東日本大震災から1年を前に…四川大地震1年後を思い出す

3月10日 1年前のこの日、
「明日、日本という国が大きく変わる震災が起きる」
ことなど、誰が知っていただろうか…

・・・

先週、いろいろ予定が重なって忙しかったのに、
この土日は一息ついて、かなり時間がぽっかり。
でも、無理に被災地へ行くことなく震災後1年の日を都内で迎えます。

被災地以外の人は、現地へ無理に行くことはしない方がいい、

からです。

四川大地震1周年の時、仕事で北川へ行っていました。
その後、1年間で2回取材に訪れ、もっとも思い入れのあった都江堰の
1年後の様子も取材を、と一人カメラを持ってバスに乗って出発。

すると、 都江堰へ向かう狭い道路が、
供養や見学に向かう一般人の車で信じられないほどの大渋滞…

「都江堰 20㎞」という看板があたりで既に車でぎゅうぎゅう詰め、
前にも後ろにも進めなくなってしまいました。
バスはなんとか裏道を探すも、そっちもびっしりで遂に立ち往生。
当日中に市内に入れないと訪問を断念し、
バスを降り、運よく拾えたタクシーで引き返しました。

当時のエピソード:
四川省大地震1年後の被災地より・・・棄てられていく北川(2009年5月)
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2009/05/1-71ce.html

四川省大地震1年後の・・・都江堰再訪を阻んだもの(同上)
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2009/05/post-dda3.html

あの光景が、明日の東北で再現されませんように…

・・・

でも、四川大地震2周年の2010年5月12日に
再び都江堰へ行った時は、まったくもって日常に戻っていて、
アパートの建設現場と半壊した状態で営業を続けている店以外、
震災を思い出させるものがなくなっていたことに、更に驚きました。

当時のエピソード:
四川大地震2周年・当日~都江堰より~(2010年5月)
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2010/05/2-68c6.html

北川や汶川など被害状況の大きかった街は、崩れた場所をそのままにし
「地震の町」を売りに観光客で賑わい、地元住民は古いものが
新しいものに立て換わって喜ぶという光景…忘れるのが早すぎるのでしょうか。

復興に経済力が必要とはいえ、
... あの売り方と、震災からの立ち直り方、いわゆる忘れ方はすごいですね。

逆に、日本は今日、公民館の上に乗ったバスを撤去したニュースが出てました。
「見ていると辛いから」「元に戻すことで、前向きになろう」ですから、逆ですね。

.東日本大震災:公民館屋上乗り上げのバス撤去 石巻(2012年3月12日)
http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20120310/

ちなみに参考ですが、
こちらは、四川大地震一年後の四川省北川(2009年5月撮影)。

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山間にあるこの街は再建が不可能と判断し、
別の場所に市街地そのものを移転、ここを「震災記念」に残しておくそうです。

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下にも降りることができたので、供養する人もいっぱいいました。

・・・

こちらは、2年後の四川省都江堰の聚源地区(2010年5月)。

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アパートの建設も、細々とやらずに真っ赤なスローガンを
ガンガン掲げながら行うあたり、中国の元気?を伺わせます。

2年前の2008年6月、同じあたりはこんな感じでした。

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ハード面の修復の早さは目を見張りました。
その分、被災地の方々も早く日常を取り戻し、
辛いことを忘れることにもつながるのでしょうか…


・・・

どのような形で、日本が震災から復興するのか、
今回の震災という記憶をどのように後世に語り継いでいくのか、
2年目の1年間は、日本の長い将来を左右する「試される1年」になりそうです。

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がんばっぺ東北!気仙沼&石巻(2011年9月18~19日)

5月に石巻を訪問してから4カ月半―
その後、あの被災地はどのようになっているのか。

という訳で、一ノ関~気仙沼の大船渡線に乗り込んだ。

宮城県気仙沼市―現在、電車の復旧はここまでである。

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気仙沼駅前は、通常通りに。
屋根の上に「サメ」のイラストが施された駅舎を見ると、
ここがいかに「サメ=フカヒレの町」であることを思わせる。

そんなフカヒレが、震災によって獲れなくなってしまった。
駅前のレンタルサイクル(1回500円)で自転車を借りて、
「南気仙沼」駅へ向かう…漁港とその前の商店街は崩れたまま。

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※「CR」というマークは、「Crash(取り壊し)」だろう。
中国の時にみた「拆」マークを思い出した…

