタモニカへ到着できるから、ひとまずダウンタウンというのは交通の便がいいんだろうな(と、いう推測は翌日の友人の発言で撤回されることなど露知らず)
などと考えながら、バスに揺られること1時間。
青い海が広がるサンタモニカに到着。
ロサンゼルス、何から何まで青!
北京にはない、青!
ロサンゼルス気候(紀行?)1
成田空港から9時間あまり。
太平洋を横断して、着いたところは・・・アメリカ大陸。
これまでアジア圏しか行ったことのなかった私には、英語圏というのはまったくもって未知の世界。
どんな世界が待っているのか、本当にドキドキo(^-^)oの旅路であった・・
東へ進路をとっていたので、午後3時に出発した飛行機はあっという間に夜になり、大陸が近づいてくるにつれ、朝日がものすごい勢いで昇ってきて・・着いた時は・・・「朝7時」
日本にいたら、その頃は「夜中の12時」
つまり、寝る時間に起きた格好になってしまったので、私はこの日徹夜で新しい一日を過ごすことを余儀なくされることになったのである。
これも、地球の裏側に近いところまで来た最初の試練。
でも、だからといって仮眠するわけでもなく、短い滞在時間を存分に堪能しようというわけで・・・速攻観光には繰り出すわけです。
が、まずは到着後の入国審査。
指紋と顔写真を撮られていくつか質問。ここでは面倒なことを避けたいから、全部「Yes」で通せるところは通そう。
「Sight seeing?」
「対・・・あ、Yes」
「You back to JAPAN?」
「(中国、と言いそうになって・・)・・・Yes」(だって本当だもん)
「How many days are you going to stay?」
「Yes!・・あ、(五天、いや、)Five」
相手は何の違和感も感じず(^^;、難なくクリア。
外国語を話そうとすると、最近どうしても中国語が出てきてしまいます。
この5日間、頭の中を英語に切り替えないと大変です・・・
でも、入国審査は厳しいのか、何度もやり直しをさせられる人もいたりして、こんなとき英語ができない身としては苦労しそうだな・・と、しみじみ。
そして、入り口を出る前に、今度は荷物検査。
検査の人、私の荷物を見るなり一瞬不思議そうな顔をして、一言。
「Only One?」
「Yes,This only」
「How many days are you going to stay?」
「Five!(にっこり)」
「OH!」
で、クリア。
そんなに驚くことなのかな・・・?
5日間の荷物がいつものディパック1つだったってことに・・・































































































































