11年ぶりの皆既月食@日本東京 世界中が観客の天文ショー!!

2011年12月10日は「皆既月食」が見られる。
前回の2000年7月16日以来、11年4カ月ぶりだそうです。

fullmoon moon1 moon2 moon3 newmoon moon3 moon2 moon1 fullmoon

満月の夜、一直線上に「太陽・地球・月」が並び、
満月が地球の影にすっぽり入る現象を「皆既月食」というのですが、
これが観察できる地点の中に、日本全国が含まれていたのです。

Geometry
国立天文台サイトを参照)

この日の東京、天気は晴れ。皆既月食はかなりの確率で見られます。
札幌は雪、大阪は曇り、という情報が入り、申し訳ない気持ちも含み、
それでは、と、記録を取ってみることにしました。

我が家は3階の南向き・ベランダ付きなので、
満月を見るには最適。さっそくベランダで月観測開始。

カメラはキャノンEOSのX2を使用、ピントはマニュアル、
シャッタースピード(以下SS)、絞りもマニュアルで調整します。

それでは、観測開始!!

Img_89641

20時30分 まだ満月 ちょうどよく、雲も切れ始めてきました。
       (SS1/800秒、F18)

Img_89701

21時38分 左端が欠け始めてきました。
       (SS1/640秒、F16)

Img_89811

21時45分 ニュースに出ていた(国立天文台発表の)欠け始めの時間 
       調節は上記と同じです。

Img_8984

Img_8989

22時20分 だいぶ欠けてきました。
     (上:SS1/640秒、F14 下:SS1/10、F14の2種類で撮りました)
     この先かなり暗くなりそうな予感をさせる欠け具合なので変えていきます。

Img_90241

22時45分 更に欠けてきました。
       (SS1/20秒、F6.3最大)

Img_90321

23時05分 全部欠ける最初の時間。でも、かなり光の筋を残していますね。
       (SS1/8秒、F6.3最大)

Img_90471

23時15分 全部欠けているように見えなかったので、改めて10分後に再撮。
       (SS1/6秒、F6.3最大) 少し暗くなった程度でしたね…

Img_91062

23時31分 一番隠れると言われていた時間。下に一筋の明かりを残すのみ。
       これは、どうみても三日月じゃない!(SS1/4秒、F6.3最大)

Img_91341

23時58分 再び満月に戻り始めたところ。左側に光を取り戻し始めました。
       (SS1/6秒、F6.3最大) 

そして日付が変わって…moon1

Img_91501

11日00時30分 半分近く光を戻してきました。
       (SS1/25秒、F6.3最大)

Img_91731

11日01時18分 ほぼ皆既月食終了。
       世界の天文ショーに参加した皆さん、お疲れさまでした。
       (SS1/800秒、F14)

fullmoon moon1 moon2 moon3 newmoon moon3 moon2 moon1 fullmoon

ちなみに、今回の皆既月食は、中国北京でも観測できたそうです。
中国では、「初虧」(開始)20:45~、「食既」(皆既月食)22:06~、
「復円」(終了)11日0:17 とのことでした
しゃおりんさん調べ  北京天文館参照)。

日本との時差、そのままですね。

そういえばワタクシ、北京では「皆既日食」を見かけました。
が、残念ながらここは曇りで完全観測は不可能でした。(2009年7月)
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2009/07/post-4e52.html

fullmoon moon1 moon2 moon3 newmoon moon3 moon2 moon1 fullmoon

余談ですが、「月食」というと言葉で思いだすのが、
さだまさしさんの「月蝕(げっしょく)」という曲。
http://www.youtube.com/watch?v=Djp8Tqec7yg
2000年9月21日発売のアルバム日本架空節に収録されています。
前回の月食の時ですね。

月食の夜、三途の川を渡る船が恋する人を連れ去ってしまう情景だけでなく、
「心重ねた一瞬の時の重さを「愛」と呼ぶのか ああ」と、
上手に月蝕(月・地球・太陽)の"重なる"を比喩しているあたり、さすが!です。