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「リアスシャーク博物館」も、営業できないままである。

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「南気仙沼駅」周辺の住宅街、商店街は海の中に浮かんだ状態。
車からガソリンが流れ出ているはずの水に、鳥さん達が…

行政も途方にくれて手が出せないのだろう。

この場所が、震災前の状態に戻るのは難しいかもしれないが、
皆さんの暮らし、そして生きる希望だけでも、震災前と同じように
戻って行けるようにしていってもらえればと思う。

・・・

気仙沼から再び電車に乗って一ノ関駅へ戻る。
そこから東北本線で南下し、「小牛田(こごた)」駅で石巻線へ。

石巻線の終点は「女川(おながわ)」だが、
石巻~女川の路線はまだ復旧していない。

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今の終点は、石巻駅。到着し、即効で市内バスに乗る。
バスのダイヤが震災対応で減っており、いつが終バスなのか
わからなかったので、ご飯も食べずに慌てて乗った。

今日、宿泊を予約していたのは、石巻漁港から500メートル。

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民宿「小松荘」。

震災でこの地区も津波被害を受け、周辺はまだ更地だが、
道路状況が良かったことで、区画は改修しないと行政は判断。
御主人はこの話を聞き、建物を改修して再開を決意したのである。

7月に入り、改築した民宿は営業を再開。
主な宿泊客は、他地域から来た工事関係者。

行政は今、被災者の宿泊場所を確保するだけで精一杯で、
ボランティアや工事関係者の中には未だテントや車中泊という方、
あるいは仙台や松島などから通っている方も少なくないのである。

「観光」というよりは「業務用」の宿泊場所を求められていて、
その声にご主人は応えた形になるのだろう。

女川行きの「東伊津原」バス停で下車すると、
外灯も、開いている店舗もない、「暗闇」に包まれた。
そして、暗闇の中にポツンと「光」が…それが民宿の看板だった。

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改築したばかりだったので、部屋は綺麗だった。
夕飯を食べ損ねたので空腹なことを伝えると、
5月に避難所で食べたようなお弁当が「支給?」された。
手作りの夕飯も添えられていて2食分…ありがとうございます。

夕飯後、ご主人&ご家族と晩酌しながら改築までのエピソードを聞いた。
被災者の方々にとっては「緊急性」を及んで行っている改修工事だけど、
受注する工事関係者のビジネスシステムは、ここが被災地であろうと
通常の場所であろうと、同じように行われる…そんな印象が残った。

・・・

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部屋の窓からは、まだこういう光景が…

翌朝、漁港を見に行ってきた。

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道路を走ると、巨大缶詰が転がっている―
石巻の缶詰でおなじみ「木の屋石巻水産」の名物缶詰だった。
道路を新しく作り直す区域らしく、まだどこも改修ができない。

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漁港は、テントを張って臨時的に再開していた。
従来の場所は、海水に浸ってしまっている…復旧は時間がかかりそうだ。

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石巻市民が楽しんでいたはずの海水浴場。
砂浜にも丸太が転がっていて、この夏は開放できなかった。
犬の散歩に来ていた女性が、遠くを見て佇んでいた。

海は、人間にとって憩いの場・楽しい場所でもあるのだけど、
時として牙をむいて襲ってくる…目の当たりにして改めて実感した。

・・・

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5月の思い出がたくさん残る「日和山公園」から、今の被災地を見た。

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夏が過ぎたせいか、緑が増えていて、ぱっと見ると復旧したかのよう。
でも、結局それは「更地のまま、放置されてきた」ことの証。

早く、この町に元のように住宅が並び、
皆の笑顔が戻ってくることを願って、石巻をあとにした。

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この石巻の皆さんの言葉に、
「こちらこそ、何も出来なくてごめんなさい」と、
5月にお会いしたボランティアさんは応えていた。

お互いを、思いやる気持ちが、
人々に生きる希望を与えて復興を進めてきたのだろうな…

5月1日「日和山お花見プロジェクト」のエントリー
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2011/05/post-78be.html

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「DASH村」の動物たち―伊香保グリーン牧場に避難中

「被災地」の話から、今度は「避難地」の話です。

以下、読売新聞より抜粋―
日本テレビ系の人気番組「ザ!鉄腕!DASH!!」で、
アイドルグループ・TOKIOが農作業や山村生活を体験する
「DASH村」(福島県浪江町)で飼われていたヤギのザビエルなど動物6匹が、
福島第一原発事故の影響で群馬県渋川市の「伊香保グリーン牧場」に避難し、
人気者になっている。(2011年5月5日)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110503-OYT1T00103.htm

