【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ14:ただいまニッポン!まずやりたいことは・・・
いよいよ今日は帰国、という1月24日。
朝5時。モーニングコールでお目覚め。
6時半、ホテル⇔空港のシャトルバスが出発。
空港でちょこっと「タイにも行ってきたんですよーーー」
とアピールするためのお土産を少し購入。
父親には、「タイガーバーム」という肩こりの塗り薬。
これ、父が25年前に香港へ社内旅行で行った時のお土産でした。
#懐かしんでもらいました。
定刻どおりに、8時半にフライト。
6時間の空の旅を無事に過ごし、
時差2時間を合わせて16時・・・終に成田空港へ到着。
成田空港で日本語を聞くと、私の外国語頭は瞬時に日本語に戻り、
「日本に帰って来たんだ~」という感慨を覚えます。
これは、北京から帰ってくるときも同じです。
だから英語も中国語もすぐに忘れるのか・・・
長かった・・・夢のようなアラビアンナイトは、ここで終わりました。
この1週間、非日常的な時間を過ごしたと同時に
旅先で一緒に過ごした人との、不思議な空間が余韻に残りました。
異国を訪れる時はいつも、心の中に違う自分が生まれます。
それは、いつにも増して「親兄弟がいないこの土地で死んでたまるか」
という、生への執着。北京でも常に意識していたことだけど、
今回は、そんな生死について深く考えさせられるインドへ行ったからこそ、
「生きている」ことを改めて認識し、
自分が生きていることへの感謝を禁じえませんでした。
やっぱり、「インドでわしも考えた」
・・・ということを想いながら、
インドで一番できなかった「あったかい湯船でゆっくり風呂に浸かる」
ことがしたくなって、冬物の荷物を置かせてもらった家の近くにあるスーパー銭湯へ。
ゆっくり風呂に浸かって、本当の本当に、日本に帰ってきたのでした。
嗚呼、風呂文化ニッポンに、万歳!
そんな活力を取り戻して、もう一言。
「我再一遍想去印度!(もう一回、またインドに行きたい!)」
あれ?これ、英語でなんて言うんだっけ???
(終わり)
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ13:もう慣れてるから・・・タクシートラブル
朝8時。
出発前に、最後のメインバザールを見物。
牛さんたちに別れを告げて、タクシーは一路空港へ。
流れる景色の中に、空港と街中を結ぶ線路が・・・
今度来るときには、もっと便利な街になっているんだろうな。
半年以内に来てもだめだろうけど(汗)
痛い思い出で始まったインド・マハトマガンジー空港。
出国審査のカウンターへ行くと、
「これこれ、この書類を書いて出してください」
と、出国カードを渡される。
チェックインの時、何も渡されなかったよ~。
後ろの方に、紙と記入する場所があったとは言うが、
そんなの気づかなかった。
「はぁい、じゃ、あっちで書いてきます」
と踵を返したところ、係員さん「ここで書いていいよ」
・・・確かに行列が全然できてない。
1時間かかった入国の時とまったく違う。
空港は、結構小さくて、登場口は全部で10くらい?
そして11時。
今度は無事定刻どおりに飛行機が離陸。
アラビア諸国を思わせる石の家々を眼下に流し、
インドの土地を後にしたのでした。
さらば、インド!
ラジェンダさん、ラージさん、皆さん、
また来るからね~~!!
ミャンマー上空あたりで見たから、これは「イラワジ河」かな?
私にはどれも「地球」という回答しかできないけど、
「地球は一つ」ですから、まあ、いいか。
続いて訪れたのは、これまた痛い思いをしたタイ・バンコク。
到着は、これまた無事に定刻どおりの17時半。
スワンナプーム空港は11月のテロなど忘れたかのように、平和。
ここから、今夜予約したホテルまでは
ワン・メーターで行けると聞いて、順番待ちをしていたタクシーに。
タクシーの天井を見ると、ブッダの写真やイラストが一杯!
「わ!あなたは仏教徒ですか?」
と尋ねると運転手さん、「Yes!」と元気に返事。
テンション高い運転手さん、そのまま走り続け・・・
目印だったはずの「セブンイレブン」を遠慮なく通過!!
「おいおいおい、今、過ぎたよ!」
「ノー・プロブレーム!」と、走り続ける。
いや過ぎたって!
こいつ、ぼったくりか!!
とっさに「Turn!」と何度も主張するが、延々と走る走る。
何度も何度も「Turn!」と言ってやっと引き返してもらうが、
「Go ahead!」
と言っているのに、無視。
だんだん、運転手の態度が変わってくる。
たまりかねて、携帯電話で宿泊する予定のホテルへ。
「Hello,This is todays guest.
Please tell taxi driver to go to your hotel the road,is OK?」
(本当はPlease tell to taxi driver how go to your hotel かも)
「OK」
ドライバーに電話に出てもらい、道を教えてもらう。
かれこれ、そんなことを2回繰り返し、やっとホテルに到着。
ワン・メーター(35バーツ)と言われたのに、メーターは123バーツ!
道を知らなかったとはいえ、「わざとか?」というほど延々走り続けた行為に
不可解を覚えたので、100バーツ以上は払わないと頑として誓う。
100バーツだけ払って、さっさとフロントへ。
すると、今度はドライバーが血相を変えて、
「メーターは123バーツだ!23バーツ足りない!」と抗議に駆けてきた!?
