「星期日漢語角」7周年!-日中話し合いの場、続いた350回
「日中間の相互理解・友好交流を促進するためにも、
お互いが話し合う場所を持つことーが大事」。
そんな思いから、2007年8月西池袋公園で始まった
市井の日本人、中国人による草の根交流会「星期日漢語角」。
この8月で満7年350回を迎えました。
その間、日本・中国の交流を主として始めた会も、
世界10カ国の人、日本の著名な方も参加した上、
池袋以外の日本国内、そして中国にまで広まったそうです。
300回を迎えた去年も、NHKや朝日新聞などで取り上げられました。
http://duan.exblog.jp/19405545/
8月3日、この7周年を記念して特別交流会が開催されました。
主催者である段躍中さんは、中国での新聞記者を経て
日本へ渡り、日本僑報社を立ち上げました。
以来、日中相互理解を深めるきっかけづくりになる
数々の本を出版してきた人です。
いわゆる「文字を通じて日中相互理解を図る」ことを
長年実践されてきた方で、きょうもこの出版社から
本を出された方々が、次々と挨拶をされたのですが…
私にとってはサプライズなゲストの方々でした。
最初に、華道家の宮崎蕗苳(ふき)さん。
孫文の盟友・宮崎滔天のお孫さんに当たる方で、
母親は14年NHKで放映中の連続テレビ小説「花子とアン」の
村岡花子の生涯の親友、歌人の柳原白蓮。
宮崎滔天は、かの毛沢東さんが、
唯一日本人に手紙を出した人であると言われ、
今回、その直筆の手紙を公開してくださいました。
毛さんが、「滔天さんに会いたいよお!」
という思いを綴った手紙だそうです。。。
いま、思えばこの頃の人たちは、
まさに日中関係を拓いた、
「井戸を掘る人」の方々だった一面もあるのですね…。
そして、次にご登壇いただいたゲストは、
NHKなどでおなじみの旅人・関口知宏さん。
鉄道シリーズ『関口知宏の中国鉄道大紀行』など、
中国の隅々を旅してわかったことを披露。
諸々の体験談から感じる「喜怒哀楽」について、新著の
『「ことづくりの国」日本へ――そのための「喜怒哀楽」世界地図』
にまとめられ、その出版秘話を語ってくださいました。
その中で感じたのは、やはり
「日本は“安心”を求め与えすぎている」ということ。
たとえば中国の山奥へ旅した時、
もしこれが日本だったら、お客さんの所へ着くと
「暑かったでしょう、お茶でもどうぞ」
などと言って、ほっと安心する“おもてなし”をしてくれます。
しかし、中国のそこでは逆に、
「よく来た!家の裏に絶景があるから観に行こうよ」
と言って、疲れているお客さんの気持ちなど余所に(?)
危険な崖を、よじ登らせたと言います。
疲れている関口さん、
「もし、絶景に着いたら疲れも忘れるくらい嬉しいのか」
という期待を込めて到達するのですが、
よく見たら、案内した中国の人の方が喜んでいたとか…。
こういう時点で、日本と中国の
“おもてなし”は本質が違うこと、そして中国の方が
「アグレッシブ」であることがわかってきます。
でも、むしろ世界を見渡すと、
日本ほど消極的なおもてなしをする国はないそうです。
関口さんは2020年の東京オリンピックの時を懸念していました。
「日本人が提供する“おもてなし”って“癒し”なんですよね。
でも世界のお客さんは、アグレッシブに色々動きたいという。
そこで、日本人が提供する“おもてなし”が、
世界との間で“ずれ”を生まなければいいのだけど」。
そう言われてみると、中国の人は本当にアグレッシブ。
人をもてなす時も距離感無視で近づいてくるし、
今回の会も、段さんが寸前に企画して司会も前日依頼、
挨拶をしてもらう人に至っては、その場でご指名という(汗)
アグレッシブというか、積極的な展開すぎました。
その後、NHKで中国について明快に解説されている
加藤青延解説委員が関口さんについて解説されました。
「私は30年中国と付き合ってきたけど、
関口さんの話を聞いたら、改めて自分は
まだ全然わかっていないと思った(!?)」と開口一番。
「北京に特派員で駐在していた時、関口さんのように
廻らなければ中国はわからないと思ったもので、
中央の発表を原稿にしていても中国は分からないから
旅に出させてください!って懇願したのだけど、無理でした」
など、振り返る楽しい一面も。
NHKの特派員さんも、時間を見つけては是非、
関口さんと一緒に旅に出られると、報道にも深みが増しそうですね。
関口さん、楽しい話をありがとうございました。
段さん、ここ数年厳しい状況が続いている日中関係ですが、
7年と言わずに10年、20年とこの交流会を続けていただき、
未来が明るいものになるように、
みんなで力を合わせていければと思います。
関口知宏さんの「ことづくりの国」日本へ――そのための「喜怒哀楽」世界地図