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という話がやってきたのは、当然…群馬県にある実家から。
毎週「DASH」を見ている母と姉から来た情報に、動物大好きな姪も乗り気、
父の車で、家族揃ってヤギ君やヒツジ君に会いに行ってきました。

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園内には、遅咲きの「榛名雲海桜」が満開。
石巻に続いて、5月の桜が楽しめました。

そして・・・いましたいました。

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ヤギのザビエル君。黒い体と白いおひげが特徴です。
みんなが、彼の元に集まって撮影大会でした。

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わが母も、エサを片手に「ほら、こっち向いて~」と携帯をかざすも、
なぜかザビエルは私の方を見ていた・・・

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ヒツジ君。
でも、ヒツジはどれがどれだかわからなかった・・・
牧羊犬のショーまで含めると、園内には何百頭というヒツジが
いるので、区別がつけられません。
事前にどこにいるか調べておけばよかったのだけど。

・・・

そういうしている間に、DASH村の動物たち見学はおしまい。

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園内には、たくさん動物がいて、姪6歳がおおはしゃぎ。
動物以上にあちこち走り回るので、
家族全員、動物よりも姪を追っかけるのに精いっぱいでした。

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最後にウサギをなでていたら、雨が降ってきたので終了です~…

・・・

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伊香保グリーン牧場の近くにある、
お気に入りの雑貨屋「地球屋」へも寄り道したら、
震災復興イベントとチャリティが行われていました。

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私の中では「日本一」だと思っている、名物の「吊るし雛」
ちなみに、伊豆稲取温泉でも見たことありますが、ここもすごかったです。

起源は江戸時代とされていて細工物一つ一つに長寿や健康などを願う意味があり、
女の子が生まれたお祝いとして届けられ、桃の節句に飾ったと云われています。
(地球屋の「吊るし雛」参照 http://www.t-v.jp/bizyutu-pr/

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DASH村の動物たちも、グリーン牧場で健康に過ごし、
早くDASH村に帰れる日が来ますように…
と願いを込めて、小さな吊るし雛を購入して帰りました。

伊香保グリーン牧場 http://www.greenbokujo.co.jp/
地球屋(行ったのは榛東村)  http://www.chikyuya.co.jp/

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石巻にのぼれ!「こいのぼり」―石巻市役所訪問と被災障害者の話

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宮城県出身の漫画家・石ノ森章太郎氏に肖って、
石巻駅舎・駅前通り・市役所の前と、かの有名な仮面ライダーさんたちが並んでいる。

市役所の中へ入ると、1階部分に水が入ってきたことが伺える。
ほとんどの役所機能は2階~4階で行われているが、
エレベーターは当然動かないので、階段で上がっていく。すると・・・

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踊り場に、こいのぼり!! そういえば、5月5日は「こどもの日」だった。
阪神淡路大震災を経験した兵庫県の皆さんからの贈り物だそうです。

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こちらは2階のエレベーター前にあった、寄せ書き。
福岡県の高校生(左)と、南米の皆様から(右)。

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4階メディアセンター手前にあるプレスルーム内に設置されているのが
ラジオ石巻」(76.4MHZ)。
震災後、災害状況を中心にお伝えしており、石巻市内の被災者にとって
一番重宝されているメディア・・・だと思います。
明友館の避難所の方々は、このラジオ石巻をずっと流していました。

・・・

実は今回の石巻行き、呼びかけは08年の北京パラリンピックで出会った
「パラフォト」の代表・佐々木さんが行いました。
佐々木さんはお父さんが石巻のご出身で、親戚が避難所にいるなどの縁、
彼女は毎週のように石巻へ足を運び、刻々と情報を伝えています。

佐々木さんのブログ「知り・知らせる」。

そして、パラフォトの本体が「障害者スポーツの取材」なので、
石巻市内の被災障害者についても、この市役所にある障害福祉課で取材。

私が行った時は、担当の方が不在で話を聞くことはできなかったのですが、
佐々木さんが以前聞いたところによると、やはり義足の調整・車椅子不足、
医療器具を中心に困っている障害者の方も多いそうです

しかし、今は健常者でさえ物資が足りない状況で、
「障害者のためだけの支援」にまで手が回らないのが現状。

そういえば、東京のテレビ局などで流しているニュースも、
連日ボランティアの話は上がっていても、障害者の話はなかなか出てこない。

もとより、障害者はなかなか注目を受けられない立場にありますね・・・
全国自治体の障害福祉課の方や、障害者支援団体さん、
一般のボランティア志望の方も、障害者支援を行う方は少ない所から、
少しでも気にかけ、行動してもらえると嬉しいです。

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旧北上川の中州にある「石ノ森章太郎記念館」にも、こいのぼりがずらり!!