「なに言ってんだよ!You mistake!我不想交銭100バーツ以上!」
あれ?英語では何て言えばいいんだ・・・・?
ともあれ、中国に住んでいるとタクシーとのトラブルは腐るほど経験している。
#ドライバーにとび蹴りくらったこともあったし。
何しろ今は、こういうのにもっと慣れているホテルの従業員の前。
全然怖くはなかった。
果たしてフロントのおばちゃんがタイ語で、
「あんた、いい加減にしなさいよ!」みたいなことを言ってくれたので、
ドライバーは自分の車を力まかせに「バーンッ☆」と叩いただけで、
すんなり諦めて退散。
こいつ、本当に仏教徒か・・・ブッダが聞いたら呆れるぜ。
何はともあれ、無事にタイで腰を落ち着けられる。
チェックインも終わって、バンコク市内見物へ・・・と、
フロントのおばちゃんに街中までの行き方を尋ねると、
「ここからは、地下鉄の端っこでもタクシーで45分以上かかるよ。
街中のカオサン通りまでは・・・1時間以上かな」
時間がかかることより、渋滞状況とタクシーに抵抗を感じたワタクシ。
即座に「街へ行くのはやめよう、疲れるだけ」と判断。
ホテル周辺で夕飯を食べ、スーパーでお土産を買い、
ホテルでオイルマッサージを頼んで充実した夜を過ごしたのでした。
タイヤタイ・・・タイの屋台。
タイスキと、タイ風オムレツ?
インドで色々スリルを味わったから、
最後の夜くらい、落ち着いた方が正解だったかもしれませんよね、ね!
タイは、インド・デリーよりも常夏の国なのか、
宗教の違いか、お姉ちゃん達の服装もノースリーブ。
あまりの暑さに、ホテルの部屋では蚊がブンブン飛んでいて、
ちと寝不足だった、最初で最後のタイの夜を過ごしましたとさ。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ12:インド最後の”アラビアン・ナイト”
北京市郊外の世界遺産・フマユーン廟へ。
郊外とはいえ、アグラーのファティープル・スィクリートほど
遠い訳ではなく、車で40分くらい。
「中はとても広いから、1時間くらい見たほうがいい」とドライバー。
では、1時間くらい・・と、いうことで、入場。
いきなり、野良犬が登場!街中の犬と違ってどことなく活発で、
おっかなびっくり!建物の入口を門番のように見張っている
お犬様・・・お願いだから、穏便に、穏便に。
フマユーン廟は、ムガル帝国2代目皇帝のフマユーンが作った、
インドの首都においてムガル帝国を知る唯一というほどの建物です。
他のものは、大体アグラーなどの違う都市にあるから。
どこの建物の中も、棺がモニュメントとして置かれていました。
なんでだ・・・
そんなフマユーン廟に、修学旅行らしきインド人学生の団体が、
「わぁーーーーっ!!」とおおはしゃぎしながら登場。
子供というのはどこも元気だなぁ・・などと思っていると、
一人の子が「一緒に写真を撮ってもいいですか?」と来た。
「OK」と応えて、ならばこちらも・・・と、カメラを渡すと、
クラス中の子供達が大集合!こんな写真ができました。
・・・
見物を終えて、街中へ。
都心部をぐるりと廻ってから、デリー現地の人もお勧めの
最大土産屋「セントラル・コテージ・インダストリーズ・エンポリウム」へ。
7階までの建物が、すべてお土産屋という豪快さ!
大体がインドチックな、、、伝統的なものばかりで、
「これは、日本人は喜ぶかな・・・微妙」という印象もあったけど、
「ガネーシャ」という神様の置物や、アロマキャンドルなど、
小さくて、持ち運びしやすいものをたくさん購入。
買い物の仕組みは、初めて見たやりかたで「??」
レジでお金を支払うと、商品はそのままお預け。
レシートだけ渡され、最後に1階の「商品受け取り所」で
買ったものをすべて受け取るというシステム。
さくっと買って、さっさと帰りたい人には不便かも。
買い物を終えると、あっという間に夜に。
インド門のライトアップを見たかったけど、
ラールキラー同様に共和国記念日(Republic Day)のため、
26日までは近くへいけないとのこと(涙)
ドライバーさんが、走りながら見える所を2回ほど通ってくれました。
連続シャッターで、このくらいの写真が取れました。
※もちろん、この写真は門の部分だけを切り抜いています。
そ、し、て・・・
「ここまで観光できたんですけど、旅行中に一度、
地下鉄に乗ってみたかったので、帰りは地下鉄で帰ります。
コンノートプレイスで下ろしてください。」
ホテルのあるメインバザールと、
コンノートプレイスが、地下鉄1駅で行けることを
あらかじめ調べていたので、冒険したかったのである。
するとドライバーは、
「OK.乗ったらメインバザール駅で待ってるよ」
あ、いや・・・ホテルまで歩いて帰れますよ。
「いやいや、あの辺りはスリも多いし危険だから、
車でホテルまで帰った方が安全です。安全、第一ね」
とのこと。
そこまで護衛してくれる旅、初めてです・・・
何よりも安全第一ってガイドさんの方が言うとは、
ほんとうにサービスがすごい!
