夏・広島から~戦後70年の原爆ドームと世界遺産めぐりまとめ

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朝7時30分すぎ。大田市から都市間路線バスで3時間かけて、広島へ。
(写真は島根県邑南の道の駅休憩所)

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山間の町にある停留所で客を拾っていくことから、
山陽と山陰を縦断でつなぐ、重要な交通手段と実感。

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昼前に到着した広島で訪れた世界遺産はもちろん、
登録されて久しい「原爆ドーム」。

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8月6日の式典の香りが残る花や折り鶴を見ていると、いろいろと思いを馳せます。

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あの路面電車、70年前もこの街を走っていたんだな・・・とか。

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そして、久しぶりに訪れて気付いたのは外国人観光客の多さ!
広島の友人に聞くと、宮島など広島の観光スポットが最近、
ロンリープラネットやミシュラン観光ガイドに掲載され、
その独特性をもった観光地の形などが魅力を誘っているようです。

宮島も世界遺産ですものね…今回は行けませんでしたが。
※2003年に行ったことはあります。
いずれにしても、原爆を落としたアメリカ人の間でも、
徐々に広島・長崎のことを知る人が増えて来たという話です。
日本(しかも広島・長崎だけ)の話にとどめず、
世界の人々が、核兵器を使わない世の中を築いていく道を
考えていけると嬉しいです。

その夜、北京に在住経験のある広島の皆さんとお会いし、
懐かしい北京の話を堪能しながら、
広島に生まれ育った皆さんならではの貴重なお話も伺いました。

広島で生まれた人は被爆2世・3世であることが少なくありません。
だから、違う地方で生まれ育った私とかが実感できないほど、
「原爆」というものは身近にあったそうです。

しかし、実際に被爆した1世であるお婆さんお爺さん世代は、
どんどんこの世から去って行かれています。
生前も、あまりの辛さに体験を口にすることもなかったそうです。

長崎も同様ですが、今後、この2つの地を「最後の被爆地」とするために、
まずは戦争を体験していない私たちが考えることは多そうです。

2011年の東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故と、
最近、物議をかもしている安全保障法案が、結果として、
若い人たちの「核」に対する意識を高めていることは評価すれば良いでしょうか。

bell train bell train bell train bell train bell train bell train

今回、8月9日から回った3か所の世界遺産。
1)萩城下町と松下村塾
2)石見銀山
3)原爆ドーム

いずれも日本の歴史を支えたり世界に門戸を開いたことで、
登録された意味のある場所だったことを実感しました。

一方で、山陰地方や群馬など交通の不便な内陸部は、
その価値を多くの人に伝えるためのインフラ整備を、
過疎化という流れの中でどの程度築いていけるのか、
という課題もあることを感じた旅でもありました。

また、旅行者にとってはお財布泣かせの一面も…
バスと鈍行を使ったり安宿を選んだつもりだったけど、
宿の場所が不便でタクシー利用になったり、
ダイヤが合わずに特急利用になったりと余分な出費もあり、
かつお盆時期で宿代が割高だったことも手伝って、
最後に旅費を合計したら相当な額(泣)

当面は節約しなければということも痛感しているところです。
でも、こういうことがあると、
「今度はもっと安くて効率良い旅にしてやる!」
というリベンジ魂が燃え始めているので、楽しみに残しておきますか。

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夏・島根から~世界遺産登録8年の貫禄!?石見(いわみ)銀山

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2007年に世界遺産登録された島根県の石見(いわみ)銀山。

山口県の萩から1両ワンマン列車の山陰本線に乗り、
益田で快速ライナーに乗り継いで島根県の大田市へ。
東萩6:23-7:34益田7:44-9:28で大田市駅に到着。
すぐあとの9:38発の石見銀山行きバスに乗車とアクセスは便利。

バス停にいる時からガイドさんが地図を配ってくれて、希望観光地を告げると、
「間歩(銀鉱)を見るなら、疲れないないうちに行った方がいいから、
大森というバス停で下りて先に行って、その後色々回った方がいいですよ」
と、アドバイスをくれました。助かりました。

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大森のバス停には10時過ぎに到着。
これまたタイミング良く「10時30分に出発するガイドがあります」との声。
何も聞かないでスタスタ突き抜けてしまうよりも、見聞を深めながら
みんなで歩くのも楽しいかな、と申し込む。ワンコイン500円。

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参加者9人中、かなりの時間ガイドさんにくっついて、
話を聞きながら歩いていました(すみません)
※もちろんガイドさんは、要所要所では集めたり
声を張り上げて、全員に聞こえるように説明しておりました。

石見銀山遺跡が世界遺産に登録された理由は、
1.銀生産を取り巻く往時の生産・流通・防衛の遺構が良好に残され、
2.周囲の自然と一体となった優れた文化的景観を形成していること、
3.生産された銀は海外にも輸出され、16・17世紀東アジアの
 政治・経済・文化の交流に大きな影響を与えたという3点にあります。