中州は津波で壊滅。記念館も形は残ったものの浸水の被害を受けて、
かの名作展示物がどうなっているか気になるところです・・・。

石ノ森先生の漫画は、未来を描いたものも多く、子供たちに夢を与えました。
一刻も早く、復活して街を元気にしてもらえると嬉しいです。

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「奇跡の避難所」を訪問―宮城県石巻市の「明友館」

石巻市に100箇所ほどある避難所(5月4日現在)。
(参照:東日本大震災(地震、津波)、被害状況専門サイトhttp://ranasite.net/?p=1422

避難所には市が指定する、学校体育館などが多いけれど、
歩行が困難な高齢者などが遠い指定避難所まで行くのは困難。
そこで、辛うじて近所にある公共施設に集まり指定外の避難所が作られました。

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そのひとつに、石巻市不動町の「明友館」がありました。
勤労者余暇活用(生涯学習に近い)センターだった場所で、
ここにも津波は流れてきて、1階部分は浸水。避難してきた
足の不自由な高齢者を、若者たちで2階に上げたところから
ここの「避難所活動」は始まったといいます。

「明友館避難所」のホームページ:http://www.meiyukan.com/
ホームページがある避難所も珍しいです…
追記:そして、今も活動を続けていることを発見!(2015年1月)

2階建てで、1階はスタッフルームと荷物倉庫。2階部分に
60人強の人たちで分けて暮らしているが(4月30日現在)
多い時には130人ほどが身を寄せたとか。

・・・

震災1カ月半が過ぎた今、
明友館は知る人の間で「奇跡の避難所」と呼ばれているんです。
その理由は何か…数多ある他の避難所と比較することは難しいので、
リーダー・千葉恵弘さんから聞いた話をそのまま整理します。
それだけでも、奇跡の理由は伺える気がしました。

●リーダー・千葉さんのネットワークで全国から支援物資

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明友館のリーダー・千葉恵弘さん

震災当時、明友館は指定避難所でなかったために
物資が届かず、食料もない状態。震災で使った冷蔵庫から
バナナと水を皆で分けた。3日後にやっとおにぎりが到着するまで、
それだけの食糧で全員無事だったことが救いでした。

震災当初、リーダーの千葉さんも、着の身着のまま家を出たとか。
「張り紙のひとつでもしてくれば、仲間が探しに来たんだけど、
それを忘れちゃったんで発見されたのが遅かったんだよね」

そう笑う千葉さんは、全国にネットワークを持つ顔の広い方。
全国の仲間が震災の報を受けて、「石巻の千葉さんは無事か!?」と
連絡をしていたらしい。当然携帯は繋がらず、数日後、
やっと連絡を取れた千葉さんが無事を伝え、物資がないと伝えるや否や、
全国の「仲間」が行政や支援団体を越えて、
「明友館の千葉さん」宛てに、直接生活物資を届け始めたのでした。

●全国から集まる支援物資を、更なる支援へ

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という訳で、私が訪れた時、
入口には自転車が並び、中には野菜や果物の箱が積まれ、
1階は3部屋ほどが「倉庫」と化するほど、支援物資があふれていました。

いや、溢れるくらいあっても、まだ足りないのかもしれないが…

なぜなら、全国の仲間が届けてくれた物資を、
千葉さんは、近所の個人宅で避難している人にも配っているからなんです
「最初は、この風貌だからすごい怪しまれた」と冗談を言いながら、
今は「STAFF」のゼッケンを付けて周辺の訪問を続けているといいます。

石巻市はボランティアの数も被災した自治体で最も多く、
食糧なども供給過剰が感じられた(少なくとも明友館では)ので、
千葉さんに、「食糧の足りない自治体は、まだあるのですか?」と
尋ねた時、千葉さんは、
「自治体、というよりも、個人宅への配給が届いていない」と答えられ。

行政の決まり・・・と言ってはなんだが、どうしても避難所に情報と
物資の供給が優先されてしまうらしい。そんな個人宅のケアまでが
千葉さんの仕事になっていることに、考えさせられました。

いや、私のこのエントリーを見て、
「うちの行政だって、個人宅までどんどん支援物資を届けていますよ!」
と反論される所があれば、是非その声をあげてほしいと願うばかりです。