というか、インドってやっぱり危ない国なの???
ひとまず、危ないことは避けよう、と、
駅での迎え時間を7時半と決めて下車。
コンノートプレイス。円形のショッピングモールで、
パルテノン神殿のような柱には電飾がピカピカ。
これまで行ってきた、バラナシやアグラーが
懐かしくなるほどのギャップ。都会の様相をした人々。
同じインドとは思えない。
地下鉄は、日本の技術が導入されているそうです。
乗ってみると、清潔で安全柵などもついていました。
ガンジス河周辺の人たちが見たら
卒倒するんじゃないかな・・・(いやいや)
という訳で、あっさりとメインバザールの駅に到着。
入口でハラハラウロウロしながら運転手を待っていると、
颯爽とやってきて、「Hey!Ride on!」
・・・まるで、スーパーマンのようでした。
安全無事に、インド最後の夜を過ごす「Please Yes Cottage」へ。
オーナーのラジェンダさんが、「夕飯でもいかがですか」と
誘ってくださったので、ラジェンダさんとの会食を楽しみたい。
と、思った私も「同意!(じゃなくて Agree!)」
一緒に近くのレストラン、「グリーン・チリ」へ。
アフガ二・チキンに、本場インドカレー(ナン付)をご馳走になって、
お腹はすぐに一杯になってしまいました。
ラジェンダさんが経営する「シゲタトラベル」の由来ともなった
Sさんは(バレてるって・・・)、実は私の古い知り合いというご縁。
で、これまた何のご縁か今、彼女は中国の"北京でない都市"で
会社を興していて、出張でその街を訪れた時にもお会いしていた。
「Sさん、元気そうでしたよ」と伝えると・・・
遠い目をしていました。
日本人への心地よいサービスを提供してくれる旅行会社、
今や有名なガイドブックには必ず登場するほどになった。
設立当初、2人はどんな思いで会社を興し、
インドで千夜を過ごしながら、会社のことを考えたのだろうか・・・
王様とお姫様のロマン漂う国で見たインド。イスラム。ガンジス。
すべての思い出を走馬灯のように駆け巡らせながら、
最後のアラビアン・ナイトが更けていきました。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ11:突然のサイクルリキシャと中国学生
数日振りのデリー駅。
列車を下りた所(もちろんホーム)で待っていてくれたドライバーさんと、
シゲタトラベルのある「Cottage Yes Please」へ。
久しぶりに、オーナーのラジェンダさんと再会。
「楽しかったですか?」
いやあ、もう、スリルとスッタモンダの連続で、、、
バラナシもアグラーもドライバーさんが手厚く守ってくださって、
ここまで安心安全に帰ってくることができました。
そして、この日はインド滞在最終日。今日の目的は・・・
初日に、飛行機が降りられず観光できなかった、この街。
デリーを観光しなければならないのである!!
この日行きたいところを、ドライバーさんに告げる。
・ラール・キラー
・ジャマー・マスジット
・フマユーン廟
・コンノート・プレイス
・インド最大のお土産屋
(セントラル・コテージ・インダストリーズ・エンポリウム)
・アップ・キ・パサンド
(インド一の高級紅茶店)
で、まずはお昼時だったので、先にメインバザールにあると
ガイドブックで紹介されていた日本語のできるインド人経営の
日本風カフェ「クラブ・インディア」へ。
シゲタトラベルから、にぎやかなメインバザールを通り、
牛を掻き分けながら10分ほど歩くと・・・ありましたありました!
珈琲ばかり飲んでいたので、ためしに紅茶を注文。
・・・お湯にティーバックを突っ込んだ状態で、15ルピー。
そりゃないよ!!!
とりあえず、おいしく料理はいただいたので、満足。
シゲタトラベルに戻り、車に乗って最後の観光スタート!
先に向かったのは、「ジャマー・マスジット」
駐車場があるそうだ。。。
が、先に「地球の歩き方」を読むと、
12時45分~13時45分までは休憩で入れない。
今はまさにその時間。
「ねえ、今は13時45分まで入れないって聞いているんですけど・・」
と言ってみるが、ドライバーさんはすまし顔で
「大丈夫。ノー・プロブレム」
あれ?大丈夫なの?
ならば大丈夫なのだろう。
現地の人の言葉を信用して、ひとまず現地へ・・・
行くと・・・
「今はお昼休みだから、入れないよ。ノー!」
やっぱり駄目じゃん!!
ドライバーさん、愛想笑いもせずに「駄目なの?」
だから駄目だって、私、今言いましたよ!!
ま、よくあることなので、ノー・プロブレムにしておきます。
というわけで、先にラール・キラーへ。
ドライバーさんは、ちょっと離れた公共駐車場へ移動。
そこで、なぜかドライバーさんは先に下りて、どこかへ消えた。
・・・ん?ん?ん?
で、下りてみると、そこには一人のサイクルリキシャが!