島根県のHPより http://www.pref.shimane.lg.jp/sekaiisan/

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ガイドさんから話を聞きながらのんびり歩き、写真を撮ること2時間。
その間にある石垣は、当時すべて住居だったと言います。
当時の人口は20万人もいたとか!?驚きですね。

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そしてついに、目標の「龍源寺間歩」へ到着。
洞窟の中は、当時のノミで打った痕がいっぱい!
中は年間通じて15度前後、夏は涼しく冬は暖かいそうです。

ここでガイドさんのツアーは解散となり、各自自由に下りていきます。
私は、途中で省略された「清水精錬所跡地」をじっくり探索。

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下から。

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横から。

ここまで登ってみると、後ろに「選鉱所跡0.4キロ」と言う文字。
400メートルなら行けるかな…と思い行って見ることに。

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が、もう到達していいはず…と言うところであと200メートル。
行けども行けども到達せず。

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400メートル「登る」だったのかもしれません…ここは意地を張って到達。
疲れました~。でも、上からの眺めは良かったです。

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あ、これは最初の「清水精錬所跡」の上からの眺めです。

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その後、大森代官所までバスに乗って歴史的な街並みを見て、
大田市駅に引き返して行きました。

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石見銀山といえば「銀細工」なのか、銀を売っている店もちらほら。
でも、現在の石見銀山では銀を採掘しないので、どこの銀なのか?

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世界遺産登録されてから8年。こうしたガイドは70人ほど。
登録当初は観光客もどっと押し寄せ対応に忙しく、
街中には大型バスなども連日来て住民の反感もあったという。

その中で、どうすれば共存できるのか住民と話し合った結果、
「歩いて楽しむ観光地」としてのスタンスを掲げ、
そのための歩道の整備を行い、移動は徒歩か自転車のみに。

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電信柱の地中化も進め、それが完成した登録4年頃から、
かなり落ち着いた形で観光地として安定するようになったという。

もちろん、自然と登録ブームは去り、観光客は減ったけれど、
歩道の途中にあった大森小学校の子どもは増えているという。
町が企業を誘致し、企業もそこに「子育て世代」の方を配属。
結果、廃校・合併が漂った小学校は現在安泰という。

生活する人と観光地との共存。参考になりました。

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同じ産業遺産として去年登録されたのが、群馬県の「富岡製糸場」。
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2014/04/post-f2ef.html

こちらも製糸場前の道路は狭く、駐車場の数も足りない。
もちろん、石見銀山に比べれば狭い範囲の遺産だし、
登録前に訪れた時よりは、町の整備も進んでいるだろうけど、
いまごろ、どうなっているだろうか…
8年先輩の石見銀山は参考になることが多かったと思います。

ただ、最寄りの都市であるはずの大田市には申し訳ないけど、
今度訪れる時は、石見銀山の中にある宿か、出雲にします。

1、2軒あるホテルには申し訳ないけど、店がなければ、お金を落とす術がない…。
空腹を満たす術もなかったので、電車に乗って出雲に出向き、
出雲そばと温泉を堪能して引き返す、効率の悪さを痛感しました。

でも・・・

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電車は可愛かったし

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出雲そばはおいしかったです

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夏・山口から~祝!世界遺産登録の「松下村塾」「萩城下町」

8月9日の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」を訪問後、
鈍行と特急とバスを乗り継いで、「世界遺産めぐり」をしてきました。

まずは山口県の萩。

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今年、世界遺産登録された「明治日本の産業革命遺産」23施設のうち、
ここ山口県萩市にある施設が、なんと5か所も登録されたというのです。
・萩反射炉 ・恵美須ヶ鼻造船所跡 ・大板山たたら製鉄遺跡
・萩城下町 ・松下村塾

今回は、その中の「萩城下町」と「松下村塾」へ。

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新山口駅から萩行きの直行バスが出ていて便利でした。
1時間ゆられて到着したのは「明倫館」。

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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のドラマ館が期間限定で開館。
ドラマと世界遺産の効果が重なって、多くの人が訪れていました。

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萩の城下町は色々見どころがあったので相当歩いたか。
重い荷物を担いでいたので、荷物が当たった腰の骨が痛くなりました。

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高杉晋作の生家や銅像。木戸孝允の生家。

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久坂玄瑞に、山県有朋の銅像。などなど…

多すぎです。

レンタサイクルが一杯あったけど、
萩城下町~松下村塾が歩いて各2、3キロ。
明倫館前に市内バスがあったけど30分に1本しかなく、
ちょうど出て行ってしまったところだったので、歩きました。

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松下村塾には、ここで学んだ人たちの写真。
その周囲には吉田松陰が育ち、幽閉された家がありました。
やはり人一杯で、シャッターチャンスを捉えるのに時間がかかりました。