そして、上の写真は1階の倉庫部屋の一つだが、
この部屋分を埋めるのは、すべて衣類だそうです。
(このほか、廊下にも衣類の段ボールが積まれていました)

全国から避難所に届けられる支援物資の中で、
衣類に関しては、阪神淡路大震災の時でも課題になっていたが、
使われないまま、倉庫に眠ったままになってしまうといいます。

理由は、サイズが合わない、中古品だから、
「さすがに困っていても、着ることができない」ということになる。
残念ながら、日本人には「潔癖」と「先進国」という運命が、
たとえどんな環境下にあろうとも染み込んでいるのでしょう。
※実際、自分が同じ立場になったら、同じ思いを抱くと思います。

そこで明友館では、中古衣料をそのまま破棄するよりも
「海外には、もっと困っている人がいるから」と、
海外への援助物質として再発送する事にしたとか。

早速先日、千葉さんの知人を経由してワゴン車一台分が、
新潟港から海外へ向けて送り出されていきました。

せっかくの善意を国内で使えないのは残念だが、
今は自分たちのことで一杯なはずの避難所が、
更に支援活動を行うということに、ただただ脱帽の思いでした・・・。

・・・

そしてそして(以下、5月6日追記)

「スペースがあるから、泊まって行っていいよ」

という千葉さんのお言葉に甘えて、石巻の1晩をお世話になりました。
広いスペースに、毛布と寝袋を出していただき、感謝です。

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夜のお弁当と朝のお弁当。
震災当時は3日間飢えに耐えた皆さんですが、
今は毎日、3食+おやつまで届くようになりました。
ちなみにリンゴは千葉さんの仲間から届けられた青森の「金星」…1400個とか。

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電気が通るようになってから、皆さん重宝している充電スペース。
携帯電話の充電器が一番多いのが、阪神淡路時代との大きな違い。
ドコモが充電コードを無料提供してくださったそうです。

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スタッフルーム
酒・煙草・珈琲・・・なんでも揃っているので、夜は宴会になります。

「酒は、地元の酒屋。酒というのはラベルが少し汚れただけで
価値を大きく落としちゃうんで、破棄するくらいなら…と安く譲ってもらった」

ちなみに、被災地の喫煙者にとって、煙草のない生活が辛かったそうです。
余談ですが、3月に福島県の南相馬市へ行った同行のカメラマンさん(喫煙者)は、
煙草を多く持って被災地の農家へ取材に行ったら、煙草1本と引き換えに
野菜やら食べ物をたくさんいただいてしまったとか・・・

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東北の朝晩は、まだストーブが必要です(4月30日~5月1日)
「灯油は、届けられるようになった・・・今は300リットルあるかな」
これも千葉さんのネットワークなのだろうか・・・

明友館にいる方も、家族や友人を亡くしている方々は多いけど、
それを忘れるかのように笑顔で、にぎやかに談笑し夜を過ごす。
被災地の底力を、この避難所で教えていただいたような気分でした。

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震災の傷と花見と…宮城県石巻市で「お花見プロジェクト」

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宮城県石巻市の中心部から徒歩20分の所にある「日和山(ひよりやま)」
市街を一望できる山頂の広場で5月1日、桜満開と共に
「お花見プロジェクトcherryblossom」が開催されました。

プロジェクトを企画したのは、行政でもNGOなどの組織でもない、
石巻市出身で東京都在住の会社員・雁部智博さん。

「石巻は負けないぞ!前向いてるぞ!被災地から全国に元気を発信しましょう!」
そんな主旨の元、インターネットで呼びかけを始めたところ、
「そうだ、いつまでも落ち込んでいてもしょうがない!」という
賛同の声が重なると同時に、一部からは・・・

「花見はいいけど、あの場所でやることは反対です」という声も。

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反対意見は、日和山の位置。

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日和山は、360度のパノラマで市を一望できる場所にあり、
当然ながら海も見え、その手前には無残な光景が広がっています。

そんな光景を見下ろしながら、酒を飲んで花見を楽しむ気分になれない、
というのです。

しかし、この場所は昔から石巻市の人々にとって花見の名所。
春といえば花見、花見といえば日和山。
というほどの場所なのです、と石巻で生まれ育った雁部さん。

そして、実際に被災された方の
「いつまでも、落ち込んでいてもしょうがない。
復興できる人から、前を向いて歩こう」
という言葉に背中を押され、
実行することを決意したのでした。