「ラール・キラーには駐車場がないから、
これに乗って行って下さい。では、1時間後にここで」
おーーーーー!そういう話ですか。
で、しっかり100ルピーという金額まで決まっているじゃありませんか。
またも狐につままれたような気分になって、
でも、遠いみたいなので「没方法」、とばかりにリキシャへ。
ラール・キラーは見学するのにどのくらい時間がかかるだろう。
などと考えていると、リキシャの運転手さんが話しかけてきた。
「○○○・・・今はクローズ」
ん?はい。マスジットは今はクローズですが。
「22日~26日まで、クローズ」
え?いや、午後になったら開くって言ってましたよ!
何を言っているんだよう。何がクローズなんだよ。
ちょっと不可解な説明に、頭の中がちょっと混乱。
そして、ラール・キラーへ到着。
運転手さんが、「じゃ、入口の写真を撮ったら戻っておいで」
いやいや、見学したいんですけど!
まったくもって、なんで写真しか撮らせないんだよう・・
と、訝しげに門の前まで歩いていくと・・・
ラール・キラーがクローズしていた・・・(汗)
どうやら、インドでは1月26日が共和国記念日(Republic Day)で、
この日に備えて、今日1月22日~26日までは
ここの広場で式典の練習か何かが行われるらしい。
中国の春節も今年は1月26日が元旦。同じ日なので
インドでも旧暦を採用しているのかと思ったら、違うんですね・・・
ドライバーさんたちも、今日知った話だったそうです。
こういうのもまた、インドですから。ノー・プロブレム!!
と、傍らにアジア風の女の子が困った顔をして、
「Today,we cannot see?」と尋ねてきた。
そうみたいね・・と、応えながら、
「Where are you from?」何気に聞いてみると、
「China」
おー!チャイナですか!!
この瞬間、私の外国語頭は中国語にスイッチ!
・・・できずに、英語交じりのシドロモドロ中国語。
「あー、I am sorry、じゃなくて対不起!
我一直在印度、所以・・・没出来漢語~(中国語が出てきませ~ん)」
とはいえ、少しずつ話していくと、目茶目茶なまでも
中国語が次から次と頭の中に復活してきたので、会話になった。
彼女は、春休みを利用して一人旅に来た女子大生。
夕べ着いたばかりで、これから1ヶ月の予定でインドを廻るそう。
で、そのスタートに選んだラールキラーが閉まっていて、
出鼻を挫かれた格好になったわけか。。。
出鼻を挫かれたのは、初日に飛行機が降りられなかった
私も同じこと。インドはこのくらいが、インドなのかも。
なんて話をして、別れた。
「一路平安!Have a nice trip!」
で、決して平安な旅になっていない私も、
再びリキシャに乗って走り始めた。
マスジットの開門まで、まだ時間がある。。。
と、思ったリキシャの運ちゃんが、不思議な所へ。
こ、この商店街はなんだーーーー!!?
どうやら、ジャマー・マスジットの仲見世通りにあたるらしいが、
(浅草寺の仲見世みたいなものか)なんでこんな所を通すんだ。
運ちゃんはこれを本人なりのサービスだと思っている・・・らしい。
人人人、看板看板看板、商店商店・・しかも渋滞。
リキシャの運ちゃんもぶつかりながら進んでいく。
ぶつかるのも、当然のことらしいが、怖い。
子供達の通学リキシャ。可愛かった。
そうこうしているうちに、マスジットが開門したので、見学へ。
入場料無料。ただし、カメラの持ち込み200ルピー。
・・・そのまんま入場料やんけ!
思う存分、撮影させていただきました。
リキシャの運ちゃん、一生懸命走ってくれたけど
非常に効率が悪かったし、要らぬ所まで廻ったな・・・
しかも駐車場で車に戻り、100ルピーを払うと、
「たくさん走ったんだから、もっとくれよ」と来た。
こっちは、効率悪いサービスに苛立ったのに筋違いもいいところ。
「Your work is too loose!」
一言反論してみたら、あっさりと引っ込んでくれた。
「もらえるかわからないけど、言ってみよう。」
という気持ちだったのかもしれない。
最初に決めた値段でも、交渉したものでも、
終わった後で高めに言うのが、インドのお決まりみたいだ。
で、それに対してどのように対応するかは、旅行者次第。
旅行者は考えて、お互い折り合いをつけるように交渉する。
商品を買う時と同じように、こうしたサービスでも、
人と、人のぶつかりあいの結果で値段が決まっていく。
これも、インドである。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ10:世界の車窓から~インド鉄道編
1月22日。朝6時。
太陽が目覚める前に着いた、アグラー駅。
ちょっと遅れたものの、時間どおりに電車は出発。
特急ならば2時間で到着するものの、
今回選んだものは、各駅停車。3時間半はかかります。
ま、気長に行きましょ、長い人生。
なんていいながらも、ここはインドですから、
そんなこと言わなくても、気長に・・・遅れていく訳です。
夜行列車じゃないので、今回はシート。
壊れていても、ノー・プロブレムです。
ひとまず、窓の風景をご案内。
テレッテッテッテテーレテ~♪
『世界の車窓から』 今日は、インド鉄道からお送りします。
窓が黄ばんでいたので、
どことなくノスタルジーに仕上がっております。
駅。
ホームも、生活の場所になっています。
線路と至近距離で、街が展開されています。
学校も、線路沿いにありました。
牛と、犬と、人が一緒に暮らしています。
今日は、いい天気になりそうですね。
・・・
そういえば、3年前の今頃は、こんな車窓を眺めていました。
中国は、黒龍江省のハルピンです。
http://emmybbc.main.jp/30haerbin1.html
気温差、50度はあるでしょうか・・・
・・・
そして、列車は30分以上遅れてデリー駅へ到着。
ま、これもインドですから・・・
ノー・プロブレム!