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ココログが見られない中国北京。このネット規制、わっかるかな~、わっかんないだろうな~普通。

私の登録しているこのブログ・ココログが、中国北京の
自宅回線ADSLでネットを繋いでいる家を中心に
表示されなくなって
から、長い時間が経っている。

そして未だに、この問題は解決されていない。

周辺からは、
「何の言葉を書いて検閲に引っかかったのですか?」
という質問まで飛んでくるようになったが、私には心当たりがない。

だって、「ココログ」ユーザーのブログがすべて開けないのだ
(たとえば、一昨年あたりは、すべてのアメーバブログ
1年近く表示されなかったし、エキサイトブログに至っては、
ここ数年ほどまったく見られない。ちなみにライブドアブログ
画像だけがすべて表示されないという不思議な現象発生中。)

中国のネット規制は、私が書いた文言を原因とするのではなく、
「ココログ」ブログの誰かしらが検閲に引っかかる言葉を使ったり、
または「気まぐれ」で検閲の対象にしてしまった場合など―

そんな、なんとも原因を掴めない理由でアクセス禁止になる

よって、

私のせいではないつ!!

そんな訳で、時間を浪費して原因と対策を検証しているのだけど、
先日、無線LANで繋いだある場所でサイトを見て、気づいた。
(無線LANやVPNというネット経由では見られます)

エントリーのフッター部分(書いた日付が書かれている部分)に、
「ついったー」の水色「T」マークがついているではないですか!?

い、いつの間に!?

この「ついったー」。あえて英語表記しないけれど、
今や日本でネットを使っている人ならご存知の「つぶやきサイト」

ここ中国では、未だかつて、まったくもって見られません
これに関するキーワードも、全然表示することができません。

ひょっとするとこうした連動サービスが、中国政府の規制に・・・
って思い過ごしかもしれないけど、ひとまずこの連動サービスが、
万が一の万が一で、検閲の対象になったのかもしれないので、
昨日気づいた時点で、即効ではずしました。ふう。

それでも、復活しないので別の原因かもしれませんが。

ココログも、ユーザーにとって「便利だから」って理由かなにかで
新しいサービスをどんどん作ってくれるのだろうけど、
始める時は勝手に始めないでメールとかでお知らせをくれ・・・

え?してる?

「スパム」に入っちゃっているのか!?

この世界あげてのスペシャル情報化社会において、

中国は時代を逆行している

頼むから、本当になんとかして~~!!(久しぶりに、悲鳴)

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北京から札幌の空へ-「お婆ちゃん、ありがとう」

1月28日、木曜の朝。

「北京から行くのは大変だから、電報送ってもらえればいいよ」

両親から言われて、心で詫びた。

春節前でチケット少値段高。直行便は水曜と土曜のみ。
そういう訳で、急遽札幌へ行くことはなくなったけど、
その無礼を詫びるべく、電報と花をネットで注文した。

花屋のサイト 「寒冷地にはお届けできません」

にもめげず、速攻で札幌へ飛んだ母に代理購入を依頼した。
結局現地で買っても、ブリザードフラワーだったらしい。

そんな、氷と雪に閉ざされた1月末の札幌で、

母方の祖母が急逝しました。享年86くらい。

西安帰りの翌夕、父母姉の三方向から一斉にメールが来て、
「一旦心臓が停止したけど、復活した。でも長くて1ヶ月か」
と言われてから10時間後の訃報。まさかこんなに早いとは・・・。

予知夢をよく見る私は、実はそんな前日の朝、
自分が殺されそうになる、という奇妙な夢を見ていた。

私は、産まれた時から各地転々とした人生を送ったので、
一緒に暮らしたことはなかったけれど、
父方の祖父母は私が物心付いた時には既に亡き、
私が「お婆ちゃん」と呼べる人は1人だけだった。

逆に、母の姉弟は母しか結婚していないので、
お婆ちゃんが「孫」と呼べるのは私と姉だけだった。

幼い頃から札幌へ里帰りすると、泊まったのは母の実家。
行くたびにいつも可愛がってくれた。

大学院でたまたま札幌に暮らした2年間も、
休日になると南北線に乗って、真駒内からじょうてつバスに乗って、
山にあるこの家に足を運んで(わかる人だけわかる地理関係)