松下村塾からホテルまでも2キロ、
ホテルから萩城も2、3キロという微妙な距離。
結局、全部歩いて回りました。

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歩き疲れたけど、萩城の近くに見えた海は綺麗でした。
夕日もいい感じで…遠くに見えました。
昔、ここで世の中を変えようと思った維新の者たちも、
この海を見て夢を描いたのでしょうか…

更に、市内には5つの場所が世界遺産登録されたのですが、
他の3か所については遠く離れていて、車がなければ行きにくい。
断念しましたが、東萩駅から北へ向かう電車に乗ると、
線路沿いに「萩反射炉」を見ることができました。

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写真には収まりませんでしたが…(涙)
左端にちょっとだけ見えます(見えませんって?)

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ちなみにこれが正面からの反射炉(すみません拝借です…)

山陰地方かつ世界遺産登録1年目にしては訪問しやすく、
見どころも多いので、お盆時期でなければオススメです。

一方で、街中の交通手段と宿泊には不便した一面も。
東萩駅近くのホテルに泊まったのですが、
周辺に食べる所が少なく、夜9時には閉店…ガストに救われました。
(そのためか、ガストは9時を廻ってもお客でいっぱいでした)。

人口の問題もあるので町の考え次第ですが、
観光客を受け入れるインフラ体制は今後の課題かと。

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「維新のふるさと」、「一両ワンマン列車」

その東萩から翌日始発で島根県の益田、乗り換えて大田市へ。
世界遺産巡りの山陰旅は続きます。

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途中で見える海の景色はまた絶景。
同時に、海べりに並ぶ家を見て一抹の不安も…

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夏・長崎から~戦後70年の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」

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8月9日。夏、長崎から。
原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の会場にいます。

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長崎の宿は一杯だったため、前晩は佐賀県に一泊し、
8時に長崎の浦上駅着、先に爆心地を訪れました。

Nagasaki

当然ですが席の大半は遺族席で、
後ろの方にわずかに設けられた一般席は、
私が到着した8時30分過ぎには満席。
10時30に近づき、入場制限もかかったようです。

その頃には埋まった遺族席はもちろん、
一般席も高齢の方が多くを占めていますが、どちらの席にも
入り混じるように若い人が少なくなかった印象です。

10時35分、被爆者の合唱「もう二度と」で式典開始。
11時02分、黙とう。

その後、長崎市長の「平和宣言」。
途中で大きな拍手が2回起こりました。

続いて、被爆者代表の「平和への誓い」
今年挨拶をされた谷口稜曄さん(86)は、
70年前の8月9日、16歳で、郵便配達中に被爆。
背中に大やけどを負い、1年9カ月うつ伏せの生活を余儀なくされ、
いまも時折痛みを覚えるといいます。
その時に出来た胸の床ずれで、今でも肺活量は人の半分以下とか。

リンクの記事に写真があります。画像のインパクトは大きいです。
http://www.asahi.com/special/npr/OSK201005080038.html

そうした中、体験談を伝え続けてくださったことに、
私たちは感謝の念を抱くことを禁じ得ません。
こちらも、途中で大きな拍手が2回起こりました。

ただ、2人に拍手が起こったのは、
今の政府が進めている法案をけん制し批判した時で、
正直、私の心中は複雑でした。

私が子どもの頃は、広島・長崎の平和祈念式典は、
ただただ戦争のない平和を願い誓う場所だったはず、、、
ですが、ここ数年の平和宣言には、
政府へのお願いも込めたけん制・批判が入るようになりました。

長崎市長・被爆者が政府に訴え、遺族席から拍手が起こる…。
市長も被爆者の方も、政府と対立するための式典ではないことは
重々承知の上でしょう。それでも言わざるを得ない、
言わなければ、また原爆を落とされる戦争が再来するかもしれない。

そんな危機感を覚える戦後70年。
必死な姿勢が伺えて、なんで苦しい目に遭ってきた人たちが
先のことも案じ続けなければならないのかと、考えてしまいました。

黙とうの時には鐘の音で消されていたためか、
静かに市長の平和宣言を聞いていた頃から
公園外の「安保反対!」と叫ぶ声が目立ったのも微妙な気持ちでした。
その声、このタイミングで、この人に叫ぶものじゃない、と。

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in August Nine 1945

この街が燃え尽きた70年前のあの日のことを
「忘れてはいけない」と改めて想うと共に、
「なぜ、こんなことが起こってしまったか」
という戦争のメカニズムを紐解き、今後どうするかを考えていくこと。

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これも、戦争を知らない世代が増えていくこれから、
必要になっていくのではと、感じさせられました。

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伝え続けるマスコミの皆さんも、お疲れ様です。

平成27年長崎平和宣言(11カ国の言語に翻訳されています)
http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p027408.html