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ9:アグラーで演出写真&演説映像
車とリキシャを乗り継いで、やっとたどり着いた
『ファティープル・スィクリート』
その昔、ムガル帝国の5代目皇帝が、
14年間だけ住んだというお屋敷とムスクは、
あまり使われなかったためか綺麗に保存されていた。
そんな廃墟でやったことは・・・
演出写真(汗)
タージマハルに続いて、モデル仕事
・・・でなくて、お馬鹿キャラ全開です。
写真を撮ってくれる人に、自分で決めた構図を教えて、
「こんな風に、ここから構えてね、はい、1.2.3!」
カシャリ☆
かつては、こうやってお妃様が
この風景を眺めていたんだろうな。
と、思うと、ここに佇む自分が、
悠久の歴史へ旅立ったトラベラーになった気分である。
ムスクの前に行くと、勝手に帽子を被らせてくる兄ちゃんがいた。
「中に入る人は、この帽子を被ってください」
はいはい。ふむ、お妃の愛用していたベットか。
・・それだけか。さっと見終わって、退散すると。
「帽子代、10ルピー」
おーーーい。なんちゅう商売じゃ。
でも、まあ癪になるのもなんなので、
「では、一枚撮らせてください。笑って~」
カシャリ☆
お疲れ様でした。
・・・
再び車は、アグラーの街中へ。
タージマハルの時から、運転手の兄ちゃんはしきりに
「マルベル、マルベル」と繰り返す。
「アグラーのお土産はマルベル(大理石:正しくはマーブルだが
ヒンディー訛りでマルベルになるらしい)だよ」
と、何故かマルベル屋に連れて行く。
そして、お店からは暇を持て余していたかのように、
数人の男性がわっと出てきた。
彼らが早口で、マルベルの説明をしだす。
ちょ、ちょっと待って!ここは丁寧に・・
「To tell the truth,I don't need Marble. I want to buy Postcard,tea,,,,」
(実を言うと、私は大理石は欲しくない、ポストカードと紅茶が欲しい)
運転手に告げると、
「こう言っているからさ、先にそのお土産屋に行くよ」
とマルベル屋の兄ちゃんたちに告げて、車を別の店に走らせてくれた。
そして着いたのが、
「The BUDDHA The Teashop」というお店。
紅茶だけでなく、仏教の置物やポストカード、
マグネット、Tシャツなどが揃っている総合お土産センターだった。
オーナーのおじさんは日本語ペラペラで、しかも
「強引には買わせません。信用大事ですから」
インド人もびっくり!・・・いや、日本人がびっくり!
日本人の心を突いているこの人!
申し訳ないけど、お土産は最後のデリーで
買おうと思っていたので、ここではアグラーにまつわる
タージマハルの絵葉書と、マグネットを買って終了。
そして車に戻って、運転手さんに
「お土産はもういいです。大理石は要らない」
繰り返すと、運転手さんも「ノー・プロブレム」
と言って、
夕飯に希望していたピザハットへ連れて行ってくれた。
この運転手さんも、日本人のこと理解している!
後で聞いた話だけど、ガイドや車をセレクトしてくれた
シゲタトラベルのラジェンダさんは、
信頼関係のある人としか契約していないそうだ。
ラジェンダさんとの信頼関係が崩れると、
日本人相手の仕事がなくなる。
なるほどな・・・
ピザハットは、日本で食べる味と同じ。
パン生地の中にソーセージが入ったものをオーダー。
中国のピザハット以上だった。
でも、ビール(1本150ルピー)が一番高い気がした・・・
・・・
ホテルに帰ると、テレビではオバマ大統領の就任式の中継が。
あ、そうか・・今日、アメリカ時間では1月20日。
本当なら、就任式を見に行こうと思っていたんだけど、
気温差30度のインドに来てしまったんだなあ。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ8:ガイドはいらんかいね~?
わ!象さん発見!これ、象のタクシーだそうです。
値段はいくらかわかりませんでした・・・
午後。
車はアグラー郊外の
「ファティープル・スィクリート」を目指して走り出した。
目的地まで、およそ1時間。
初めて見る、インド郊外の風景を窓からじっくり見学。
崩れかかった家。
壁に文字一杯の商店。
野菜や果物の屋台に、
ニワトリ小屋。
・・・うん。
北京の郊外と、結構似たりよったり。
いくらオリンピックで建て直しが進んだとはいえ、
地下鉄の13号線に乗って一番北辺りの駅で下りれば、
このような風景にすぐ出会えるのです。
インドのデリー空港で下りて、メインバザールへ行くまでも、
こういう風景にさして驚きを覚えない自分に気づいたけど、
やばい・・・これでは旅の感動が足りない!
よし、盛り上がるぞーー!おーーー!