7時以降はバスがなくなるので、泊まっていった。

でもこの頃から、老いの予兆はあって、
卒業前に挨拶に行った時は、私が事前に「行く」と
言っていたのに、当日訪ねたら忘れていて驚かれた。

お爺ちゃんが他界してから、何の縁か13年。

そういう時期だったんだろうな・・・。

改めて、電報注文サイトの画面に向かった。

電報の文面を考えていた。
例文の「故人の生前を偲び・・・」とかいう言葉は腑に落ちない。

いつもの流れで、
「中国の大地から、もっと大きな空へ旅立ったお婆ちゃんへ」
では、自分に酔っているみたいで恥ずかしい。

色々考えた挙句、やっと出てきた言葉は、

「お婆ちゃん、ありがとう」

不器用な言葉だけど、それしか出てこなかった。

でも、やっと搾り出した言葉に、
これ以上、重みあるものはなかったと思う。

やっぱり自己満足みたいだけど。

葬儀が終わって、
母が、携帯電話で撮った写真をメールで送ってくれた。
花に囲まれた祭壇の真ん中に、遺影となって飾られたお婆ちゃん。
不思議な気持ちと寂しさが交差して、涙が出た。

この中にいる人は、本当に大きな空へ旅立って行った・・・

お爺ちゃんお婆ちゃん、と呼べる人がこの世からいなくなって、
今は、私の父母がお爺ちゃんお婆ちゃんになって、
私が産まれてから流れて行った「34年」の大きさを改めて実感した。

お婆ちゃん、本当にありがとう。

・・・

お婆ちゃんといえば、年末年始に訪れた海南島で、
一緒に訪ねた子の一人がこんなことを話していた。

「自分のお婆ちゃんが数年前に亡くなった時、
上京していて、あまり最後は何もしてあげられなかった。
今、アポ(海南島のお婆ちゃん)を頻繁に訪ねているのは、
自分のお婆ちゃんにしてあげられなかったことを、
精一杯やりたい、という思いもあるのかもしれない」

その言葉が、今、リフレインしている。

そう、"お婆ちゃん"という人は、世界中に存在している。

ひょっとすると、これからは世界中のお婆ちゃんが、
私にとってのお婆ちゃんになるのだろう。

世界中のお婆ちゃんが、一日でも一年でも長く
元気でいることを、まだ寒い北京で改めて願った。


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【日本にて1】結婚式で"アイディア"頂戴

知り合ってから17年。

高校時代に誕生した「竹の会」のメンバーで、
人生の半分お付き合いのある普蘭さんが24日、
高崎市内のホテルで結婚披露宴を行いました。
式には150人の友人や親戚が訪れ、二人の門出を祝福しました。

竹の会メンバー8名とその子供たち3名は、
新郎側一番前端のテーブルを1つ陣取り、
先頭切って新郎新婦をはやし立てカメラ撮影に勤しみました。
全員の写真を合わせたらどんなアルバムができるのでしょう…

人生、年を重ねるごとに出席する結婚式の数も増えますが、
みなさん、色々な形で個性的な披露宴を演出されます。
私はそんな皆さんのアイディアを見るのも楽しみにしています。

・・・

Kekkon1

式場入口にはウェルカム・ベアならずウェルカム・ムンク
新婦がこよなく愛する某北海道のテレビ番組に登場する
キャラクターを起用する、新郎の優しさが染みてきます。

・・・

「明日嫁ぐ私に・・・」とギターで熱唱する竹の会の重鎮は
"さだぬたり"さん。一番盛り上がるところでふと下を見ると、
彼の前にスタタターーーと這ってきたのは、

Kekkon2

テーブルでおとなしく料理なぞ食べてられない子供達・・・。

他のメンバー夫婦の子供達ですが、普段から皆で夕飯する時は、
「皆がお父さんではないか」と思わせるほど全員で面倒を見ます。
で、「本物のお父さんは?」「向こうでタバコ吸ってる人じゃない?」
なんてことになるのですが、披露宴中も右に同じ。