被爆者代表・谷口稜曄さんの「平和への誓い」
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/09/atomic-bomb-peace_n_7963110.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

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吾妻峡は沈むのか?!~八ッ場ダムで“最後の”紅葉を堪能

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2014年11月9日。
曇り時々雨、という天気でしたが、
18日で道路が永久に通行止め&水没するというので、
八ッ場ダムに沈む国道145号線に沿ってドライブなど。

『群馬県のホームページ』
http://www.pref.gunma.jp/06/h2800043.html

東吾妻町側から、段々と八ッ場ダムに沈んで
ダム湖になる方面へ向かっていきます。
まず最初は、東吾妻町の道の駅からスタート。

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上毛カルタの「や」の札。
『や:耶馬渓しのぐ吾妻峡』

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たぶん、札の景色もこの辺りかと、、
紅葉で、まさに絶景でした。

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こちらの計画地図によると、
いわゆる「吾妻渓谷」はダムの対象外らしいので、
「や」の札は辛うじて残りそうですが、
良く見ると思いきりダムの放水範囲にあたるため、
水量変化による影響は少なからず受けることでしょう。

結果として、
『や:八ッ場に沈む吾妻峡』
にならなければいいのですが。

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18日で封鎖される国道145号線に沿って、車は長野原町へ。

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紅葉が綺麗ですが…工事現場に変わりつつあります。

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長野原町に入った町境付近。
この辺りは、ちょうどダムになるようです。

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この看板も・・・そしてこの温泉街も水の底です。

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9月下旬に廃駅となった『川原湯温泉』駅。ここも沈みます。
看板はすべてはずされ、バス停の表示だけが、
そこが「川原湯温泉駅だったよ」と語っています。

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駅の上には、既に新しい道路が出来ています。
駅舎も、ホームも、看板?も、いつかは水の底です。

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そして、車は800年の歴史ある川原湯温泉の
温泉街をくねくねと抜けて、新しい道路と駅を通り、

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大橋脇にある『道の駅・八ッ場ふるさと館』へ。
紅葉シーズン&日曜日ということもあり、
多くの人で賑わっていました。

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館内には、昭和22年から始まったダム建設を巡る、
地元の人たちと政府(町・県・都・国)の戦いの歴史年表が。

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しかし年表は、建設が決定した2006年(平成18年)で終了しています。
このあと民主党が2009年に政権を握って、
公約どおり工事中止を決定するのですが、
年表にはその記載がいっさいなし。
政権交代は「時既に遅し」だったと暗に語っているようです。

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政治については詳しくないし、この選挙区の人間でもないし、
ダム建設の急先鋒?だった東京都知事とも無縁なので
何も言うことはできない私ですが、現地の人にとっても
この話はかなり限定的だったとか。

この街ではない、ちょっと離れた選挙区内の住民によると、
まさに長い間、戦い続けてきたのは、水に沈む対象となる
八ッ場地域の川原湯温泉周辺(川原湯・川原畑・林)に留まり、
長野原町内でさえ別の地域の人たちは「よそ者」という、
かなり限定的な範囲に留まっていたそうです。

「地元は賛成と反対で真っ二つになって長らく反目しあい、
反対派の地元民は最終決定と共によそに引っ越してしまいました」。

「自分の家と隣の家が賛成派と反対派に分かれたり、
親子で賛成派と反対派に分かれたりして…」。

「地元民の人は語り尽くしただろうし、
よそ者(長野原町内でも)は触れたがらなかったりします。
様々な葛藤もあったであろうデリケートな問題だから」。

こういうところに、地方の人的な構造問題もありそうです。
現地では苦しい光景を嫌というほど見せられ今に至るのに、
ちょっと離れただけでも、それはまったく他人事だったという…。

まして私たちもっと遠く離れた「よそ者」は、
それこそ民主党が建設中止を訴えた時に初めて知った、
という人も少なくないのではないでしょうか。若い世代は特に。

1947年(昭和22年)、台風による大被害をきっかけに、
治水も目的としてダム建設の構想が始まってから70年近く。
地元住民たちの暮らしや絆を砕いてまでも、
作る決定をした人々は、この未来図をどう描いていたのかな…。

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できれば、この美しい風景は残してもらいたかった。

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これも、「よそ者のエゴ」なのでしょうか。

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ちなみに写真は、沈んでしまう集落を上から見た風景。
来年からは、下からの紅葉を楽しむことは出来ず、
上から観る風景も工事が進んで変わっていき、
ここの家々も、温泉街も、田畑も動物も水の底になります。

それでも、この場所を楽しみ、人々の暮らしに負担を与えず
知恵を絞りながら、前向きになるしかないのかな…

と、しみじみ思った晩秋の群馬でした。
でも本当に、ダムって現地の人々にリスクを負わせてまで
本当に、今の時代に必要なものなのか?何のために?
これから計画されるダムがあったら、
もっと慎重に考えた方がいいかもしれませんね。

