ハワイ・パールハーバーで「真珠湾攻撃」をたどる(2012年6月)
初めてハワイへ行ってきました。
本来の目的は結婚式だったのですが、
「1日に70~80組の日本人カップルが結婚式を挙げている」
というので、他の79組がいくらでも書いてくれているでしょう。
・・・
ホテルからの眺めは最高でした。
そんなハワイ。
仕事で訪れる機会はほとんどないと思われるので、
昔から、ハワイへ行くならここ!というこの場所だけは
旅行日程に「最重要項目」として入れていました。
それが、パールハーバー。
1941年12月8日(ハワイ時間12月7日)。
太平洋戦争の幕開けとなった、真珠湾攻撃が起きた場所でした。
70年以上経った現在も、
そこには真珠湾(パールハーバー)という港があり軍艦もあるのですが、
当時沈められたアリゾナ号もそのまま海中に残され、
その上に記念館が建てられ、後世に語り継がれているとか。
中国に住んでいる時、各都市にあった「抗日戦争」時代の
記念館を見て回ったり、広島の原爆ドームも長崎も訪れたり、
そんなことから戦争報道への関心を抱き今の仕事に就くことになった
私としては、パールハーバーは欠かせなかったのです。
ちなみに、ハワイは日本人観光客が多いのでパールハーバーの
日本語観光ツアーもあるみたいですが、
最初から、個人でバスで行くことを考えていました。
6月2日。空は澄み渡る青空。ダイヤモンドヘッドへ登ったあと、
朝9時半に、宿泊先のワイキキホテル群近くにあるバス停から
地元バス「The Bus」の「20」「42」番バスで向かいました。
※アラモアナセンターから出発する場合は「62」でも行けます。
私が乗ったのは「20」番バス。これはホノルル空港回りなので、
1時間弱かかって「アリゾナ・ミュージアム」のバス停へ。
バス停から、ちょこっと歩くと到着。
公園内は入場無料ですが、荷物は預けなければならず、
この荷物預け代がバック1つで3ドル。これで十分入場料です…。
園内の地図。
アリゾナ記念館は海の中にあるために船で、
戦艦ミズーリ号は対岸のフォード島にあるため、
シャトルバスで向かいます。どちらも無料です。
アリゾナ記念館へは一度に行ける人数が限られているので、
整理券を貰いに行きます。入口入って突き当たりの案内所で
「○:00」と書かれた整理券が配られますが、私は10時半に入ったのに、
一番直近の時間で午後1時でした。人、多いんですね…。
2時間半も時間があるので、まずは近くの潜水艦を見物。
戦時中にしてみたら相当な設備を備えた潜水艦に驚き。
ま、戦後もリニューアルをしながら活躍し続けたのでしょう。
その隣には、日本軍が使用したという人間魚雷の「カイテン」。
この中に人間が入って、船に向かって突撃していった、つまり
「海中特攻隊」でしょうか…立派な潜水艦の横の展示物とあって
お国の勝利を信じて命を投げた日本人の魂…を感じました。
海に沈んだ戦艦アリゾナのあった場所まで向かう
船着き場の向かい側に、パネル展示があったので、こちらも見学。
日本語の表記がないので、頑張って読みつつ、
横で英語のできる人に解説してもらいながら見ていくと、
日本をただただ責めたような悪者扱いの書き方ではなく、
当時の日本は資源が止められ、追い込まれての開戦だったこと、
欧州の植民地だった東南アジアからの資源入手を望んで、
これらの国々を欧州支配から解放させたこと、
真珠湾攻撃を指揮した山本五十六が実は早期終戦を望んでいたこと、
もちろん、今となって事実はわかりませんがこんな感じの記述で、
日本人が習った歴史認識で、違和感を覚えることなく読めました。
この辺りは、中国の抗日記念館と違うかも…。
戦後、日本を占領下に置いたからか、または
「あ、日本人の観光客が多いから、少し譲歩してるのかな?」
という思いがあってかわかりませんが、それなりにバランスをもって
説明してくれているんだなという印象でした。
とはいえパンフレットの日本語版だけは、真珠湾攻撃の見出しが
中国語・英語と違って「不名誉の日」になっていましたが…。
さて、整理券に記載されていた1時になったので、船着き場へ。
そこで先に真珠湾攻撃を説明する映画を30分ほど見てから、乗船。
海を渡ってまっすぐ海上にあるアリゾナ記念館へ向かいます。
沈んだ船の上に、横たわるように作られた、長方形の白い建造物。
それは記念塔のようであり、博物館のようであり、船体のような
デザインで、見どころはそれしかありませんでした。
…が、船から周囲の船が沈んだ場所を示す建造物と沈んだ船の名前、
水面に輝く、いまだ沈んだ船から浮かんでくるというオイル、
犠牲となった1177名の名前が彫られた壁一面の慰霊壁?