という訳で、第●のパパ・ぬたりさんの晴れ舞台を祝おうと、
子供達が匍匐前進で目の前を通り過ぎる光景は、奥で大笑いする
新郎の笑顔にも重なって、ある意味感慨深いものがありました。

で、面倒見の良さは新郎も同じ、いや第2のパパと言っても
過言でないくらいなので、普段のこの子供達とのふれあいを見るに、
よきパパになることは間違いないと確信させてくれます。

・・・

一方、握ったテープは、私の結婚が遠いことを確信させました。
独身女性ばかりを集められた「ブーケ・プルーフ」は、
08年7月の従姉妹の結婚式に続いてまたも外れ。

Kekkon3

中央で、思いっ切り楽しそうに外れテープを引っぱるこの娘が
花嫁衣裳を着る日は、まだまだ先のようです。

チャイナドレスは無事着ることが出来たんだけどなぁ・・・

・・・

そんなこんなで、楽しく過ごした結婚式でした。

普蘭さん、結婚おめでとうございました。
末永くお幸せにheart04

※一部、情報をちょっと操作しました。ごめんなさい。

【群馬=困崎絵美】

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北京生活、気がつくと・・・4年

2005年10月13日

東京よりも5度は寒い北京空港に降り立ったのは、夜。
飛行機が2時間ほど遅れての到着だった。

それでも、到着口で粘り強く待ってくれていた、
新しい「同事」になる会社のスタッフ2人。

日本語のできない方の彼女が先に私を見つけ、
片言で「こまざきさん、です、か」と声をかけられた驚き、

肌寒い空気の中、渋滞する道路を流したタクシーの車窓、
四環路から朝陽公園へと曲がった時のネオンの灯り、

階段しかない入口で、20キロを越える重いカバンを
「せいの!」と持ち上げてくれたか弱い2人の同事、

こうして入った新しい我が家のがらんとした空間、
そして、風呂にバスタブがなかったショック…

そんな街で3年は暮らそうと誓った私だったが、

気がつくと、あれから4年。目標を1年も超えた。

・・・

1周年、2周年、3周年はそれなりにイベントを設けたけど、
4周年となる昨日は、普通にバスケットに参加して過ごした。

その後で、久しぶりにメンバーと食事に行って、
久しぶりに「乾杯」気分でビールを飲んだけど、
4周年記念日であることは誰にも言わずに流した。

来北京1年で最初の会社を辞めることになったとき、
「ここで北京生活を終わりにはしてたまるか!」
と転職したのは、3年の目標に足りないからでなく、
「ここで帰ったら負けたことになる」と思ったから。

でも、まあ、それからも色々あって、
3年の目標を1年も超えてしまった今もまだ残っている。

そんな自分の気持ちをどこかで整理しようと、
4年前から住んでいるマンションの部屋を大掃除中。

異国生活の中で、日本では味わえない
珍しい人生をちょっとだけ重ねてきた。
その中で、増えた荷物の分だけ経験も思い出も増え、
自分自身の思考にも影響を与えてきたと思う。

あの「がらんとした空間」を再現することで、
もう一度、初めて北京へ来た時の気持ちに戻す。

北京に住んでいる日本人の多くは、
誰もがこうした「初北京」の日を覚えていて、

そして、初北京の時の気持ちと現在の気持ちを
それなりに比較しているのではないだろうか。

それを100%再現するのは難しいけれど、
北京=Not日本の生活で、激動の日々を過ごしてきた分、
たまにはゆっくり気持ちを落ち着けたいのだろう。

そんなことができるのも、

自分の中には4年前と変わらないものが残っていたから
これだけは、いつまでも失くさないでいたい。


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北京の街角で、時がただ流れていくような気がした・・・

Img_8854

空って、何歳なんだろう?
神様のように、相当な年齢を重ねているんだろうな。

地上では人間が、寝て、起きて、毎日を営んで、
時には挫折して、時には笑って、時には泣いて、
進歩して、後退して、スッタモンダしている中で、
数十年でそっちの方へ飛んでいってしまうんだろうけど、