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少なくとも、『八ッ場ふるさと館』がこの記憶を残し続け、
ここを多くの人が訪れてにぎわうことで、
群馬で起きたこの歴史を知って貰えればと思うばかりです。

『道の駅・八ッ場ふるさと館』     
〒377-1309 群馬県吾妻郡長野原町大字林1567― 4
http://yambamichinoeki.com/?page_id=2

ダムと言えば、東京の奥多摩にも同じ歴史を持つ
「小河内(おごうち)村」がありました。
着工が始まったのは正に戦前でした。

奥多摩湖の紅葉と、ダムに沈んだ小河内村(2011年11月19日)
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2011/11/post-07ea.html

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日光東照宮に学ぶ「世界遺産」とは(2014年5月4日)

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群馬県の富岡製糸場が世界遺産登録への勧告を受けた。
せっかくの機会なので、ゴールデンウィークの最中に
お隣・栃木県で一足お先の1999年(一足以上?)に
世界文化遺産として登録された日光東照宮を見物に行ってきました。

ここから先に書くことは、
特に、日光東照宮の悪口を言う訳ではありません。
世界遺産というものについて色々勉強になったので、
ちょっと感想を述べさせていただきます。

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朝8時30分。

東京の浅草駅から特急「きりふり」に乗って一路日光へ。
浅草から東武日光駅へ一本で行けるので便利です。

そして10時30分ごろ、東武日光駅へ到着。
ここから日光東照宮へは歩いて20分以上かかるので、
体力に自身のない方はバスを利用しますが、
何せこの日はゴールデンウィークの最中。

バスの方がはるかに時間がかかるということで、
のんびり周囲のお稲荷さんや神橋、板垣退助の銅像などに
立ち寄りながら、東照宮を目指しました。

寄り道が過ぎて気がつくと、神橋から左に曲がり、
西参道から家光公の祀られている大猷院や二荒山神社
訪ねてから東照宮へはせ参じることになってしまったのですが。

そしていよいよ、正面から東照宮へと入ります。

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中に入ると、どこもかしこも、金ぴかキラキラの社殿群。
徳川埋蔵金が実は前橋ではなくここ日光に埋められているのでは…
という噂もありますが、なんとなく理解できる気がしました。

ここまで徳川家康、孫の家光の趣味と欲望?みたいなのが
世界遺産になってしまう…平泉もそうだけど、こういう文化資産への
判断基準にが、ちょっと考えさせられてしまうようでした。

富岡製糸場が世界遺産になりそうとなった時、
「ブラック企業が―」という人がネットに登場しましたが、
日光東照宮が世界遺産になった時、
「権力者の欲望が―」という議論にはならなかったのでしょうか。

一番奥にあった初代将軍徳川家康の墳墓の周辺は
お墓らしく?やや質素ではありましたが。

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そして、ゴールデンウィークということもあってか、
東照宮の中にある社殿の中でも目玉となる所には、
どこもかしこも…ものすごい行列が出来ていました。

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それもそのはず、中のお堂に一定人数をまとめて入れ、
そこで宮司さんのような案内人が皆さんを座らせて、
5分~10分ほど、ありがた~いご講話を聞かせるのです。
※こういう所は撮影禁止なので、写真はありません。

そして最後に一言。
「今、お話に登場しましたお守りは出口で購入できます」

有難いご講話かと思ったら商品の宣伝だったのですね。
でも、有難さの余韻に浸った人は、勇んで購入されていきます。

これ・・・宗教かなんかの商法?(宗教には違いないけど)

というよりも、東京ディズニーランドでアトラクションに乗ると、
最後に乗り物に乗っている所が写真で撮られたり、関連グッズが
販売されている
、あの売り込み方に似ているような気がしました。

しかし私は、「鳴龍」という絵が描かれている本地堂で、
「そうは行くか!」という天の邪鬼な本性を発揮(?)。

ここでも案内人の方が一定人数を天井に描かれた龍の絵の下に集め、
「龍の顔の下で拍子木を打つと、鈴が転がるような音がします、
この鈴の音が聞こえた人は幸運になると言われます」
と説明をした後で
「カーン、カーン」と拍子木を打つのですが、外の音がうるさいし、
ちょっと人より耳が悪いであろう私にそんな音は聞こえず、です。

にも関わらず、またも案内人が一言。
「この音と同じ音がする鈴を出口で販売しております。
みなさん、幸運を持ち帰ってください(1000円)」

ならば確認を、と売り場でサンプルの鈴をジャカジャカ振ってみるも、
「じゅわわわーーん」と響くいうそのサンプルの鈴の音と
絵の下の龍では、やっぱり同じ音に聞こえなかったと確信。
横で嬉しそうに買っていくおばちゃんを尻目に…退散しました。