・・・

そして迎えた当日。朝の天気は・・・雨。

心配そうに天を仰ぐ雁部さんと、手伝いに参加してくれた人は、
会場に並ぶ36本の地酒・平孝酒造の「日高見」を横目に、
「この瓶が全部空いてくれればいいんですけどね・・・」
祈るようにつぶやく。少人数で開始の乾杯をし、
傘やカッパの様相で酒を楽しむことに。

この雨がやんでくれれば・・・全員がそう祈っていると、
なんと10時半・・・奇跡的に(?)雲の切れ間からお天道様が登場。

当日、午後から40%に上がるといわれていた雨の予報。
皆の願いが見事にお天道様を通じて覆ってくれたのである。

折りたたんでいたブルーシートを一気に広げ、本格的に花見スタート!!

最初はまばらだった参加者も、雁部さんが来場者の集まる展望台で
呼びかけを行ったことで、徐々に集まりだした。一時は50人以上、
延べ人数では数百人の人が、ブルーシートに集まってくれた。

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そして11時過ぎ。
集合写真を撮ろうと準備をしていると、サプライズゲストが登場した・・・

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なんと、八代亜紀さんである。

熊本県八代(やつしろ)市出身の八代亜紀さん。
ここの名産であるタタミを1万枚、石巻市に寄贈され、
慰問も兼ねて日和山で歌を歌いに訪れていたという。

「頑張って!」
エールを送る八代さんを囲んでの記念写真。
参加者はもちろん、主催者までが驚き、感動していました。

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そして、震災の起きた2時46分、黙祷を捧げて花見は終了。

会場に来た人は、石巻市民をはじめ、ボランティア、
親戚が石巻という方、地震に関する仕事に従事する方など・・・
石巻市の方に話を聞いた限りでは、日和山で花見をする
光景を見たのは、今年初めてだったと話し、
この日、ここで花見が出来たことには、ほとんどの方が

「良かった」「やっぱり、いつまでも暗くしてもしょうがない」
「おじいちゃんが亡くなったけど、天国からこの桜を見てくれれば・・」

と、花見ができたことを前向きに捉えていました。

雁部さんの思い切った行動に、
お天道様が味方し、八代亜紀さんが応援され、
プロジェクトは無事に成功を収めたと言ってよいでしょう。

この花見が、石巻の復興を促進するよう願うばかりです。

・・・

会場には、被災された食品会社の方々も参加されました。

石巻に本社を持つ高砂長寿味噌さん木の屋石巻水産さん

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高砂長寿味噌さんは、松島に残った工場で生産を再開するも、
販売場所がなく、せっかくの製品は未だサンプル提供状態。

木の屋さんは、缶詰工場が津波で壊滅したが、
その中で従業員総出になって缶詰を掘り起こし、
ラベルのない状態で配布・もしくは破格の値段で提供。

「缶詰の保存能力はすごいです」と、木村さんが仰るとおり、
中身は見事に遜色ない。そんな中身を利用した新製品の開発に
努めているという。

被災した会社の皆さんに、販売先と復興のための支援が
できる場所を提供できる方がいましたら、ぜひご連絡ください。

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崩れた大地にも、また花は開く・・・頑張れ石巻!!

・・・

以下、石巻市の状況です・・・

石巻市は人口16万人の、宮城県で仙台に次ぐ大規模都市。
旧北上川が海に注ぐ地点にある港湾都市で、
主な産業は漁業とそれに付随する水産物加工業、
それに金華山などの観光業や、酒蔵など酒造、食品業など・・・
旧北上川の中洲には漫画家・石ノ森章太郎氏の記念館があり、
駅や駅前には仮面ライダーなどのフィギュアが並んでいる。

そんな石巻を、3月11日の津波が一瞬で呑みこんだ。

5月1日時点での死者数は2879人、行方不明者2770人、
未だに市内の避難所で生活する人の数も1万人を超えている。
震災を受けた自治体の中でもっとも被災者の多い都市となった。

参照:東日本大震災(地震、津波)、被害状況専門サイト
http://ranasite.net/?p=1422

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東京で、今冬初めての「積雪」!? & 芥川賞のこと

2月14日 バレンタインデー☆

お世話になっている諸先輩の皆様に横濱で買った貴重なチョコと、
お世話になっている諸後輩の皆様に札幌で貰った貴重な
「白い恋人」をプレゼントしたものだから…

思わぬ「白い恋人」に遭遇してしまいました

私が知るところの、今年2度目。
積雪では初めての、東京での「雪」snow

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普段は傘要らずの、会社~最寄り駅までの屋根付き導線も、
真っ白い雪が横から入ってきて、