そんな空だけは、刻々と季節に合わせて輪廻している。
何も言うことなく、何を求めることもなく、何も変わらず、刻々と。

Img_8837

秋が来れば、うろこ雲。

冬も、春も、夏も、季節に合わせて空は変化し、
そして次に秋が来れば、またうろこ雲。

Img_8846

下の工事現場は、次にうろこ雲が来るときには
新しいビルに変わっているかもしれない。

そして何年、何十年、この空に同じようなうろこ雲を
浮かばせるだろうけど、建ったビルは数十年で消えてしまうだろう。

来年、燃えるかもしれないし(おい)

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日本にて-心に残った詩

心に残った詩が新聞に紹介されていた。
ブログ上だけど、良い詩だったので紹介したい。

「草抜き」

庭の草を抜いていると
頭の中に次々と
わき出てくる
ことがある

よく見ると
自分中心のことばかり

いっしょに
抜いてしまおう
と思うが
私という大地に
深く根ざしているのか
なかなか抜けない

産経新聞 7月16日朝刊 1面「朝の詩」より


・・・

日本に帰ってきて1週間

長年にわたってこれまで付き合ってきた周辺の人と、
想定外の衝突や理不尽、ジレンマ、もどかしい思いを
これまでにないほど感じた。

原因なんてわからない。
ただ、「なんで」「どうして」という思いが自分の中でぐるぐる渦巻く。

自分が相手に対して悶々と「どうして?」と感じる、
でもそれは、あくまで「自分が」の視点になってしまって、
その視点による悶々から、なかなか抜け出せない。

この詩を書いた方は70歳の方
70年、人生を送ってきたからこそにじみ出た詩、
詩という文字に、思いを的確に託せたことに拍手。

あと3日、日本を楽しもう。

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北海道上富良野町で発見!?-我が家の家系図

今日は、まったくもって個人的な、自己満足のエントリーです。
でも、他の“迷える”家系の方々にとっても参考になるかもしれません。

・・・

我が家には、家系図がありませんでした。

父も伯父も、若くして亡くなった彼らの祖父(私の曽祖父)が、
どこで何をしていたのかを知らずに育ったから、です。

そんなある日―

私の元に、姉から1通のメールで、
「なんか、うちの父親が“Httpなんとかっていうページを探してほしい”
って、なんか興奮しているんだけどわかる?」とSOSが届きました。
※父はこの時、インターネットを触ったことがありませんでした。

で、話を聞いていくと、驚くことに―

伯父が、ネットサーフィンで自分の家系にまつわりそうなキーワードを
色々調べている時に、曽祖父の存命中の詳細を、
なんと上富良野町役場のサイトで見つけたというのです!

そのサイトには、自分の父(私の祖父)の名前が記載されており、
父達の祖父、私の曽祖父にあたる人物のことが詳細に描かれていました。

そんな訳で、私が一時帰国中の7月、
伯父が体調を崩し入院→自宅療養中というのでお見舞いに訪ね、
「我が家の家系図」をテーマにワイワイと盛り上がりました。

話が進んで行った時、伯父はおもむろに、

ドバドバーーーーッ!!
と、大量の資料を広げ始めました。資料、というより史料でした。

Img_49092

サイトの文面を読み進めるうちに、
とことん調べたくなってきたらしい、部類の調べ物好きの伯父。

なんでも、このサイトを見つけたあとで、
曾祖父の長男の息子さん一家
(つまり、父たちの従兄の子供の家族?)を「はじめまして」状態で訪ね

資料をいただいてきたらしいのです。旭川まで飛んで行ったようで・・・すごい。

そんな、父・伯父一家で騒然となったサイトが、こちら。
北海道上富良野町のホームページ:「富良野村時代の村医の足跡」
http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/1613nakamura.htm