こうなると、きっと私には幸運が訪れないんだろうな、
きっと近いうちに、耳の病気か何か不運が来るだろうな…
という不安も駆り立てられたので、一緒にいた旦那さんに言うと、

「聞こえたけど、きっとそう言われたから、そんな気がしたのかも」。
あ、暗示商法、みたいなものかな。
やっぱり素直に暗示にかからない天邪鬼ということですか、私。

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とはいえ、そんなテーマパークのような世界遺産でしたが、
1999年に世界遺産登録されてから久しいのに、お客さんを離さない
その商売繁盛ぶりには目を見張るものがありました。

その観点から、日光東照宮にはどんな魅力があったのかというと、
●東京から直通で行ける電車がいくつもあること
●入場料以上の収入を得るシステムがあること
●見栄えの豪華さに加えて、
 アトラクションの要素を入れて楽しませていること
●周辺にも立ち寄りたいポイントがいくつもあること

だと思います。

東京ディズニーランド的な楽しさ満載の世界遺産の大先輩ですが、
世界遺産として建物を保存し、その文化価値を維持していくため、
維持費を確保するのが如何に大変か、ということも感じたり。

富岡製糸場も、世界遺産となる以上
建物の保存に関する責任などが増えてくると思いますが、
世界遺産の先輩に学ぶものは色々あるかもしれません。

その製糸場は、世界遺産登録への勧告が出てから来場者が急増、
ゴールデンウィーク(4月26日~5月6日)の見学者数が過去最多の
計5万600人
、昨年の人出の3倍近くに上ったそうです。

そんなお客さんを離さないための手腕が問われそうです。

まずは…最寄りの上信電鉄がJR八高線か東武東上線、
JR高崎線らと上手に手を組んで交通を便利にすることや、
今はまだ整備中の製糸場前の通りを、何度も来たくなるような
楽しめる場所として用意することが必要かもしれませんね。

でも、場内のあちこちで金を取るシステムは、要らないかも。
今のお土産売り場でも充分充実しているから、品質の良い
シルク製品で勝負した方がいいのではないでしょうか。

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三猿と眠り猫。どこにあるかは行って探してみましょう。

■日光東照宮■
1.拝観時間
 4月1日 ~ 10月31日(午前8時~午後5時)
 11月1日 ~ 3月31日(午前8時~午後4時)
 ※各期間とも受付は閉門30分前に終了。
2.拝観料
 日光東照宮の入場料のみ 大人 1300円
 周辺3つの社寺セット   大人 900円
 ※大半の人が、少なくとも2200円は使うのでは?
3.アクセス
 電車でのアクセス
 浅草 ~ 東武日光(特急けごん) : 約1時間50分
 浅草 ~ 東武日光(東武快速) : 約2時間5分
 新宿 ~ 東武日光(JR特急日光) : 約2時間
 車でのアクセス
 東北自動車道宇都宮ICから
 日光宇都宮道路を経て、日光ICで下り、2km。

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富岡製糸場 世界遺産に登録の見通し(2014年4月26日)

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(3月15日に訪れた富岡製糸場の様子。これでも人が多いと感じたが今は…)

上毛カルタの「に」でおなじみの「日本で最初の富岡製糸」が、
近代産業分野(工場)として「日本で最初の世界遺産」になりそうです!
(上毛カルタも、これを機に「に」の札を役札にする案が…
「おかめきけ」を「おかめにきけ」にするとか、「め・き・け」も糸関係だし)

ともあれ、
世界文化遺産への登録を目指している群馬県の「富岡製糸場」について、
日本時間の2014年4月26日未明、ユネスコの諮問機関であるイコモスから
「世界遺産に登録することがふさわしい」とする勧告が下り、
順調なら、ことし6月にも世界遺産に登録される見通しとなりました!
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140426/k10014047271000.html

翌27日は、統計を始めた平成17年以降、過去最高の来場者数。
説明をするボランティアガイドさんもフル回転で対応されたとか。

とはいえ、6月のカタール・ドーハで開かれる世界遺産会議まで、
正式登録ではないので、本当の万歳は6月の楽しみにしておきましょう。

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とはいえ、やらずにはいられなかったようで…

明治5年(1872年)に、日本で最初の官営工場として操業した富岡製糸場。
フランス人技師のポール・ブリュナ氏が建設&創業に関与、
西欧の技術を取り入れた製糸機械や工場に日本の製糸技術を合わせ、
生産した糸は欧米などに輸出、昭和初期には世界最大の生産国になり、
かつこの技術をアジア諸国の生糸産業にも広めて製糸業の発展に貢献。

こうした世界との文化のつながりが、工場の保存状態や
日本の製糸技術に加えて、世界遺産として評価されたということです。

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この富岡製糸場へ、3月に行ってきました。
自動車が普及していない明治時代に出来た工場なので、
当然駐車場はありません。自動車社会の群馬県としては車で行く人が大半。
近所にはコインパーキングがいくつかありますが、混雑するときは大変そうです。