「渡る世間は鬼ばかり」 ならず 「渡る廊下は雪ばかり」

失礼しました。

ともあれ、東京は札幌と違って、
電車が止まる可能性もあるため早々と退社。

でしたが、この日電車がストップする気配は幸い感じられず、
遅れることなく無事に最寄り駅へ到着。

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余りにも寒かったので、行きつけの油そば屋で油そばの夕飯。
この店秘伝、漢方をブレンドしたというラー油と
自家製天然揚げの一味唐辛子
をたっぷりかけて、
体を「ホット!ホット!」にして帰宅しました。

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家の前に来ると・・・足跡がない入口が真っ白!!
足を踏み入れるのが勿体ないな~と思いながら、
そろりそろりと足を運んで家の中へ入りました。

この調子なら、明日はかなり積っているだろうな~、
ひょっとすると、会社にも行けないかもしれないな~、
と、心配しながら床に就き、

同時に

「ならば明日は遅めに起きてもいいかな~」
と、油断していたら、本当に寝坊して起床

そして、あわてて家を出ると・・・

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雪、すっかり溶けてるじゃないですか~!!

天気予報によると、14日の東京は2センチの積雪
今年初めての積雪だったようですが、

なんだかんだいって、やはり春が近付いているようです。
おそらく雪はあと1回か2回くらいしかないでしょう。
(と、期待

余談ですが・・・

この夜、余りにも寒かったので、珍しく
家で湯船を張って半身浴に身を置きながら、
買っておいた「文芸春秋」で芥川賞受賞作の2作品を一気に読破。
※単行本として2冊買わなくて済むのだから、文芸春秋もサービスいいですね。

「きことわ」(朝吹真理子さん)は、
表現できにくい情景を綺麗な文章で埋め尽くされていて文句なし、
「苦役列車」(西村賢太さん)は、
引き込まれる文章力で、
どっちも「さすが芥川賞」と唸らせられました。
もちろん、引き込まれた作品の方が、「小説」として楽しめました・・・

 

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広島・原爆投下から65年-平和記念式典、米国大使初参加の背景に…

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毎年8月6日といえば、この話。
白馬にいても放っておけないので、記録に残しておきます。

・・・以下、ニュースより抜粋…

広島市は6日、被爆から65年の「原爆の日」を迎え、
広島市中区の平和記念公園では、
「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。
原爆投下国である米国からルース駐日大使、
国連の潘基文事務総長がいずれも初めて出席。
核保有国の英仏もそれぞれ初参加し、過去最多の七十四カ国が参列した。
 
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010080601000073.html

・・・抜粋、終わり…

今回の平和記念式典で注目されたのは、
国連事務総長と米国駐日大使が初めて参加したこと。

これに対し、やはり米国内のメディアからは、
「投下国の米国が参加するとは、
暗に謝罪をしたようなものだ」という批判も出た。

今まで米国側が平和祈念式典への参加しなかった背景には、
米国では、1945年の広島・長崎への原爆投下については
「戦争を終焉に迎えた正義の行為」とする考えが根強いからである。

米国に留学していた友人も、歴史の授業では、
原爆についてこのように書かれていたと話していた。

「米国の歴史教科書には、原爆について、
『アメリカが原爆を投下したことによって戦争は終わった』
とだけ書いてあったんだよ。」

しかし、この考え方だけで平和記念式典への参加を
拒んできた米国の視点は、09年に大統領に就任した
オバマ大統領によって若干変わり、
それが今回の参加へとつながることになった。

今回、ルース大使のコメントには、
このことに関連する、「核兵器なき世界」が込められていた。

また、戦後の日本と米国は同盟関係にあり、
共に協力して平和な世界を築いていくことが大切、とも添えられた。

オバマ大統領は昨年4月のプラハ演説で、
「米国は唯一の核使用国としての道義的責任がある」とし、
核軍縮・不拡散に積極的に取り組む姿勢を強調したこと、
この点を重視して、式典参加を決定したことは、
今後の「核なき世界」を決意する姿勢としてよかったと思う。

・・・

今回の米国大使の参加は、私にとってはうれしいことだった。

広島・長崎で毎年平和祈念式典を開催する意図は、
「唯一の被爆国としての悲劇を忘れないために」という
日本主体の考えだけだったものから、
「全世界における核兵器なき世界を目指す場」へと
グローバルな立場へと変わっている。