以下、サイトから内容をかいつまんで紹介。

明治維新以降、新たな土地に夢を求めて海を越えた移民が、
村や町を次々と興し始めた北海道開拓時代。

自治体として機能を果たし、人口が増える中で、
「村民を診てくれる村のお医者さん」が求められた。

そこに白羽の矢が立ったのは、遠くは石川県能登の當目村、
金沢大学医学部を卒業し、名頭(地主)の息子でありながら
地元で開業医を開いていた曽祖父・政一氏だった。

開業医を務めながら地主、村長娘の婿、などの肩書きを持つことに
苦悩を感じた政一氏は、新天地を求めて医院を閉じ海を渡った。

北海道に到着後、月形村、滝川村で医者を務め、
明治38年(1905年)、富良野村へ入り初の医院を開業した。
これが、上富良野町(当時・富良野村)の郷土史に、
政一氏の記録が残された所以となったのである。

北海道新聞1998年7月10日の記事にも、
「富良野医療史に新事実」として、大きく掲載されていた。

Img_4942
(右が、その北海道新聞で曾祖父のことが書かれたスクープ(?))
左は、私の祖父が樺太で届け出た婚姻届。)

家系図すらなかった我が家の先祖が、
まさかまさか、こうした役場の郷土資料の中に残されて、
実名で新聞にも載っていたとは、本当に驚きの新事実!

しかし、ここに「戦争」の陰が忍んで来る。

政一の四男で私の祖父・秀雄は跡を継ぐわけでもないため、
戦争ムードが広がる昭和のはじめ、樺太へ渡って仕事を始める。
そこで結婚、父の姉(つまり私の伯母)が樺太で産まれました。

伯父(S12生まれ)と父(S20生まれ)は札幌生まれなので、
おそらく戦争が終わる前に、祖父は引き揚げてきたということになります。
が、樺太にわたっていた間に、情報過疎になってしまったのか、

サイト上では、私の祖父の記載は、
「札幌北辰病院勤務」で終わっているのです。

曾祖父の話が、父や伯父のところまで届いていなかったということは、
翻せば、このサイトにも、祖父の情報が載せられなかったというですね。

・・・

「家系図」で、自分の立ち位置を考える。

自分の家のルーツ、家系がどんな風に生きてきたのかを知ると、
今の自分が社会の中でどんな位置に立つのがふさわしく、
今後どういう風に社会に貢献できるのかを考える、いいきっかけになりました。

そして、それを辿るのが、
今ではインターネットで可能になったのですね。

父も伯父も、曾祖父について知っていたことは、
子供の頃、交流のあった叔父さんや叔母さんから聞いた
「おじいさんはお医者さんだった」ということだけだそうです。

伯父はその情報だけで、ネットで曾祖父の詳細を見事に発見したのです。

しかしこのサイトの中に書かれている、
曾祖父の子供たち(要するに私の祖父・大伯父のこと)の就職先は、
郵便局に病院にと、かなりのインテリ。さすが医者の子供。

そんな血を引いている私は…

ま、まったく関係ない仕事をしているのだけど、
いつか、初めて村で開業医となった曾祖父のように、
今までにないことを始めるかもしれない、です(期待)。

そういえば、わが父。
先日、母校の甲子園の県予選を一緒に観にいった帰り道に、
こんなことを話していました。

「高校の時、本当は野球部に入ろうと思ったんだけど、
先生から「卓球部を作ってくれ」って言われてさあ。
あれがなければ野球部に入っていたんだよなあ・・・」。

父、卓球はめちゃめちゃ上手です。
かつ、会社に入ってから、そこの野球チームにも入り、
念願の野球もやっていました。

その後、結局自分で事業を立ち上げ、
65歳の今も(2009年現在)順調に仕事をしています。

やはり、新しいことを始める血は争えないようです。
私こそ、60歳以上でも仕事をしなければならない時代に突入するのだから、
今から人生設計をちゃんとかんがえなければ!

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上富良野、といえばラベンダーよラベンダー
http://www.kamifurano.jp/
2006年7月撮影の力作!!

我が家のルーツを探る、という名目で行ってみますか北海道!

100_1090

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帰国を前に、ご報告♪in北京ブログ

今、このブログの管理画面を見たら・・・

累計アクセス数: 100039

アクセス数が、10万を越えていました!!