余裕のある人は、高崎駅から上信電鉄に乗り換えて「上州富岡駅」で下車し、
10分くらい散歩して富岡の古き良き街並みを散策しながら訪ねると、
その方が楽しいし、かえって車で渋滞に遭うよりも早いかもしれません。

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製糸場前の通りは、まだ整備が間に合っていないようですが・・・

そうして辿りついた製糸工場。

中は…赤レンガ造りの「東繭倉庫」(展示室&お土産屋)と、
昭和62年まで操業していた「操糸場」のみ中の見学が可能。

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東繭倉庫では、糸づくりの体験コーナーも。
オカイコさんから吐き出された糸は織りなせる太さにするため、
40本も併せてこよって、仕上げるそうです。そんなに細いんですか!?

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世界遺産登録の対象である赤レンガ工場の保存状態は良好。
しかし、2月の大雪で、建物の瓦が落ち、
裏にある木造の乾燥場に至っては倒壊…
140年無事だった建物をも押しつぶした今年の大雪。
世界遺産は保存状態も条件となるため、その対応に追われそうです。

また、観光客も増加への対応も課題となっておりますが、
3月に訪れた時点で、日本語・英語・フランス語の紙の資料が。
富岡製糸場はフランスの縁もあるので、アピールも積極的です。

これまでの日本の世界遺産と一味違う世界産業遺産。
今年のゴールデンウィークには混雑が予想されますが、
140年建っている建物なので、行ける時に一度行ってみては?

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お土産で売っていた、赤レンガの剣山。500円(+税)。
工場の入り口にもあった「明治五年」にロゴ入りです。
ちょっとおしゃれ♪

富岡製糸場ホームページ
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html

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東日本大震災・被災地からの手紙 ~2年後の風景~

あの日から2年―。
南三陸・気仙沼・陸前高田 2年後の風景を一部切り取りました。

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震災1年後くらいから、応援で被災地を訪れていた人も、
2年が経つと徐々に減少してきたと聞きました。

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風化させたくないけれど、報道量は現実として減っていて、
それに紐づくように、非被災地の方々の意識も薄れている懸念はあります。

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一方、現地・被災地の方は、

「そっとしておいてほしい」

という思いと、

「伝え続けて欲しい」

というジレンマに揺れていると思います。

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「いつまで報道を継続できるのか」

伝える側も、そんなジレンマの中、

今後どうするかを思案しているのが現実です。

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一番いいのは、報道しなくても、

世間の人が常に被災地に思いを寄せていただくこと。

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もっといいのは、

一日も早く、被災地が震災前のように復興すること。

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でも、それは難しいのが現実。

なので、機会があれば、節目でなくても現地へ足を運んで、

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現状を伝えていく努力をすることが、

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せめて、私にできることなのではないかと考えています。

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一日も早い復興をお祈りいたします。

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2012年の新年好!辰年ダルマとスカイツリー

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あけましておめでとうございます!
今年は「辰年」、「辰ダルマ」で新年です。

久しぶりに、1月1日はダルマの総本山?
群馬県高崎市の少林山達磨寺へ初詣に行ってきたのですが、
あいにく辰ダルマは1月6日の「ダルマ市」まで登場しないとか。

というわけで、物足りないけど製造元の「吉田だるま」でネット購入しました。

「吉田だるま」 http://www.yoshida-daruma.com/

予定どおり、1週間でちゃんと届きました。さすが日本だ…

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初詣で買ってきた元祖?のダルマ君と並んでごあいさつ。

本年も、よろしくお願いいたします!!

sun fuji bud

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2012年は、スカイツリーのオープンも5月22日に控えています
という訳で、東京でも初詣。
スカイツリーも一緒に拝める亀戸天神へ行ってきました。

この神社は、「天神」がついています。
これは、学業の神様・菅原道真が祀られていることで有名な
福岡県太宰府天満宮の兄弟神社、同じ神様がいらっしゃるということです。

「亀戸天神」 http://www.kameidotenjin.or.jp/

受験を控えた都内の皆さんは、亀戸天神をお勧めします。

そして、東京にも足を運べない受験生の皆のために、
1月4日、ある場所へ行ってきました。

続きは、また次のエントリーで・・・

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奥多摩湖の紅葉と、ダムに沈んだ小河内村

11月13日、日曜日。晴天sun

紅葉mapleが見ごろ、という情報をネットで入手したワタクシ、
さっそく電車に乗って観に行ってきました。
東京の中でも郊外も郊外の東京都青梅市…の先の奥多摩町

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中央快速でお茶ノ水駅から青梅駅まで直行、
青梅駅で乗り換えて終点にあるのが、奥多摩駅。