「わぁ!ヒンディー語だ!!ヒンディーの看板が並んでる!」
「地平線だ!地平線が広がっている!」
「犬だ!牛だ!ニワトリだ!」
テンションを上げながら、運転手さんと談笑。
この日の運転手さんは、英語があまり得意ではないと
言っていたけど、私より日常で使っていることはわかる。
私に、色々と話しかけてくれた。
「Married(結婚しているのかい)?」
「Oh Nohh!」
この手の質問は、常に聞かれる・・・
中国なんて、もっと盛んに聞いてくる(汗)
・・・
ファティープル・スィクリートが近づいてくると、
運転手さんがこう切り出した。
「この車は、駐車場までしかいけないから、
その先2キロほどの入場口まではリキシャを使ってください」
値段交渉はするまでもなく、一律往復で100ルピー。
「リキシャに乗る所、入場口、至る所にガイドがいて
しつこいから、必要なければ無視して行くように。
ガイドは『タダ』というけど、あとで結局請求されます。」
ふむ。きっと『地球の歩き方』でも熟読していれば、
片隅に載っていそうなアドバイスだが。。。
私は普段、ガイドブックを熟読しない。
そんな奴にとっては、直接現地の人に聞く話が、
語学の訓練にもなって結構ためになってくるのだ。
でも、読んでおいた方が、観光地では歴史的背景を
楽しみながら観光できるから、その分私は損している・・・
果たして、車は駐車場に到着。
たくさんのリキシャが集まってくるが、
運転手さんがセレクトしてくれたリキシャと100ルピーで交渉した。
そして、リキシャを選び抜く前から
わらわらとやってきたのが話の通り、ガイドと称する奴ら。
不要!・・・じゃなくて、No need!
ガイドのお申し込みを丁重にお断りし
(振り払って、とも言う)リキシャに乗り込む。
すると、なぜかリキシャ運転手の横にもう一人男性が。
そして、
「タダで案内するよ。ガイドして欲しくない?」
わあああああ!乗り込んでまで、交渉するかぁ!?
リキシャが走りながらも、延々と宣伝をするガイド。
しかし私はだんまりを決め込む。
不要・・・じゃなくて、No needだってば~。
中国でもわんさかいるガイドも、結構しつこい。
私は中国での百戦錬磨で身に着けた
ガイドを振り払う?とっておきの言葉を思い出した。
「你会説日語マ?」
えーとつまり、
「Can you speak Japanese?」
これでたいていのガイドは、
「我不会説日語・・・(日本語はできないな~)」
と言って、去っていく。結構効果あるみたい。
以前、日本からの友人を連れて故宮へ行った時、
この方法を使ったことがあった。
「你会説日語マ?
他是為旅遊来北京的、所以他不会説漢語」
(日本語はできますか?彼は旅行で北京へ来たので、
中国語ができないんです)
すると、ガイドさん、
「Oh!我不会説日語・・・
你給他翻訳」(あんたが翻訳してあげてよ)
あいよ~。私が中国語をしゃべりすぎた!
何はともあれ、ガイドは要らない。
という先入観が私の中に植え付けられたのも、中国。
インドでも、然り。英語でガイドされても疲れるし、
限られた時間は自分で有効に使いたい。
そのうちガイドさんも、要らないといい続ける私に
「No need?」
「No need」 と応えると、
道の途中であっさりとリキシャを降りていった。
あらら、山道の途中で降りるの?あなた・・・
まあ、そこで次のターゲットとなるリキシャを待つんだろうか。
・・・
乞食に地下鉄の中で手を引っ張られても「ぎょっ」っていう反応もしないこと。
売り込みも、ガイドも、ちょっと返事をしようものなら、
こっちはコミュニケーションを楽しんでいるつもりでも、
向こうにとっては、金の弦。「その気があると思われる」
街角や観光地で、北京生活の先輩から教えられた。
そして、経験を積んだ今、私の心にも張られた防護膜。
コミュニケーションは楽しみたいが、
相手と自分の温度差が違うことを嗅ぎ取ってしまう限り、
どうしても、防護膜を張ってしまわざるを得ない。
この辺、日本から来た人の方が、
こういう人たちと楽しくコミュニケーションをとるんだろうな。
リキシャのおっちゃんと。彼は優しかった。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ7:憧れのタージマハル!そこは巨大な「お墓」
30分遅れで出発した列車は、1時間遅れでアグラーに到着した。
列車での14時間は、にぎやかな上に席が決まっているのに
勝手に色んな人が人の席に座ったりベットを取ったり。
そのほかにも、なにかと大変なことが一杯だったが・・・
なにせここはインドですから。
何はともあれ、アグラー駅に到着すると、
お迎えを頼んでいたガイドさんが、車両から出た所で待っていてくれた。
チケットがなくてもホームに入れるのも、インドですから。
まず先に、宿へ案内してもらいチェックイン。
『タージ・ステイ・ホテル』
ガイドブックにもないホテルだが、
室内は綺麗で、中国の三ツ星ホテルくらいだ。
シャワーのお湯が、10分ほど待って温まり、
15分ほどで出尽くしてしまうのも、中国の古いホテルと一緒。
中国に住んでいる私はまだ驚かないが、
ずーっと日本に住んでいる人はどう思うだろう。
さて、さっそく荷物を置いて、
パンジャビー・ドレスに着替え、出発!