ちなみに、このエントリーをもって、

エントリー数: 1058

と、なります。

1エントリーにつき、平均100人が見てくれているようです。

とはいえ、アクセス数が増えたのは本当につい最近のこと。
最近は、100より多くの人に見ていただいています。

P1230600
13時30分~17時までの空白が・・・

6月30日、ココログでシステムダウンがあった日前後は、
空白の3時間が恨めしいほど、アクセス数が伸びました。
あの日のエントリーは、北京仲間に衝撃的だったようです。
だからシステムが落ちた・・・てのは関係ありません。きっと。

また先日も、あるカフェにいったら
「Emmyさんのブログを見た、って人が来店されました」
と言われました。

でも、それは私の知らない人だったそうです・・・

こういう風に、北京の街角を、
日中どちらに住んでいる人にも見ていただけるのは嬉しいこと。

これからも、日本へ帰るまで続けると思います。

ひとまず明後日以降は、更新できないかもしれませんが・・・

よろしくお願いします。

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明日から日本+その先の海外へ

今回は、ビザ&仕事&春節の関係で長めの日本です。

「せっかくなので、日本発の格安海外旅行でも行こう!」
と、年末から世界中の地図とにらめっこを始めていた私。

まず考えたのが、アメリカ合衆国。

1月20日に、
アメリカではじめての黒人大統領が誕生します。

そんなタイミングで、

「オバマ大統領のふるさと、シカゴへ行こう!」

と思い立ったのですが、シカゴ在住15年の某方から

「自殺行為」

と言われ、一発で辞めました。

「体感温度はアラスカよりも寒い」
「車がないと、街中の移動は寒くてできない」
「タクシー代だけで、飛行機代くらいかかる」
「ワインを流すと、液体がそのまま凍る」

「できるだけお勧めしません」

できるだけ、というより・・・

100%、ダメ!

という回答ではないですかぁ、よーこさんっ!!

ならばちょっと南下して、NY&ワシントンDCはどうかな?
と今度は元NY&北京駐在員のMさん(札幌出身)に聞くと、

北京や札幌と変わらないくらいだから、大丈夫だよ」

との返事。
それでは、NY→フロリダの鉄道旅なんてのもいいかな。

と、思っていた矢先・・・

時は12月22日。
ちょうど、映画交流会で「六ヶ所村ラプソディー」を鑑賞。

映像に流れたのは、最果ての地・青森の
吹きすさぶ雪と、夏でも寒そうな空の色。

しかも会場は暖房がなく、
北京の寒い冷気に晒されながらブルブル震えて見る状態。

やっぱり・・・
「とことん、暖かい国へ行こう!」

と思い直したのでした(へタレ)

そんな私が最終的に選んだのは、

「タイ・バンコク経由」で「インド」
日程は、1月17日~24日までの1週間。

インドは、11月にムンバイでテロが発生したところ。
バンコクは、これまた11月に空港封鎖事件が発生したところ。

すなわち・・・

別にニュースを追いかけているわけじゃないのに、
気がつけばオバマ大統領の就任式よろしくの
歴史的史実に巡り合ってしまいました。

これって、何の縁なのでしょうか・・・

ひとまず、世界を揺るがすイベントがある(あった)所は、
周囲の反対意見もいただくし、
やっぱり用心しなければなりません。

前職の会社の人が、10年以上前にデリーで作った
「シゲタトラベル」にインド国内旅行を按配してもらい、

防犯は中国国内旅行以上に固め、
目をギラギラさせて行ってきます。

旅先でも、できるだけ無事であることを発信していきますが、
もし、24日以降も何の音沙汰もなかったら、少しは気に掛けてください。

>北京の皆様
2月まで北京におりません。暖かくなる頃に帰って参ります。

>日本の皆様
2月まで日本におります。温かく迎えてやってください。

それにしても・・・
今まで荷造りをしていたのですが、
気が付くと家中のモノを整理していました(^^;

妙に、家の中が片付いているので、帰ってくるとき気持ちいいかも(笑)

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