あまりに奇麗すぎたことに「作り物」感、そして
記念撮影に夢中の多国籍客の様子に「観光地」感は残したものの、
そこにある生々しい記録の数々は、やはり後世の人間が作ったもの
以上の重い空気を放っていました。
この「1時」の集団には、我々の他に日本人が見られませんでした。
そこに日本人観光ツアーが早朝に行われている理由も伺えましたが、
逆にいえば、外国人と一緒にこれを見ることも価値あるような気がしました。
ひととおり見物を終えて、再び公園へ戻り、
今度は園内のシャトルバスに乗って、
フォード島に渡り「戦艦ミズーリ」へ。
※ミズーリ号と潜水艦のセットで30ドル。
このフォード島には多くの退役軍人が別荘のような家に住んでいて、
余生を過ごしています。中には、真珠湾攻撃の被害を受けた人もいて
まだ遺恨が残されていないとは言えないようです。
昨年、山本五十六の出身地・新潟県長岡市がホノルル市と、
12月8日に慰霊の長岡花火を打ち上げる企画を進めたけれど、
やはり住民感情に配慮して中止になったと言われています。
※これは、2012年3月4日のホノルル・フェスティバルで実現。
http://blog.livedoor.jp/nagaokamatsuri/archives/2012-03.html
この巨大な戦艦の甲板で1945年9月2日、
連合国側の各要人と日本側からは外交官・重光葵が
無条件降伏の署名をし、すべての戦争が終結したのでした。
その時の署名のコピーが展示されていました。
戦争に負けた日本軍の虚無感はあれど、
これが悲しい歴史を止めることにもなったのですね…。
ミズーリの大砲の先には、先ほど見たアリゾナ記念館。
「アリゾナを撃沈してやる」と言っているように見えて、
「お前の仇をとったぞ!」と言っているのでしょうか。
この戦艦は、太平洋戦争後も朝鮮戦争などで活躍し、
1992年(平成4年)に引退。記念館として展示されるようになりました。
かなり広いので、見物には1時間以上かかります。
船から見える景色をあちこち撮影していたら、尚更…。
※周囲の軍港をつなげてパノラマにしてみました。
帰りのバスも、20、42、62番のどれか。
最初に来たのが62番、アラモアナセンターですぐにやってきた
8番バスに乗りかえ、行きより早くホテルに着きました。
行ってみたかったパールハーバーを訪れてみて、
現地では、日本人として気まずい雰囲気が漂うなど、
そこまで重苦しいものは感じませんでした。
ここはまだ、日本語ガイドブックでは存在感の薄いスポットですが、
戦争の悲惨さや歴史の現実を忘れないために―
広島・長崎を小さい頃から学んでいる分だけ、
戦争被害という生々しい歴史が現実にあったことを知る我々。
米国側の戦争を記録する施設を訪れることで、
「戦争は、被害者も加害者も傷つく。二度と起こしてはならない」
という気持ちを改めて確認し直す上では、
ハワイへ行く日本人は訪れることをお勧めしたいと思います。