米国・米国民もまた、この式典については、
「65年前に原爆を投下したことへの謝罪」という一点ではなく、
核軍縮を目指す国の代表としての存在を再認識する場所と
捉えてもらい、来年も参加してもらいたい。

できれば、大統領自ら参加してもらいたい、とさえ思う。

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参議院選挙をこちらはネットで・・・「選挙ステーション × twitter」 

中国にいる時と日本にいる時、テレビを見ると
報道内容がかなーーーーり違います。

今は日本だと相撲か選挙、かな。
一方中国では、今でもワールドカップで盛り上がってます。
さっきも、宿泊先のロビーでアルゼンチンVSドイツ戦を
中国人やイタリア人のお客さんが見てました。

さて、そんな中国では、到底日本の話題について
これなくなりますが、参議院選挙が11日にあるそうです。

テレビ朝日で自称・テレビ屋一年生の天天ちゃんが、
Twitterでちと面白い試みをするそうなので、
みんなでフォローしてあげてくださいな。

・・・

今回、データ放送の新しい取り組みとして
選挙ステーション × twitter を展開します。

番組と連動して、政治家・著名人・現役官僚などのつぶやきを紹介!
テレビを見ながらtwitter!で楽しさ倍増です!

https://twitter.com/senkyost2010
この選挙特番のアカウントをフォローしてもらえると嬉しいです。

・・・

これなら、日本の生放送を見られない中国でも、
生中継感覚で楽しめそうですね。

さっそくフォローを・・・

っと、

中国ではTwitterができないんだっけ(汗)

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明日は衆議院議員総選挙ですね・・・北京から一声一票

いよいよですね。

第45回衆議院議員総選挙。
遊説最終日も20時をまわりました。
候補者・スタッフの皆さん、最後までお疲れ様でした。

遊説、スタッフ、マスコミ、いろんな立場で選挙を経験したことのある私ですが、
今回は、海外在住者の「在外選挙人」という立場で参加しました。

http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2009/08/in-8544.html

北京に来て2回目の選挙、2回とも投票しています。
日本人である以上、常に何らかの事情で
日本に帰らざるを得ない状況になることもあるからです。

その時の日本が、自分にとってどんな形になっているのか、
常に関心をもって祖国を見ておく必要はあるわけです。

それに、「海外にいても選挙ができる」権利を放棄していたら、
いざ帰って「なんじゃ、こりゃ?」という
日本になっていたとしても、文句が言えないじゃないですか。

おまえ、選挙できたんだろ?
あの時、なんで投票しなかった癖に今更文句言うんだよ?

ってね。

私は日本でも仕事がしたいし、家庭も大事にしたい。
そのためにも、今でも「日本」に少しでも参加していたい。

文句を言うために、というわけではなく、
住みよい町を作るために「意見を出せる」機会があるなら、
普段からその機会を生かさない手はないと思います。

・・・

それと、「選挙」というものがない中国に暮らしていると、
「選挙」のありがたみを感じてきます。

共産党一党体制の中国では、党内部の力関係や
政治手腕が評価されて、上層部へと上り詰めていくのですが、
それが民衆のための政治手腕とは必ずしも言えない気がします。

中国の都市計画は、政府の一声で左右します
一例としては、突然政府からやってくる「チャイ(取り壊し)」のお達し
これが出た日には、反対意見を述べる術もなく、強制執行です。

こういう、市民の泣き寝入りが時々あります。
そこに、「人民の声や反対意見を拾う」という風潮も、
「民衆に問う」社会的風潮もない、そう感じるたびに、
民衆の声で政治が決まる日本って、有難いことだと実感します。

・・・

また、選挙が存在していても、結果が軍隊に覆されてしまう国や、
選挙を阻止するためのテロなどで安心して選挙ができない国もあります。

自宅から数百メートル以内のところへ出かけるだけで、
投票できてしまう日本は、なんと安全な国なんでしょう。

きちんと選挙が実行できている日本だから、
安全・安心な選挙が保障されているものと思います。

でも、ここでみんなが
選挙権を放棄して投票に行かなくなったら・・・どうなるでしょう。

仕事や旅行や、住民票と違う自治体に住んでいる人以外は、
「玄関開けたら2分で投票」(できるかな?)の選挙に行ってみましょう。

何はともあれ、選挙もいよいよ明日。
これまで12日間、毎日12時間、全力で走り続けてきた
候補者の皆さん、スタッフの皆さん、明日の検討をお祈りします。

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