皆さん、同じような情報をつかんでいらっしゃったのでしょうか。
電車の中も、駅前も、多くの人で賑わっていました。

駅前から、「奥多摩湖行き」のバスに乗って、見ごろと言われる
奥多摩湖を目指します・・・が、バスが1時間に1本あるかどうか、
というほどの少なさ。バスの出発時間まで30分ほどあったので、
まずは、歩いて3分ほどで行ける「氷川橋」へ。

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川沿いに遊歩道が伸びていました。ゆっくり散策しても10分ほどで
駅のバス乗り場まで戻ってくることができました。

バスに乗って、奥多摩湖の入口…をまずは過ぎてみます。
奥の方に、紅葉の綺麗な場所があるというので、
まずはそちらを見てから奥多摩湖の入口に戻ろうと目論見。
広い奥多摩湖、奥の方まで10分走り、「峰谷橋」で下車。
このバス停から川を渡りトンネルを越えると・・・

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な、なんと「ドラム缶橋」!! いや、ドラム・プラスチックですが…
この、ドラム缶で出来た「浮橋」を渡った向こうにある
「ふるさと村」の紅葉が綺麗というのです、いやはや命がけ。
やっぱり紅葉は山で行う「狩り」なんですね~。

冗談はさておき、歩いてみるとちょっと揺れる程度で普通に渡れます。
この橋以外に横断する場所がないので、多くの人が渡っていますが、
全然壊れる気配はありません。

渡り終えると、山道に入っていきます。何故か人影はなくなりました。
・・・本当に、この先に「ふるさと村」はあるの?

そんな山道を歩くこと・・・40分!? 看板には
「ふるさと村 2000メートル」の文字・・・皆さん、引き返す訳です。

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でも、この景色を見ないで引き返すのは勿体ないですね~。

めげずに?歩くこと本当に40分。
ようやく、小川の向こうに「ふるさと村」が見えてきました。

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到着すると、車や家族連れが一杯…
皆さん、反対側から車で来ていたのですね。

そして、話のとおりここは紅葉で一杯でした~happy01
※写真は圧縮しているため、画質が落ちています。ご了承を。

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たっぷり紅葉を堪能して、またも同じ道を40分かけて引き返しました。

再び「峰谷橋」からバスに乗って「奥多摩湖」で下車。

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湖の端っこに「ダム」があるのですが、歩いて渡ることができます。
この小河内(おごうち)ダム、南端まで徒歩5分。超近!!(前と比較して)

小河内ダムは、昭和13年11月12日に起工式を挙行しました。
途中で戦争により工事は中断したものの、戦後に再開、
19年近い歳月と150億円の総工費をかけて昭和32年に竣工し、
東京都交通局の「多摩川第一発電所」によって発電が始まりました。

東電ではなく「東京都交通局」なので、電車を走らせるための電気を
特別に作っているのかな~と思ったところ、電気はすべて、
東電に「売電」しているとのことでした・・・あら、やっぱりね。

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ダムの先端には「慰霊碑」が建てられています。
工事中の事故で犠牲になった87名の尊い命を弔うためだそうです。

ちなみに、このダムの名称「小河内ダム」は、この水底に沈んだ村の
名前を取ったそう。ダムの建設には昔も今も、近隣住民や自然景観の
犠牲が伴うことは変わりありません。原発も、そうですが、
人々の暮らしを助ける「電気」に支払う代償は大きい、と。

こうして、945世帯の小河内村の人々の暮らしと伝統文化、
工員87人の犠牲を引き換えに、ダムが完成したのですね。

バス停前にあった「水と緑のふれあい館」を見学。
ここに、ダムに沈んだ村・小河内(おごうち)村の人々の生活や
農業・漁業、伝統文化やお祭り・踊りまで紹介されていました。

ダムを見たあとでここを見ると、悲しくなります・・・
このダムの底には、楽しく賑わっていた時間がそのまま
沈められてしまったんだ…ということが展示物から伝わってきます。

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この水底まで、紅葉が届けばいいな・・・

詳細は、東京都水道局のサイトにて。
http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/water/pp/tenbou/

・・・

最後にしんみりしたところで、1時間に1本あるかどうか、のバスに飛び乗り、
休日限定、究極の快速、「ホリデー快速おくたま号」に間に合いました。

この快速、奥多摩駅から新宿駅まで一直線!早いっ!
やはり、紅葉を楽しむ人が多いことの表れ?それとも通年のダイヤ?
サービスが整っているのはさすがニッポン!いいことです。

【おまけ】
この記事を書いてから3年後の2014年11月9日、
まさにいま、同じ憂き目に遭おうとしている
群馬県の川原湯温泉の村へ行ってきました。
10年後には、八ッ場ダムに沈む予定で工事が進んでいます…

吾妻峡は沈むのか?!~八ッ場ダムで“最後の”紅葉を堪能
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2014/11/post-44c8.html

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