東日本大震災から1年を前に…四川大地震1年後を思い出す
3月10日 1年前のこの日、
「明日、日本という国が大きく変わる震災が起きる」
ことなど、誰が知っていただろうか…
・・・
先週、いろいろ予定が重なって忙しかったのに、
この土日は一息ついて、かなり時間がぽっかり。
でも、無理に被災地へ行くことなく震災後1年の日を都内で迎えます。
被災地以外の人は、現地へ無理に行くことはしない方がいい、
からです。
四川大地震1周年の時、仕事で北川へ行っていました。
その後、1年間で2回取材に訪れ、もっとも思い入れのあった都江堰の
1年後の様子も取材を、と一人カメラを持ってバスに乗って出発。
すると、 都江堰へ向かう狭い道路が、
供養や見学に向かう一般人の車で信じられないほどの大渋滞…
「都江堰 20㎞」という看板があたりで既に車でぎゅうぎゅう詰め、
前にも後ろにも進めなくなってしまいました。
バスはなんとか裏道を探すも、そっちもびっしりで遂に立ち往生。
当日中に市内に入れないと訪問を断念し、
バスを降り、運よく拾えたタクシーで引き返しました。
当時のエピソード:
四川省大地震1年後の被災地より・・・棄てられていく北川(2009年5月)
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2009/05/1-71ce.html
四川省大地震1年後の・・・都江堰再訪を阻んだもの(同上)
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2009/05/post-dda3.html
あの光景が、明日の東北で再現されませんように…
・・・
でも、四川大地震2周年の2010年5月12日に
再び都江堰へ行った時は、まったくもって日常に戻っていて、
アパートの建設現場と半壊した状態で営業を続けている店以外、
震災を思い出させるものがなくなっていたことに、更に驚きました。
当時のエピソード:
四川大地震2周年・当日~都江堰より~(2010年5月)
http://koma.cocolog-nifty.com/emmy/2010/05/2-68c6.html
北川や汶川など被害状況の大きかった街は、崩れた場所をそのままにし
「地震の町」を売りに観光客で賑わい、地元住民は古いものが
新しいものに立て換わって喜ぶという光景…忘れるのが早すぎるのでしょうか。
復興に経済力が必要とはいえ、
... あの売り方と、震災からの立ち直り方、いわゆる忘れ方はすごいですね。
逆に、日本は今日、公民館の上に乗ったバスを撤去したニュースが出てました。
「見ていると辛いから」「元に戻すことで、前向きになろう」ですから、逆ですね。
.東日本大震災:公民館屋上乗り上げのバス撤去 石巻(2012年3月12日)
http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20120310/
ちなみに参考ですが、
こちらは、四川大地震一年後の四川省北川(2009年5月撮影)。
山間にあるこの街は再建が不可能と判断し、
別の場所に市街地そのものを移転、ここを「震災記念」に残しておくそうです。
下にも降りることができたので、供養する人もいっぱいいました。
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こちらは、2年後の四川省都江堰の聚源地区(2010年5月)。
アパートの建設も、細々とやらずに真っ赤なスローガンを
ガンガン掲げながら行うあたり、中国の元気?を伺わせます。
2年前の2008年6月、同じあたりはこんな感じでした。
ハード面の修復の早さは目を見張りました。
その分、被災地の方々も早く日常を取り戻し、
辛いことを忘れることにもつながるのでしょうか…
・・・
どのような形で、日本が震災から復興するのか、
今回の震災という記憶をどのように後世に語り継いでいくのか、
2年目の1年間は、日本の長い将来を左右する「試される1年」になりそうです。