ここでなぜパンジャビー・ドレスに着替えたのかというと、
そう、あのタージマハルのためである!!
演出、です(汗)
タージマハルは、午後になると人が増えるので、
午前中に行った方がいい、とガイドさん。
という訳で、いの一番にタージマハルを目指すことにした。
入口で、この旅の入場料でダントツ一番の高額
750ルピー(1500円)を払い、中に入る・・・
が、まずノート・筆記具・食べ物・薬などは持ち込み禁止!
という話を聞いたので、車の中に残して、入場。
カメラはOK、というあたりが観光地っぽい。
そして、決めてみました!
タージマハルで座禅!!
え、宗教が違う?
いやいや、ここはインドですし、墓場の前ですから。
死者を弔ったのです(完全、宗教がわかっていない)
そう。ここへ来る前は知らなかったのだけど(無知・・)
タージマハルは、かつてインド亜大陸を支配した
ムガル帝国(1526 - 1858年)の第5代皇帝であるシャー・ジャハーンが、
愛妃ムムターズ・マハルの廟墓として、1653年頃完成したものである。
そして、河を挟んで対岸には自分用の黒いタージを
建設する予定だったのだが、途中で自分の息子に
政権を奪われ幽閉され、願い叶わず亡くなったのだとか。
というわけで、あるのは白いタージマハルだけ。
大理石でできた建物に、思わずうっとり・・・
と、ここでドライバーさんがしきりに話す言葉を思い出した。
「アグラーは、マルベル(大理石:マーブルのヒンディー訛り?)を
お土産にするといいよ」
そんなの・・重いし高いし、喜ばれないよ。
と、心の中でぼそり。
隣のアグラーフォート(古城)から、遠くにタージマハルが見える。
そうか。この河の反対側に黒いタージができる予定だったんだ。
夢は散ったけど、王様は奥さんのお墓の片隅に眠っている。
その眠りは、永遠になっているのだろうか・・・
そんな景色を眺めても、本当にここは・・・
タージマハルしか、売りがないのか。
いやいや、悠久の歴史に漂う美を感じるのであった。
しかし、そんな観光地に現れた子供達。
元気に「Give me money」と連呼する。
どうやって、250ルピーの入場料を払ったんだろう。
民工・・・工事しているおっちゃんたちの子供達だろうか。
タージマハルでも、観光に来ていた女の子達と撮影したけど、
彼女達はどうみても身分の高い服を着ていた。
同じ年頃の子供達にも、生まれながらにしてある身分と
それぞれの生活様式。それもまた永遠に続くのか・・・
インドでは、やっぱり考えさせられることが多い。
【インド紀行】在中国日本人、インドの旅路でスッタモンダ6:根深いカースト?乞食の少女と家庭のカレー
ダメーク・ストゥーバ。
日本では見たことないが、仏教のシンボルだって。
仏教の聖地・サールナートも近いので観光したり、
ヒンドゥー教の教堂が大学の構内にあったり、と
宗教のメッカでもあるバラナシ。
このあたりもすべて制覇し、バラナシの旅は終了。
夕方からアグラー行きの列車に乗る。
その前に、ガンガー・フジ・ホテルが
1000ルピー(2000円)でサービスするアーユルヴェーダを経験。
アーユルヴェーダの講師も務めるホテルオーナーのラージさんが
自らブレンドした油を用いて、おばあさんが丹念にマッサージ。
でも、おへその中に油をたらしたり、軽い柔軟体操をさせたり、
で、最後にはおばあさん、「頭、首、背中、胃、脚、ノー・プロブレム」と診断。
ただのマッサージではないようでした。
2時にラージェスさんが迎えに来て、駅まで送ってくれるとのこと。
その前に、ラージさんから、
「お昼は我が家の家庭料理をご馳走しますよ」とお誘いをいただいた。
前の晩も、プージャーを見た後、宿のレストランで夕飯をいただき、
親身にしていただいたラージさんの最後のご好意をいただく。
日本の話に花を咲かせて盛り上がったので、またお喋りしたい。
というわけで、
1階のフロント?前のテーブルへ行くと、おお!これぞ、The India!!
ターリーと呼ばれるインド式カレーがてんこ盛り!
4種類のカレーに、チャパティと呼ばれるパン。
そしてライスをたっぷり乗せてくれて、満足満腹。
カレーの横に、コップに注いだ水を置いてくれたのだが、
これは飲み水だけではなく、手を洗うための水。
使い古したペットボトルから注いだので、手洗い用の比重が高そう。
インドの皆さん、上手に手をスプーンのようにして食事をしてました。
私も挑戦してみたかったけど、やはり断念・・・
鶏肉のカレーを前に、チキンな性格が出てしまいました。
食事をしていた場所が、フロント前だったので、
食べながらも欧米のバックパッカー達が
大きなリュックをかついでどんどん入ってくる。
みんな、手にガイドブックの定番「Lonely Planet」を持って、
ここの部屋はいくらですか?と尋ねている。
カレーをほおばりながら応対するラージさん。さすがインドだ・・・
バックパッカー達は、こうして安宿を廻り、
部屋の質と値段を確認して、その日泊まる場所を決める。
彼らに比べると、いくらこうした宿に泊まり、
電車で都市間移動をしているとはいえ、プチ贅沢な旅かもしれない。
バックパッカー以上、一般ツアー未満。である。
そんな贅沢の一つ、チャーターした車のドライバーである
ラージェスさんが、2時にホテルの前に来てくれた。
最後のお出迎え。車は牛を越え犬を越え、スイスイと駅に到着。
さらば、ガンジス!さらば、ガンガー・フジ!さらば、バラナシ!
また来たい。率直にそう思った。
今度来るときは、ガンジス河でバラフライ!だけでなく、
個人メドレーでもやってみたい。やめろって?
・・・
2時半には着いたのに、列車が来るのは4時過ぎ。
その間、お店もない駅で待つことになった。
荷物もあるので、手前のホームで立っていると、
5歳くらいの小さな少女がやってきた。
少女は、「あー、あー」と言いながら小さな脚を私に見せてきて、
「Give me money」
小さな脚のくるぶし辺りが、ちょっと擦り切れて血が出ている。
それを見せて「これ痛そうでしょ、ね、お金ちょうだい」と言っているのだ。
またか・・・インドに来てから、かなり遭遇しているのが乞食である。
北京に住んでいても、大使館前の通りなどを
マクドナルドのコップを持った乞食風の子供にしつこく金をせびられた。
そんな経験は腐るほどあるので、かわし方には慣れたつもりだ。
だがここで、中国とインドの乞食でちょっと違うのは、
中国の場合、地方出身など住んでいた地域や親の仕事などの
経済的格差に起因することが多いこと。
なので、本人の努力次第では一代で富を築くこともでき、
チャイナ・ドリームという夢を描くことも実力でできる。
しかし、インドの乞食はカースト制度に起因することなのだ。
すでに廃止されているはずの制度だが、生まれた時から
決まっている自身の位を、簡単に覆すことはできない。
いくら頑張っても職業や経済力を変えることはできないのだ。
それが、カーストの運命なのか・・・
そして、乞食はその枠外の「不可触民(アウトカースト)」。
インド人口の1億がこの身分にあるというが、
それだけの人が、乞食だったり身分の低い仕事に就いている。
※ちなみに、外国人女性もアウトカーストにあたるので、
外国人女性は、インド人にレイプされようと殺されようと
関係ないよ・・・と、旅の前に教えられ、引きつったものである。
カースト。。。
家庭でおいしいカレーをなんの苦労もなく食べられる子どももいれば、
自分で日銭を稼がないと食べていけない子どももいる。
理解しないとは言わないが、かといって、お金をあげたらきりがない。
切ないしかわいそうにも見えるのだが、無視を決め込むしかない。
少女は、いくら私が白を切っても、何度も何度も何度も脚を見せてくる。
5歳、いや、3歳くらいなのか・・・言葉が足りない。
持っていた飴をあげると、その飴をしゃぶって喜んでくれたけど、
しゃぶりながらも、「Money,money」。
私のそばから離れようとしない。
なんだか気になって、少女を黙って見ていることにした。
少女はちょっと微笑んで、でも、お金以外の言葉を発せず、
私のそばで階段の手すりに登ったり、しきりに脚を見せて痛そうにしたり。
それでも、黙って見ている私。
少女はたまりかねて、他の人の所へ行って、同じことを始めた。
あまり、人の多いところにいるもの疲れたので、
2階に登ってみると、すんなりとくつろげるスペースを発見した。
眺めもいいし、静かだ。
本を読みながら、列車が来るのを待つことに。
そして5時前。30分ほど遅れて列車がホームに入ってきた。
停車時間中に、自分が乗る車両を見つけて乗り込まなければならない。
「B1」と書かれた車両を探してみると・・・・ない。
行き先も、ヒンディー語のみでわからない。
ホームにいた係員にチケットを見せて、B1の車両を尋ねると、
「6両後ろだ」との回答。急いで6両分走ると・・・やはり、ない。
焦る私。再び戻って、違う係員に同じ質問をすると、
「6両前だ」
・・・おーい、いい加減なこと教えるなーーー!!
果たして6両前に行くと、そこまで係員が来てくれて
しっかりここだよ、と指し示してくれた。
ギリギリセーフ!!
乗り込んだとほぼ同時に、列車は動き出した。。。。
ああ、寿命が縮んだ。インドで過ごす間に何年寿命が縮むだろう。
バラナシにいる間に寿命が来なくて良かった(汗)
それにしても、車両番号くらいはっきり示してほしいものだ。
「A1」「B1」「C2」がまったくもって順番になっていない。
これでは間違っても仕方ないだろう。
こんな間違い回答をしても、
インド人は「ノー・プロブレム」、で、中国人も「没問題」
乗り遅れたら、中国人は「没方法(方法がない)」で、
インド人は「ノー・プロブレム」
インド人の方が、いささか楽観的である。
列車に乗り込むと、またまた隣のベットは
あの2人組のお姉ちゃんだった。
「列車の入るホームがどこかわからなくて、大変でした」
The India!!
やっぱりここは、インドなんですね・・・
呑気に列車の写真など撮っている場合ではなかった。
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